3話 かわいいは作れる
あるうららかな午後のことです。
優雅に毒沼色のお茶を飲んでいた森の魔女は、読んでいた書物を床に叩きつけました。
「こんのぶりっ子魔女! 私に喧嘩を売ってるのね!!」
ぐしゃりと皺がついたその書物には、彼女がたった今天敵と定めた、ある魔女の近影が描かれています。その可憐な顔は、怒れる森の魔女の魔力に侵食され、見るも恐ろしい姿に変わっていきます。彼女の魔力は絵にまで及ぶのです。
「魔女様、いかがいたしましたか」
瞬時に駆けつけたセバスチャンは、床から書物を拾い上げます。そしてちらりと書物ーー『これが魔女の流行最先端★闇かぼちゃ鍋』に目をやりました。
「……随分と頭の悪そうな書物ですね」
「私、愛・読・者! そんなにまっすぐ目を見て言わなくたっていいじゃない!」
森の魔女は傷つきながら訴えますが、僕は軽く流して散らかった円卓の上を片付けます。
「時が経てば、全て醜い絵図に変わるのでしょう。そんなものを見て気が晴れるのですか?」
「は、晴れますぅ! 一瞬の輝きだからこそ美しいのよ、芸術というのは!」
力説する森の魔女に、セバスチャンは手を止めました。そして、おもむろに書物を取り上げると、地の底を這うようなその声で朗読を始めます。
「ーーこれが今時の魔女っ子よ★やっぱり黒ネコとカラスは外せない! 定番にほどよく流行を取り入れた、おしゃれ魔女の決定版★」
「や、やめてぇ! 私が悪かったから、真顔で読み上げるのだけはやめてぇ!」
「芸術というほどの内容とは思えませんが」
「分かったからぁ! もう知ったようなこと言わないからぁ!」
円卓に突っ伏して負けを認める主人を、僕は哀れむような目で見ています。しかし主人がそれを知ることはないでしょう。
「ねえ、それよりも聞いてちょうだい。その、ぶりっ子が載ってる記事がひどいのよ!」
「立ち直りがお早いですね」
がばっと身を起こした森の魔女に、セバスチャンはやや呆れたように言いました。しかし、森の魔女はどこ吹く風で書物をめくります。そして、目当ての記事を見つけて目を釣り上げました。
「ほら、これよ。かわいいは作れるだなんて、私への挑戦としか思えない暴言! 許せないわ!」
「魔女様、興奮しないでください。そのように書物を叩かれては読めません」
どこまでも冷静なセバスチャンは、主人から書物を取り上げると、さっと目を通しました。そして、ふうっとため息を落とします。傍目には、どうやって拷問しようかなとか考えている悪魔にしか見えません。
「……内容はともかくとして、あなたがお怒りになるほどのことではないでしょう。年相応に落ち着いてください」
「相変わらず言葉の刃が痛い……。でもセバスチャン、女性に対して年齢を持ち出すのはいただけないわよ」
膨れっ面を作る森の魔女に、セバスチャンは血走ったその目を細めます。もはや、獲物を殺す目にしか見えません。
「私だって、大人気ないことを言ってると分かってるわ。でも、でもね! 私もかわいいものに囲まれてみたいのよぉ。私が喉から手が出るほど欲しいものを、あの女は平然と……しかも、明らかに私に向けた暴言を……」
だんだん怨念が込められていく主人の声を聞いて、セバスチャンは嫌そうに長い耳を動かします。森の魔女の魔力は、感情の高ぶりによってその威力が増すのです。既に、館の外にまで影響が広がっていました。
窓の外に見える森の木々が、次々と捩じくれておぞましい姿になっていきます。
「魔女様、お控えください。でないとこの不気味な森が、更に気持ち悪くなります」
「そ、そうね……また、気持ち悪く……」
言いながら、森の魔女は僕の言葉に落ち込んでしまいました。途端に外の変容が止まります。
「そうです。そのままお気を確かに持ってください。お客様がおいでのようですから」
誰が来るというのか、たずねる前に僕は去ってしまいました。少しして、外の露台に一羽のカラスが舞い降りました。これが客人のようです。
「くっ……わざわざ闇かぼちゃ鍋が頒布されてから来るなんて、忌々しいわ」
呪詛のようなつぶやきを漏らしながら、森の魔女は窓を開けました。そして、カラスから人に変化した客人を迎えます。
「ようこそ、岬の魔女さん。会合以来だけれど、こんな辺境に、わざわざ何の用があってお越しになったのかしら」
「あらぁ森の魔女様、お久しぶり。たまには田舎に出かけてみようと思ったのですわ。それにしても、相変わらずでいらっしゃるのねぇ」
嫌味の応酬で火花を散らす二人は、表面上はにこやかに席に着きました。そして、岬の魔女は円卓に放り出された書物を見て嫌ぁな笑みを浮かべます。
「まあぁ。私の記事を読んでくださっていたなんて、光栄ですわ。どうでしーー」
得意げな顔は、すぐに鬼のような形相に変わりました。
「ちょっとあんた、人の絵になんてことを! せっかく綺麗に描いてもらったのに、これじゃあ化け物じゃないの!」
「あらぁ、ごめんなさいねぇ。私の魔力が強力すぎて、こんなことになって。でも大丈夫よ、ほら、ちゃんと面影があるじゃない」
「どこがよ! あんた喧嘩売ってるの!?」
呪われた邪神像のようになった近影を、森の魔女は馬鹿にしきった顔で見せつけます。岬の魔女はぎりぎりと歯噛みしてそれを奪おうとしますが、年の功で森の魔女が上手でした。
「先に喧嘩を売ったのはあなたよ。この私に向かってかわいいは作れるだの、哀れなひきこもりだの、よくも書いてくれたわねぇ」
ざわり、と岬の魔女の肌が粟立ちます。そして、森の魔女を舐め切った事を書いたのは、大きな間違いだったと今更気づきました。
「かわいいは作れるですって? いいわねぇ、じゃあ作ってもらおうかしらぁ、この私の前で!」
「きゃあああああ!? ちょっとまって、ごめんなさい! 謝るから、謝るから待ってちょうだい!」
森の魔女の体から、汚い色の――腐敗した何かのような――上着が弾け飛び、彼女の魔力が増大します。恐れをなした岬の魔女は、涙目で上着を回収して懇願しました。しかしその間に、岬の魔女の顔の造作が微妙な感じに変わります。愛らしかった顔が、角度によってはいけるんじゃない? くらいになっていました。
「ふう。ちょっと大人気なかったかしら」
「ちょっとじゃないわよ……どうしてくれるのよ、これ……」
鏡を見て愕然とする岬の魔女に、森の魔女は内心でほくそ笑みます。森の魔女は自分の魔力の影響を弱めようと、常に魔封じの紋が刻まれた上着を着ているのです。そして、一度それを脱げば、どんな美人もたちまち魔物です。岬の魔女は、魔女故に雰囲気美人くらいで止まることができました。
しかし、転んでもただでは起きないのが魔女です。岬の魔女は、己の磨いてきた技術を結集して、見事に化粧でその美貌を蘇らせました。
「わあ。かわいいは作れるって、こういうことだったのねぇ。すごいわぁ」
「本っ当に腹が立つわね……。でも、森の魔女様だって、少しは化粧でもすればいいのよ」
唇に紅をさして仕上げながら、岬の魔女は言いました。しかし森の魔女は首を振ります。
「誰にも見てもらえないのに、お化粧なんてする必要はないのよ」
口ではそう言いながら寂しそうなので、岬の魔女は化粧道具を貸してあげることにしました。そして、森の魔女は数百年ぶりのお化粧に挑戦したのですが……。
「あっははははは! どんだけ下手くそなのよ、ははは、信じらんない! 大道芸人でもこんなのいないわよぉ!」
お腹を抱えて転げ回る岬の魔女の前には、真っ白に塗られた顔と太過ぎる眉毛、そしておちょぼ口に紅をさした森の魔女がいました。どこかで見たような、見ないような、そんな顔です……。
この直後、お茶を持って現れたセバスチャンが真顔で吹き出すという、珍事が起きることになります。
全く関係ありませんが、今夏は十数年ぶりに食パンをカビさせてしまって衝撃を受けました。
鏡餅だったらカビ部分を削ぎ落として食べていましたが、パンは無理でした。
でも餅も食べちゃいけないと知って、また衝撃を受けました。