温泉の日常
少し時間が遡ってます。ネブンが事件を起こす少し前のお話です。
ちょっと前に、この村に領主がやって来た。
毎年避暑で来ているらしいが、引き籠もっていたわたしは、よく知らなかった。
なのに、温泉の受付なんか引き受けてしまっていたから、領主の相手をするハメになってしまった……おのれボグダンめ……腹が痛くなりそうな日を過ごしてしまった。
そのあとも殆ど毎日、領主は温泉にやって来てるようだが、あの日以来相手することは要求されていない。
侍女がいつも一緒にやって来て、世話をしているようだ。受付も侍女がしていく。
あたしがへまをして、領主を怒らせてしまいそうだから、本当にその方が良いと思う。
そして、それ以外はいつも通り。
温泉には村人が日々の疲れを癒しにやってくる。
「アレックスさんとダビドさんっと。ゆっくりしていってください」
あたしは下手くそな字で、記録帳へ時刻と2人の名前を記入した。
そして、なぜかくたくたな様子の衛士2人を、手を振って見送った。
時刻はボグダンが用意した『時計』という魔法具を見て確認している。空中に光で不思議な情景を描き出してくれる、見ていて飽きない魔法具だ。
記録帳には、帰るときにも時刻を記録するようになっている。
ボグダンの話では、安全のためだとか。
あいつが「安全のため」とか言うのにあたしはまだ慣れないでいるが、言うことはもっともだったので従っている。
しかし、まだ利用するのがほぼ村人だけだから、記録する人数も少なく、受付は暇な時間が多い。
一度、村の者じゃない偉そうなヤツも来たが、昔のボグダンを思い出してイラッとしたから、帰ってもらった。
「ダマリス、最近ボーグとお喋り出来ないケ〜 何でケ〜!」
超絶お姫様なキシラが駄々をこねていやがる。
こいつは何を言ってるんだ。
「最近って、まだ1日か2日ぐらいだろ! そんなちょっと会わないぐらいで何言ってんだよ!」
ついつい叫び返しちまった。
危ない危ない……
この温泉の受付では、さっきみたいに外面良く振る舞うように言われてたんだ。
つっても、利用者はこの村のヤツらばかりだから、今さら取り繕ったところで意味ねぇと思うがな……
けど、村長はキャラバンの面々や領主一行──外から来たヤツらには必ず利用させるつもりらしい。
だから、ボロが出ないように、普段から気を付けておかないといけないわけだ。
今ではあたしも顔は良くなったが、性格が不細工なのは変わってないからな。
そんなヤツに受付されても嬉しくないだろう。
せっかく湯に浸かって気持ち良くなれる施設だってのに、気分を悪くしちゃ勿体ない。
それぐらいはあたしにも分かる。
だから、受付に立っているときは、気を付けて取り繕っているわけだ。
だというのに、ちょっと会わねぇぐらいでガタガタ言われたら、少しはイラッとするもんだ。
うちのマリウスは村長の用事で走り回ってるし、あたしもなんでか領主の相手とかさせられたから、会っていない日もあるぐらいだ。
まあ、キシラはどう見てもわがままなお子様だし、言っても仕方ねぇかも知れないけどな。
「毎日遊びに来てたのに、なんだか偉そうな人の相手で、ここに来てても遊べないケ!」
「分かった分かった。あれはホントに面倒だから仕方ねぇんだよ……」
ボグダンは最近、魔法を使うのに忙しそうだったし、今日も領主に会いに来たところを見ると、やっぱり領主達に振り回されているのだろう。
「退屈ケ〜」
受付の後ろの水槽でキシラがくるくると回っている。
んなこと言われてもあたしも暇だ。
引き籠もっていたときは本当に何もせずに過ごしていたのに、顔が変わって仕事が出来た程度で現金なものだ。
「よう? 入りたいから水着を貸してくれ」
そんなところに現れたのは、シシイと呼ばれる女傭兵だった。
手には愛剣と……樽?
全身汗だくで、激しい運動をしてきた後だということが一目で分かった。
汗を掻いたからさっぱりしに来たのだろう。
「まだ、村長にこの村に住む話をしてねぇ……ないんだよな……ですよね?」
この女とあたしは何となく気が合うみたいで、会って数日しか経っていないのに、この女が来るとあたしの気が緩んじまう。
だから、この女と話すると、いつもの話し方に戻ってしまう。
話し方や性格が、似ているからかもしれない。
「住むと決めたわけじゃないしな。あと、わたし相手に無理すんな……」
「うるせぇな。これでも受付として努力してんだ! とにかく、この村の者じゃないなら有料だ。銅貨1枚」
「わたしが言うのもなんだけど……毎回思うが安すぎねぇか?」
シシイが牙を剥き出しながらあたしに言ってくる。
文句を言うのになんて最適な顔なんだろうか?
こんな顔で言われたら、普通の女だったら腰抜かしてるかも知れねぇぞ?
つっても、シシイの身体を見たら小さい女の子だから、無理すんなってこっちが言いたくなるけど、言ってる内容も心配してるみたいだし。
「仕方ねぇだろ、村長とボグダンが決めたんだ。利益より宣伝優先とか言ってたぞ」
「安い分には、わたしは助かるから良いけどな」
そんな適当な会話をしながら受付の仕事をこなし、シシイに貸水着を手渡す。
「では、ごゆっくりどうぞ」
すました顔で見送ろうとすると、
「ぷっ! 無理すんなって!」
片手を口元に当てながら、もう一方の手で肩を叩かれた。
「笑うな!」
そう言いながら、シシイの腹に向けて拳を出せば、ひらりと避けられる。
シシイは、避けた勢いでくるりと身体を回転させ、こちらに背中を向けると、そのまま背中越しに手を振って更衣室へ入っていった。
「くそっ、またからかわれた」
悪態をつきながらも、勝手に笑顔になってしまう顔を両手で挟んで引き締める。
嬉しくなんかない!
そう、自分に言い聞かせながらも、こんな気軽に話せる相手はマリウス以来かと考えてしまった。
頭を左右に振って余計な思考を追い出すと、いつの間にかカウンターに置かれた大きな剣が目に入った。
危険物の持ち込みは禁止、というボグダンが決めたルール上、武器は持ち込み禁止でここで預かっている。
そのルールに則って、シシイが自分で置いていったみたいだ。
ということは、樽の方は持ち込んだのか?
中身が気になるところだけど、危険物を自分で置いていくようなヤツだから、他人に迷惑のかかる物ではないんだろう。
何とも得体の知れない女だが、嫌いではない。
そう、嫌いではないだけだ。
◆◆◆◆
暇なのだ……
わたしはダマリスの後ろの水槽に移動して、水面から顔を出して話し掛けた。
ボーグが来ないって言ったら、怒られた。
ボーグは毎日わたしに『検査』とか言う魔法を掛けに来てるから、毎日お喋りしてたのに、昨日は来なかったのだ……
しゅーん……
温泉にずっといるのはダマリスだけだから、毎日お喋りして仲良くなった。
よく怒るけど、時々一緒に水中で遊んでくれたり、魚を焼いてくれたりする。
好き。
でも、普通に好き。
やっぱりボーグが良いのだ!
最近は知らない人が来ていたから、その人達とお喋りするのも楽しかったけど……
今はボーグとお喋りしたいのだ!
ふにゃふにゃはにゃーんってなりたいのだ〜
あの美味しい水を飲んだ時みたいに。
あ、美味しい水も飲みたいのだ〜
代わりにならないけど、シシイが来た!
シシイは今から温泉に入るみたい。
手に持ってるのは何だろう?
剣は置いたけど、もう一つのは温泉に持って入るみたい……
あれは確か水とか果物が中に入ってる入れ物で──タルだ!
中身は美味しい水かも??
追いかけるのだ〜
シシイが水着という服に着替えて、更衣室から出てきた。
シシイと同じ方向に、水路を泳いでついていく。
全然こっちを見ないから気付いていないみたい。
これはこっそりついていって驚かせるのが楽しそう。
シシイは入ってすぐに、水を浴びて汗を流した後、女用エリアの湖がよく見える場所でお湯に浸かった。
背中を淵にもたれさせて、足を伸ばして寛ぎ始めた。
「ふぅ〜……」
ひとしきり身体を伸ばし終えると、横に置いていたタルを開けた。
「ん-! 良い香りだな。ボグダンのヤツ、こんな高そうな物をタダで渡すとは……いや、人の考え方を変える方法を聞きたかったといってたか……」
シシイは一人で喋りながら、タルの中身をコップに掬って口に当てた。
「くあぁ〜! これは良い! 果実のように甘くて強い!!」
水の中にいるから匂いは分からないけど、何か美味しい物みたいなのだ!
美味しい水なら飲みたいのだ!!
わたしはシシイの気がコップへ逸れている内に、タルの中身を味見する為に、水の中から一気にタルへと近づいた!
水の中で、わたしの速さについてこれる人なんていないんだから!
と思ったのに、気付いたときにはシシイの手が目の前にあって、わたしは顔からシシイの手にぶつかった……
痛いの……
「キシラ、傭兵の意表を突きたいなら、もっと気配を消さないとな。気配が感知できないほどわたしは弱くないぞ? この村にはボグダンとかイリーナとか化け物が多いから、強さってのが分からなくなるが……」
しゅーん……怒られた。
わたしは額を手で押さえながら、水面から顔を出した。
美味しい水が飲みたかったのだ……
「ボグダンが来ないから寂しさを紛らせたいだけだろ……ちゃんと言えば酒を飲ませてやるから」
シシイがそう言いながら、コップでタルの水を掬って渡してきた。
やったー!
美味しい水なのだ〜
コップを受け取って美味しい水を一口もらった。
違うのだー……
何なのだこれはー!
全然美味しくない水なのだ!!
味が濃すぎるし、舌がびりびりするのだー
果物の味がする水なら、ボーグが作ってくれる『レモン水』で充分濃いのだ!
けど、飲みこむのだ〜
「お、おい、そんなに一気にいったら……」
コップ一杯飲み干したら──
ふわっとしたのだ。
ふわっふわっ!
美味しい水!!
でも美味しくないのだ……
これはきっと、美味しくない美味しい水なのだ!
楽しい気分になったからくるくる回るのだ〜
「おい、大丈夫か!?」
大丈夫なのだ〜
楽しくなったら回るのだ〜
シシイがいつものことなのに心配そうに見てる。
今ならいけるのだ!
だから、わたしはタルに飛びついた。
「あ、お前!!」
シシイがビックリしてるのだ〜
さっきは止められたけど、水の中を逃げるわたしには追い付けないのだ〜
「待て! 折角の酒に水があぁぁぁ」
シシイが叫んでるのだ?
わたしの横にあれば、タルに水が入らないように出来るのだ!
知らないのだ?
酒ってなんなのだ?
知らないのだ。
でも、ふわっふわっは楽しいのだ!
水路を通って隣のエリアに移動する。
すぐに水から顔とタルを出して、もう一回飲んでみる。
美味しくないのだー
でも、ふわっふわっなのだ〜
また楽しくなってクルリと回ると、何かに当たってしまった。
人なのだ!
驚いてるのだ。
見たことあるけど知らない人だ。
当たってしまったので、この美味しくない水を上げるのだ〜
御免なさいなのだ〜
「な、何これ! なんて美味しいお酒なの!!」
人が驚いたのだ!
美味しいの?
お酒なの?
水じゃないの?
良く分からないけど、お姉さんもふわふわしてる〜
一緒にふわふわするのだ〜
いっぱい飲むのだ〜
「キシラ! 見付けたぞ!!」
もうシシイが登ってきたのだ〜
シシイは飲んでもふわふわしないのだ?
「ちょっと、そんなに人に飲ませて……その人、ふらふらじゃないか」
ふわふわじゃなくてふらふらなの?
ん? この人が身体を押し付けてくるのだ?
「倒れかけてるんだ」
倒れるの?
倒れると水に浸かるだけ……じゃないの、人は水の中では死んでしまうってお婆ちゃんが言ってたのだ……
でも、ボーグもミレルもダマリスも、いつも一緒に水の中にいるけど。
「それはあいつの非常識な魔法のお陰だ。普通の人は水の中に倒れたら溺れ死ぬから。水の中で生きる生物以外は死ぬからな? わたしだって死ぬんだぞ?」
そうなんだ。
シシイでも死ぬのか。
「キシラはその人をしっかり支えとけ、ダマリスを呼んでくる」
分かったのだ。
抱え上げて水に浸からないようにするのだ!
この人完全に寝てるのだ。
ふわふわしてるけど大丈夫なのだ。
ちょっと尾ヒレがぷるぷるするぐらいなのだ。
「おいおい、危険物は持ち込むなよー?」
「ただの酒だし、自分用だったんだ。オークはタル一個ぐらいじゃ潰れんからな……」
ダマリスとシシイがすぐに帰ってきた。
「まあ、起こってしまったことは仕方ねぇ。救護室に運ぶよ」
「お前、運べるのか?」
「ん? ああ、こういうときのために、ボグダンから力が上がる魔石も渡されたから、1人や2人は簡単に……よっと」
ダマリスがわたしから人を受け取って、肩に担ぎ上げた。
「あいつは、そんな魔法まで使えるのか……なんでもありだな」
ボーグが褒められてるのだ。
なんか嬉しいのだ〜
「キシラは後でお説教な」
嬉しくないのだー
しゅーん……
でも、ふわふわしたからってシシイのタルを取ったのはダメだったのだ。
「タルを返してくれて、次からしないって言うなら、わたしは良いんだが」
「しゃあねぇな、キシラはお子様だからな〜」
お子様じゃないもん!
「いや、キシラは成人してるぞ? というか人魚の里以外で見かける人魚は成人済しかいないぞ?」
そうだぞ!
大人のお姉さんだぞ?
「え!? あ? そうだったのか? いや、なんかスマン……っていうか、それなら子供みたいなイタズラするなよ!!」
またダマリスが怒ってるのだ〜
タルを置いて逃げるのだ〜
「くそっ! 逃げやがった!」
「人魚は陸より縛りのない水中で生活をしてるからな。多少、自由奔放なもんだ。それに陸での生活をほとんど知らないしな、良く分からないことも多いだろう」
「そういうもんか? あー……知らないところで知らない人と生活するのが、不安だってのは分かるし……気持ちを紛らわせたいのかもな。もうちょっと構ってやった方が良いのかな……」
「ダマリスお姉さんは優しいな」
「あっ!! 今バカにしたな!」
逃げる振りをして水中から見ていると、2人は楽しそうに喋りながら建物に入って行ってしまったのだ。
静かになった水中でボコボコと泡を吹き出す。
ダマリスは優しい?
温泉に来る他の人達は、わたしを眺めて声を掛けるだけだけど、ダマリスは構ってくれるのだ。
うん、優しい。
だからスキなのだ。
後で謝りに行くのだ〜
そして美味しい魚を焼いてもらうのだ!




