2-005 領都の市場は大変賑わっているようで
プラホヴァ城に泊めてもらい、礼儀作法や礼服について学んだ僕たちは、コンセルトさんの勧めで領都を見て回ることにした。
領都は人の集まるところなので、旅に必要なものは何でも売っているから、ここで買いそろえていくと良いと言われた。
村長も王都に行く際は、この領都で準備するのだとか。
僕に準備しなければならないものなんて無いし、貴族としては使用人に買い出しさせるのが普通なのかもしれないけど……折角の領都、自分で見てみたい!
こんなファンタジーな街並み、楽しまないとね!
懐事情は……家にあったお金だけなので、淋しいものだけど。
「ボグダン殿。そういえば、服を仕立ててもらった代金を支払ってませんでしたな。他領の使者もやっかみたくなるほどの衣服でしたから、とりあえず、この位渡しておきます」
そう言ってコンセルトさんが、トレイに袋を3つ載せて持ってきてくれた。
服の代金とか貰えるの?
という、僕の気持ちが伝わったのか、コンセルトさんが片目を瞑って口元に指を当てた。
おっさんのお茶目な顔とか見せられても困るけど、言いたいことは何となく分かった。
服の代金ということにして、充分な路銀を工面するから、貸し借りは無しにしようってことなのだろう。
僕が充分にお金を持っていたら成り立たないけど、シエナ村の懐事情を知ってのことだろう。
「承知しました。今後ともご贔屓にお願いします」
と、僕もコンセルトさんに合わせて、笑顔でトレイを受け取った。
って、重っ!?
一体どれだけ渡してくれたんだ?!
「金貨で200枚ほど。使いやすいように、銀貨、銅貨も用意しておきましたぞ。大銅貨や大銀貨は用意してませんが、その辺は上手く工面してくだされ」
コンセルトさんがフレンドリーに耳打ちしてくる。
いや、貨幣価値も種類も良く分からないけど、金貨って、大体一般人は持つことがないくらいの大金だよね?
そんなにもらって大丈夫なの?
「それほどに素晴らしいものですから」
どことなく誇らしげに、コンセルトさんが答えてくれた。
良い出来なのは確かなようで、それは何よりだね。
作ったのは20着ぐらいだったから、1着金貨10枚になるんだけど……有名ブランドのオーダーメイドだったら、100万円ぐらい軽く超えるから、金貨1枚は約10万円……って、こういうときに円換算すると失敗するってどこかで聞いたような。
自分の常識に落とし込むと理解は早いんだけど、その常識は異世界では通用しないから、どこかで齟齬が発生して破綻するって。
例えば、工場生産の服がないんだったら、オーダーメイドだから高価になる、という概念は適用できない。ただ、職人の技術や名声、材料で変化すると考えるべきだろう。
それに、この代金には、ネブン様の口止め料も含まれるだろうし、今後の付き合いも考えて多めに渡されてるとは思う。
お金を正しく理解するには、その世界その土地での価値基準を、ちゃんと自分の目で確かめるしかない。
そのためにも、領都を回らなければ!
出掛ける理由が出来たのは良いとして……とりあえず、カバンに詰め込んでみたけど、お金が重くて変形してしまった。
ただでさえ重い物を底に敷いてあるのに、これ以上重量を増やしたくないんだけど……金貨じゃ無いとしても、旅をするならお金は沢山持っておく必要があるんだろうね。
だから、異世界では、カッチリして丈夫な革カバンが使われるのかな? 布のトートバッグとか見ないよね?
良くある転生者特典の空間収納があれば、なんの問題も無いのだけど……空間魔法は属性が真言術なので、僕の知識では使えない。
各貨幣の情報を正確に紙に書き留めておけば、僕の場合は作り出せちゃうんだけど……通貨偽造って、異世界でも犯罪だよね……??
この方法は最終手段として取っておこう。
仕方がないので、強度アップとお金の仕分けをし易いように、カバンを改造した。
何はともあれ、コンセルトさんの便宜で、懐も気にすることなく買い物が出来るようになったので──
さっそく領都の散策だ!
◇◆◇◆
「あれ、何かしら!?」
プラホヴァ城から続く大通りを歩いていると、ミレルが前方を指さして袖を引っ張ってきた。
期待に弾んだ声と、キラキラした顔が眩しいです、可愛いです。
これ、デートだよね? デートで良いよね?
大通りの先、街道の交差点みたいだけど、そこは大きな円形の道になって、円形の道の内側に所狭しと露店が並んでいた。
地球でいうところの「ラウンドアバウト」形式の交差点を、とても大きく作ったような形で、その中央島が広場になっているみたい。
外側の環状街道の路肩には馬車が何台も止まっていて、果物や野菜や雑貨などを積み卸ししている馬車が見受けられた。
商人も買い付けにも使うぐらい、大規模な市場みたいだね。
元気な声があちらこちらから聞こえて、活発に売り買いが行われていそう。
とても賑わっているみたい。
「ボグダンさん、向こうから良い匂いがしますよ?」
今度は反対側の袖をスヴェトラーナに引っ張られた。
こっちも子供らしい純粋な反応で可愛らしいんだけど……最近食べ過ぎて太ったのは忘れたのかな?
「いや、あの、その……でも、美味しそうな匂いです……」
思い出すと恥ずかしいのか、急激に勢いは萎んでいくけど、食欲には勝てないようだ。お腹がキュルキュル鳴いている。
とは言え、朝ご飯が早かったから、お腹が空いてきているのも確か。
「お腹も減ってきたし、ちょっと摘まんでいこうか?」
僕が2人に問い掛けると、
「わたしも食べてみたかったの!」
「やったー! さすがボグダンさん!」
いい顔で喜びを露わにしてくれた。
魔法で作る食べ物は、健康を害さない程度でいつでも食べてるし、露店のご飯も一緒だよね。
僕たちは、馬車が通る合間を狙って街道を渡り、露店市場へ入った。
よそ見をしていると、すぐに人にぶつかってしまいそうなほど、ごった返している。
日本のイメージだと、まるで縁日の境内や花火大会の河川敷みたいだ。
こういうのは雰囲気も楽しまないとね。
一期一会、ここにしかない楽しみって言うのがあるもので、祭りの時だから屋台のご飯が美味しいというもの。
でも、これだけ人が多い場面って──
ドンっ
とは音がしなかったけど、厳つい兄ちゃんが僕の横で立ち止まって戸惑っている。
そして、その後ろに似たような兄ちゃん達が、僕の隣の厳つい兄ちゃんに訝しげな視線を送っていた。
異世界転生あるあるキター!って思ったけど、僕たち3人とも、常に身体とカバンには重なるように『物理防御』を展開してあるから、ぶつかったとしても衝撃がない。
彼らは勢い良くぶつかって、いちゃもんを付けるつもりだったんだろうけど……
僕は当たったことに気付いていない振りをして、ミレルとスヴェトラーナは本当に当たったことにすら気付かず、彼らの横を通り過ぎた。
闘い方とか知らない僕には、チート無双とか向いてないから丁度良い。
そんな感じで、『物理防御』によるスリ対策とかトラブル対策は功を奏して、通行人と揉めることはなく露店を見て回れた。
何となく、遠巻きに僕らを見つめる視線が増えていってる気がするのは、気のせいということにしておこう。
でも、次の異世界転生あるあるは、僕にも回避できなくて、これは戦うしか無かった。
最初から予想していたことだけどね。
一軒の屋台の前でそれは起こった。
串に通した謎の肉を焼いている屋台だ。
ボリュームはかなり多く、1本食べれば充分な量のたんぱく質が摂れてしまいそうだ。
そんな串焼きが、目の前で芳ばしい匂いを漂わせている。
とても食欲をそそり、すぐにでも買って食べたい気分になる。
横を見れば、ミレルとスヴェトラーナも同じ気持ちのようで、涎を垂らしそうな勢いだ。
「3本下さい」
ねじりはちまきを巻いて額に汗を滲ませている禿頭の店主が、僕たちの後ろを確認してから、更に僕たちを上から下まで眺めた後、指を3本立てて答えてくれた。
「串焼き1本銀貨1枚、合計3枚だよ」
さて、これは適正な価格だろうか??
「うぇ!? 高過ぎじゃないですか?」
答えを聞いたスヴェトラーナが即答した。
ミレルも表情を曇らせて僕を見上げてきた。
「嬢ちゃん随分だな。良い肉に良いハーブ使ってんだ、このぐらいしてもおかしくないだろ? 味は保障するぜ?」
心地良いバリトンが商品を勧めてくる。
ふむ。客を否定しないということは、まともな店主っぽいね。
取れる客からは取るのが、露店の常識なようだ。
なので、値切り交渉という舌戦は必須みたい。
コンセルトさんから通貨レートは教えてもらっている。理由を、村ではあまり使わなかったから、と言えば納得して教えてくれた。
通貨には、銅、銀、金、白金という4種類の貨幣があって、それぞれにサイズの大きい中間貨幣があるらしい。
つまり、全部で8種類。
銅貨5枚で大銅貨、大銅貨5枚で銀貨、みたいに5枚でひとつ上の貨幣と等価値になるんだとか。
という前提はあるんだけど、ここはそんなものも無視して、一番物価の分かる方法で進めようと思う。
「悪いけど金は無いんだ。これと交換できないか?」
そう言って僕はカバンの中に手を入れた。
そして、幾つかの魔法を気付かれないように使う。
「金の無いヤツってのは、もっと目がギラギラしてるもんだぜ? まあいい、値打ちのあるものなら別に構わんよ」
「それなら良かった、ほとんど価値の変わらないものなんだけど……ここいらの相場を知らなくてね」
そう言いながら、カバンから包みを取り出した。
包みは竹の皮製で、開くとそこには、鶏肉とネギを串に刺して焼いた料理──葱鮪が現れた。
まあ、今作って焼いたんだけど……
謎肉の串焼きと同じボリュームにするために、日本で良く食べたものより、かなり大きめに作ってある。
「兄ちゃんも人が悪いな、もう既にどこかで買ってから来たのか?」
「いや、僕もこういうのを作って売ろうかと思っていてね。僕は1本銅貨2枚で売ろうと思っていたんだけど……?」
そう説明しながら、葱鮪を店主に渡した。
「なんだよ、同業者かよ……食って良いのか?」
葱鮪の甘辛いタレの匂いが、店主に生唾を飲ませた。
これは謎肉が焼ける匂いと、食欲を刺激する意味で、良い勝負なんじゃないかな?
いや、別に勝負がしたいわけじゃないんだけど。
「とりあえず、1本と交換ならね」
店主から謎肉の串焼きを受け取りながら、葱鮪を店主に渡す。
一番食べたそうにしていたスヴェトラーナに渡すと、店主と同時に彼女も串焼きにかぶり付いた。
「美味しいですー!」
「うっ……うま……」
スヴェトラーナは熱い息と共に笑顔で、店主は少し悔しそうにでも堪えきれずに感想を漏らした。
「兄ちゃんにこれを銅貨2枚で売られたら……」
何となくショックを受けてるようなので、そろそろ補足説明しておいた方が良いかな。
「故郷の村で作るなら銅貨2枚でも大丈夫だと思うんですけどね、実はまだこの辺りで原価がいくらになるか調べてるところなんですよ」
僕の言葉に、あからさまにホッとした表情を見せる店主。
うん、やっぱりあんまり嘘のつけない人だ。
「そうだろうな。この辺りで良く採れる、このウルス肉の串焼きだけでも、相場は銅貨3枚だからな」
情報までくれるとは有難い。
って、8倍の価格で売ろうとしてたってこと??
日本でも縁日の屋台飯が高かったのは確かだけど……
ここは、もう少し情報を頂いていこう。
「僕はよく知らないんだけど、このウルス肉ってこの辺では良く食べられるのかな?」
「ん? 兄ちゃんは、顔立ちから言ってこの国の田舎の人だと思ったんだが……知らないのか? 一般家庭の食卓にも良く上がる肉だぞ? 北で良く捕れるルプ肉と良い勝負だな」
ウルスもルプも何か分からないけど、良く採れる獣の肉の串焼きで銅貨3枚なのか。
となると、一日の食費は銅貨10枚=大銅貨2枚もあれば、充分に食べられるってことかな?
なるほど、何となく物価が分かってきた。
「じゃあ、残り銅貨6枚で、ウルス肉の串焼き2本売ってください」
店主が、禿頭をつるつると撫でながら、肩をすくめた。
「銅貨3枚は馴染みの客相手の価格なんだが……まっ、珍しいもんも食わしてもらったし、しゃーねぇな。でも、ちょっとぐらい多めに払ってくれても良いんだぜ?」
僕に串を2本渡しながら、冗談めかして店主が言う。
確かに、最低価格で売ってくれるなら、情報料は払っても良いような。
でも、店主も言ってたように、僕らは田舎者に見えるみたいで、トラブルが寄ってきてるみたいだからね。お金を持ってるってバラす行為は、後々面倒になりそうだから──
「じゃあ、この辺りのお話も聞かせてもらいましたし、これもお渡しします」
串焼きをミレルに受け取ってもらって、僕はカバンから木製の水筒を取り出して、代金と一緒に店主へ渡した。
言わずとしれた、兵士の詰め所で出したレモン水入りの水筒だ。
最初にお金は無いって言ったんだから、物を渡す方が良いだろう。
レモン水は飲んだら無くなるし、水筒は木製でどこでも手に入るような物だから、これなら高価なものでも無いだろう。
「へぇー 綺麗な水筒だな。こんなのもらって良いのか?」
「大丈夫です、田舎に戻ればすぐ手に入りますから」
そう、僕の居るところがいつでも田舎さ。
「そうか、なら頂いておくよ」
意外そうな反応もないし、丁度良いものが渡せたと思う。
そのまま店先の隅で串焼きを頂いた後、最初より柔らかくなった笑顔を向けてくる店主に、串焼きの感想を言ってから、串焼き店を後にした。
幾分か僕らを追う視線は減ったような気がする。
因みに、ミレルとスヴェトラーナに教えてもらったけど、ウルスは森に出る大型の獣で、結構凶暴な類いらしい。この辺のハンターが良く狩る獣なのかも知れない。
ルプの方は、どうやら狼の種類を指すらしい。
シエナ村で燻製にしたのも、ルプだったみたい。
串焼きの味については、祭り気分で美味しく味わえたとだけ言っておこう。
◆◇
この後、幾つもの露店を周り、果物のジュースを買ったり、アクセサリーショップを見たり、食器や刃物などの雑貨屋さんを見たりして露店を堪能した。
他にも、別の街道沿いにある服屋や薬屋、レストランや併設の宿屋、魔法道具屋や武器防具屋なんてファンタジーなお店を見て回って、大体の物価は把握した。
色んなお店を回って疲れたし、日も暮れてきたので、今日は領都にもう一泊することにした。
プラホヴァ城に戻ったら、やっぱりコンセルトさんから泊まっていくように言われたので、お言葉に甘えることにした。
一度、宿屋に泊まってみたい気はするけど……楽しみは次の町に取っておこう。
部屋でゆっくりしていると、ネブン様の侍女──コリーナさんがやってきて、明日の予定を聞かれた。
隠すようなこともないし、素直に朝一で王都に発つ予定で、朝ご飯も必要ないと伝えた。
泊めてもらってるだけで充分で、これ以上使用人達の手間を増やすのも悪いからね。
すると、ミレルとスヴェトラーナが寝息を立て始め、そろそろ僕も寝ようかと思ったところで、部屋の扉が控えめにノックされた。
「ネブンです。ボグダン殿、起きていらっしゃいますか?」
おや? こんな時間に何の用だろう?




