だから少女は振り返らない
雲。
形を変え、風に乗り気儘に流るるそれに、レイリは憧れていた。
絵筆で同じ薄青を塗り広げたかのように青い空を背景に、大小様々なそれが漂い、動く。
悠々と動く雲からすれば、地を這う人間共など目には入るまい。
しかし地を歩くレイリには。
燦々と照る太陽の薄っぺらな光に、閑散とした村々が目に焼き付いた。
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小汚い扉を乱暴に足で開く。途端ヒソヒソと声が上がった。
大方、昨日の奴らの話でもしてるんだろう。
そう決定付けたレイリはそれらを気にも止めずに受付へと歩いた。
受付の脇。張られた何枚もの黄ばんだ紙達は一種の芸術のようだった。
『紫紺精霊草 (早急に)
ネイテッド荘園』
『ウィンドウルフ、常時討伐願い
ベアルク草原』
『調査依頼、スケルトン亜種について
ルグレブル湿地帯』
『調達依頼 鉄錆大蜘蛛の毒液
(保存状態Aクラス以上)
荒れ地』
『救出依頼 賢者の塔より
クインテッドダンジョン』
『護衛依頼 宵闇・中央ギルドから
ルグレブル湿地帯経由
暁・王都エテルドールまで
指定:(ランク『黄金』以上)』
ふと、目に止まった。
黄金以上。このギルドにはレイリしか黄金はいない。神銀、神金などもっての外だ。
つまり、これは…………。
「君がレイリ嬢かな?」
気配の殺し方は愚か、武術の一つも嗜んだことの無いようなそれに、レイリはようやく振り返った。
中肉中背。髪は煤けた焦げ茶で、リスのような丸い瞳をしている。
実に目立たない地味な顔が付けているのはアホのようなモノクルだ。白衣に革鞄と湿地帯などを突破するためには軽装過ぎる実用性に欠いた出で立ちは、典型的な貴族の研究者と言った風情。
思い切り顔を顰めたレイリを気にも止めずに青年は名乗った。
「やあ、僕の名はデルリス・ダダン。しがない子爵家次男だから気楽にしていい」
ごく自然な上から目線。第一印象は最悪である。
レイリは聞く気を無くしながらも義務感だけで、デルリス青年の話を聞き…………
「君には僕を守り、偉大なる研究の礎が組まれる所を近くで見る栄誉を与えよう!」
「お断りしますんで、では」
速攻で常時討伐依頼を手に取り、振り返ること無くカウンターへと向かった。