2-068-2 対話できる自然
湯気で煙る広い空間に、しばし静寂が満ちていた。
この心地よい癒やしの場が、少し緊張している。
無理もない。
わたしが今いるシエナ村の村長であり、ボグコリーナ嬢の父親であるダニエルに、真実を告げたのだ。
沈黙もしてしまうというものだ。
残念だが、息子が女性に変身しているという話ではない。
それはそれでどんな顔をするか見ものではあるが、あれの不興を買うことは間違いないのでしていない。
あれの不興を買うぐらいなら、まだドラゴンの不興を買った方が勝ち目がありそうだ。
この村の者達は良く分かっておらぬやもしれんが、圧倒的なのだ、あれの魔法は。
たとえ自分の息子とはいえ、ダニエルにはもう少しその危険性を理解させる必要がある。
わたしの知ってる範囲で懇々と……それはもう懇々と説明を続けた。
王子である息子達の信頼を数日で得たこと、わたしの病気を治したこと、クタレの傷を癒やしたこと、フェルールをスライムから元に戻したこと、その巨大なスライムを王都の誰にも気付かれることなくヤミツロ領の泉から王城まで運んだこと、水槽をベッドに変えたこと、大司教の魔法を素手で受け止めたこと、その魔法で損害の出た広間を修復したこと、全身大火傷していた大司教を治療したこと、わたしの要望に応えて花火を打ち上げたこと、空飛ぶ船を作ったこと、その船は誰にも気付かれずに飛行できること、その船でここまで来たこと。
小さな事を入れるとキリがないほどに、使う魔法全てが我々を圧倒したのだ。
ダニエルにそれをつぶさに伝えた。
そして、外せないのが、フェルールとクタレが別人であることであり、誰も気付かなかったその事実にあれは気付いたことだ。
これだけ並べ立てれば、言葉も無くすというものだ。
わたしも可能なら言葉を無くしたい。
「伝えた中で、わたしの印が押された書状が要求したものは『クタレの傷を癒やすこと』しか該当せん。それ以外は全てついでに行われたに過ぎない」
「大義を果たし過ぎた、と仰ったのはこういうことでしたか……何かやらかすとは思っていましたが、これほどまでとは……」
ダニエルがあきれ果てた顔をしておる。
この村を上から眺めたときに、充分過ぎるほど村でも魔法を使っていることは分かっていた。
同じようなことが王都でも起こったと思えば、村の者誰が聞いても呆れることだろう。
「あれはもう人の域ではない。人に見抜けぬ真実を見抜き、圧倒的な力でそれを理解させられた。ただ歩くが如く、ただ声を出すが如く、容易く世界を変える魔法を使う。神しかり悪魔しかり、その力をなんと表現するかは、どうやら人それぞれのようだが……ただ、その力を人が利用するにはあまりにも大きい。とてつもなく大きい……わたしもレバンテも、あれの力がもしこちらに向いたらと、戦々恐々しておる」
レバンテは目に見えぬ部分で救われておるから、その危険性を逆に強く感じておるようだ。
真実さえ曲げかねない魔法とは……実に恐ろしき。
「そんなことしようはずも御座いません。陛下に逆らうなど……もしそのような兆候があれば、わたしが命をかえても──」
「お主がそういう男であることは分かった。だが我々がわざとあれの不興を誘ったらどうなる?」
言葉を切った時に、強い風が吹き、遠くで色付いた木々がざわざわとささめいた。
「しないと言い切れないのだ。わたしもお主も、あれの前では木の葉と同じよ。風が吹けばなすすべもなく落ちるだけだ。風よ吹かないでくれと願うしかない。お主も利用しようなどゆめゆめ考えぬように」
ダニエルは困惑しておる。
これもまた無理もない。
自分の息子を思うように領主として教育出来ないとすれば、わたしとて困惑する。
女性なってるよりは困惑せぬが。
「陛下のお考えしかと受け取りました。憚りながら申し上げます」
「なんだ?」
「それが、愚息より美容整形医として行動するに当たって、上位方針を決めて欲しいと言われたことがありまして……そのため、美男美女がいるに相応しい村にすることと、北の動向が怪しいため村の兵力強化や要塞化を進めるように指示し、それらを領主プラホヴァ様にご許可を頂いた経緯が御座います」
「この温泉もその指示の一貫で出来たものであったか?」
「はい、左様で御座います」
あれが指示と許可を欲し、その結果村が発展した。
ふむぅ……なぜ指示と許可が必要なのか……
確かに、わたしに会いに来るときも、わざわざ息子達の信頼を得て来た。
巨大スライムを運んだ手段を考えると、誰にも見付からずに会いに来ることも出来たであろうに。
そういえば、あれは教会の出方を覗っていたようだが……大司教の扱いについても、教会に話を通せと言っていたな。
人ならざる力を行使するにも、ルールがあるのかもしれぬな。
そういえば、レバンテが『対話できる自然』とかどうとか言っていたが……そういうことか。
風に例えたのは悪くはなかったか。
風が戯れに人の声を聞いているだけやもしれぬ。
なればこそ、日々感謝を忘れず、時には風乞いなどの祈願を行う。
そして齎されるその恵みを享受する。
我らの信仰そのものか。
それならば、確かに自然にはルールがある。
そのルールに則って、木の葉を吹き飛ばしもすれば、種を運びもする。
同じ風であり、そこに変わりはない。
過度に恐れる必要は無いが、風が強く吹くことも止められぬ。
自然は恵みにはムラがある。
多いときもあれば足りないときもある。
どうしようもなく困ったときに乞うたなら、必要な分は返ってくる。
ならば、風がささめくならば、じっくり耳を傾けるだけだ。
さて、そうなれば、村に関わる話は、まず長であるダニエルにすべきだったな。
「ダニエルよ。今回のことでフェルールの立場が怪しくなってきた。それを含めて、フェルールとフェニーをこの村に預ける予定だ。それも今夜連れて来ることになる」
「な、なんですと!? 謹んで拝命いたしますと申したいところですが、殿下と王妃様を受け入れられるような屋敷がこちらには御座いません! 少しお時間を頂きたく」
「ならぬ。今が一番良いのだ。それにあれは受け入れる準備を始めておるようだぞ。フェルールが食べられそうな食事を確認しておったし、空飛ぶ船で我々をもてなせるか試しておったようだ。そして、充分すぎるほどにわたしは満足している。この温泉も含めてな」
目を白黒させてダニエルが聞いておったが、一度目を閉じるとその目はしっかり意志を見せておる。
「承知しました。受け入れる準備はあれに任せます。しかしながら、あれは世情や帰属意識が低く、お相手するには不安が残ります故、歓待は村の代表としてわたしがしっかり主導致します。あれが一人前になるまでは、まだまだ村長を退くわけには参りませんな」
嬉しそうに笑いよる。
わたしもまだまだ国王から退くわけにはいかぬことが、教会のお陰で分かったわけだ。
年長者が導けるところは指導し、恙無く熟せるようになれば補佐に回るのも良いだろう。
そんな時が来れば、ダニエルのように笑えるだろうか。
「頼んだぞ」