2-022 ツェツィのご主人様
ご主人様、とは便利な言葉です。
たとえご主人様の名前が分からなくても、ご主人様と言っておけば丸く収まるのですから。
嘘です。
ボグダンさんの名前を、わたしが忘れるわけがありません。
ただ、ボグダンさんが変装している間は、お嬢さまと呼ぶようになっていますけど、ご主人様と言い間違えても可笑しいとは普通思わないです。
名前を言い間違えるより、遥かに怪しまれません。
それでも、ボグダンさんから受け取った手紙は妙なものでした。
書かれた通りに話するように言われていますから、もちろんその通りにするのですけど。
わたしは今、シシイさんの案内に従って、王都にあるプラホヴァ家のお屋敷に向かっています。
わたしが足は落葉のように軽く、ふわふわと風に飛ばされるぐらい早く、前に前に進もうとしています。
それはボグダンさんが、わたしをお使いに出してくれたことが嬉しいからです。
この王都に来て、ボグダンさんの使用人として役に立てるのです。
しかも、ボグダンさんの直接的な主君である、プラホヴァ家を訪ねるという重要なお役目です。
わたし必要とされていますね!
嘘です。
変装しているボグダンさんとミレルさんは、プラホヴァ家を訪ねるわけにはいきませんから、わたしに役が回ってきただけです。
それぐらい分かります。
でも、わたしが居なければ、プラホヴァ家に使いを出すことが難しかったでしょうから、わたしが必要だったとも言えます!
そうなのです!
だから、必要とされているのです!
それで良いのです〜
シシイさんは道すがら、戦い方について色々教えてくれています。
これでわたしは、ボグダンさんをお守りする役目を全うできるように、また強くなってしまうのですね!
嘘です。
シシイさんの言ってることが、わたしにはさっぱり分かりません。
言ってる言葉は分かります。
たぶん、シシイさんは教えるのも上手いと思うのです。
でも、わたしには分かりません!
だってシシイさんと戦うまで、まともに人と戦うようなことはありませんでしたもん!!
わたしの知っている戦いは、一方的にやられるか、逃げるだけでしたから。
多分、実際に動きながらなら、少しは理解できるんでしょうけど……
でもでも、せっかく二つ名持ちの傭兵という凄い人が教えてくれているんですから、少しだけでも分かりたいと思って真剣に聞きます!
そうです、一言も聞き逃すことなく聞きます!
全部覚えてしまうぐらい聞きます!!
でも、さっぱり分かりません……
あうう……バカでごめんなさい……
ボグダンさんなら、こういう話も分かってしまうんでしょうか……
関所での戦いはかっこ良かったですし、きっと分かってしまうのでしょう。
「この先がプラホヴァ第三爵のお屋敷だ」
指南に夢中になっていると思ったシシイさんが、話を打ち切って教えてくれました。
先ほどから大きなお屋敷が並んでいて、驚いていましたけど、一際大きな屋敷が現れたと思ったら、それがプラホヴァ領主様のお屋敷だったようです。
領地ではあんな豪華なお城に住んでるんですから、当然と言えば当然なのですけど……
第三爵でこれなら……第四爵や第五爵はもっとスゴいんでしょうか?
「いや、プラホヴァ領は魔石産業でかなり潤ってるからな、他の第三爵に比べると、かなり大きい方だ」
へぇー、そうなのですね。
シシイさんは本当に物知りです。
それだけ色んな貴族の護衛をしてきたんですよね。
すごいです。
垣根が途切れているところに、大きな門があって、門の両脇に門番さんが2人立っていました。
とりあえず、取り次いでもらわないと、大声を出しても屋敷まで聞こえそうにないです。
門番さんたちは、先を歩くシシイさんを見て敬礼した後、わたしの方にも視線をチラリと送ってきました。
門番さんにも顔が知れてるシシイさんは、やっぱり王都では有名なんですね。
「シエナ村のボグダン様の使いとして、先に王都にやって来た者で、ツェツィと申します。取り次いで頂けないでしょうか?」
「シエナ村の……ああ、3日後ぐらいにここに来られる予定の。使いの方がこれほど早く来られたと言うことは、何か問題があったのか?」
ボグダンさんの訪問は、3日後に予定されていたのですか……
わたしたちは、馬より早いあの船で来てしまったから、予定より早く着いてしまったんですね。
これは信じてもらいやすそうで助かります。
いえ、ボグダンさんのことだから、想定済みだったのでしょう。
「はい。こちらに数日間お世話になる予定でしたが、ご主人様は王家の方にお呼ばれしてしまいまして、こちらに来ることが出来なくなりました。ご準備頂いていたところ申し訳ございません」
はっきり来れなくなったことを伝えてから、わたしは頭を深く下げました。
直接の主君であるプラホヴァ領主様のご厚意を、急用で断るわけですから、しっかりと謝らなければなりません。
失敗すれば、わたしの首ぐらいは、簡単に飛んでしまうかもしれません。
ぽーんって。
嘘です。
ちゃんと、ボグダンさんが守ってくれますから、大丈夫です。
「王家の方に!? それは大変ですね! すぐに侍従長に話を通してきます」
そう言って門番さんの一人は、門をくぐって走って行ってしまいました。
そして、もう一人はわたしたちに通るように言ってくれました。
門番さんはすごい慌てようでしたから、わたしも走って行った方が良いのでしょうか?
「こういうときは、門番と屋敷の人とで、対応を先に話し合っておきたいこともある。余り急いで行くと邪魔になるかもしれないから、馬車でも無いし、屋敷までゆっくり歩いていったら良いと思うぞ」
足早に進もうとするわたしを、シシイさんが諌めてくれました。
やっぱりシシイさんは物知りです。
「やっぱり、ボグダンの関係者なんじゃねぇか。言えないことはあるんだろうけど……」
シシイさんがちょっと残念そうです。
護衛として一緒に来てもらうなら、シシイさんには話しても良い気がするんですけど……それをわたしが判断するわけにはいきません。
理由は分かりませんけど、ボグダンさんが話さない方が良いと思っているのですから、わたしは話しません。
曖昧に笑うだけです。
そして、しばらく前庭を歩くと、お屋敷に着きました。
すると、お屋敷の中から門番さんが出て来ました。
シシイさんの言うとおりに歩いたら、ちょうど良かったみたいです。
流石ですね。
わたしたちは、お屋敷から出て来た侍従さんに、中へと案内されました。
と言っても、わたしはそれほど話すことはないんで、ここでも良いんですけど……
侍従さんを止めるのも悪い気がして、言われるままに案内されます。
「立ち話も何ですから、どうぞお座りください」
席を勧められてしまいましたので、椅子に座りました。
わたしも座って良いなんて、優しいですね。
「シシイさんがいらっしゃるので、まず間違いないと思いますけど、一応確認させてください」
そう言って、侍従さんはわたしが間違いなくボグダンさんの使者であることを確認してきました。
そうです、わたしが嘘を吐いていることを疑っているんです。
当然です。
貧しい出の人が、貴族に嘘を吐いて、小銭をもらうなんて、良くあることですから。
もちろんわたしは嘘なんて吐いていませんから、すぐに使者であることを証明できます。
嘘です。
王都に着いてから嘘しか言ってませんから、嘘を重ねないとダメです。
わたしは、後でバラす嘘を吐くのは好きですから、何も問題ありません。
あらかじめ、ボグダンさんが用意してくれた手紙と、プラホヴァ領主様からの紹介状と、身分証明書を確認してもらいました。
「はい、確かに確認しました。ご主人様の筆跡に間違いありません。随分早いお着きのようですが、領を出てすぐに分かったのですか?」
早く着きすぎたことを疑われています。
大丈夫です、ボグダンさんのメモに対応が書かれていました。
「はい、ヤミツロの関所まで一緒だったのですが、わたしたちは早馬で先に行くように言われました。ご主人様はたまたま王家の方にお会いして、そちらと御一緒することになりました」
「そう言うことですか」
納得してくれました。
ペロリと舌を出したくなる気持ちをグッと堪えて、紹介状と身分証明書を受け取ってカバンに入れました。
手紙は、侍従さんが読んでいます。
これは別に回収する必要は無いので、そのまま持っておいてもらいます。
待っている間に、わたしはシシイさんを見習って、出されたお茶を頂きました。
味も香りもとっても美味しくて、これはきっと高価なものです。
嘘です。
お茶を飲んだことが無かったわたしには、良く分かりません。
こうしてお茶をもらうことがあるなら、知っておいた方が良いことなのかもしれません。
でも、村では、ボグダンさんの魔石で煎れてしまうので、どこに行けば教えてもらえるんでしょうか……?
「状況は把握しました。伝書鳩が手紙を届けてくれましたから、そちらをお渡しします」
そんな風に言われて、手紙を取りに行かれましたけど……わたしは何をしに来たんでしたっけ?
大丈夫です、覚えてます。
情報をもらいに来たんです。
伝書鳩の手紙がその情報です。
「こちらが領から届いた手紙です。不穏な内容が書かれていますので、ボグダンさん以外に絶対見せないでください」
侍従さんはそう言った後、小声で何かを言いました。
たぶん、ボグダンさんに見せるのも危険だと言ったんだと思います。
まだ何かブツブツ言ってますけど、聞き取れません。
……そんなに危険な内容なんでしょうか?
「それで、あなた方はお屋敷に泊まられるのですか?」
えーっと……?
この内容は、ボグダンさんのメモに書かれていませんでした。
ボグダンさんが王子様のところに泊まってしまうと……わたしは泊まるところがなくなります?
いえいえ、わたしがカバンを持っています。
つまり、お金を持っています。
だから、今泊まっている宿に続けて泊まることが出来ます。
ボグダンさんのメモに、必要なお金は使って良いと書かれていましたから、宿に泊まることも問題ありません。
そうなるとここに泊まる必要はありません。
そういえば、ボグダンさんはどうやってこの手紙を手に入れるのでしょうか……わたしが情報を入手するまでのことは、色んな方法が書かれていましたけど、どうやってボグダンさんに渡すのかが書かれていません。
ボグダンさんは、時々抜けています。
このお屋敷の場所をボグダンさんは知らないみたいですから、せめて宿に居た方が連絡は取りやすいですよね?
「いえ、別に宿を取っていますので、大丈夫です」
「分かりました。では、気を付けてお帰りください」
すぐに侍従さんは答えて、立ち上がりました。
少し追い出し気味のような……?
いえいえ、元からわたしは、お屋敷に入るつもりは無かったので、すぐに帰りますよ。
わたしはお礼を言って、お屋敷を後にしました。
「それで……おまえさんは、一体誰に仕えているんだ?」
シシイさんは、わたしの言葉のどこかに引っかかったみたいです。
2人に仕えるというのは、おかしな事なのでしょうか?
貧乏な村娘と奴隷ぐらいにしかなったことのないわたしには、良く分かりません。
「わたしはボグダン様の使いっ走りで、ボグコリーナお嬢様の護衛です」
「そうか……変なことを聞いて悪かったな」
シシイさんも納得してくれました。
シシイさんも侍従さんも門番さんも、わたしのご主人様は誰だと思ったんでしょうね?
ご主人様というのは、便利な言葉です。




