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悪夢の森の魔女  作者:
5/8

5話 悪夢の館と迷子たち2

 大粒の涙を流してしがみつく妹を、ハンスはあやし続けます。彼も泣きたいほど怖かったのですが、気丈な妹のグレーテが取り乱したことで、かえって冷静さを取り戻しました。


「あの……ごめんなさいね。わざとじゃないの、本当に、ただ地図をね、ほら、こうやって書いたつもりだったのよ」


「わ、分かりましたから、書いたものを見せるのやめて。怖い!」


 赤黒い呪いの布を振る妙齢の女性ーー魔物の親玉(確定)を、ハンスはきっぱりと拒絶しました。はっきり断らねえと蛇みてえにしつこい女もいるからな、というろくでなしの父親の教えを覚えていたのです。


「あ、あら、ごめんなさい。でも、それじゃあ帰れないのでしょう?」


 困ったわね、と頬に手をやる親玉の言葉に、ハンスはうつむきます。確かに彼と妹だけでは、この気持ち悪い森から逃げられません。すると、親玉がパンと手を打ちました。


「じゃあ、私の(しもべ)に案内をさせるわ! この森の出口まで連れて行ってあげる」


「し、しもべ? あなたの、ですよね……?」


「ええ、もちろん。とっても優秀なのが二人もいるから、どちらか一人を行かせるわ」


 にっこりと邪気のない笑顔で言われ、ハンスはおずおずと頷きました。そして、そのしもべとやらに館に引きずり込まれないよう、距離を取ります。用心深いところが長所のお兄ちゃんです。

 十歩ほど後ずさりましたが、油断してはいけませんでした。


「あら、ちょうどよかったわ。そっちにいたのね」


 親玉が、ハンスの肩越しに声をかけたのです。慌てて振り向いたハンスとグレーテは、再び絶叫しました。


 二人の背後にいたのは、黒っぽい犬ーーのような獣でした。筋肉が歪に盛り上がった体は所々毛が抜け落ち、毒々しい緑色の舌の陰からぞろりと鋭い牙が見えます。そして左右で大きさの違う目はらんらんと光り、その顔つきは、どう見ても人を百人は食べている魔物です。


「魔女様。この子供たちは、おれが連れて行く」


 毛がまばらに生えた尻尾を振って、魔犬が恐ろしげな声で言いました。悪鬼のごとき魔犬が喋ったという現実に、もはや哀れな二人はついていけません。


「ええ、そうねえ。ヴィックは()()()()()()だものね」


 親玉の朗らかな言葉に、兄妹は戦慄します。二人の耳には、「子供の()()大好き」と言っているようにしか聞こえませんでした。


「おおおお願いだから、いっ妹だけは、食べないで……!」


 つうっと涙が頬を伝うのも構わず、ハンスは懇願します。しかし、それを黙って見ているグレーテではありませんでした。


「だ、だめっ! うちは貧乏だから、二人ともガリガリで食べるとこなんてないもん!」


「やめろグレーテ! もういいんだ! お前だけでもーー」


 互いをかばい合う兄妹を前にした魔犬は、しかし、困惑したように尻尾を垂れました。


「おれは、食べない。子供はかわいい」


「えっ? た、食べない……の?」


 低すぎる声に怯えるグレーテの問いに、ヴィックと呼ばれた魔犬はこくりと頷きました。その拍子によだれがぼたりと垂れ落ちたので、説得力が全くありません。


「う、嘘ついてるの? わたしはほんとうのこと言ったよ! わたしたち、ほんとにガリッガリなんだから!」


 むきになって魔犬に訴える妹を、ハンスは慌てて抑えます。そして、涙を拭って改めて魔犬を見ると、確かに彼の村にいた野犬のように襲いかかるそぶりもなく、目には残虐な意思は宿っていない気がします。


「その彼が子供好きなのは本当ですよ。ですから、この菓子を持ってさっさと行きなさい」


 またしても背後を取られた兄妹は、知らない声にぞっとしながら振り向きます。そして、三度目の渾身の悲鳴を上げました。


「ほらぁ、だからセバスチャンだと怖がらせちゃうって言ったのにぃ」


「しかし、浮かれた魔女様が菓子を持つと、間違っても口にしたくない形状になってしまうでしょう」


 にやにやする親玉と窓越しに話しているのは、頭部に取って付けたようにうさぎの耳らしきものを生やした、悪魔のような顔の大男です。上背がハンスの倍以上ある上に、その手足はグレーテの胴周りよりも太いので、どう足掻いても引きちぎって食われる未来しか見えません。


 そして何より怖いのは、その口でした。閉じているとうさぎのようなのに、喋ると横に大きく裂けて、真っ赤な口と鋭い歯が見え隠れするのです。ゴツゴツした岩のような体よりも、血を思わせるその口内の色に二人は寒気がしました。


「ぐ、グレーテぇ。ぼくのせいで、ごめんよぉ」


「わっわたじこそ、なんにもでぎなくで、ごめんなざいぃ」


 いよいよ最期の時が来たのだと、二人は思いました。ハンスは妹ひとり助けられなかった無力を嘆き、グレーテもまた、兄の役に立てなかった無念に泣いています。二人は互いに助け合って生きてきたのです。


思えば、爪に火を灯すようなひもじい生活の末に親に捨てられるという、苦労ばかりの人生でした。ハンスもグレーテも、死ぬ前に空腹でないことだけが救いだったと、悲しい諦めとともに思いました。


 しかし大男はそんな空気を一切読まず、打ち震える兄妹に腐ったような色の包みを差し出します。


「この通り見てくれは最低ですが、味はリンゴの包み焼きのようなものです。道中でお食べなさい」


「へぁ? あ、ありがとう……ござい、ます」


 包みから漏れる香ばしい匂いにつられて、ハンスがお礼の言葉を返しました。すると大男は、その血走った目をすうっと細めます。獲物を血祭りに上げる悪魔の凶相ですが、彼は二人に襲いかかることなく、とても紳士的な態度で館に戻って行きました。


 そして半ば放心した兄妹は、意気揚々と尻尾を振る魔犬ヴィックに先導されて、悪夢のような館を後にしました。残されたのは、ちょっと寂しそうな顔をした魔物の親玉こと森の魔女と、その僕の大男セバスチャンです。


「魔女様、だから彼らに声をかけても怖がらせるだけだと申し上げたでしょう」


「だって、今日こそはいける気がしたんだもの。あーあ、せっかく久しぶりにかわいいお客様が来たと思ったのにぃ」


 かわいいものと触れ合う機会を逃して口を尖らせる主人に、僕は呆れた声で言いました。


「あの幼気(いたいけ)な子供たちを化け物にする気ですか。あなたが客人を迎えるには、喜怒哀楽を捨て去る修練を千年ほど積む必要がありますよ」


 感情の高ぶりによって魔力が抑えきれなくなるこの主人は、己の能力に振り回されがちなので、セバスチャンも手を焼いているのです。

 容赦のない評価を下されて、森の魔女は僕を睨みました。しかしセバスチャンは涼しい顔ーーに見えないこともない、いつも通りのご面相で流します。


「……でも、ヴィックはとっても嬉しそうだったから、よかったわ」


「そうですね」


 はるか昔、森の魔女が出会った時から、ヴィックは子供が大好きな気のいい犬でした。彼女にとってヴィックは、どんなに姿が変わっても、人懐こくてかわいい、そして哀れな犬のままなのです。


 ちょっとしんみりした空気の中、主従はしばらく子供たちが去っていった方を見つめ続けました。


 しかし、二人は知る由もありません。そのヴィックが、日が暮れるからと気を利かせて、宿を借りようと人食いばばあの家に案内することを。そして、哀れな子供たちが恐怖のどん底に突き落とされることを。


 更には、そのばばあの家にあの兄弟が居つくことになるとは、今は想像もしていないのでした。

今後の二人の活躍に期待、ということで。

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