2話 招かれざる客
「どうして私のせいだって思うのかしら。生まれ持った姿なんだから、まずは神さまとか親を恨みなさいよね」
「魔女様悪くない。おれが人間を追い返す」
「ありがとう、ヴィック。でも、そういう人は諦めが悪そうだから、そうねえ……一度だけ会って、ちょっと脅してやろうかしら」
いたずらを思いついた子供のような顔で笑う主人に、ヴィックは耳を伏せました。しかし、いつもの凶悪な顔で頷くと、主人の意を受けて森へと戻りました。待っていれば、彼がその人間を案内してくれるでしょう。森の魔女は、悠々と菓子を貪りました。
そして、油断しきっていた森の魔女は、不意打ちをくらいました。
「魔女様、思いつきで不審な者を館に入れないでいただきたいのですが」
「ぐっ!? おっうぇっ……!!」
「…………どうぞ、お茶です」
菓子を喉に詰まらせて悶絶する森の魔女は、セバスチャンから茶碗を奪い取って飲み干します。危うく死ぬところでした。魔女の死因としては最低です。自称正義の使者だか聖人だかに倒されるほうが、まだましな気がしてきました。
「……セ、セバスチャン。私がひとしきり苦しむ様を眺めてからお茶を出すのは、侍従としてちょっとどうなのかしら」
「間食は控えていただきたいという忠心ゆえに、心を鬼にしてみました」
心というか顔が鬼のようなセバスチャンは、ヴィックよりも厳しい性格です。時々、彼は主人をいたぶって楽しんでいるのではないかと森の魔女が疑うほどです。
間食の意義について力説する森の魔女が、肥満の危険性について理路整然と訴えるセバスチャンによって追い込まれたところで、ヴィックが戻りました。
「うわあああああああ! やめろおおお、俺を食ったってまずいから! 殺さないでええええ!」
ヴィックに引きずられて、人間の男が陸に打ち上げられた魚のようにびちびち跳ねています。あまりの騒々しさに、セバスチャンが長い耳を伏せました。しかし、まったく可愛くありません。
「ねえ、あなたが私を恨んでいるっていう人間なの?」
森の魔女が歌うように問いかけると、男はぴたりと動きを止めました。襟首をヴィックにくわえられたまま、男はぐりんと首を捻って森の魔女を見ます。その様は呪われた人形のようで、森の魔女は思わず一歩下がってしまいました。
「……お、お前のせいで、俺はっ! 俺を元の顔に戻せ!」
怒りに顔を染めた男をまじまじと見た森の魔女は、長いため息を吐きました。彼女には、大騒ぎするほどの容姿とは思えません。
「どうしてあなたが私のせいだと言うのか分からないけれど、それがあなたの顔よ。元も何もないわ」
「う、嘘だ!! だって、村のみんなが言ってるんだ、森の魔女の呪いだって!」
男の絶望した目には、涙が浮かんでいます。しかし森の魔女はほだされません。どこの村の誰とも知れない人間をいちいち呪う手間を、どうしてかける必要があるのかと、問い詰めたくなりました。
「村の人たちは悪気なく、気休めにそう言っただけでしょう。抗いようのない、恐ろしいもののせいにして、慰めたかったのではないかしら」
あくまでも自分は関係ないのだと強調しつつ、森の魔女は男を説得しました。彼女が根気よく諭すうちに、猛烈に反発していた男は、次第に力を失っていきます。
村人たちも、まさか本人が魔女のところに乗り込むとは思わなかったのでしょう。しかし、この男は見知らぬ魔女への恨みを募らせた挙句、こうして森に来てしまいました。とんだ迷惑を被ったので、後でその村に新しい揺り椅子を強請ってやろうと森の魔女は思いました。
そんな彼女の企みなどつゆ知らず、男は床に這いつくばって泣き出しました。気の毒に思ったのか、ヴィックは襟首から牙を離してあげています。
「そんな……じゃあ、俺は死ぬまでこんな顔のまま……もう嫌だ。これじゃあ死んだほうがましじゃないか!」
男はがばっと身を起こすと、傍観していた森の魔女に詰め寄ります。
「おい魔女! 俺を元に戻せないんなら殺せよ!」
涙と鼻水にまみれた男の顔は醜いものでした。
腫れた目蓋は藪睨みの目に被さり、大きすぎる鼻は不恰好に曲がっています。そして唇は歪んでめくれ上がり、黄色い歯がのぞいています。しかし、そのどれもが、十分に人間の範疇に収まっていると森の魔女は分析しました。
むしろ、悪鬼か悪魔か呪いの像と比べたら、かわいらしいくらいだと、森の魔女は思います。そう、彼女の審美眼は、長年の隠遁生活と周囲の環境によって、明後日の方向にずれていました。
すると、セバスチャンが前に出て男の胸ぐらを掴みました。筋骨隆々のうさぎのセバスチャンによって、男の足は床から浮いています。
「う、うわああああ!? やめろっ! 食べないでええええ!」
「殺せと言っておきながら、食われるのは嫌なのか?」
草食のうさぎは決して持たないはずの鋭い牙を見せて、セバスチャンが恫喝します。裂けた口と釣りあがった目があまりに恐ろしくて、男と一緒に涙目になってしまったのは、森の魔女の秘密です。
「この私を見ろ。命と引き換えに化け物のような姿になったが、こうして誰に恥じることなく生きているぞ」
「ええっ? あんたも、あんたも魔女の呪いで?」
男はセバスチャンに怯えながらも、その顔をじっとみつめます。森の魔女の「だから、あなたは呪いじゃないでしょう」という言葉は綺麗に無視されました。
「死にかけていた私を助けて下さったのだ。おかげで私は、うさぎとしての尊厳も仲間も失い、魔女の眷族にさせられた」
「セバスチャン、言葉の刃が鋭いわ……」
森の魔女は、震えながら言いました。するとセバスチャンは、しかし、と続けます。
「この醜い姿を見てもなお、私をうさぎとして扱う者は、この方だけだった」
その静かな声に、男は目を瞠ります。腫れた目蓋のせいで分かりにくいですが、男は驚いていました。
「あ、あんたが、うさぎ……?」
「そうだ」
「驚くのはそこじゃなくって、私の心根の清らかさとかじゃないのかしら」
二人は、彼女の言葉をまた黙殺しました。そして、少し落ち着いたらしい男を下ろすと、セバスチャンは言いました。
「寄ってたかって醜いと蔑まれれば、性根が腐るのも仕方がない。だが、全てをこのお方のせいにするのは見当違いだ。帰れ」
「で、でも、俺はーー」
「お前の顔は生まれ持ったものだ。受け入れて帰れ」
とどめを刺された男は、がっくりと肩を落としました。そこに、無視されていた森の魔女がねちっこく囁きかけます。
「私の近くに長く留まるとぉ、みぃんな化け物になるのよぉ〜」
男は、大抵の人間が触るのを躊躇する地獄のような館の扉をばあんと開くと、後も見ず走り去りました。
「これで、もう来ないでしょうね」
「魔女様、あの男の村とやらに警告しておきましょうか」
忠実なセバスチャンの言葉に頷きかけて、森の魔女は首を振りました。彼の言う「警告」は、後で村人が泣きながら生贄を捧げに来るくらい、洒落にならないのです。
「それはやめておきましょう。……でも、そうねえ。代わりに迷惑料として、かわいい揺り椅子を一脚もらってきてちょうだい」
浮かれた主人の要求に、今度は僕が首を振りました。
「どうせ気持ち悪い形に変わるのですから、無駄な物は増やしません」
「き、気持ち悪いって! ひどいわ、それは思ってても言わないでほしかった!」
「申し訳ございません。しかし事実です。なあ、ヴィック殿」
「うん。気持ち悪い」
優しいヴィックにまできっぱりと断言されて、森の魔女は膝から崩れ落ちました。そして、五百八十七回挫折した誓いを、涙とともにまた立てました。
きっと、かわいいものに囲まれる生活を手に入れてみせる、と。
森の魔女は美的感覚がかなり怪しいので、実はちょろいです