1-009 オークは格好いいことが求められるようで
「キレイにしてるのになんか臭いって言われんだ……お前は感じないのか?」
医院に戻ってきて座った途端に、オーク少女は僕にそう告げた。どこか挑むような視線で。
こんなにすぐ話されるなら、戻ってくる必要なかったような……?
「悩みについて分かったから、詳しく聞く前に自己紹介しておくね」
僕はオーク少女に名前と仕事と、ついでに年齢を告げて返事を待つ。
「ん? そうか? 言ってなかったか? わたしはシシイだ。傭兵をやっている。この地域では『厄風のシシイ』と呼ばれる程度には有名だ。40歳だ……」
えぇっ!? そんな年齢なの? どう見ても小学生程度なのに。外見にぴったりな可愛い名前だし。死神に見初められてどこかの王家を滅亡に導きそうな感じで、厄風という二つ名もぴったりだけど……
オークってこの世界では長命種なのかな……?
「で、どうなんだ? お前は何とも思わないのか?」
臭いの話だよね?
防臭の魔法とかあるのかな?
でも自動発動メッセージを聞いた覚えがないんだけど……
「僕は気付けないけど……鼻が悪いのかもね」
「そうなのか? 食事がまずくなるから一緒に居たくないとか言われるんだが……」
なかなか酷い言われようだ。
スメハラを受けてるとか、見た目の割に苦労してそうだ……
「シシイはお肉を良く食べるのかな?」
「傭兵なんてやってると肉と酒が好きみたいに言われるが、わたしは果物や野菜、それに山菜の方が好きなんだ……」
なんだか照れくさそうに頬を掻きながら答えるシシイ。
人魚が魚の遺伝子を付加したものだったとしたら、オークも同じようにされてるだろうから──オークって豚か猪の亜人だったかな?
それなら草食寄りになるのも頷ける。
そうなると、体臭がキツくなる原因と言われているような食事はしていないわけだ……
話をしているだけでは僕には良く分からないみたいだし──
「一度、検査してみましょう」
医者っぽくそう告げると、シシイには眉を寄せられて困惑されてしまった。
医者という概念があまりないから、検査に馴染みがないのかも知れない。
「魔法で身体を調べるだけだよ」
軽く説明をしてシシイを検査室に連れて行った。
いつも通り、検査台に寝てもらって魔法をかけると、彼女の情報がこと細かくAR表示された。
毎回思うけど、情報が多過ぎて全部見切れないし理解も出来ないんだけど……この魔法を開発した人はどうやって使ってたんだろうか?
「うーん……どれが異常なのか……」
身体の臭いで有名な病気は魚臭症だと思うけど、そういう病名が出てるわけでもないし、内臓系の異常も見付けられない。
シシイが間違いなく猪系のオークであることは分かったから、オーク特有の種族的な問題だったら僕には見付けられないかも……やっぱり遺伝子にいくつか魔法が付加されているし、魔法による副次的な物があったらもうお手上げだと思う。
あとは、大きな病気ではないけど、虫歯が有るくらいかな……虫歯……?
「シシイ、大きく口を開けてもらえるかな?」
「こうか?」
シシイはがばっと音がしそうな勢いで口を開いた。
あ……これだ。
さすがの僕も臭いを感じた。
もしかして僕は、会社勤めの頃にやたらと口臭のきつい上司と仕事をしていたから、慣れてしまっていたのかもしれない……イヤな思い出だ。
消したい思い出を頭の隅に追いやって、シシイの口内を観察する。
至る処に虫歯が存在し、歯茎も腫れているところが多い。立派な下牙も穴があるような……
これだけ放っておいて他に雑菌が流れてなければ良いんだけど……って、それは検査で無いのが分かってるのか。
歯が大きいから浸食に時間がかかるのかな。
「歯が痛いと感じたことはない?」
「ねえな。チクリと刺されるような痛みを感じることはあるが」
遺伝子に付加されている魔法に痛覚軽減があったけどその影響かな……
「シシイ、歯磨きって知ってる?」
「な、なんだよ……知らねえわけじゃねえけど……そんな面倒なことちまちまやってられっかよ……」
あー……苦手なんだね。
なんか恥ずかしそうに顔を逸らしたところを見ると、した方が良いとは思ってるのだろうか?
牙もあるし歯の大きさも大小あるから、磨きにくいのは確かだ。それにこの世界には、良い歯磨き道具も無いのかも知れない。
「原因はそれだよ」
これだけ酷いと、歯だけじゃなくて舌もだろうけど。
「そんなことで!?」
勢い良く身体を起こして驚くシシイ。
大事なことなんだけどな……この世界にはまだ菌類の認識が無いだろうから、難しいかもしれない。
「あまり放っておくと、死に至ることもあるから大事なことなんだよ?」
さて、どう対処するかだけど……
虫歯はマリウスの時にやった方法で治してしまえるだろうけど、口内の洗浄はどうしたら良いかな?
「すぐに治す方法を調べてみるよ」
外観では分からないし、虫歯の治療ぐらいやってしまっても良いよね。
とりあえず口のスッキリする飲み物でも飲んでおいてもらおう。
検査は終了したので一旦待合室に戻って、ミントハーブティーとスコーンを出しておいた。
シシイが味に驚いていたけど、辞書さんを使う僕に相手をする余裕が無いので、悪いけど一人で堪能しておいてもらおう。
シシイが小腹を満たし終わる頃に、ちょうど良く探していた魔法も見付かった。
今回の魔法は析術『真正液体歯磨』で、多分歯磨きで有名な会社が作った魔法だと思う。
名前からも分かるように、これこそが液体歯磨きと言えるような働きをしてくれる洗口液だった。
殺菌作用はもちろんのこと、異物除去作用は歯や舌の表面だけ出なく歯間や歯茎まで効果があるし、歯茎の炎症も抑えてくれる。使い続ければ一生歯磨きしなくて良いとまで断言してある。しかも、飲み込んでも無害だとか。
なんて便利な物なんだ。僕も常用したい。
気になったのは、謳い文句に『ナノマシン使用』と書いてあるところだ……名前のナノはそっちなんだね。
つまり、ナノマシンが口内を掃除してくれるって事だ。
転生前にいた日本でも医療用で実験されてたぐらいの物だから、魔法を作ってしまえるような世界では一般向けにも実用化されていたのだろう。
ナノマシンまで魔法で精製してしまうとは……そうなるとロボットも作れてしまいそうだ。
ティータイムを終えて満たされた顔をしているシシイに、一応これからの手順を説明しておく。
「まずは口の中を洗浄して、それから歯を治療して、最後に虫歯にならないようにコーティングをするね」
案の定、シシイは訝しげな表情で僕を眺めてくる。
「良く分からんが、すぐに終わるなら何でも良いぞ」
信頼はしてくれているようだ。
了承が取れたので手術室に行って治療を始めよう。
施術台の上に盥を準備して、2人してデンターナノケアの入ったコップを持つ。
「今から僕がやることを同じようにやってね」
なるべく多くデンターナノケアを口に含んで、口の中で回すように全体に行き渡らせてしばらく待つ。
そして、先ほどより早く、ぶくぶくと鳴らすように口の中を巡らせて、がらがらと喉のうがいをしてから、盥に向けて吐き出す。
スッキリ爽やかミント味だけが口の中に残り、歯のしっかりと洗浄されたようで、舌で触るときゅっきゅっと音がする。
シシイに視線を送ると、僕と同じようにうがいを始める。
彼女の見た目が見た目なだけに、小さい子にうがいを教えてる気分になってくる……
「しっかりと口の中全体を洗う感じに濯いでね。後は舌もその液体に浸けておいてね」
シシイはしばらくうがいした後、デンターナノケアを盥に吐き出す。
吐き出した途端に口を開く。
「何これ、めっちゃ美味いな! さっきもらったハーブティーより更にすーすーするし! 飲んじゃダメなのか?!」
喰い気味に感想を伝えてくるシシイ。
あー、この人、歯磨き粉食べられる人だー
「ダメだよ。盥の水を見てみたら分かるよね?」
シシイが盥に視線を一度移してから、僕へと視線を戻す。
「キタねえ色だな……」
少しショックを受けているようだ。
「そうだね、それだけ汚れが溜まってたんだよ。うがいを何回か繰り返したらきれいになるから、続けようか?」
「分かった。キレイになったら飲んでも良いのか?」
だから、飲もうとするなよ……
「ダメだよ。似たような味の飲み物を用意するから我慢して」
無害だけど飲物じゃないし。
「ちっ! 分かった……」
舌打ちした後、シシイは残念そうな顔で渋々頷いてから、うがいを再開した。
充分キレイになってから、数回続けたのでさすがに問題ない。
念のため検査魔法で確認しておいた。
この『身体精密検査』は見たいと思うところをより詳細に見せてくれる機能でもあるのか、さっき見たときより口内情報が増えてる気がする。便利な機能だな。
問題ないことも確認できたので次のステップ、審美歯科のお時間です。
シシイには手術台に寝てもらって、マリウスの歯の治療をしたときに使った析術『歯牙調整』を発動させる。
AR表示で見ると、オークの歯が人間のそれとは異なることが良く分かる。特に大きな差は下顎にある牙だと思うけど、それ以外でも歯の数や大きさ、それに形も少し異なっている。
「今から歯を治療するんだけど、口の中での収まり具合とか噛み合わせ、後は見た目に何か要望はある?」
「そうだな……オークってのは見た目の強さが大事な種族なんだ」
そのロリっ娘な見た目で言うかな?
「だから、牙が大きくしかも鋭いのが格好いいとされる」
「女性もそうなの?」
「ああ、一緒だ。強い子孫を残すには両方がそうでないといけないだろう?」
なるほど、両方の性に強さを求めるのか。
「身体もとにかくでかい方が良いんだがな……」
シシイは目を伏せて溜息と共に言葉を吐き出す。
「そんなわけで、かっこ良くしてくれ」
結局ざっくりした依頼なんだね。
他のオークを見たことが無いから良く分からない部分はあるけど……凶悪なモンスターが出てくるゲームはやってたし、強そうってのは分かる気がする。
特徴的な下顎の牙を少し強調する方向で、後は虫歯になりにくいようになるべく整えよう。
牙があるので噛み合わせを慎重に調節しながら、シシイの歯を綺麗に整えた後、コーティングの魔法を重ねてかけて手術は完了した。
完了したら鏡で確認してもらわないと。
「気に入らないところがあったら言ってね」
「牙すげー! 太いしぴかぴかで尖ってる! すげー! 良いなこれは!!」
ひたすらすげーすげー言いながらシシイが喜んでいる。
新しいオモチャを買ってもらった少女に見えてしまうのは、もはや仕方がない。
満面の笑みでこちらを振り向いて拳を突き出してくる。
「ありがとうな!」
見た目がアレだし、目を輝かせて喜んでいる姿は可愛いんだけど……凶悪な見た目の歯にしてしまったので、笑顔なのに口元が怖いよ!
でも、本人はめっちゃ喜んでるし、きっとこの方が良いんだろう。
「どういたしまして。それじゃあ戻ろうか」
「おう! と、その前に、すーっとする飲物くれよ?」
嵌まってるな……チョコミン党ではなくもはやミン取党かな?
そして治療を終えた上で要求してくるとは、中々したたかな性格のようだ。傭兵なのだから生き残るためには必要なのかもしれない。
「分かった、移動しながら作るよ」
僕たちはキャラバンの馬車の元へ、ミントウォーターを飲みながら移動した。
「ごめんね、少し時間がかかってしまったかな?」
「いんや、何事もなく平和なもんだ。あいつらも全然交代に来やがらねえし……忘れてるんじゃないだろうな……」
温泉に先に入ったメンバーは、どうやら温泉を堪能しているらしい。
僕にとっては好評で何より嬉しいことだけど、ただ楽園を目の前に待たされてる人にとっては、さぞかし辛いことだろう。
僕の横ではシシイが、ミントのように爽やかな雰囲気に凶悪な笑顔を浮かべている。
「な、なんか、変わったな?」
「そうかそうか、お前にも分かるかこのかっこ良さが!」
シシイがばしばしと斥候男の背中を叩きながら、更に口を歪める。
より笑顔になったんだろうけど、笑みが深くなればなるほど怖さが増していく……
斥候男は迷惑そうにシシイの攻撃から逃れていった。
「うん、カッコいい」
アナスタシアがぼそりと呟いた言葉に、シシイがぐるりと首を回す。
その顔でそんな動きされると更に怖いって……この治療は正解だったのかな……? 人の好みはそれぞれだし、僕がとやかく言うことでは無いけど。
本人が希望するならまた治せば良いし。
「お前には分かるか〜 アナスタシアは良いやつだな!」
「なんか匂いも爽やかになった」
シシイがアナスタシアの手を握ってぶんぶん上下に振っている。今にも鼻歌を歌い出してしまいそうに見える。
どうやら相当嬉しいらしい。
それが伝わったのか、アナスタシアもいつもより少しテンションが高くなって、2人でお喋りを始めてしまった。
外見年齢が同じぐらいにだから、仲の良い友達同士が話をしているように見えてくる。
仲が良くなるのは良いことだと思うので止める必要は無いけど、ラズバン氏のところには行かなくて良いのかな……?
仕方がないので、僕は斥候男と世間話をして暇を潰そう。
差入れとして飲み物や食べ物を精製して、お茶を飲みながら興味のあることを聞いていく。
美味しい手土産というのは、実に相手の口を軽くするのに有効だな。これがお酒なら尚のことなんだろうけど。
旅の食事の話から始まって、キャラバンの旅がどんなものなのか、この世界の他の町や国などの話を少し聞くことが出来た。
しばらく話を聞いていると、お喋りが一段落したのかアナスタシアが呼びに来たので、お礼を言ってキャラバンから離れることにした。
斥候男から聞いた話を後でまとめておかないと、話が色んな所に飛んでいたので忘れてしまいそうだ。
僕の知らないことばかりで興味深く、実に面白かったので、キャラバンの他のメンバーからも話を聞いてみたいな。
そう言えば、斥候男の名前聞いてないな……
◇◇
「是非! 是が非でも! わたしに魔法の知識を教えくれ!!」
ラズバン氏のランプ工房を訪れたところで、挨拶もそこそこに、エルフの青年が深く深く頭を下げてきた。
千年の時を生き、その寿命の殆どを研究に費やして膨大な知識を蓄える……人を遥かに凌ぐ存在。その美貌も相俟って、崇拝の対象としてすら描かれる種族──それがエルフ。プライドが高く、他種属を見下し、そしてそれが許される存在。
って思ったんだけど……
「ボグダン殿、いや、ボグダン様! どうか、どうかこのわたくしめに魔法の知識を!!」
耳の尖った金髪碧眼のイケメンが、僕に縋りついてくるんだけど……これエルフなの?
登場魔法
1.析術『真正液体歯磨』
2.析術『歯牙調整』




