2-051 野心が潰えると悪足掻きが残るようで
「そこまで仰るのであれば、その証拠をお連れいたします」
「はぁ?! お、お前は何を言っているのだ……?」
大司教が少したじろいだ。
まさか二つ返事で「連れてくる」と言われるとは、思っていなかっただろう。
「ですから、その本物のフェルール殿下を連れてくると言ったのです」
「く、口から出任せを! そんなわけないだろう!」
「なぜ言い切れるのですか? そもそも、あなたはここにいらっしゃる方がフェルール殿下だと主張されてませんでしたか?」
テンプレな犯人とのやり取りだね。
犯人は被害者がこの世にいないことを知っているから、つい否定したくなっちゃうやつ。
言葉に詰まった大司教を後目に、困惑の声が僕に掛けられた。
「ボグコリーナよ、それは本当なのか?」
いつまで経ってもボグコリーナ呼びなのは諦めるしかないのか?
それは良いとして。
「誠に残念ですが、そちらのフェルール殿下は偽者です。僕は最初から全て分かった上で、申しておりました。それはひとえに、大司教の出方を覗うためと、弁明や謝罪の機会を設け、信頼回復の道を残す為だったのですが……ムダだったようですね」
衝撃で硬直している大司教に一瞥をくれてから、僕は謁見の間の奥へと足早に向かった。
陛下や僕が出てきた、簡単に言うと偉い人用の通路だ。
通路の脇に布を掛けて置いておいたので、それほど時間はかからない。
布のかかった大きな箱を、台車に載せて引きながら、すぐに謁見の間へと戻った。
この間数秒しか、書けたつもりはない。
それでも、大司教の硬直は解けていた。
「またお前はそうやって、ありもしないものをでっち上げるつもりだろう!!」
「もう黙っておれ」
大司教の叫びは、陛下の冷たい一言と視線で黙殺された。
大司教は顔を真っ赤にして打ち震えている。
罪をすぐに認める人だったら、陛下の温情を乞うことも出来たかもしれないのに……
僕は台車を固定してから、布を取り払った。
「なんだ? 水槽か……?」
陛下が代表して、目に入ったものを呟いてくれた。
そう、僕が運んできたのは水槽。
アクリルではなく、ガラスで出来た酸に強い水槽だ。
中には青っぽいものが満たされている。
皆は拍子抜けしたように水槽を見つめているが、一人だけ熱に浮かされたように水槽へと近付いてくる。
「こ、これは、なんと素晴らしい水槽か! こんなもの、誰に作らせたのですか!?」
言わずもがな、珍しい物コレクターのレバンテ様だ。
人魚の水槽のガラスがあれだからな……珍しいのは分かる。
僕が鏡を作り出したことから、だいたい想像ついてるとは思うけど。
「レバンテ、お前はいつもそうだな……そんなことは今はどうでも良い。ボグコリーナよ、水槽には水が入っているだけで、何も居ないではないか? まさか、透明になっていると言うのではあるまい?」
余計な話に逸れそうなところを、陛下が戻してくれた。
「はい。この水槽に入っているのは水ではありません。半分液体のような不定形生物です」
「半分液体、不定形生物……まさか、スライムか!?」
第二王子の言葉に、近くにいた人達は慌てて飛び退いた。
「はい、その通りですが、安心して下さい。眠らせているので、危険はありません」
アメーバ様のスライムが睡眠行動をとるのか、いやむしろ出来るのか知らないけど、行動不能にしてあるので、『眠らせている』という表現でも問題ないだろう。
「そ、そうか……お主は治療だけでなく、スライム退治も出来るのか……いや、それも今はどうでも良いのだ! このスライムが何だというのだ?」
陛下が代表して問い掛けてきたように、誰もがこの状況を理解できていない。
スライムが寝ていると聞いて緊張は解いたものの、遠巻きにスライムと僕の顔を見比べるだけだ。
ただ一人、大司教の顔だけ、さっきまで真っ赤だったのが薄くなってきている。
「大司教の顔色をご覧になれば、想像は出来るかもしれませんが……このスライムこそが、フェルール殿下です」
僕の言葉を、誰もが理解できなかった。
理解を拒否したのかもしれない。
ざわめきはまた強くなり、疑念は更に高まっているようだ。
僕の言葉が信じられていない状況に、大司教も気持ちを立て直している。
でも、焦りは募っているようだ。
彼はすでに、この先が予想出来ているのだろう。
「ジェラール殿下! 昨日、陛下の前で、僕が使う魔法の話をされたとき、どんな説明をされたか覚えていらっしゃいますか?」
僕はまた声を張り上げて、第二王子に説明を丸投げた。
こういうとき、代わりに説明してくれる、皆から信頼されている人がいるのって楽だなー
「うん? 変形魔法という不可思議な魔法の噂をしたときのことか? 確か……人の姿形を変える魔法が存在する、という話をしたな。石に変える魔法、オコジョに変える魔法、そしてスライムに変える魔法……そんな魔法本当にあるのか?」
あんたが疑問に思うんかーい!
自分で言ったのにー
魔法の辞書なんてなさそうだろうから、仕方がないか。
因みに辞書を調べると、スライム化の魔法は確かにあった。
助かる見込みのない死にかけの相手にだけ、使える魔法らしいけど、用途は書かれていなかったので、何のための魔法なのかは良く分からなかった。
つまり寝ている間に、いきなりスライムにされるようなことはないので安心だ。
「そんな魔法があるんでしょうね。僕は使える魔法が特殊だからか、魔法によって変化させられた生物は、元が何だったかを調べることが出来るのです。だからこそ、元に戻すことが出来るのでしょうけど」
とりあえず、正体が分かった理由は濁しておこう。
『身体精密検査』や『診察記録』みたいな魔法は便利すぎるから。
ただでさえ、変形魔法というおかしな名前の魔法をバラしてしまってるんだから、それだけでも面倒になりそうなのに。
事件解決に必要だったのだから、今さらとやかく言わないけど。
因みに、このスライムの中に取り込まれている人間の遺伝子は、『診察記録』で陛下と第三王后の血縁関係が確認できている。
「さて、このスライムは、ヤミツロ領の南の関所から、馬車で半日ほど東にある湖に居ました。ヤミツロの関所で、このスライムは数年前に現れたことを聞きましたが……そのことについて、詳しい話をご存知の方はいらっしゃいますか?」
「5年ほど前だ。ちょうどフェルールが回復しだした頃に、そんな噂が飛び込んできた。スライムの討伐は困難なため、その湖へ人が寄りつかないようにと、敢えてその噂は広めたのだ」
なるほど、あの森には全く人気が無かったからね。
近くに人の住む村や町が無いからかと思ったけど、近くの人は危険なのを皆知ってたから、誰も寄りつかなかっただけなんだね。
5年前となると、フェルール殿下は10歳に満たないのか。
充分子供だな。
「でも、これだと、まだ偶然の一致かもしれません。なのでもう一つ、教会の方にお話しを伺います。同じ時期に、孤児の中で、突然居なくなった子供はいませんでしたか? そうですね……大司教から、里親が決まったから引き渡した、なんて言われて以降、全く見ていない子は居ませんでしたか?」
教会のシスター達がハッとして、顔を見合わせてヒソヒソと話をし始める。
そんなシスター達を大司教が睨みつけているが、ここで何か言ったら怪しまれるのは確実だからか、声は上げていない。
でも、喋って欲しくない感はいやでも分かる。
シスター達が忘れてる方に掛けたいのかもしれないけど、教会に行ったスヴェトラーナから聞いた話では、シスター達は大司教のことをあまり良く思っていないので、恐らく大司教が怪しげな行動を取っていたなら、しっかり覚えているだろう。
「あの……フェルール殿下が運び込まれてすぐ、ちょうど殿下と同い年ぐらいで、背格好も似た男の子が居なくなりました! そして、ボグコリーナ様が仰った通り、大司教から里親に渡したと説明されています!! まさか、こんなことがあるなんて!!」
代表して答えてくれたシスターは、驚きを禁じ得ないようだ。
里親の件は想像でしか無かったんだけど……まさか一致するとは。
これで、大司教への疑念は一気に膨れ上がった。
「フェルール殿下と孤児を入れ替えたのか……」
「顔に傷を負っていたから、分からなかったのか……」
シスター達だけでなく、誰もが疑いの眼差しを大司教に向けた。
後は最後の仕上げだけだね。
「では、スライムが偶然の一致ではないと言えるように、そろそろフェルール殿下を元に戻して差し上げましょう」
騒がしかった場内が、僕の言葉で静まり返った。
悪事を確定的なものにする決定的瞬間を、誰ひとり見逃したくないと、視線は水槽へと集中する。
そして、僕は『初期化』の魔法を発動させた。
すると、すぐに、スライムの身体が型に押し込まれたように人の形を取り、10歳ぐらいの子供が浮かび上がった。
あ、これはちょっとヤバいかも?
王子は良いけど、余った液体の成分が不明だ。
いずれにしても、水槽から取り出さないといけないし、水槽ごと子供用ベッドに変えてしまおう。
これまた魔法を使って一瞬で作り替えて、本物の第三王子をベッドに横たわらせた。
そしてすぐに近寄ってバイタルの確認。
脈拍も呼吸も問題なし。
『診察記録』を起動しても、怪我や病気は一切無い。
陛下と第三王后の血縁も確認できた。
事故で受けたという傷も全くなかった。
これが『初期化』のお陰なのか、スライムになってる間に回復したのかは分からないけど。
でも、どう見ても、年齢がスライムにされた当時から進んでいない。
これは、スライム化による副次的効果なのだろう。
このスライム化の魔法……冷凍睡眠の代わりなのか?
余計なことを僕が考えている間に、陛下や王子達が寄ってきて、ジッと様子を見ていた。
何をしているのかと思われているのかな?
「近寄って頂いて結構ですよ? 健康状態に異常はありませんので、直に目を覚ますと思います」
言ながら僕がベッドから一歩引くと、陛下や王后達が一斉に駆け寄ってきた。
ある二人を除いて。
「おお!! 確かにフェルールだ!」
「間違いないわ!」
「なんだか懐かしい顔だな」
「そうだな」
第三王后が第三王子を抱き上げ、その王子の顔を陛下が間近で見ている。
感想や喜びを口々に発する人達を見て、僕も微笑ましく思いながら、残っている二人に近寄った。
「トビアスさん、行かなくて良いんですか?」
「わしにはその資格がないよ。ただ、そのお姿をここから見られただけで満足だ。ありがとうよ嬢ちゃん」
いや、だから、嬢ちゃんじゃないんだけど……
涙ぐんでるトビアスさんに余計なことは言わないけど。
そして、もう一人、どうして良いのか分からずに佇んでいる元第三王子にも声を掛けた。
「騙してしまってごめんね。大司教を追い詰めるのにどうしても必要だったから」
「いいえ、彼に協力してしまったボクが悪いんです……なんとなく、いつかこんな日が来るんじゃないかとは思ってました……」
力なく項垂れる元第三王子。
この後のことに不安があるだろうけど、何となくホッとしているように見える。
やっぱり、やりたくてやっていたわけではないみたいだね。
「そっか……とりあえず、ここは危険だから、あの侍女のところに行っておいて」
ミレルを指差しながら、元第三王子の背中を押した。
「はい? いったい何が?」
僕の顔を見て疑問を口にしながらも、元第三王子は素直に従ってくれた。
「守るって言ったでしょう?」
僕がそう元王子に笑いかけた途端──
「きゃああぁぁぁ!!」
聴衆の方から悲鳴が上がった。
彼が動き出したようだ。
聴衆をかき分けて、壇上へと上がってきたのは、もちろん大司教。
顔を真っ赤に染めて、煙が出そうなほど怒り心頭の様子だ。
「すまんボグダン! 取り押さえられなかった!!」
聴衆の海からシシイの声が聞こえた。
ああ、久し振りのボグダン呼び……なんだか泣きそう。
しっかり僕の中で、ボグダンという名前が自分を表すものだと根付いているようだ。
どうやら、シシイは小柄なため、聴衆に行く手を阻まれてしまい、進めないようだ。
多分シシイのことだ、関係ない人に怪我させないよう配慮してるだろうし、無理に推し進むことはしなかったのだろう。
イノの方も同じ理由で、大きすぎるから動きたくても動けない状況みたい。
シシイは見えないから、イノに頷きだけ返しておいた。
「おのれおのれおのれぇ!! この悪魔め!! わたしの計画を邪魔しおってぇぇぇ!!!!」
大司教が僕と対峙して叫んび始めた。
もうホントに、悪人だねこの人は。
素直に罪を認めて裁かれれば、まだカワイ気があるのに。
人質も取らずに、一人で向かってきたことに、まだ救いがあると思うことにしよう。
でも、逃げ道を塞ぐ必要は無かったみたいだね。
入口の『物理防御』は解除しておこう。
幸い、大司教の周りには人が居ない。
さっき、陛下達が顔を見比べるのに使った大鏡があるくらいだ。
そして、僕の周りにも人は少ない。
隣にトビアスさんがいて、後ろに陛下達がいる。
大司教が多少暴れても、怪我人は出なさそうだ。
「悪魔はどっちですか? 教義に人の姿を変えるのはダメだってあるんじゃないんですか? 自分の信じる神の言い付けを破って、第三王子をスライムにしてるし、保護した孤児の顔に酷い傷をつけて王子に仕立ててるし。よっぽどあなたの方が、教義に沿わない悪魔的存在でしょう?」
「大司教、もう止めてください! これ以上罪を重ねないで下さい!!」
元王子も必至の思いで叫ぶ。
命の恩人が、犯罪を犯すのは見ていられないと自首を勧める……何となく大司教の後ろに断崖絶壁が見えるような……気のせいか。
「黙れ、裏切り者め!! 受けた恩を忘れていないなら、命をかけてでもわたしの逃げる時間ぐらい稼いだらどうだ! 王子でないお前には、もう何の価値もないのだからな!!!」
大司教の激昂が元王子へ飛ぶ。
元王子はビクリとして、身を縮こまらせた。
大司教は、彼を完全に道具としてしか見ていなかったのか。
しかも、この期に及んでまだ逃げる気なのか。
全く……救いようがない。
そんなにみんなのヘイトを稼がなくても、もうすでにカンストだと思うよ?
でも、震える元王子を見て、大司教の怒りは更に高まっているようだ。
「何も出来ぬなら、お前はもう必要ない!」
そう叫んだ大司教は、右手を元王子に向けて突きだし、何やら語り始めた。
「赤く猛りし全てを焼き尽くす炎よ──」
同時に、大司教が首から提げていた、アルバトレ教の聖印が光りだす。
「なっ!? 攻撃魔法だと!!」
第二王子が、焦りの混じった驚きの声を僕の後ろで上げた。
いや、僕も驚いたよ。
攻撃魔法とか使える人、初めて見たし。
アルバトレ教の聖印って、魔道具もしくはアーティファクトなのか。
予想だにしない出来事に、誰も動くことが出来ていない。
いや、異常事態を想定している人たちは、陛下を守るように動き出している。
誰も元王子のことなど気にしてはいない。
そしてすぐに、大司教の短い呪文詠唱が完了した。
「──『火炎球』!!!!」
大司教の手のひらに拳大の火の玉が形成され、太鼓を叩くような音ともに打ち出された!
名前と脳内アナウンスから初歩の攻撃魔法ということは分かったけど……人に向けて使えるのか……
安全性を重視された魔法システムの割に、このゲーム的な要素はやっぱりちぐはぐだな。
僕の場合、魔法に対しても『動作補足』が働いてくれるみたいで、予想軌道が見えている。
だから、対処は難しくなさそうだけど……
とりあえず、止めてしまおう。
そう思って、僕は火炎球の軌道上に手を差し入れた。
「おい! あぶねぇぞ!!」
「えっ!?」
人壁を越えてようやくやってきたシシイが、僕に向かって叫んでいた。
何が危ないのかよく分からないけど、すでに火炎球は僕の掌に到達している。
そして、いつも通り『物理防御』に阻まれ、推進力を奪われた。
でも熱は伝わってくるのか、掌が熱い。
それも、自動魔法が発動して、熱エネルギーが遮断してくれた。
「爆発しない!?」
シシイが後ろで驚いている。
いつの間にか、トビアスさんも僕から離れたところにいる。
ん? ということは、着弾のような衝撃を受けたら爆発するの? それってどういう仕組みなの? 火の玉が袋状になっててぶつかった衝撃で弾けるとか?
だいたい、火の玉が形状を保って飛んでいく理由も分からないよ。
やっぱり芯があってそれが燃えてるの?
うーん、じっくり見ても分からない……魔法って不思議だね。
そんなことを考えながら火炎球を押さえていると、完全に水平方向の運動エネルギーが奪われたのか、進む方向を下方向へ向けた。
あれ? これって落ちたら着弾扱いなんじゃ?
僕は慌てて火炎球の下へ手を潜り込ませた。
すると──なんということでしょう、あんなに暴れん坊だった火炎球が、僕の掌の上で大人しく丸まっています……なんてね。
「はぁぁぁああああ!!??」
「なっ……なっ……なんじゃそりゃ!!」
「ひっ、非常識な!!」
魔法に詳しそうな人達が一斉に叫声を上げた。