予想外の提案
エリスの体から黒い泥のようなものがあふれ出る。
シアノとアインはとっさに後ろへ飛んだ。
それが生死を分けた。
周辺にいた騎士はそのまま覚めることのない眠りについた。
「何が、いったい何が起こっている」
彼女はゆっくりと起き上がった。
体からは傷が全て消えている。
もう、弱弱しさはどこにもない。
「初めましてかな? お母さんだよ」
「「「ハッ!?」」」
繰り出されたのはあまりにも突拍子のない主張。
そのあまりの突拍子のなさに、皆が唖然となる。
そして、まとっている雰囲気がかけ離れているとも感じられた。
先ほどの荒々しくも、どこか弱弱しいと言う印象を受けたが、目の前にいる彼女は優しげで、儚い。
改めて観察する。
オリジナルというべき者を知っているせいか、シアノとシックは違いを確信した。
化物からエリンの気配が消えていた。
変装を例として話してみよう。
似た体系の人物が特殊メイクを駆使し別の人間に変装する。
ある程度は騙せるだろう。
だが特に親しい人物、家族や友人を騙せるかと聞かれれば、そうでもない。
というのも、人間は外部情報の入手を視覚に大きく依存しているが、それだけでもなく、他の五感も駆使して情報を入手しているからだ。
これが、彼らがエリスに対して強いシンパシーを感じていた理由である。
顔立ちだけではなく、歩き方や、話のトーン、仕草。
そういったものがダブっていたのだ。
「なぁ、シック」
「ええ、変わっていますね」
彼らは愛した女性が変わり果てたと考えた。
「考えられるとすれば……、アイザックさんはエリンを復活させようとしたが、道半ばで死亡。
けれど、研究結果は中途半端に実を結び、エリンが不完全な状態で復活。
その不安定さは目の前を見れば分かるでしょう。
で、極度のストレスで暴走。
エリンの精神は完全に消え、悪魔が自立して行動できるようになった。
そう考えるのが最も自然ですね」
「それって、もしかして俺がエリンに……」
―――とどめを刺したのか。
シアノは腕が震えるのを感じた。
彼女にとどめを刺した腕がだ。
この話が本当なら、エリンはいままで戦っていたのだ。
それなのに、彼女を一方的に敵視し、殺してしまった。
「ちがいます~、わたしはこの子のお母さんです~」
『何言ってるんだこの変態』
シアノの目線が冷ややかなものとなる。
シックは違う可能性に行きついた。
「成る程。あなたはエリンのお母さんを基にしたていうことですね」
『その想像はなかったな』
シアノは目からうろこが落ちる思いだ。
アイザックが失った大切な女性はエリンのほかにもいる。
彼女の母親だ。
全ての身寄りを失った男が昔の妻を生き返らせようとしたとしても、不思議ではない。
それに母親なら、エリンと似ているのも頷ける。
「違うよ。私はみんなのお母さんだよ。
さあ、私の胸の中に飛び込め、飛び込んでくるのだ」
所詮は悪魔の戯言。
二人は真剣に考察していた自分自身を恥じた。
エリンの意思があの悪魔に宿っていたのは気のせいだったのだろう。
初めから狂っていて、それが表に出てきただけだ。
だが、どれほど頭が悪かろうが、持っている力は本物だ。
そこにいるだけで、圧倒的という言葉すら霞ませる絶望的な圧迫感を放っている。
悪魔として未完成だった時ですら、あれほど手こずったのだ。
今、どれだけの力を秘めているのか想像もできない。
全員が震えている。
皆が死の恐怖におびえているのだ。
「さあ、早くお母さんの胸の中に飛び込んできなさ~い」
何という、シリアスブレイカ―。
母性のかけらがこれっぽっちもない胸を張って、子供たちが自分に抱き着いてくるのを信じて疑わない。
その様子からは邪気が一切感じられない。
知らず知らずのうちに、緊張感すら緩んでしまう。
「アインさんどうしますか?」
「どうしますかって聞かれてもな?
そりゃあ本音を言えば今すぐ切りかかるべきだが、明らかに普通じゃねえ。
アウトレンジからじゃれて様子を見るってのが正解なんだろうが、弓矢なんて持ってきてねえ。
てめえらはどうよ」
「俺たちも同様ですね。
結界で厳重に守られた魔導師に弓矢でチクチクするなんて焼け石に水程度の効果すら願えませんしね」
「なら、俺たちが前に出るべきだ。
敵が正体不明の上に、未知の範囲攻撃だ。人数がすくねえそっちだと相性が悪いってもんだ」
シアノは瞬きを数回するぐらいの間この提案を吟味したが、目立った問題点はない。
「だとすれば、隊列を組みなおすだけの時間。ほんの数分間だけでも横槍を加えてこないように……」
「あのごめんシアノ。
話しかけてきているのですから会話してみるのはどうでしょう」
「「ハッ!!」」
二人にとってこの提案は狂気以外の何物でもなかった。
彼らにとって魔物は倒すべき存在だ。
故に、会話なんてもってのほか。
しかし、学者にそんな先入観はなかった。