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前編:「マリアナ・ジクシー男爵令嬢をいじめた罪ってなんですの?」

本編補足◆

法制科…法学科のこと

法制士…弁護士のこと

 ここは王立学院卒業祝賀会場。

 4年間の学業生活を立派に修めた者だけが参加できるめでたき会で、ジゼルは婚約者に呼び止められ、次のように叫ばれた。


「ジゼル・ミュンスター公爵令嬢! 私、ルイス・シャルル第五王子との婚約を破棄させてもらう! それと同時に、貴様をマリアナ・ジクシー男爵令嬢をいじめた罪で訴える!」


 なんのことやら。

 鼻息荒く指を自分に突き立てているルイスと、その横でルイスにひっついて明らかに演技と分かる涙を浮かべる金髪の少女を交互に見ながら、ジゼルはメガネを押し上げる。


 ルイスのことは認識できる。曲がりなりにも自分の婚約者だ。

 が、この金髪の少女は誰なのだろう。

 少なくともジゼルのクラスメイトでないことだけは分かるが、それ以外はなにも分からない。

 もっと言うと、卒業祝賀会という晴れの舞台で婚約破棄をされなければならない理由も、ルイスが怒っている理由も分からない。


「はあ……婚約破棄ですか。なにゆえそのような話を、いまここで? この式のあとではいけませんの?」

「フン! しらじらしい! 素直に認めたらどうだ、この可愛く可憐なマリアナをいじめた罪を!」

「いじめた罪?」


 そう、一番分からないのはそこである。

 いじめた罪で訴えるって、いったいなんなのだ。


「その……いじめた罪というのはなんでしょうか? 表現が曖昧すぎます。定義を明確にしてくださいませ」

「いじめただろう! 貴様はマリアナが私と仲が良いのに嫉妬して、マリアナの制服を汚したり、マリアナの大事にしているペンを盗んだり、他の令嬢をそそのかして危害を加えたり、公爵令嬢とは思えぬ悪辣ぶりだ! 公爵令嬢の風上にも置けない!」

「なるほど。つまりルイスさまはわたくしに、器物損害罪、窃盗罪、暴行教唆の罪で立件なさると仰せなのですね?」

「りっけ……? も、もちろん、そうだ!」

「かしこまりました。では、証拠を見せてくださいまし」

「は!?」

「証拠でございます。わたくしを訴えると仰せなのですもの。もちろん準備をされているのですよね?」

「それは……」


 ルイスは目をまん丸くして驚きうろたえているようだったが、その様子を見て驚いたのはむしろジゼルのほうである。


 もしかしてルイスは、このような公の場でジゼルを断罪しておきながら、なんの証拠もないと言っているのだろうか?

 まさか、そんなはずない、と思いたいジゼルであったが、目を泳がせて「証拠? 証拠だと?」と大きな独り言をつぶやいていると、「そんなはずない」がありえてしまいそうだから恐ろしい。


「……恐れ入りますが、ルイスさま。あなたさまは、もしかして、なんの証拠もなしにわたくしを罪に問おうと? この国はもう20年も前から法治国家、証拠主義でございますわ。わたくしもルイスさまもまだ生まれていないころからでございます。失礼ですが、ルイスさまはこの学校でなにを学んで……?」

「う、うるさい! おまえのそういう、小賢しい、小難しいところが好かんのだ! マリアナを見ろ! こんなにも可憐で華奢で、愛らしい! おまえもマリアナの髪の先を煎じて飲むがいい!」

「わたくしがルイスさま好みの女性でないということは分かりました。かしこまりましたわ。その裁判、お受けいたします」

「よ、ようやく認めたかジゼル・ミュンスター!」

「ですので反対に、わたくしはあなたさま、ルイス・エミンリーズナー侯爵(・・・・・・・・・・)を、名誉毀損で訴えさせていただきますわ」


 ジゼルはくいっとメガネを押し上げて言い放った。

 周囲でことのなりゆきを見守っていた卒業生や在校生、教職員が息を呑む。


 ジゼルは長いストレートの黒髪とメガネのせいで大人しい令嬢に見られがちだが、実際はかなり気が強いたちであり、さらに言うなら感情が高ぶれば高ぶるほど冷静になっていくタイプである。

 一度目を付けた獲物はとことん追い詰め喉元に食らいつく、法制学科の黒い狼――と、彼女を揶揄する言葉があることを、おそらくルイスは知らないだろうが。


「は……?」


 きょとん、としたルイス・シャルル第五王子――学院卒業式が終わった現在の名は、ルイス・エミンリーズナー侯爵。


「ちょっと待て、侯爵とはなんだ? オレの身分は第五王子“殿下”のはずだ。侯爵といえば、王族が降下した場合の身分ではないか。それに、エミンリーズナーといえば、あの不毛の地……」


 おろおろと『考えていることが無意識に口にでています』と言わんばかりのルイス・エミンリーズナー。ああ、一人称が私からオレに戻って素が出ていることにすら気付いていない様子なんて、このひとどれだけおばかさんなんだろう。


 こんなひとが自分の婚約者だったなんて、情けなくて寝込んでしまいそうだ。

 ジゼルは肺の奥から絞り出すようなため息をついた。


「ルイスさま……あなたが王立学院を卒業したその日を持って臣籍降下されるおはなしは、まだ半年前にされたばかりです。降下されたあとは即エミンリーズナー領へ移動。実質王都からの追放処分。ご自身の身勝手な行動の結果だと、王自ら説明がございましたでしょう?」

「は!? このバカ、王族じゃなくなるの!?」


 ――なんだか野太い声が聞こえたような気がして確認すると、ルイスにひっついていた金髪の令嬢の姿。

 彼女は思わず口をついて出た言葉を取り繕おうとしているのか、頬を赤くして口元に手を当てている。たしかにその姿は可憐に見えなくもないが、なんだか質の悪い三流芝居を見せられているようだ。


「あ、あらやだ、わたしったら、はしたない……。その、ジゼル・ミュンスター公爵令嬢? ルイス殿下の降下のおはなし、詳しくお聞きしたいのですが?」

「まあ。あなたはこの話をご存じないの? ええと、マリー……? マル……?」


 ああ、この令嬢、名前はなんだったか。さきほどルイスが彼女の名を何度か口にしていたが、他のことがいろいろ衝撃的すぎて彼女の名を認識するまでに至らなかった。


「あの……恐れながらジゼルさま。彼女はマリアナ・ジクシー男爵令嬢。半年ほど前に3回生に入ってきた編入生ですわ」


 近くでことの成り行きを見守っていた同級生のひとりがジゼルに耳打ちしてくれる。え、マリアナ・ジクシー男爵令嬢?


「ジクシー男爵? というと半年前に奥様がなくなられてすぐ再婚した、あのジクシー男爵ですの?」

「さようですわ」

「ということは、このご令嬢はあのジクシー男爵婦人の連れ子の方?」


 なるほど、あの噂の男爵令嬢だったのか。

 半年前、ルイス・シャルル第五王子降下騒ぎの噂をかき消すように学院中の口に上った男爵令嬢。

 噂には疎いジゼルだが、みんなが話をしているから嫌でも耳に入ってきた。


 曰く、連れ子という名目だが実際には妾の生んだ実子だとか、母親はあまり品がいいとはいえない下級娼婦で本人も随分アレだとか、学力が足りないのに男爵が金にモノを言わせてねじ込んで入学させたとか。


 ルイスの話とは同じ時期に流行った噂だが、時系列としてはルイス王子降下騒ぎのあとの出来事だから、この男爵令嬢が知らないのは無理もないだろう。周囲にこの話を教えてくれる同級生や先輩はいなかったのか、という疑問は残るが。

 ジゼルの呟きに、マリアナ・ジクシーは「まあ!」と声を荒立てて、


「連れ子なんてそんな言い方! わたしはジクシーさまを実の父のように愛しております! わたしに嫌がらせしただけでなく、お父さまのことまでそんな風に言うなんてあんまりですわっ」

「……あの、マリアナ嬢? 嫌がらせがどうの、そういった嘘はよろしくありませんわ。わたくしがあなたをいじめたのなんだの、それが狂言であることはすぐ調べられることです」

「狂言だと!? オレの降下といいマリアナへのいじめといい、これ以上侮辱するとメイヨキサンで訴えるぞ!」

「メイヨキサンではなく、名誉毀損でございます……」


 思わず人目もはばからずしゃがみこんで頭をかかえたくなったジゼルである。

 相手は話を聞いていないどころか、話を聞く気がないような態度だ。耳の遠い老人と対話するのは骨が折れる。


「そもそも、わたくしはジクシー男爵令嬢のことは存じ上げません。1級下であればなおさらお会いすることもないでしょう。学科すら存じ上げない方の制服を汚したり、大事にしているペンを盗んだり、他の令嬢をそそのかして危害を加えたり、わたくしはそんなに暇ではありませんわ」

「フン! 減らず口を! 言葉ではどうとでも言えるだだろう!」

「それはルイスさまにも、ジクシー男爵令嬢にも言えることですわ。そもそも、ジクシーさまが編入されてきたのは半年前からですわよね? わたくしはそのころから、学院の教室と図書棟と寮にしか行っておりません。3回生の方の学棟や寮なんて何の用事もございませんし、出向くことなどございません」

「はっ! そんなに言うなら証拠だ! 証拠を出すがいい! お前が言い出したんだ、準備できるんだろうなぁ!?」

「証拠であれば、各学棟の入退室記録をたどってくださいませ。ルイスさまも学院の生徒なら当然ご存知でしょうけど、この学園の安全管理体制(セキュリティ)は我が国随一。立派な証拠になりますわ」

「それは……たしかに……だが、だが! お前は腐っても公爵令嬢! 家の権力を使えば改ざんも可能ではないのか!?」

「そんなにお疑いになるなら、図書棟管理の司書の方と寮監督に証言をお取りになってください。お一方だけの証言では不十分でも、多くの方の証言であれば立派な証拠となりますわ。ああ、証言も賄賂で買収したんだとでもお考えですの? そこまで疑い深いのであれば、あなたの信頼するホワイル・マーチさまにでもご確認なさって。ホワイルさまとは図書棟で毎日のように顔を合わせておりましたから」

「ホワイル……? 最近オレの付き人もサボっていたくせに、図書棟だと? そんなところでなにを?」

「もちろん、勉強です。マーチさまもあなたの我がままに付き合いすぎて勉学がおろそかになっていたと仰せで、半年だけではございましたが、熱心に図書棟に通っておりましたわ」

「ホワイルが……だが、しかし……だが! だが!」


 ルイスは「だが」「しかし」以外言えなくなったからくり人形のようである。

 ジゼルは哀れみの視線を向ける。

 ジゼルがここ半年、実家にも帰らず勉強ばかりしていたことは少し調べれば簡単に分かることなのに、誰かの言葉だけを鵜呑みにして――これはおそらく、マリアナ・ジクシー本人だろう。ジゼルから王子を奪い、王族に名を連ねる野心を夢を見たのだろうか――、無様にも踊らされて操られて、結果自分の地位を貶めている。


 これがジゼルの婚約者だと考えると目眩がしそうだが……ああ、そうだ、さっき本人から婚約破棄を申し入れられたんだった。そう考えるとかなり気が楽になった。

 ジゼルは自分の婚約者であった男に向けて、最後のはなむけとばかりに美しく完璧な礼を取った。


「ごきげんよう、エミンリーズナー侯爵、ジクシー男爵令嬢。ああ、お答えてしておりませんでしたが、エミンリーズナー侯爵。あなたとの婚約破棄は謹んでお受けいたしますわ。ただしこの会が終了したあと、わたくしに対する名誉毀損と婚約破棄の慰謝料の裁判を起こさせていただきます。せいぜい裁判のご準備を頑張ってくださいましね」

「――ちょっと、待ちなさいよ! 私の質問に答えてないでしょ!」


 ジゼルが踵を返すのをさえぎって、あまりに品のない金切り声が。

 そこにはマリアナ・ジクシーが、さきほどのしおらしい少女とは別人のように目を釣り上げてジゼルを睨みつけていた。


「この性悪女! ルイスが降下ってどういうことよ! しかもエミンリーズナー侯爵!? エミンリーズナーって言ったら、狭い上に作物も育たない、治安も悪いスラムでしょ!? なんでそんなことになってんのよ!!」

「は……マリアナ? そのこえ、その態度は……」


 ルイスがマリアナ・ジクシーを見つめて目を白黒させている。

 つまり彼は、また(・・)、騙されたのだ。

 もうジゼルとは関係ない人間だからどうだっていいけれど、いい加減彼は王族であることを自覚し、人を見る目を養うべきだった。

 彼は良くも悪くも自分に素直すぎるのだ。まあ、もう王族でなくなったことだし、いまさらな話だが。


「そんなに難しい話ではございませんわ、マリアナ・ジクシーさま。あなたのようなご令嬢が、過去に3人いたというだけの話です」

「どういうことよそれ!」

「つまり、ルイス・シャルル第五王子殿下――ルイス・エミンリーズナー侯爵が婚約破棄などと叫ぶのも、これで4度目だということです」


 この話はジゼルがしなくてはいけないのだろうか。ものすごく嫌なのだが。ルイスが過去に4度ジゼルと婚約破棄をしかけたということは、逆にジゼルが過去4度も婚約者を略奪されかかったということになるから。


「最初は学院に入る前、わたくしとルイスさまが13のころですわ。ルイスさまはとある伯爵夫人に恋をなされて、わたくしと婚約破棄をすると申されましたの。伯爵夫人と言っても未亡人で、若くして旦那様を亡くされて寂しがってらっしゃって、たまたま城でお会いになったルイスさまと交流を深めたという話でした。が……」

「――その未亡人、過去の旦那を3回も毒殺してた、とんでもないやつだったんだよねぇ」


 カツン、靴音が祝賀会場のホールに木霊する。

 それはよく通る、耳に心地いい声だった。低すぎず高すぎない、まさに魅惑と称するべき美声。

 その場にいた全員が会場の入り口に目を向けた、そこには――


「ニコラウス・シャルル第一王子殿下」


 ジゼルは現れた人物の名を呼んだ。

2018/04/02 21:05 誤字修正しました。

2018/06/19 文字が詰まっていて読みにくいと感じたので、改行を大幅に加えました。

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