私史上最悪のファースト·コンタクト part.1
「ど、どこよここ····?」
千歳は、目覚めた人気のない広場から、カビと生ゴミと排泄物の腐臭が漂う真っ暗な路地裏に足を踏み入れる。
あの街灯のデザインといい、石畳といい、石組の壁といい、見た感じ産業革命期のロンドンだ。映画でよくある感じの。しかも夜だから余計に雰囲気が出ている。リアル感も不気味さも四割増しってところだ。
しかし、何故こんな場所に飛ばされたのか。
『異世界』というのは、草原とのどかな村、純白の建物が立ち並ぶ緑豊かな理想郷では無かったか。
いくらなんでもこの場所はイメージと違いすぎた。
なによりも、ちっとも魔法感がしない。というか下手をすれば、現実世界よりも生きづらそうである。
まさか、異世界は異世界でも『時代が違う』だけ、という意味での異世界?
それ異世界転生じゃなくてタイムスリップって言わないだろうか。
だとしたらあの神様、いつか絶対ぶん殴る····!
もう恐らく永遠に逢うことは叶わないであろう白髭ジジィに殺意を向けつつ、彼女は臭いから目を逸らして薄暗い路地を小走りに抜ける。
路地の出口から漏れる光を必死に追いかけ、ついに路地から出る。
その瞬間、数秒前まで抱いていた殺意は消し灰のように吹き飛んだ。
「すごい······!」
等間隔に立ち並び、通りを目映く照らす街灯と、往来を行き来する人々。
そして──街を彩る数々の魔法陣。
ショウウィンドウの中には、服が宙に浮いて軽やかに回り、
大道芸は赤、青、緑の魔法陣を展開し、その中心からジャグリングや水なんかを出現させて見物人を楽しませる。
通りの中心を走り抜ける車も、まさにロンドン風の、黒塗りにした曲線美を描くボディ。
そして蒸気機関のようなごっつい装置をボンネットにとりつけて、タイヤのホイール辺りが薄緑に発光していた。
あれ、思った以上にファンタジーしてる。
いつも観光番組やアニメ、歴史ミステリーなどで見かける産業革命期のロンドンとはかなりよく似た、それでいてかけ離れた雰囲気を持つ街並み。
転生して数分とはいえ、その風景に目を奪われ過ぎていたせいで周囲に気を配らなかったのはまずかった。
そう、ここはのどかな草原と陽気な村人しかいないようなのほほん異世界ではなかったのだ。
突然体が跳ねとばされる。
「いったぁ!?」
千歳は盛大に尻餅をつき、肘が石畳に直撃する。
あ、やば痺れた。
「──¥§µ°±〃!2z56hpIg₩¥£﹩<₹₩$∀℘∅∇∪≈∠∴∞∥∗、αA!?」
顔を上げると、腸に空気をしこたま送り込んだように膨らんだ腹を持ったスキンヘッドの男が仁王立ちしていた。
ズボンは幅が合わないのかベルトはつけておらず、着ているシャツもパンパンに張って爆発寸前だ。
見ると、そんな男の背後で五、六人がニヤニヤ顔を浮かべて何やらバカそうなトークを垂れ流している。
意味不明な発音群を聞いているのに、まるで日本語を聞いているようにスラスラ理解できる。まるで二重音声の同時通訳。かなり有り難い『特典』とは言え、こんな嫌な形で『自動翻訳』を体験する事になろうとはかなり哀しい。
というか、ぶつかった私が言えた事ではないが、それだけ脂肪を腹に溜め込んでて肋骨が折れた、はあまりにも苦し過ぎるだろう。
仮に本当なら、原因は私の衝突ではなく間違いなく腹の豚肉だ。
「₵₱¥$、₰¦₢₵±°仝₵₢α¿₮₱〃₭¼¼±₤₪仝₯µ₵¬=∃₩₤₥£$!₥¥₮ⅡⅤⅹⅹay₯Ⅴⅹ±〃₤₮!」
「え、ぁあ、ご、ごめんなさい!」
怒鳴られ、肩がビクリと跳ねる。
慌てて謝る。自分の声も二重音声に聞こえるので、非常に不思議な気分だ。
「¿〃₯Ⅱ仝₱₱₩α₮···₩₯Ⅱ¦₴~♯?」
男は玩具を見つけたような下卑びた笑みを浮かべて拳の関節をポキポキ鳴らしはじめた。
今更になって危機感が這い上がってくる。
ヤバイ、いきなり下手な魔物よりヤバそうなのとエンカウントした!
「ご、ごめんなさい!お金はちゃんと、頑張って払──」
「∑ⅹ▷¼µ仝仝£~<¥₯····µ¥、₩₴▷仝¬。₯₳、<ⅹ♯£₳」
もう見るからに、聞くからに『今から犯罪犯しますよ』感満載な誘い口が飛び出す。
いくら馬鹿な千歳でも行く気なんかちっとも起きなかった。
動こうとしない私を見て、スキンヘッドの風船男は、イラだったように怒鳴り付け、腕を伸ばしてきた。
「£¦¬∋₯₮£₧₮₩仝µ·!」
どうする?たぶん、きっと直感だけど──ここで捕まったらもう自由は帰ってこない気がする。
その危機感に、直感に駆り立てられた彼女が起こした行動は至極シンプルだった。
「∀.₩₵₨₤!!」
36計逃げるに如かず!!
千歳は即座に立ち上がり、脱兎の如く駆け出した。
人を掻き分けながらチラリと後ろを見ると、風船男にどやされて6人の男が駆け出したところだった。
「──あぁもう!異世界転生ってもっと平和なもんじゃなかった!?」
あるはずのない幻想を吐き捨てるように叫びながら、千歳は再び真っ暗な、腐臭の漂う路地裏へと逃げ込んだ。
僅か二話目でなんですが、感想等あればお願いします!!