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白色灯  作者: gojo
第一部
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第一部(2)


 真白な部屋の真白なベッドの上に、干乾びた何かが横たわっていた。

 鼻にチューブを通され、辛うじて息をしている。それがほんの一ヶ月前まで自分のことを可愛がってくれていた祖母の姿とは、とても思えなかった。

 一緒に見舞いに来ていた従姉妹が、「お婆ちゃん、遊びに来たよ」と、ベッドに向かって話し掛けている。干乾びた何かは反応しない。


 十四歳の睦子は、ただ静かに真白な風景を眺めた。不必要な物を取り除いた結果、死という現象が色濃く浮かんだ空間。その輪郭を、ただ見つめていた。


 入口の近くでは、看護師と母が話をしていた。


「痛み止めの副作用で幻覚を見たようでして、急に大きな声を出し始めたので、今は薬で眠って貰っています」


 そう言う看護師に対し、母は、申し訳なさそうに深々と頭を下げた。

 吐き気をもよおすほどに気分が悪くなった。眠りという原始的な欲求さえも他人に依存している状態は、果たして生きていると言えるのだろうか。都合に合わせてスイッチを入れたり切ったり。それはもはや道具だ。

 それにもかかわらず、誰もそのことについて不自然さを感じていない。まるで睦子を除く全ての人が、暗黙のうちに共通の企みを抱いているかのようだった。この調子では都合により主電源を切られる日も遠くはない。


 そんなことを思った数日後、祖母は、死んだ。


 真白な病室に親戚達が集まり、皆、揃って涙を流した。母は干乾びた亡骸に突っ伏して大声をあげていた。父方の祖母だ。母からしてみれば血の繋がりも何もない赤の他人でしかない。それなのに彼女が最も泣いていたと思う。周りにいる親戚達はそんな母の姿を見て益々涙を零した。

 睦子は、その感覚を理解できなかった。祖母がいなくなって悲しいとも思ったし、寂しいとも思った。しかし、そこには祖母の形をした物体があるだけで、それに対して感情を露わにしたところで何も生じはしない。祖母だって喜ばない。と言うより、死人が何かを思う訳がない。

 では何のために泣くのか。現世に置いていかれた我が身を憐れんでいるのかというと、そうでもなさそうだ。


 これは、そうだ、虫の習性だ。特定の色に引き寄せられる蝶のように、死という色を目にして条件反射で涙を流しているのだ。暗黙の規範と言っても良い。大人の都合と呼べばもっと分かり易いだろうか。いずれにしても、弔いではない。


 目の前の出来事は、血や肉や息吹といった生々しい現実感がなく、テレビドラマのワンシーンのように思えた。遺体という小道具。真白な背景。さしずめ蛍光灯の光は、それらを照らす舞台照明といったところか。

 睦子は、冷静に全てを眺めた。すると母がちらと横目でこちらを見た。その目は、あんたも泣きなさい、と訴えているようだった。


 あんたも泣きなさい。あんたはなぜ泣かない。


 あんたには、人の心がない。





 八月も半ばを過ぎ、淳一の家のリフォームは完了した。

 コンクリート部分を避けて元々の各部屋の天井に三ヶ所ずつ、計九ヶ所にローゼットを埋め込み、縦に横にダクトレールを這わせ、そこに白色LEDスポットライトを可能な限り設置。

 室内は異常なほど眩しくなった。これほど明るいのは撮影スタジオか手術室くらいだろう。もはや人の暮らす空間ではない。

 しかし、淳一は満足そうだった。


「いかがですか?」


 睦子は念のため確認をした。

 淳一は両手を広げて部屋の中央でくるりと回り、素晴らしい、理想通りだ、と独り言のように述べた。

 睦子は丁寧に一礼し、新たに設置したコントロールパネルの取り扱い方法と契約書の内容を説明することにした。


「……なお、瑕疵のある場合は半年以内であれば無償で手直しをします」


 規範に則って書面を読み上げるが、淳一は見向きもせず、ただ真白な照明を見つめ続けている。所詮は業務完了を告げるための儀式であり、大半の人は契約内容の詳細なんて聞きはしない。睦子は淡々と説明を続けた。


 最後に押印を求める。そこでようやく彼は我に返り、棚から印鑑を取り出して快く書類に判を押した。睦子はその様子を見ながら、もう終わった、と思った。

 初対面から約一ヶ月半、その間に、構造調査や見積もり、工事内容の説明、近隣住人への挨拶と、何度も淳一とは顔を合わせてきた。彼はリフォームに関して拘りこそ持ってはいたものの、難しい注文をしてくることはなく、拍子抜けするほどスムーズに作業は完了した。

 決して寂しい訳ではない。寂しいはずがない。ただ、普通に終わってしまった、と複雑な心持ちにさせられたのだった。


「お世話になりました」


 淳一が言う。


「こちらこそ」


 微笑みを手向ける。

 

 それから当たり障りのない言葉を数回交わし、睦子は頃合いを見計らって、「また機会がございましたら」と、クロージングの言葉を口にした。

 これで本当に終わりだ。会釈をし、踵を返し、玄関へと向かう。

 すると、淳一が声を掛けてきた。


「すみません。一つお願いがあるのですが」


 振り返って答える。


「はい、どういったご用件でしょう」


 二人とも笑顔だ。しかし、その目には互いの胸の内を探ろうとする気配が宿っていた。


「僕と」


 落ち着いた口調で淳一が言う。

 間を空けてもう一度、「僕と」と言い、続く言葉を口にする。


「交際して頂けませんか?」


 今回の依頼主は無理難題を押し付けてくる。その予言は奇妙な形で的中した。




 + + + + +




 睦子のことについて何からお話をすれば良いのでしょう。

 

 たった一人の掛け替えのない娘です。もちろん大切に思っていましたよ。いえ、大切に思っています。未だに今回のことをどう受け止めて良いのか整理がついていません。


 事件のことですか?

 これだけ新聞やテレビで取り上げられているのですから、あなたのほうが詳しいのではないでしょうか。わたし達に与えられている情報もそれら報道と大差のないものだと思いますよ、たぶん。

 実は、近頃では新聞もテレビもろくに見ていないのです。ニュースで娘の名前や顔写真を見るのが、恐ろしいと言いますか、とにかく、辛くて……


 はい。主人は今日も仕事に行っています。

 誤解のないようにあらかじめ伝えておきますが、決して冷たい人ではないのですよ。あの人は、どうしたら良いのか分からなくなると仕事に没頭するのです。

 そう言えば睦子が生まれた時も主人は仕事をしていました。そうでもしていないと冷静でいられない、そんな不器用な人なのです。

 ああ、話が逸れてしまいましたね。


 恨み? そのような感情ではないと思います。

 説明するのは難しいです。強いて言うのであれば、どうして、という気持ちですかね。どうしてこんなことになったのか、どうして救えなかったのか、犯人ではなく、むしろ自分自身を責めています。


 犯人の名前は警察から知らされました。一度も会ったことがなく、得体の知れない化け物といった印象しかありません。だからこそ、恨み、の対象にすることが出来ないのだと思います。

 人は人のことしか恨めないでしょう? しばらく時間が経てばその考えも変わるのかも知れませんが、今のところは、不慮の事故と危険な目に遭わせてしまったわたし達という構図が、頭の中に腰を据えています。


 はい。犯人とは一度も会っていないです。それどころか、婚約したことについても娘から何も聞かされていませんでした。ただ、そういう相手がいるということは薄々気が付いてはいました。

 事件発覚の一ヶ月前に娘から電話があったのですよ。滅多なことでは連絡をしてこない子でしたから、何かあったの?と聞きましたら、仕事を辞めたと言うじゃないですか。

 じゃあ、実家に帰ってくるのかと尋ねましたら、今は知人の男性のところに世話になっていると言うものですから、何となく、分かりますよね。

 それ以上の詮索はしませんでした。


 親子の仲は悪くなかったです。ただ娘はとても優しい子でしたから、昔からわたし達に心配を掛けないようにと、自分のことはあまり話したがりませんでした。

 あの子が小さい頃、主人は先程も言ったように仕事ばかりしていましたし、わたしもずっとパート勤めをしていたものですから、睦子のために時間を作ってあげられなかったのです。

 あの子はその様な状況を理解していたのでしょうね。わたし達に気を遣ってわがままを一切口にしませんでした。感情を表に出すことも控えていたように思います。

 わたし達はその気遣いを汲んで、いいえ、それに甘えて、個人的なことは詮索しないことにしていたのです。

 結果的には、そういったあの子との関わり方が仇になったことは承知しています。たった一言、そんな男とは別れなさい、もしくは、交際相手に会わせなさい、とだけでも言えていれば、こんなことにならなかったと後悔しています。


 感情を表に出さなかったと言えば、とても印象深い思い出があります。

 ああ、すみませんね、個人的なことばかりお話しして。あ、良いですか?


 睦子が中学生の時のことですけど、義母が亡くなったのです。

 はい。主人の母です。

 その時、病院でも、葬儀の場でも、娘は無表情でした。義母は娘を可愛がっていまして、娘のほうも義母のことを大変慕っていました。義母が亡くなったことで誰よりも睦子がショックを受けたはずなのです。

 それでも、あの子は泣きませんでした。

 きっとわたし達や親戚達に気を遣って気丈に振る舞っていたのだと思います。その健気さを思うと涙が止まりませんでした。睦子、ごめんなさい。そう何度も心の中で謝って、あの子の代わりと言ったらおこがましいかも知れませんが、わたしは泣きました。


 あの子は……あの子は……ああ、すみません……


 本当にあの子は、思いやりに溢れた優しい子でした。





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