なろうの中のストレスフリーについて
いい加減ノーストレスやストレスフリーに一つの見解が必要だと思った。私は異世界ジャンルでそれを意識するのは無駄だと書いた。難易度が高すぎるからだ。書く方じゃない、分析するほうになる。異世界ジャンルでノーストレスやストレスフリーの重要性を分析的に把握するのは苦しいだろう。
当然作者として言語的な設計図を書くのは無理だろう。出来てると思ってる人は多分上位作品をまともに知らない。その原因は、異世界ファンタジーと言う通常より強い刺激を生み出す好みが先行して存在するからになる。他の重要な部分がこういう状態ではあまり目立たない。それが分かって無い人が多すぎる。
異世界ファンタジーは皆大好きだ。だが問題はそこじゃない。だからって、それを文字物語で読もうとする人間は滅茶苦茶少なくなる。そんな人間は創作を楽しむ平均的人間の中で特異だと知ったほうが良い。なろうに来てる人は好みがそこに偏っている。この状態でノーストレスというものをなろうから分析しようとしても多分無理。
じゃなろうはノーストレスと無関係なのか?そこに今まで触れなかった。外の世界の物語と較べると確かにぼやっとしたものがある。ただランキングでノーストレス以外上に行くのは無理だってのは、それは苦しい話じゃないか?と見ている。なろうじゃ異世界ファンタジー以外誰も読まないは間違ってない。ただし女性向け恋愛は除く。
だが、ノーストレスはあんまり重要じゃない。それより、外の世界に対して、刺激とバランスを取る形で気をつける程度の差はある。あくまでトレードオフであって、神経質に棘を抜いていくような作業ではない。この程度の差言語化して語るのは無理。だから私は前回ゴブスレとグリムガルを参考にすればいけるんじゃないか?と書いた。
なろうにおいてストレスと言うより、イライラ描写は刺激とのトレードオフによってバランス的なものでしか無い。だからこの部分をどう扱うか?においては、全く無視してしまったらそりゃ読者受けが悪くなる。だからこれまで成功例が無いんだと思う。だがそういった漠然とした言葉や感覚じゃなくて、実際作品として受けたものをモデルにするならいけるんじゃないか?と見てる。
じゃリゼロ?あれは私モデルになら無いと思う。根本的にグリムガルやゴブスレの方がなろう作品に近い。後者はあくまで冒険者の物語なんだ。たいしてリゼロは、異世界生活が物語るようにそういった生活の軸が無いんだ。あれを真似しても上手く作れないのは、なろうの他の作品との共有資産を一切使えないとなる。悪く言えばパクリだ。
モデルとなるのは作品が重要じゃない。受けた作品が重要なんだ。受けた作品は言葉に出来ない見えない何か?があるケースも多い。作家はそれを評論家とは違う形で模倣できる。それが暗黙知であり技術になる。大事なのはストレスやイライラ描写や鬱描写と言う言葉に囚われてはならない。大事なのは全体像が受けたという事だ。
だがアニメファンにじゃない?多分違う、その根拠は、なろうで受けなかったそういった作品をアニメ化して同様に認められると思うか?となる。何故?それは、2つの大きな理由がある。それはさきほど書いた前者、成功には見えない何か?がある可能性が高いこと。もう1つが重要だ。何故今回改善案として書いて無いか?
それはあくまでノーストレスへの言及分析であって、それをなろうに生かす話じゃないから。ようは、そういった展開を書くのになろうの平均的作家は能力が低いのではないか?と見てるからだ。ただし注意深くそれに触れたいのは、必要とされる納涼に違いがあるだけで、それが作家としての能力の絶対的な低さではない。
素人作家と簡単にいったりプロとかわけ分からん話になるが、金なんて能力以外の部分が大きく絡む。そうじゃなければ作家が直接売れば良い。プロと素人の対比は正直漠然としてて分かりにくい。なろうの作家は、そういった部分の能力に比重が少ない人がランク上位の平均値であり、全く別の能力が比重が置かれて読者に選ばれてると知って欲しい。だからいつも文章なんてこだわりはなろうじゃゴミと書いてる。
ラノベがもっと激しく衰退し無い限り、そういった能力は多分ラノベに直接行ってしまうと思う。何故か?逆に言えばそれが編集者の選ぶ限界なんだ。なろうはそういった古臭い古典的な価値観でしか評価できない編集者とは別の価値を描ける力が上位に来るようになっている。正直言えば、私がハードストレス、ストレスフルに批判的なのは、これが大きい。
じゃ何故前回それでも提言したか?でそういった概念じゃなくて、すでに成功した作品の模倣ならなろうに足りない能力でも難易度が低いからだ。なろうでそういった成功例がリゼロ以外無かったのが、私は成功した上位のモデル作品が無かったからだと見ている。概念だけかけない。それでも批判的なのは、だからってそう簡単に上手く行くと全く思って無いからだ。
でも、現代物を書こうって提言じゃ全く受け入れられないので、じゃ取りあえず異世界で今を変えたかったから、こんな良い作品があると書いてる。じゃ上位がノーストレスが滅茶苦茶は間違ってるのでは?で、意図してストレスフルに書いてる作品と、ただ面白いのを意識して適当になってしまってるのじゃ全く違う。特にグリムガルはわざと書いてるのがすぐに分かるし作者もそれを匂わせている。
他にもある、なろうだけがノーストレス、ストレスフリーの場所じゃない。何度も書いてるが漫画っては基本軽いんだ。そして、ラノベもその抜粋がある。そしてアニメは特にジャンル的にそういったものが確立してて、そこに対してそれはなろうでは無理ってのが平均値で大きく差をつけられるんだ。むしろ平均的にはアニメの方がイライラ鬱描写に神経質だ。
その基準からするとなろうでノーストレスを語る人は無知だとはっきり分かる。なろうしかしらないなろう馬鹿。私が現代物で理想としてるのは孤独のグルメだ。アニメを飛び越えて実写にすらなっている。なろうでノーストレスなんてちゃんちゃら笑わせる。孤独のグルメがいかにすごいか?で、あれは基本めしを食べて楽しいしか無いんだ。
スタートのナレーションがとてもセンスがあるのだが、それを癒しの言葉で片付けている。テレビ東京は孤独のグルメの価値を言語的に理解している。何故起伏が無くても成立するのか?で鬱や苦痛は現実にあるんだ。そういう人が物語の中で所謂心理学的なカタルシスを得るから孤独のグルメはそういった部分いらないんだ。
導入の仕事の部分は、腹が減ったの時の仕事のあとの一服感を創るためだけに過ぎない。あそこに面白さは特に無い。だからさっさと短く切り上げている。後とても重要なのは、常に町を移動するのがゴローの仕事であるため、旅行的な面白さもあの仕事には入っている。いつも違う場所に来てる町を見せる演出も大きい。
なろうでノーストレスなんてほんと馬鹿馬鹿しい。これのどこが病的で異常なんだ?異世界ファンタジーへの偏った好みでそっちが大半優先して、ノーストレスなんて曖昧で漫画物語になんとなくあるやや過度なバランス調整に過ぎない。いい加減ろくな言及が無いから、ここで一度きちんと書いておいて、どれだけゴブスレやグリムガルに意味があるか?を補足したかったのもある。
なろうはストレスのアリなしで語るようなレベルに全く無い。