2-028 食べ物の定義は難しいようで
人通りもなく、手入れのされていない通りを、僕たちは周囲を見回しながら進んでいた。
通りの左右には、放棄され、廃れ行く建物が立ち並んでいる。
雨露は凌げるだろうけど、風は防げない程度に朽ちた建物。
すでに新市街が王都のメインとして定着していることを考えると、廃棄されてからかなりの時間経っているのだろう。
時おり、建物の奥から視線を感じるが、すぐに霧散することを繰り返していた。
シシイの想定通り、視線の主達は僕らが怪しげなので関わらないでおこうと考えてくれているのか、はたまた、金を持っていないように見えているか。
いずれにしても、邪魔されることなく、街を散策することが出来ている。
もちろん、魔法は最大警戒で、いつもの魔法に追加して、足音も小さく目立たないようにしている。
入口付近こそ人は少なかったが、奥に進むにつれて徐々に住人が見えるようになってきた。
通りの端にうずくまる人は、恐らく物乞い。
小さな木箱を自分の前に置いて、祈るように頭を地に着けている。
前を見ていないようで、髪の毛に隠れた目は道路を向いている。
お金を持っていそうな人が通れば、すかさず物を乞うのだろう。
反対の端には、くすんだ瓶に入った液体を呷っている人もいる。
一口飲んではぶつぶつと独り言を呟き、また瓶を呷る。
中の液体は何なのか……普通のお酒ならまだ良いんだけど。
何かしら中毒にはなっていそうだ。
不意に、コートの裾が引っ張られ、振り返れば、ミレルが何か言いたげに僕の視線を誘導してきた。
ミレルが示す先──建物と建物の間の狭い路地へと目を向ければ、暗くてハッキリとは見えないが、奥の方に人影ともう一つ小さな影が見える。
人は壁にもたれるようにして座っているようだけど、全く動く気配がない。
その人影に、小さな影が寄っていくように見えた。
もう少し良く見ようと、路地に足を向けると、シシイが手を伸ばして僕の行く手を遮った。
「放っておけ」
厳しい視線に抑えられた声音。
旧市街へ入る前にした約束を、違えるなと言いたげだ。
「分かってます。何をしているのか気になっただけです」
「碌な事は無い、気にするな」
「ああいうのは良くあるんですか?」
「日常茶飯事だ」
ここではこれがいつもの光景なのか……
「最近やけに増えたとかもないですか?」
「何が言いたい?」
僕の質問に、シシイが少し警戒をしながら、質問を返してきた。
「新市街が悪魔騒ぎや物価上昇で不安定になっています。ここにも大きな影響が出ている可能性があるのではと……」
返事は大きな溜息だった。
「はぁぁぁ……そんなこと気にしてここに来たのか……確かにここの住民は、今は表で仕事をしても、前より少ない金にしかならないかも知れねぇな……」
やっぱり、そういう扱いを受けてしまうんだね。
同一労働同一賃金とはほど遠い世界だ。
いや、この場合は同一のままでも困る状況なのに、逆に下げられるとか……
結局、下に位置する者が損をするように出来ているのか。
「だが、嬢ちゃんがそういう扱いをしてるのか? 嬢ちゃんはここにいるどうしようもないヤツらを、殴りに来たのか? 物を巻き上げに来たのか? 燃やしに来たのか?」
なんかやけに具体的な例だな……
「違います。助けられるなら助けたいと……」
「それなら良いじゃねぇか。どんな原因があったにしても、ここで死ぬヤツは残念ながら死ぬ。悪魔の所為でも、それによって物が高くなってる所為でも、得られる金が少なくなってる所為でもねぇ、最後は自分の所為だ。助けでもすれば、逆にもっと落ちていくヤツらが多いぞ、ここは」
良い切るね、ちょっとカッコいいよ。
最近シシイには教えられてばかりだ。
「それに、悪いヤツは、もっと直接ここのヤツらを苦しめいるヤツらなんだよ。ここなヤツらを悪魔の手先と言って燃やしに来るヤツ、自分が可愛いから金払いを悪くするヤツ……そういうヤツらが悪いんだよ。今誰かを助けても、他のヤツが変わりに落ちてくるだけだ」
ヤツヤツ言われて、段々誰が誰だか分からなくなってきたけど、言いたいことは分かった。
あくまでも原因は、直接的に悪いことをしているヤツだと。
それは間違いなくそうだろう。
ただ、僕は間接的な原因となっていることが、気がかりではあったんだけど……
「悪いことばかりでは無いぞ。表で問題が起きた場合、新しい仕事が回ってくることもあるし、子供たちへ施しを行いに来るヤツらもいる。意外にバランスは変わらんのだと思うぞ」
なるほど。
一端だけを見れば、物価高騰のしわ寄せが来て悪化して部分はあるけど、それによって逆に良くなる面もあると言うことか。
必ずしも全てが、弱い立場に流れるわけではないと。
そう言ってもらえると、少しは楽になるよ。
「だから、嬢ちゃんの今することは、ここでたった一回の施しを行うことじゃねぇ。ちょっと悪魔が出たからって、揺らぐことなく平穏でいられるもっと安定した国にすることだろ? 第三王子と一緒になってな」
ふぁっ?!
何か良いこと言ったみたいな顔してるけど、それは全然良いことじゃない!
滅茶苦茶答えに困るじゃないか……
最後の最後で落としてくるな。
「……そうなったら、責任重大ですね」
「こうやって旧市街を見に来てる嬢ちゃんなら、大丈夫だって」
言われても嬉しくないー
いや、考え方を認めてもらえてることと、行動力を褒められていることは嬉しいけど、そこに第三王子の仮面がチラ見するので、素直に喜べない。
っていうか、ちょっと誰か助けてよ?
ミレルとスヴェトラーナは、僕とシシイのやり取りをニコニコ顔で微笑ましく眺めているし、イノは明らかに興味がない……
いや、イノは周りを警戒してくれているからなんだけどね。
他の誰かは……いるわけ無いんだけどー
なんて、答えに窮して視線を彷徨わせていると、視界の端に白い影が横切っていった。
え? なに? 幽霊?
そう思って振り返れば、白っぽい毛の獣人の後ろ姿が見えた。
あれは、穴熊獣人の──
「ガラキ?」
こんなところでも商売をしているのか?
お屋敷での行動を考えると、ちょっと気になる。
ガラキはサラの鱗を受け取って部屋を出た後、部屋の外でなぜか僕たちの会話を聞いていた。
そして、僕がサラを買い取ろうとしているのを聞いて、慌ててお屋敷を出ていった。
それが何を意味するのか……何か引っかかる。
少なくとも彼は、治療法を研究するためという名目で、白化した鱗を回収していた。
本当に薬を作っている可能性は否定できないけど、今まで見てきたこの世界では、薬が一般的でないことが分かっている。
人間の住む場所でそうだったのだ。
それが異種族なら、尚のこと薬を必要としないだろう。
なんせ異種族は、遺伝子に魔法が組み込まれていて、自動的に使用される。
診察したのはまだキシラとシシイぐらいだけど、身体強化や回復力強化は、異種族共通で持っていそうだった。
だとすると、異種族の方が薬には疎いと思われる。
なのに、その異種族が治療法を探すのには違和感がある。
彼に依頼するに至った経緯は気になるけど、まず今は、本当に薬を作っているかもしくは探しているのかが気になる。
彼が旧市街に来たのが、薬を探しに来たんだったら良いんだけど……
「気になるので、彼の後を追います」
「嬢ちゃん……納得して帰るんじゃねぇのか……」
シシイが不服げに脱力しているけど、王族に関係している人物なだけに、なぜこんなところにいるのか知っておきたい。
ほら、結婚を前提にお付き合いをするかもしれない相手の事情だし……これは建前で言ってて吐きそうになるね。
ミレルとスヴェトラーナは慣れたもので、むしろ楽しげに僕の意見に同意してくれる。
イノは相変わらず、シシイ以外のことには無表情で、仕事を全うしようとしてくれている。
ほら、シシイだけだよ?
「分かったよ! 行くから」
最終的には護衛任務を投げ出すわけにはいかない。
そんなシシイの常識的なところが好きだよ。
そうして僕たちは、静かにガラキの後を追った。
◇◆◇◆
緩やかに曲がっている旧市街の通りをしばらく進み、周りより少し大きな建物が見えたところで、ぎりぎりガラキがその建物に入って行くのを確認できた。
後を追うのが遅くなっていたら、見失うところだった……って、魔法で追跡できるから、そんなわけないんだけどね。
建物を見上げると、天辺にはどこかで見たシンボルが掲げられている。
四角にバツ印……教会だ。
他の建物と同じで、今はその目的では使われていない。
『赤外線診断』で人を探してみても、ガラキと他にもう一人以外はいないようだ。
周りより大きい建物だから、住民がいるかと思ったけど……
この旧教会は、屋根がもはや無いような状況だから、雨露の凌げる他の建物を選んでいるようだ。
つまりここは、密談をするには持って来いの場所ということだ。
僕たちは入口左右に分かれて、壁に空いた穴などから中の様子を窺った。
ガラキの前には、僕たちと同じようなフード付きのコートを被った人影が一つ。
線の出にくい服装のため、見た目では男性か女性か分かりにくい。
僕たちがガラキを追っている間に、他の人影を見なかったと言うことは、ガラキが着く前から待っていたようだ。
「旦那、いつものヤツ持ってきやしたよ〜」
ガラキの軽い言葉から会話が始まった。
会話を盗み聞くのは気が引けるけど、魔法が自動的に発動して、聞こえてしまうなら仕方がないよね、うん仕方がない。
ガラキは懐から包みを取り出して手渡した。
受け取った人物は、その場で、包みから中身を取り出して確認しだした。
残念ながら、ここからは中身が何なのか見えない。
「ふむ、確かに。ではこれが、前回分といつもの報酬だ」
ガラキが旦那と呼ぶことと、声の高さから言って、相手は男性のようだ。
そして、今の会話から、これが定期的な取引で、依頼しているのはフードの男であることが分かる。
「旦那ぁ、この薬は本当に効くんですかい? 随分長いこと使ってますが、あっしには実感がないんですが?」
ガラキが、頭を爪先でぽりぽりと掻きながら、訊ねている。
サラの薬をここで取引しているのだろうか?
「どちらも効いている……いや、お前が言っているのは報酬の方だな。人間にはそれなりに効くものだぞ」
「そうですかい……」
ガラキが受け取った物は、どちらも薬なのか……
順当に考えると、一つはサラの薬なんだけど。
じゃあ、もう一つは?
「長居は危険だ、もう行くぞ」
「ちょっと待ってくだせぇ旦那。言っておかねぇとダメなことが出来やした」
さっさと取引を終えようとする男を、慌てて止めるガラキ。
やっぱり、こんなところで取引しているし、早く終わりたいいうことは、やましい取引なんだろうか……
「実は人魚のところに変な女が来やして、人魚を買う相談をしてやした」
「ふん、また物好きの貴族か。連中はなんでも金で何とかなると思っているからな。どうせあの男は断ったんだろう?」
金で何とかなると思ってる物好きで悪かったですねー
それが問題を解決するのに、一番手っ取り早い手段だと思ってるからなんだけどな。
「それが……確かに金には興味がなさそうでやしたが、女が宝石で交渉しだしてから、随分悩んでいるようでやした」
「何だと! あの男が欲しがるような宝石だと……いや、その女が人魚欲しさに言ったはったりではないのか?」
「実際に物を見ているようなやり取りでやした。直接は見ていないでやすが」
ガラキの報告に、男は黙り込んで考え出した。
「もう少し人魚には居てもらわんと困るんだが……」
ん? 人魚の鱗を必要としているのは、この男の方なのか?
そうなると話は変わってくる。
サラの鱗は、ガラキからこの男に渡されている。
ということは、さっき渡した包みの中身は、サラの鱗だろう。
この男は、人魚の鱗を得て何をしているんだ……?
しかも病気の……
人魚と薬と言えば、考えられるのは不老不死の薬。
この世界でも一般的なのか分からないけど……
「人魚って人間が摂取すると、不老不死になるなんて伝説ってあるかな?」
小声で横にいるミレルに聞いてみた。
「お伽話でなら聞いたことがありますわ、お姉様」
相変わらず、僕の嫁さんは役に入ってるね。
そのまま視線をシシイに向ける。
「人間にとって異種族の肉は、何かしら力になるって信じられてたりするぞ? 基本は健康と長寿だから、誇張されて不老長寿と言われているかもな。オークの肉も力や精力がつくとか言われてたぞ……」
自分で言って顔を顰めるシシイ。
言いたくないなら言葉を濁してくれたら良いんだよ……ニュアンスで伝わるから。
だとすると、人魚も同じように思われてるんだろうね。
そうなると、キシラの今の仕事に不安が出てくるな。
そんな風に見ている村の人はいなかった気がするし、まずその見た目に魅入られるから、大丈夫だと思いたい……
「嬢ちゃん、何か心配してるようだが、基本的に人間の方が弱いから、数人程度が相手なら異種族が負けることはないぞ? 人魚なんて水の中で戦ったら、100人でも勝ち目がないかもな」
なるほど、それを生け捕りにするなんて、レバンテ様の言う苦労とは、そのことだったか。
レバンテ様は、最終的には、サラを食べるつもりなのだろうか……
人の形をしている異種族を、僕は食べようという気にはならないけど、それは僕の常識が邪魔をしているだけなのだろうか……?
「シシイさんは、人間を食べるのですか?」
「はぁ!? 食べねぇよ! 食べるようなヤツなら、人間の街にいられねぇだろ!!」
小さな声で静かに強く怒られた。
器用だね。
「では、食べたいと思うのですか?」
「全く思わねえよ! 嬢ちゃんは食われたいってのか?」
「いえ。では、オークは人を食べるのですか?」
この言葉に、シシイは沈黙してしまった。
何とも言えない、苦笑いみたいな表情で、どう答えるか迷っているようだ。
「答えたくなければ、答えなくて結構ですよ。純粋に異種族に興味があるだけですので。それでわたしが、シシイさんやイノさんを見る目が変わるわけではありません。人間にも色々いるように、オークにも色々いるとは思っていますから」
「…………食うヤツもいるな……というか、村に居たヤツらは、自分達より弱い生き物は食料という考えだった。自分達より強い生き物は、人間が異種族を食うように、何かを得られると思って敬意を持って食うヤツらだった」
結局、全部食料じゃないか……
いやいや、貴重なことを教えてくれたシシイにまず感謝だ。
異種族も似たような思想があるなら、この世界では人に似た形をしていても、人はそれを食べるということなんだろう。
むしろ、異種族という、人と形が似ている種族が沢山いるからこそ、その境界がしっかりしているのかもしれない。
人で無いなら食べられる。
そういえば、家で鶏を飼っていた学生時代の友人に、自分が子供のときから見ていた鶏が、絞められて食卓に出て来たときは、正直食べられなかった、とか言ってたような。
まあ慣れたけどな、とも言っていたか。
つまり、食べられるか食べられないかは、単純に見た目の話ではなくて、そこに動物以外の感覚を持つかどうかなんだろう。
愛着があったり可愛いと思っていれば、普段から肉として口にしている動物でも、身体が拒否するレベルに食べられないだろうし、逆に同族だったとしても、何の感情も湧かないのであれば、食べられてしまうのだろう。
この世界では、もしかしたら、魔族と呼ばれる魔法遺伝子を持つだけのただの人間も、同族に食べられてしまうのかも知れない。
これは常識を改めないとね……僕が異種族も同族も食べることはないけど。
「少し急ぐ必要がありそうだな」
おっと、カニバリズムについて深く考えている間に、男も考えをまとめたようだ。
人魚の鱗が何に使われているのかは分からないけど、病気の鱗だったとしても、健康になれると信じて食べる人がいるのかもしれない。
あれ? それって、サラの病気わ治す気が無いってことでは?
病気を治す名目でなら、貴重な人魚の鱗を手に入れられる。
だから、サラがいなくなったら困るのでは?
貴重な金づるがいなくなる、みたいな?
ん? じゃあ、報酬じゃ無い方の薬も、サラを治療するための薬ではない、ってことになるよね?
「わしは急いで行くところが出来た。お前がやることは変わらん。それをいつものところで捌いてくるのだ」
「承知しやした」
そう言って会話を終えると、ガラキが出口に向かって歩いてきた。
僕たちは、ささっと音も立てずに飛び退いて、近くの通路に隠れ、ガラキが通り過ぎるのを待った。
そして、ガラキが目の前を通り過ぎた後、その後ろについて新市街に向けて歩き出した。




