2-060 少し前向きになったようで
通い慣れたレバンテ様のお屋敷へ、やっぱりボグコリーナの姿で訪問していた。
お屋敷の前でお出迎えを受けたのだけど、レバンテ様の他に仮面を付けたクタレも居た。
この2人が並んでいる図には違和感が無いけど、正体が分かったのにまだこの構図なのは驚いた。
名目上、シエナ村に行くまでは今までと変わらないことを演じる必要があるらしい。
王都の貴族達にはバレているし、言い含めてあるんだから続ける必要は無いような気がするけど……それ以外の人たちに対して──例えば、まだ情報公開していない、地方領主の王都滞在用のお屋敷の使用人達とかに、情報が流れにくくするためにやってるんだとか。
すぐに能力もバレてしまう僕には、そんな隠しごと到底出来なさそうだね。
表面上は変わりない関係で2人に挨拶されて、お屋敷に通された。
挨拶回りだから、帰路につく連絡だけしたら帰るつもりだったの、なぜ通されたのか疑問に思っていると、案内されたのはサラの水槽がある部屋だった。
なので、レバンテ様に用向きを告げられる前に、一応理解はしていた。
だから、サラを連れて帰って欲しいと言われたことに対しては、驚きはそれ程無かった。
やっぱりかという思いがあっただけだ。
ただ「この調子でどんどん増えていかないよね?」という一抹の不安が過ったのは、フラグでないと信じたい。
「今回の事件が起こってしまったのも、この人魚をコレクションしてしまったのが原因でした。次の火種にならないためにも、残念だがここに置いておくのはやめようと思ったのです。ただ……この人魚をどう処分するかに悩みました。というのも、殺して焼却するだけで大丈夫なのか、それが分からなかったのです。不充分な処理で、誰かが拾って同じように毒薬を作ってしまう事態は避けたいのです。そこで、信頼できる人に託してしまおうと、ボグコリーナ嬢に相談することになったのです」
この口振りからして、さっき会ったとき、陛下はすでに内容を知っていたんじゃ?
人魚の未来についての相談相手として、この国で一番魔法に詳しい第二王子夫妻と、今回の事件の被害者でもあり国の最高権力者である陛下は外せないだろうし……
陛下の頼み事より、こっちの方が面倒事だったのか。
押し付ける形になるから、陛下はあの場で言いたくなかったのかな。
僕としては、村にはキシラも居るわけだし、人魚が一人増えることには全然問題がない。
それに彼らはサラのことを人とは思ってないようだし、先ほどから『処分』という物騒な話をしていることを考えると、保護する目的でも連れて帰った方が良いだろう。
彼らは元から、サラをペットとしてではなく素材として確保していたわけだし、愛護法があったとしても問題ない範疇だ。
人に害が及ぶ可能性がある病気の牧畜が殺処分されるのは、元の世界でも良く見たこと。
それが人魚でも、この世界の人にとっては牛や羊と変わらない感覚なのだろう。
僕にとっては、見た目が人間っぽいから流石に違和感を感じるし、サラとは会話も出来てるから、なおのこと牧畜扱いに忌避感がある。
だから、譲り受けれて連れ帰れるなら、諸手を挙げて賛成する。
しかし……どうやって連れて行こう……
船に水槽を付けると、移動が大変だよね?
このお屋敷から船で飛び立つなら別に良いんだけど、第三王子と第三王后がいるから、王宮からの方が良いだろうし……
事件解決時にスライムを入れた水槽でやったように、水槽を台車に載せて王宮に運んだら良いかな?
デカすぎるし、目立ちすぎるよね。
今回連れて帰ることになった面々は、他領にバレないように移送したかったんだよね?
じゃあ、目立たないように王宮まで運んだ方が……
いや、逆か。
第三王子と第三王后も、レバンテ様のお屋敷にいる風を装うために一度来てもらって、ここからこっそり飛び立てば良いのか。
そうなると、今度は彼らの荷物をここに運び込むのが大変になりそうだけど……旅人に扮して移動するつもりだったんだから、荷物は少ないと思いたい。
「人魚の件は確かに承りました。やんごとなき事情のご同行者もいらっしゃいまして、本日出発する予定ですので、このままこちらで準備をさせてもらっても良いでしょうか?」
レバンテ様はチラリとクタレに視線を送ってから、首を縦に振ってくれた。
「無理言ってすいません。ここは好きに使ってもらって構いません」
やっぱり僕への応対が変わってしまっている。
色々とモヤモヤするところはあるけど、そんなことよりもさっさと作業をしないと、挨拶回りの時間が無くなってしまう。
船も今作ってしまおうかな……
そうなると、作業場所をもう一つ借りる必要がある。
「お屋敷の外から視線が通らない中庭のような場所もお借りしたいのですが、良い場所はございますか? このお屋敷の食堂ぐらいの広さが必要なのですが……」
「わたしの護衛騎士達の訓練場なら、周りに建物もありますし、条件に合いそうです。案内しましょう」
いや、そんなに意気揚々と出ていこうとされても困るんだけど。
そう言えばこの人、私邸の案内するの好きだった……コレクション披露の一貫なんだろう。
どうせ移動するならサラを連れて行きたいので、非常に申し訳ないけど少しだけ待ってもらおう。
「そこまで急がなくても大丈夫です。先にこちらでの作業を終わらせてしまいます。お茶を楽しむ程度の時間で終わりますので、ご休憩なさっててください」
台車を用意して、その上に水槽を作って、サラを移せば完了だ。
その作業は、スライムを連れてくるのに一度やったから、すぐに終わると思って、レバンテ様にそう言ったけど……
レバンテ様が使用人を呼ぶ気配もなく、その場に突っ立ったまま動かない。
何となくワクワクしているような……?
「お茶を飲みながら、座って見学なさっては如何ですか?」
「良いのかい!? それならそうさせてもらいます」
今さらだね。
見る気満々だったんだから今さらな言葉だし、僕が魔法を使うことも、すでに第三王子のベッドを作ったから今さらだ。
王族が相手で、見られることに躊躇ってても仕方がないよね。
レバンテ様が部屋の外に声を掛けると、使用人が椅子とお茶を持って来るのが見えた。
もう始めても良さそうだ。
ただ、作業を始める前に、一つ確認をしておかねばならないことがある。
サラの意思だ。
前回会話したときの様子からすると、たぶん興味なさそうに「好きにしたらいい」って言われそうだけど、本人が移動したくないのに無理強いするつもりはないから、意志は確認しておきたい。
ちなみに、翻訳魔法は部屋に入った時点から発動させてある。
ガラス越しに歪んだサラの姿を正面から見据える。
まだ鱗の一部は白いままで、治療の結果は見てとれない姿だ。
でも、前に会ったときよりは、幾分か鱗以外の肌色が良いような気がする。
僕と目が合うと、パチパチと瞬きをしている。
「聞いていたかも知れないけど、君を僕が引き取ることになった。僕の住んでいるところは、シエナ村という山奥の村だけど、とても良いところだよ。冬場は湖も川も凍るけど、温泉があって凍えることは無いから安心して欲しい。でも、シエナ村が肌に合わなければ、別の場所に住処を作ってもいいし、ここに来る前に君の住んでいた場所に帰ってもいいよ。最後まで協力するつもりだから、とりあえず一回、シエナ村に来てもらっても良いかな?」
サラの瞬きが早くなった。
状況が飲み込めていないのかもしれない。
もう少し詳しく話をするべきだろうか?
レバンテ様もクタレも、後ろで言葉を無くしているのが気配でわかるけど、止めないと言うことはとりあえず問題ないのだろう。
サラが不明点や疑問点を質問してくれれば良いのだけど……
「……食べないのキ……?」
ん? 質問の意図が良く分からないけど、何かしら不安に思っているのかな?
「食べることはないよ。僕たちは健康に困ってもいなければ、食事に困ってもいないからね。絶対食べないと損するぐらいに美味しいから食べて欲しい、と君自身から言われたら多少興味は湧くけど、たぶんそれでも食べないと思うよ」
「そうキ……それは残念……」
残念なのか!?
それって何か翻訳ミスなのではないか?
納得してくれたなら良いんだけど……連れて帰ったら積極的に食べるよう勧めてくるとかないよね……?
「それで、来てくれるの?」
「うん……あなたに着いていきたいキ……」
あれ? 積極的な意思表示だね?
思ってたより惰性的じゃない。
種族的な特徴かと思っていたけど、鱗の病気が治ったことで少し前向きになれたのかな?
病気というのは人の心を蝕み、鬱屈させるものだからね。
良い傾向だと思う。
「そう答えてくれて嬉しいよ。じゃあ、移送のための準備を始めるね」
サラがコクリと頷いた。
許可が出たら後は簡単だ。
パパッと魔法を幾つかかければ、出来上がり。
今ある水槽の中に、台車に載せた状態でサラが入れるだけの小さな水槽を作り直して、水の質を温泉のそれに変えて──
「レバンテ様、この水槽はどうされますか? 何か別の物を入れるのに使われますか?」
「……はっ! い、いえ、水槽は他に使う予定がないので、無くなっても問題ありません!」
なんか答え方が兵士みたいなだけど、どうしたの?
振り返ると、レバンテ様がビシッと背筋を伸ばして僕の答えを待っていた。
首を傾げてから、もう一度水槽に振り返って作業を再開する。
「そうですか、それなら解体も大変そうですし、バラしておきますね」
周りの水槽と張ってあった水を、不純物を含めて嵩張らない密度の高い物質に変換して、部屋の隅に寄せた。
そして、自由になったサラの水槽を、台車を引っ張る要領で取り出した。
あっ!
そう言えば、レバンテ様と人魚を引き取る交渉をしたときに、ダイヤモンドを対価としてチラつかせたんだった。
ゴミが余ったし、元々お屋敷の一部だから、物質変換してお渡ししておこう。
今は押し付けられるような形にはなったけど、僕の望んだ結果にはなったわけだし。
でも……余りの素材を全てダイヤモンドに換えると、さすがに量が多すぎる。
過剰な資産になってしまうのは良くない。
水槽は木材と石とガラスで出来ていたから、原料に戻してしまうのが良いだろう。
木材や石材は、板材にしておけば何かと使いやすいし、ガラス板材も再加熱すれば別物に作り替えられる。
サクサクッと魔法で変換して、部屋の隅に原料を積み上げた。
さてと、後は外で船を作って、運び込めば完了だね。
ホントに、この世界の魔法は便利だね。
宇宙空間という資源の限られた世界で使うための魔法だったから、物の変換や精製がとても簡単で、だいたい思った通りに出来る。
使える人が多かったら、それはそれで問題が出そうだけど……
サラの運び出しの準備を終えて、僕は鼻歌交じりに中庭へと出た。
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教会の言う唯一神がいたとしたら、わたしたちにはその全容が掴みようのない存在だろう。
だから今、わたしは困惑している。
わたしはボグコリーナ嬢を、とても控えめな女性だと思っていた。
フェルールが見初めてくるには少々年齢が高いように見えたが、今までに見たことも無いほど美人だったため、これは仕方がないと思ったものだ。
見た目だけでなくその所作も美しく、そして話してみれば聡明であることも分かった。
ただ侍らせる為ではなく、王族の正妻に相応しい淑やかさがあった。
家格が合えば全く申し分ない、今どきの貴族にしては珍しいぐらい良い女性だ。
フェルールが声を掛けていなければ、わたしが声を掛けていただろう。
いや、むしろ、今からでも遅くはない、フェルールと馬が合わなければあるいは──などとも最初は思ったのだが……
事件を終えて、様々な真実を知り、知らぬ事を──知っておかねばならぬことを彼女に教えてもらったにもかかわらず、今度は彼女が分からなくなった。
そもそもこんなに美しいのに『彼女』ではないと言う。
そして、誰も気付かなかったことを探り当てて、事件の犯人を暴き出してしまった。
これには恐怖せざるを得なかった。
真実を捉えることが出来る彼女だからこそ、わたしが犯人にならなかったが、わたしが仕組んでいたと言われても仕方がない状況だったと思う。
わたしは現国王の弟として、王座を狙うことを疑われる立場にいる。
もう一つ、フェルールに肩入れしているから、共謀してフェルールを王位に付かせて美味しい思いをするつもりだったのだと言われたら、否定しても信じてもらえなかっただろう。
そういう立場にいることは充分理解している。
だからこそ、殊更に収集癖のある好事家として、振る舞っていた。
いや、もちろん、収集癖は人よりあって、それが続けられることは嬉しいのだが、それ以上に余計な火種を生まないようにしてきた。
それでも、今回のような事件が起きれば、病気の人魚が毒になることを知っていて、人魚を手に入れた上でわざと病気にしたとか、毒を手に入れても疑問に持たれないように収集家として振る舞っていたんだとか、良いように言われただろう。
彼女が事件を暴いたので無ければ……
それは、言い替えれば、彼女はわたしが犯人になるように、『真実』を開陳することも出来たであろう。
いや、彼女はまだそれが出来るところにいる。
今目の前に居る彼女は、変わらず主張の少ない会話をする。
それは、わたしの言葉をなるべく聞き出し、その意思を検分しているように思えてくる。
彼女の中の道理に沿えば、全てを了承して叶えてくれるようだが、沿わなければ……
それを考えただけで、身体の芯がブルリと震える。
我々とは何かが違う。
兄で国王が、彼女を怒らせることがないように、と言っていたのが良く分かる。
絶対に逆らってはいけない類いの存在に思えてくる。
見た目や雰囲気には、全く警戒すべきところや不安になる要素はない。
むしろ、その状況に左右されることがないのんびりとした雰囲気は、大樹の枝葉に優しく包まれているような感覚を抱かせ、会話していて安心するほどだ。
大司教が放った攻撃魔法を、幼い子供が投げた球のように軽く受け取り御したように、想像を絶する災害が起こっても、彼女の悠然とした態度が変わらないような気さえする。
だから、意に沿わなかった場合を想像すると怖いのだ。
そんな底が知れない存在が、更に底の知れないことをしている。
我々と会話するのと同じように人魚と会話し、まるで最初からそこには何も無かったかのように、瞬く間に水槽を解体した……中に入っていた水すら一滴も溢すことなく。
そして、普通に解体すれば使えないゴミになるはずの元水槽も、まるでもう一度作り直せるような材料の状態になっている。
まさか、時間を巻き戻したのだろうか……?
いや、ガラスの透明度が違い過ぎる。
不純物が一切入っていないような、そこにあることを忘れるぐらいに透明なガラスだ。
だからこれは、元の材料に戻ったのではなく、彼女の意思で材料の形に変形させたのだ。
そして、彼女はホコリを落とすように手を叩いてから、わたしへと振り返り、手の中にある美しい造形物をわたしに差し出した。
最初に人魚を引き取る交渉されたときに、見せてもらった金剛石だ。
この国では非常に珍しい宝石で高額で取引される。
北方の国で産出されるが、地元でも硬過ぎて加工が難しいため、美しく加工された宝飾品は、更に価格が吊り上がっているという。
その性質が「何者にも侵されぬ強さ」と表され、国の繁栄を願って国の長が求めるような宝石なのだ。
それを彼女は、目の前で作り出した……
偽物の可能性も疑ったが、その独特な輝きは間違いなく金剛石だった。
水晶とは違う。
あのキラキラと輝く水面のような美しさは、一度見れば忘れられない。
そう、そんな稀少品を易々と作り出して見せた。
錬金術のようだと喜ぶ者もいるだろうが……わたしはこれを暗喩だと思う。
つまり、この金剛石のように、国も簡単に作り出し、そして灰燼に帰すことが出来ることを表しているのだ。
それを兄にではなくわたしに見せる意図がイマイチ掴めないのだが……
は??
ただのコレクションの為くれる??
益々底が知れない。
そんな彼女は訓練場に出て、それはそれは楽しそうに船を創り上げている。
うちの庭師が庭木の手入れをするように、料理長が料理を作るように、彼女は上機嫌で船を作っていく。
スタンツァーレの港町で見る帆船より大きいのに、支えもなしに自立している。
彼女はシエナ村への帰り支度だと言っていた。
ならば、船で山を登ると言うのか??
こんな船では川を登れないと思うのだが……
訳が分からない。
本当に想像の埒外にいる。
船の底は見れたが、彼女の底は見えることがなさそうだ。
誰もが言葉を失うほどの美貌。
人も物も自在に作り替える奇跡のような魔法。
教会に悪魔と呼ばれるが、教会の言う神のような存在。
でも遠慮がちで主張が少ない人間くさい態度。
彼女はいったい何なのか……
我々にとっての超常的存在である神は、自然そのものだ。
例えば、雨は神の恵みであり、旱は神の怒りである。
我々が管理しようもなく、太刀打ちもできない存在や事象そのものが神だ。
だとするなら、恐らく彼女も神の仲間となるのかも知れない。
とてもじゃないが、彼女を我々が管理できるとは思えないし、太刀打ちできるように思えない。
ただ、わたしの知っている──古くから伝え聞いている神とは随分違うが。
そんな相手に、身内を預けることになる。
第三王子ではなかったが、長年一緒にいたクタレも、わたしにとっては身内だ。
彼は可愛らしい顔を輝かせて、彼女の一挙手一投足に驚き感動している。
あれなら、心配いらないか……
ならばせめて、彼女の逆鱗に触れる者が現れないことを願うばかりだ。