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白色灯  作者: gojo
第一部
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第一部(4)


 沢村がボールペンを回しながら言う。


「年末年始に出掛ける予定ってあります?」


 睦子はパソコンのキーボードを叩きながら一言だけ返事をした。


「ないよ」

「冷たいなあ。普通そういう時って、あなたは?って聞き返しません?」

「聞き返して欲しいなら最初からそう言えば良いでしょ」


 溜め息をつき、面倒臭そうに尋ねる。


「で、沢村はどこか行くの?」

「僕は彼女の実家に行きます」

「へえ」

「実は僕、もうすぐ結婚しようと思ってるんですよ。それで、ご挨拶に」

「おめでとうって言えば良い?」

「そういうのって相手に聞くものではないですよ」


 何が面白いのか、彼は声を出して笑った。

 その声は閑散としたオフィスに響き渡った。元々従業員の少ない事務所ではあるが、その日は大半が外出をしており、輪を掛けて寒々としていたのだ。


 しばらくすると、二階から社長が降りてきた。社長はオフィスに入るなりラジオのスイッチを入れ、部屋の片隅に腕を組んで立った。

 ラジオからラップ調の陽気な天気予報が流れる。それは却ってオフィスの静けさを引き立て、つい先程まで無駄話をしていた沢村も途端に口元を引き締めてパソコンに向かった。

 社長が退屈そうな顔でオフィス全体を眺め、低く唸り声をあげる。


「二人とも、もう上がっちゃえよ」


 沢村が尋ねる。


「え? まだ仕事残ってますよ?」

「二人とも明日も現場じゃないだろ? 急ぎの仕事じゃないなら明日やれば良いだろ。早く帰れる時は早く帰っちゃいな」


 睦子も沢村も年をまたぐ案件を持っておらず、十二月の中頃からデスクワークばかりをしていた。社長の言う通り明日も内勤だ。

 睦子が社長の顔色を窺いつつ返答を考えていると、沢村は早々に礼を述べ、荷物をまとめてオフィスを出ていった。

 睦子も慌てて社長に一礼し、沢村を追うようにオフィスを後にする。


「超早上がりっすよ」


 沢村は往来の中、草食動物のように軽快に跳ねた。睦子は数歩後ろからそんな大人げない姿を眺め、駅までの道程を歩いた。

 その時、視界の片隅に見覚えのある車が映った。その白い車は二人を追い越すと徐々に速度を落とし、数メートル先で停車した。運転席から男が降り、ガードレールをまたいでこちらを向く。淳一だ。淳一は出会ったばかりの頃と同じ社交的な笑顔で手を振った。

 睦子は足を止め、目を瞬かせた。沢村も異変に気付いたらしく、その場に立ち止まって睦子と淳一双方の顔を交互に見比べている。


「やあ」


 白々しく淳一が言う。

 睦子は戸惑いながらも中途半端に片手をあげ、その挨拶に応じた。


「誰ですか?」


 沢村が睦子のもとに駆け寄り、耳元で囁いた。だが、睦子の返答を待たずして二人の関係を察したのか、ああ、と彼は大袈裟に手を打ち、下卑た笑みを浮かべた。

 淳一が軽やかな口調で話し出す。


「今日は仕事が早く終わったから迎えにきたんだよ。到着したら携帯に連絡を入れようとしていたのだけれど、まさかこんな所で会えるとは思いもしなかったよ」


「睦子さん、えっと、この方は?」


 沢村がわざとらしく尋ねる。その問いに淳一が答えた。


「申し遅れました。川谷と申します。睦子の同僚の方ですか?」

「ええ、まあ、大後輩の沢村と言います。いつも睦子さんをお世話してます」


 おどける沢村の肩を睦子は強めに叩いた。


「ちょっと、あんたは黙ってて」


 そのやり取りを見て、淳一は穏やかに微笑んだ。

 沢村は自身の後頭部を撫でながら細かく何度も頭を下げ、露骨に気を遣う素振りでその場から退散しようとした。

 ところが、そんな彼を淳一が呼び止めた。


「もし良かったら、途中まで送りましょうか?」

「良いんですか?」


 そう沢村は述べ、一寸の間も置かず、「ありがとうございます」と言葉を継いだ。





 車中において沢村はしきりに話をした。後部座席から淳一に対し、どういった仕事をしているのか、睦子とどこで知り合ったのか、などとあれこれ質問を浴びせている。淳一はというと、それらの問いに一つひとつ丁寧に答えていた。

 彼は詮索を嫌う。睦子は心配になって淳一の横顔を見つめた。しかし、それは杞憂だった。淳一は涼しい顔をしている。この人は何も思っていない。淳一にとって沢村は取るに足らない存在なのだろう。それこそ繰り返される問い掛けは、鳥の囀りや横断歩道に流れるメロディーのように無害なノイズでしかないに違いない。そう考えると、無邪気にはしゃぐ沢村が憐れにさえ思えた。


 それから三十分もすると、沢村は名残惜しそうに告げた。


「この辺りで大丈夫です」


 車が停まる。沢村は地面に降り立つと、何度も頭を下げ、全身が揺れるほど大袈裟に両腕を左右に振った。

 淳一は笑顔で軽く手を振り返し、車を発進させた。


 沢村の姿が小さくなっていく。そして、すっかり姿が見えなくなると同時に、淳一の顔からは笑みが消えた。一見つまらなそうな表情にも見える。だがそれは、何も考えていない時の、言うなれば最もリラックスした時の状態だ。睦子はその顔を見て気持ちが落ち着いた。これで、自然体でいられる。

 投げ出すように身体を背もたれに預け、淡々と尋ねる。


「流石に今日は驚いた。まさか職場に迎えに来るなんて思わなかったよ」

「そうか」


 いつも通りの素気ない返事。


「何となく、淳一はわたし達の関係を公にしたくないのだと思い込んでいた」

「別にやましいことをしている訳じゃないんだ。積極的に交際していることをアピールする必要はないけれど、隠す必要もないだろう? それに……」


 睦子は淳一の言葉を遮るように言った。


「思い込みは本質を理解する上で邪魔なもの」


 それを聞いた彼は一瞬だけ視線を寄越し、再び正面を向くと冷たく笑った。


「良く分かっているね」

「そうだよ。分かってるんだよ」


 冬の日没は早く、外は薄暗くなり始めていた。二人は示し合わせたかのように、いつものレストランに行こうか、と同時に提案をした。





 翌朝のことだ。睦子が出勤すると、沢村が経済新聞を片手に駆け寄ってきた。


「昨日は誠にありがとうございました」


 彼は慇懃に礼を述べ、続けて、「川谷さんは気さくで良い人ですね」などと、妙に熱っぽく語り出した。なだめるように視線を送るが、その興奮は収まりそうにない。

 やがて沢村は、手元の新聞を広げて睦子に見せてきた。


「……それで、これ、探し出しちゃいましたよ」


 そこには淳一の写真が載っていた。


「川谷さんと会った時、どこかで見た顔だなあって思ったんですよ。それで昨日家に帰ってから新聞を引っくり返したんです。ベンチャー企業の社長だなんて凄いですね」


 カラー紙面の半分を淳一のインタビュー記事が占めていた。注目の若手社長、というタイトルの下に、ビジネスとCSRマネジメント、と書かれており、その隣に誰かに話し掛けるような仕草の淳一の写真が掲載されている。社交的な笑顔だ。そして、記事の最後には彼の名前と略歴が書いてあった。

 当然のように睦子は淳一が取材を受けていたことなど知らされていなかった、それ以前に、彼が具体的にどういった仕事をしているのかさえ把握していない。

 睦子は記事を流し読み、事無げに呟いた。


「へえ、本当に社長だったんだ」


 すると、それを聞いた沢村が気不味そうに新聞を畳み始めた。

 ふと我に返る思いがする。気不味い、確かにそうだ。淳一と知り合ってから半年近く経とうとしている。それなのに、そんなことさえ知らなかったのだ。

 考えてみると、睦子は淳一のことをほとんど知らなかった。幼い頃の思い出話を僅かに聞いたことはあるが、それ以外の、例えば正確な出身地、趣味、生年月日、そういったことを確認したことが一度もなかった。淳一にしてみれば二人で過ごす上で不必要な情報と判断したのだろうが、その程度のパーソナルデータは交際しているならば知っていて当然だ。


「ありがとう」


 知らず知らずのうちに沢村にそう言っていた。


「え? 何がですか?」

「あ、うん、新聞を見せてくれて」

「いえいえ、これくらいどうってことないですよ」


 沢村は、ぎこちなく笑った。




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