2-069-4 水が合えば新しい環境もすぐに受け入れられるようで④
そういえば、レバンテ様のお屋敷でもプールは見てないから、この国では泳ぐという行為があまり体験しないことなのだろう。
シエナ村のように川や湖が近ければ可能性はあるけど、旧市街生まれでは望むべくもなく、怪我した王子が泳ぎに行くようなことも無かっただろうから、クタレが入ったことがあるのはお風呂ぐらいなのかもしれない。
キシラやサラの衣装に施した魔法を使えば、水中移動は簡単だけど……
水中で息が出来るならカナヅチでも問題ないから、ここは気にせず入ってもらおう。
泳げなくても歩けば良いし。
「とりあえず顔を浸けてみて。息が出来ることが分かれば、たぶん気にせず入れると思うから。泳げなくとも、底まで沈んでから歩けば良いよ」
最初の一歩が難しいんだけどね……
水中で水を吸い込むなんて、本能が許してくれないかも……
意外に、少しずつ吸い込んでいけば、静かに息は出来るようになるんだけど。
クタレが恐る恐る水面へと顔を近付け、顔が少し水面に触れたところでピタリと止まった。
仮面が浸かってちょっと気を抜いてるけど、鼻と口が浸からないと意味ないからね?
やがて、ガボガボと息を吐く音が聞こえ始め、クタレが一度顔を上げた。
「本当に大丈夫ですか?」
うん、不安になるのは分かる。
常識的に考えて、水中で息を吸って大丈夫なわけがない。
しかし、そこを気にしたら負けなのだ。
水面という壁を越えてこそ、新しい世界に到達できるというものなのだよ。
そんな大層な物じゃないけど。
これって、バンジージャンプとかと同じで、越えられない人は越えられない思う。
それが正しい本能なんじゃないかな。
そういえば、バフ魔法が掛かってるかどうかって確認できるのかな?
何故かクタレだけ掛かっていなくて、溺れたなんてことになったら目も当てられないね。
こんな時は身体精密検査だよね!
おお! 頭の上にアイコンが浮かんでる!
アイコンを見つめれば魔法名も出るし、間違いないみたい。
「魔法は確かに掛かってるよ。だから、後はクタレの勇気だけだよ」
「分かりました」
クタレがすぐ再挑戦するも、やはり本能が抵抗するのか息を止めてしまった。
そのあと一歩には何か切っ掛けが必要かもしれない。
例えば、誰かに引っ張ってもらうとか。
例えば、誰かに突き落とされるとか。
なんて僕が思ったからじゃないけど、クタレの背中を押してくれる存在がやってくる。
それはもう盛大かつ物理的に、クタレの背中が叩かれた。
バッシャーンと盛大に水飛沫を上げながら現れたキシラに。
「ボーグがここにいるのケ!!??」
「うわぁっがぶごぼ……」
侍女さん達に見られたら、めっちゃ怒られそうだ。
沈んでも息は出来るから安全と言えば安全だけど、パニクってたらそれはそれで危険だ。
すぐに追って水中に潜ると、クタレは本当に泳げないのか、もしくはパニクってるのか、藻掻きながら沈んでいっている。
藻掻くから沈むんだけど……最初に肺の空気をかなり吐き出してたから、静止しても浮かびにくい状態になってるとは思う。
このまま眺めてるのは、あまりにも薄情かな?
千尋の谷に突き落とす思いなら、ケアできるように近くで見守るのも間違いじゃない気がするけど。
因みに、すっ飛んできたキシラは、すでにミレルと会話している。
僕はクタレに近付きながら、努めて冷静に声を掛けた。
「大丈夫だから、息を吸って。吸えばちゃんと呼吸出来ることが分かるから」
僕が手を伸ばせば、クタレは暴れさせていた両手で僕の手をギュッと握ってきた。
大丈夫と言われても、怖いものは怖いよね。
僕は掴まれた手をグイっと引っ張って、クタレを抱き寄せた。
するとガシッとしがみ付いてきた。
クタレの顔は真っ赤でそろそろ限界を告げている。
さすがに何か補助をして上げた方がよさそうだ。
問題なく息を吸えると思える状況が一時的にでも必要かな。
同じ魔法で、クタレの顔の前に大きな泡を出せば──限界だったクタレは、すぐにその泡に飛びついて息を吸い、泡がなくなっても吸い続けた。
よし、問題無さそうだ。
クタレは荒い呼吸を少し繰り返した後、力を抜いてくたりと僕の肩に頭を預けた。
「死ぬかと思いました……でも、一度吸えるようになると、何を怖がってたんだろうって思いますね……」
言い終えてゴボゴボゴボゴボと息を吐くクタレ。
お風呂とかで子供が良くやるヤツだ。
いや、そこまでクタレは年齢低くないはずなんだけど……
重責がなくなってちょっと退行気味かも?
しばらくは良いけど、続くようなら障害として診療した方が良いかも。
と言っても、顔を出してる場合、クタレの華奢でカワイイ見た目としては違和感がないんだけど。
そういえば、『診察記録』で確認したときは慌ててたから、年齢確認してなかったかも……
もしかしたら、王子として祭り上げるのに、年齢を偽った……?
そもそも、孤児の時点で年齢不明だった可能性もあるか。
だったとしても……年齢に相応しい振る舞いかどうかなんて、住んでる国や地域と立場で変わるものだ。
王子だったら公務もあるから、年齢以上に大人らしく振る舞う必要があったかもしれない。
でも、クタレが王子じゃなくなった今、その必要はなくなった。
だったら、子供は子供らしくしていたら良いと思う。
本人がコンプレックスで悩まないなら、僕が気にすることではないのかもしれない。
「あっ、あのっ! ボグコリーナ様?? 落ち着きましたので、そろそろ離して頂いても大丈夫ですよ?!」
えー、クタレからしがみ付いてきたのにー
元のクタレに戻ったので、パニクったことによる一時的なものだったようだ。
さて、僕はカワイイ男の子が大好きな変態ではないし、ミレルがとても温かい視線をキシラ越しに送ってきてるので、さっさと離れることにしよう。
キシラも来たことだし、サラを紹介しないとね。