2-048 犯人を追い詰めるときに使うようで
怖い……
嘘が怖い。
真実が怖い。
だから僕は震えていた。
目の前で繰り広げられる舌戦を、僕は諦めにも似た心境で、そのほとんどを聞き流していた。
だって、この後どうなるのか不安だから……
大司教の悪事が、ボグコリーナ様の姿をした何者かにどんどん曝かれていっている。
僕は知っている。
これは真実なのだ。
そして、このまま曝かれ続ければ……
昨日、父上の前で、僕はボグコリーナ様に騙されたと思っていた。
そう確かに僕は騙されて、父上の元へとボグコリーナ様を連れて行った。
でも本当に、騙されているのは誰だったかな……
僕は、どこかで、こんな日が来るような気がしていたから。
怖い……
誰にも分からない事のハズなのに、目の前に居る何者かには、全てが分かっているように思えてくる。
このままいけば、何よりも、誰よりも、僕が騙していたことがバレるから。
僕は騙されたのではなく、騙していただけだったのでは……
嘘も真実も、騙すことも騙されることも、何もかもが、もう恐ろしい。
昨日まで信じていたものが、全て崩れていく。
何もかもが分からなくなってしまう。
そして、もうこの恐怖を、知らないときには戻れない。
何もかもが見えない。
僕はこの後、どうなってしまうのだろう……
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「こやつは悪魔だ! 誰も話を聞いてはならない!! 誰もがその幻惑に騙されてしまう!!」
遂に大司教が、僕を悪魔と宣言した。
「こやつは残虐で非道なのだ! ジェラール殿下もこやつの素性をお調べになったなら、ご存知でしょう?? シエナ村でどんな悪魔的所業をしていたかを! そんなものが真実を語るはずがない!! 誰かを貶めようとしているだけだ!! わたしを貶めるために、全てこやつが仕組んだことだ!!!!」
過去の行いが悪いと、たとえ良いことをしても決して許さない人がいる……そんな典型例のような言われ方だね。
ぶっちゃけ、何をしたところで、過去の行いが消えることはないので、絶対に罪を犯してはならないと反面教師的には良い題材なんだけど。
それが自分じゃなければね。
大司教は言葉を止めることなく、更にまくし立てる。
「シエナ村にあるアルバトレ教会の司教イオンが、人に害なす悪魔がいるからと、いち早く我が教会に連絡を持って来たわけです! そして、我々が警鐘を鳴らし始めた矢先に、こやつがやって来たわけです!! 悪魔と呼ばれたこやつが、王都へやって来て悪魔事件が増えた、これはもはや偶然ではないでしょう? 悪魔であることを触れ回られる前に敢えて事件を起こし、警鐘を鳴らす我々をあたかも首謀者のように吊し上げているだけです!! 騙されてはいけません!!!!」
声高に大司教が叫ぶ。
聴衆はどちらを信じれば良いのか、どちらが真実を告げているのか判断に迷っている。
それも当然。
このままでは、主張する二者の主観がぶつかり合っているだけで、証拠がないから。
民衆の不安の要素として、花火の件と物価上昇が関わっているけど、大司教を追い詰めるには役に立たないので説明を省こう。
代わりに、そろそろ証拠の提出といこう。
大司教が声高に叫んでいるということは、声高に叫ばなければならないところまで追い詰められている、ということに他ならないのだから。
もう一歩だ。
「では、犯人は他国のスパイも考えられますから、一旦置いておいて……跡取り問題と王都の状況から、暗殺計画が実行されていたのかはお分かり頂けたかと思いますが、ここまではよろしいですか?」
聴衆は困惑しながら隣人と囁き合うものの、明確な疑問は返ってこない。
進めるべきかという問い掛けとして、僕は陛下へと視線を向けた。
「うむ、お主の言いたいことは良く分かった。民は不安を抱えており、それを我々が収拾できなかったことが、誰かの優位に働いたということは間違いないだろう」
陛下が僕の話をまとめて、一つ頷いた。
続けよう。
「では、毒殺にあたって、どこから毒薬を手に入れたかですが……」
僕は懐から件の人魚薬を取り出した。
第三王子が息を飲むのがハッキリと見えた。
大司教は、これといって反応なし。
因みに、陛下の寝室でやり取りした後、この薬は陛下が没収した。
当たり前だけど、他の人に使われたら困るからね。
第三王子の驚きは、なぜ僕が持っているのか?という意味だろう。
「こちらが使われた毒薬です。これは、フェルール殿下が陛下のご病気の治療に準備されたものです。では、フェルール殿下、これを毒薬と知って陛下に渡していたのですか?」
「……いいえ……」
俯いたまま小さい声で答える第三王子。
知ってたって言ってるようなもんだよ、それは……
まあ、追求する必要はないけど。
「では次の質問です。これはどこから手に入れられたものですか?」
僕の質問に、第三王子は顔を上げ、ブリンダージが顔を強張らせた。
一応、彼に一度視線を送ると、ぎこちないけど笑顔を返してくる。
商人根性なのか、紳士根性なのかは分からないけど、この状況で笑顔を作れるとは、強いと思う。
この段階から、無実アピールが始まっているとも取れるけど。
「その人魚薬は、懇意にしているブリンダージ商会から仕入れたものです。父上は過去に、一度その薬に救われて──全快しています。似たような病気が再発したため、もう一度入手を依頼しましたが、今度は一回では治らなかったため、何度も融通してもらったものです」
ふぅむ……なるほど。
連続的に投与されていたことは予想していたし、過去に救われていたことも予想していたけど、フェルール殿下がわざわざここでそれを説明するとは思わなかった。
薬がすり替えられた可能性を指摘したいのか、誰もが薬を信用していたと言いたいのか……それとも、大司教を庇わざるを得ないからと見るべきか。
この場でも、言い逃れとして、ブリンダージを悪者にしなかったところは、好ましい強さだね。
「では、ブリンダージ様。この薬をどこから仕入れられましたか? お知り合いの魔女からですか?」
「いいえ、魔女ではありません。そのような貴重な薬は、中々手に入らない物でして、特殊な仕入れルートから入手しました……しかし、この場に彼が呼ばれているということは、既に下調べはついているということですよね?」
さすがに勘が良いね。
いや、ここには他に商売をしている者がいないのだから、ガラキを知っている人なら簡単に推測できるか。
でも、ブリンダージは話している間中、僕から視線を動かしていないので、ブリンダージの言う『彼』が誰のことなのか、元より知っている人以外は、聴衆の中で分かった人はいなかったようだ。
これも、ブリンダージなりの配慮なのだろう。
「そうです。ですが、僕が話せばただの推測でしかないのですが、関わった人々が話せば事実となります。事実を積み重ねた先にしか真実はありません。彼も利用されただけですので、お気になさらず事実をお話しください」
「分かりました。わたしはその薬を、そこに居る穴熊獣人のガラキから仕入れました」
聴衆がにわかに騒がしくなった。
「あんな相手から仕入れているのか」
「よく信用出来るわね……」
などと、ひそひそ声が聞こえてくる。
獣人の扱いが見て分かるような態度だ。
人にとって、未知でかつ強靭な生物というものは、畏怖と嫌悪の対象になりがちだから。
これでエルフのように人に近く、しかも見目麗しければ、反応は少し違っただろうけど。
残念ながら、ガラキの見た目は、愛らしいと表現する人はいたとしても、麗しいと表現する人は少ないだろう。
僕と明らかに美的センスが違うなら、予想とは違う反応をしたかもしれないけど……どうやら、似たような感覚のようだ。
むしろ、ところどころ毛の抜けている狸は、見窄らしい姿と表現する人の方が多いだろう。
あるいは、可哀相と思うか。
見た目だけで初見の評価が決まるのは、どんな世界でも同じなようだ。
人のインプットの約90%が目なのだから、他に評価のしようがないんだけど。
「いや、あっしは、しがない行商人ですし、売れる物は売るだけで、この国の国王陛下を暗殺してもあっしが得することなどありませんぜ?」
ガラキがあたふたしながら聞く前に話し始める。
ガラキの素の喋り方はこっちか。
得することがないかは分からないけど、それを聞く予定はない。
既に大司教を犯人扱いしてるんだから、その辺分かって欲しい。
共犯者にはされたくないって話かな?
「あなたも同じです、事実を話してくれれば良いのです。この薬は、どこから手に入れたものですか?」
ガラキは目をグルグルさせ、焦りながらどう話して良いのか悩んでいるようだ。
怪しすぎる人物を間に挟んでるからな……
その答えは、更に場を騒々しくさせるだろう。
場の緊張が高まる中、ガラキは観念したように後ろ頭の毛をぐしゃりと掴んだ。
そんなことしたらハゲが酷くなるよ?
「その薬は……旧市街でフードを被った男と取引をして手に入れたもの──」
予想したように、ガラキの言葉に聴衆が騒然としだした。
「そんな物を商品として扱うの!?」
「そんな怪しげな物を、陛下のお薬とするなんて!!」
「毒だと分かって売っていたんだ!」
「フェルール殿下もブリンダージ第一爵もグルなのではないか?!」
疑念が邪推を生んで、ついでにネガティブキャンペーンも始まる。
こんな時でも利用できるなら利用して、第三王子派閥を貶めたい人がいるのだろう。
事実、第三王子は暗殺に関与していたのだから、疑われても仕方がないし、実際彼は分かっていてやったはずだ。
でも、今知りたいのは、ただの実行犯ではなく主犯の方だ。
大抵の場合、実行犯ではなく主犯が一番悪いく、主犯が一番逃げやすい。
その為にも、余計な話を盛り上がらせてはいけないのだ。
「落ち着いてください。犯人を明らかにするために、今は物の出所を追っているところです。今疑うべきは、その怪しげなフードの人物です」
僕が魔法で声の音量を上げて諌めれば、すぐに場は静まりかえった。
というか、殆どの人が耳を押さえている。
最大声量って説明にあったから使ってみたんだけど……120dBはちょっとやり過ぎだったらしい。
声って大きすぎると、聴き取れないんだよね。
なので、声量を戻してもう一度同じことを伝えてから続けた。
「ガラキさん、その人物はについて分かることはありますか? また、この薬について何か言ってましたか? 効能や入手経路や製造方法について」
「声からして、人間の男だったぐらいしか……フードマントを着てやしたから体型も殆ど分かりやせん。薬については、ブリンダージの旦那に売ってくれという依頼しか聞いてやせん。ただ、確かに効き目はあるとは言ってやした。材料の出所については……それも同じ人間から受けてやした依頼があるので、察しはつきますぜ」
材料はガラキ本人が渡していたわけだし、薄々気付いていたのだろう。
このまま続きを話してもらおう。
「何に使うのか疑問に思ってやしたが……材料は人魚の鱗──それもレバンテ様のお屋敷にいる病気になっている人魚の鱗でやす」
今度は視線がレバンテ様に集まる。
こうなってくると、とりあえず挙げられた人を疑うようになってくるんだね。
レバンテ様の人柄的に、やりそうにないのに。
「あれだけ自由に暮らしていらっしゃるのに、何が不満なのでしょうか……」
「レバンテ様も王座を狙っていらっしゃったのか……?」
といった囁き声も聞こえてくる。
王位継承権はレバンテ様にもあるから、疑おうと思えば疑える。
でも、それは、羨みややっかみから疑っている部分が大半なような……
そんな感情は、この後、自分で正していってもらうとして──これで薬の素性は、「問題の部分」を除いて明確になった。
後は、その問題を明らかにするだけ。
「さてレバンテ様、あなたは病気の人魚の鱗に、毒性があるの知っていて、しかもそれが陛下の口に入ることを知っていて、ガラキさんに鱗を渡していましたか?」
あえて否定しやすいように、悪意のある質問をする。
「そんな訳ないだろう! あなたに人魚を見せたときにも言ったが、元気がないのをなんとかしたいと思っているから、そこの行商人になんとか出来ないか相談していたのだ。まさか、こんなことのために使っているとは思いもよらなんだ! 貴様、治療出来るかも知れないというのは嘘だったのか?!」
レバンテ様が感情を露わにし、話の前半は僕に後半はガラキに向けて叫んだ。
「いやいやそんなことないですぜ、ちゃんと病気の相談もしてやしたって、そのフードの人間に。人魚の病気の事なんて分からんのが普通でやす。あっしの……だって……」
ガラキはすぐに言い返すものの、尻すぼみになっていく。
今言葉を濁したらみんなが不安がってしまうし、不信が募ってしまう。
彼らに鱗の話をしてもらったのは、隠された真実を炙り出すためだ。
それを引っ張り上げてしまえば、犯人に繋がるし、この場も落ち着いてくれる。
僕は手を叩いて、ざわついている場の注目を集めた。
「皆さん落ち着いてください。彼らに話していただいたことで、新たな事実が浮かび上がってきました。それは、フードの人物は知識が豊富だということです」
僕の的を射ない言葉に、殆どの人が首を傾げた。
「では質問です。皆さまの中に、レバンテ様のお屋敷の人魚が、病気であることをご存知だった方はいらっしゃいますか?」
僕の質問に、レバンテ様と第三王子以外、誰の手も挙がらなかった。
「レバンテ様、あの美しい人魚を見に来られる方は少ないのですか?」
「……病気になってからは、数えられるぐらいしか見せていない」
そうでしょうそうでしょう。
コレクションを見せびらかすのに、傷が付いている状態でわざわざ見せようとする人はいない。
レバンテ様の中で、病気になってから、人魚は自慢するほどの宝ではなくなったんだろう。
かと言って、見たいという人がいないわけではないだろう。
適当な理由を付けて拒んでいたと考えるのが妥当だ。
あまり、レバンテ様の自尊心を傷付けるような行為はしたくないので、この話はさらりと流したい。
「では次の質問です。皆さまの中に、病気の人魚の鱗に、毒があることをご存知だった方はいらっしゃいますか?」
これまた、当然のように手が挙がらない。
誰もが、ここで知っていたと言えば、犯人扱いされるということに気付いているだろう。
ただ、本当に知らない人が殆どだと思う。
なので、さっきからにやにや笑いを浮かべている第二王子に話を振った。
「ジェラール様ほどのご聡明な方でも、人魚の病気に関する知識はないのでしょうか?」
第二王子の笑顔が歪み、チッという音が聞こえた。
こら、王子様ともあろう方が舌打ちしないの。
「そもそも珍しい人魚なんだ、病気かどうかもよく観察していないと分からんだろう。その上、その病気が人間に害があるかなど、更によく調べねば分からん。薬に精通した魔女ですら知っているか怪しい知識だ。ましてや、商品を捌いているだけの一介の商人が知っているとは思えん。だというのに、そのフードの人間は、それを知っていた。そう言いたいのだろう?」
ナイスフォロー、第二王子。
ガラキやブリンダージが、犯人の可能性が低いことも公言してくれた。
「流石ジェラール殿下。その通りです。レバンテ様のお屋敷に出入りした方で、その知識を得られそうな方を洗い出せば、フードの人間は特定するのは難しくないでしょう。ついでに、兵士の方々にその人物が旧市街へ入るのを見かけたかも聞けば、より確実となるでしょう」
犯人特定の糸口を得て、ざわめきは大きくなっていく。
陛下や王子達が動き出そうとするのを見ながら、僕は問いかけた。
「ところでレバンテ様、病気になってからの人魚を鑑賞に来た方の中に、ツヴァイ大司教はいらっしゃいましたか?」
ざわつきが少しずつ収まっていく。
「そうだな……確かフェルールを訪ねて来て……見たいと言われたので見せたことがある」
「ありがとうございます。旧市街前の警備をされている兵士の方で、ツヴァイ大司教が旧市街に入っているのを目撃された方はいらっしゃいますか?」
僕はレバンテ様に頭を下げてから、兵士の方に向きを変えて問いかけた。
更にざわつきが小さくなっていく。
兵士の幾人かが手を挙げる。
兵士達は少し相談した後、一番年齢の高そうな兵士が口を開いた。
「大体10日から20日に一度は目にします。行きは独りですが、帰りは子供を連れていることがあります」
「ありがとうございます。ガラキさん、そのフードの人間と会う頻度はどのぐらいですか?」
「……段々頻度が高くなっていって、今は10日に一回でっせ」
ガラキに礼を言ってから、大司教に視線を送った。
恐らく怒りで顔を真っ赤にした大司教が、口を開くのと同時だった。
「あまりにも意図的な誘導ではないか!! これから調査するというならまだ聞いている価値があったが、それはわたしを首謀者にしたいが為の質問だ! 明らかにこじつけだ! わたしが旧市街へ定期的に行くのは、孤児達を引き取るため。王都には孤児が沢山居るのを少しでも減らそうと、教会が善意でやっているのだ。それをまるで悪巧みをしているかのように言いおって!!!! 不愉快だ!!」
裁判長、明らかな誘導尋問ですってね。
大司教、冷静さに欠いてきてるよ。
大体そう言うのは悪い側なんだって。
でも、確かにこれは冤罪を生むから、危険ではある。
そうなったら、もう少し証拠を提出するしかないよね。
これが計画的で、教会にしか仕組めなかったという──第三王子が偽者だという証拠を。