目覚めたのは
ただ冷静になった。
ただ目が覚めた。
それだけ。
きっと僕は元からこうだったのだ。
元から残酷で、冷徹で、無慈悲な人間だったのだと思う。今までは何かの間違いで、表には出てこなかっただけなのだ。
だから別段気にすることでもない。
僕が急に変わったように見えるのなら、そんな些細なことは忘れてしまうのが正しい。
僕は僕で。
家族を何よりも大事だと大切だと、純粋に思っている僕は依然として変わらず。
弟を殺したやつは許さない。
お父さんとお母さんが弟を殺した?
その場合は?
簡単だろう、単純だろう。
弟を殺すやつなんて、お父さんでもお母さんでもない。家族を家族だと思わない家族なんて、家族じゃない。
それはもう九十九だ。
九十九しかあり得ない。
弟を殺す家族なんて九十九だ。
あれはもうお父さんとお母さんじゃないのだ。あれはもう人間じゃないのだ。
九十九だったらどうする?
それこそ簡単だろう?
決まりきっているだろう?
知っているだろう?
殺せばいいのだ。
弟を殺した忌々しい九十九なんて、僕が成敗すればいいのだ。
そうと決まれば早速実行だ。
学校から帰ってまず刃物が置いてある場所を確認した。台所にあるのは知っていたけれど、細かい位置までは知らなかったから。
台所の引き出し、上から二段目……あった。包丁がいくつか、他の料理器具も。
もちろん僕より先に家に居る九十九には、バレないように細心の注意を払って。
「あら、僕君。お帰りなさい、今日は早いのね」
九十九が話しかけてきた。
「うん、友達と遊ぶ予定もなかったから」
我ながら自分の演技力に感服した。完璧な『家族』を演じることが出来た。
ハリウッドスターになるのも夢じゃないくらいの、惚れ惚れするほど完璧な愛らしい笑みを添えて。
心の奥底は煮えたぎっていることを微塵も感じさせない。むしろ、ちゃんと『家族』をしていたころよりも、子供らしい笑顔だったのではないだろうか。
顔を筋肉をこれ以上ないくらいに駆使して、綻ばした顔は年相応の笑顔だったはずだ。
これは今するべき余談ではないと確信しているけれど、明日僕は顔が筋肉痛で苦痛に悶えたのだった。
「今日は僕君が好きなオムライスだからね」
聞いてないよ、言いかけた言葉を精一杯掻き消す。
「うん、じゃあお腹空かせとくね」
こんな感じだったっけ?
以前の僕は。
ちゃんと『僕』らしいか?
自問自答したところで、答えは出ない。
そんな疑問さえ頭の中から消してしまえ。
疑問の余地を残さないくらい、『僕』らしくあれ。騙せばいい、僕自身を。
「ただいま」
家の中に反響したのは、男の九十九の声。
即座に返答する。
「おかえり」
どうやら、その返事が染み付いていたようで、意識していなくても声が出た。
ここに弟がいれば割りと楽しい生活を送れたはずなのにな……なんて感傷的になりすぎなのだろうか?
まぁまぁ楽しそうな人生だ。
「おかえりぃ」
突撃した弟が、続ける言葉は大体最近見たアニメの影響をもろに受けた一言だ。
それが懐かしく、遠い。
二度と聞けない声と、二度と聞けない言葉。
九十九が奪った日常。
九十九を殺しても戻っては来ない日常。
でも殺す。
だって九十九は生きてるだけで人を殺すんだ。僕以外にこんな思いはさせない。
だから殺す。だから殺していい。
大義名分という四字熟語を知らないのは、救いだったように思う。
「僕君、ご飯よ」
そこから先はよく覚えていない。
『僕』らしくやり過ごしたはずなのは、何となく覚えているけれど。
深夜3時。
覚醒した目を擦りながら、音を殺して歩く。
階段を音を立てず降りるのは難しかった。12段の階段が酷く長く思えた。時間に換算すると、10分前後。ずっと階段と格闘した。
リビングのドアノブを回し、リビングへと足を運ぶ。
ギシッ、ギシッ、と微妙な音が出てしまったが、九十九は起きなかったようで、安堵した。
台所の引き出し、二段目。
包丁を取り出して、握り締めた。
次いで、ハンカチをポケットにしまいリビングを出た。
そして九十九の寝室へと侵入する。
アンティークテイストで家具が揃えられた、綺麗に整頓されている部屋へと。
冷静に動けるというのは、時に狂気じみた人間に見えることがある。今の僕のように。
心臓はいつも通りの鼓動で、特に早鐘を打ったりはしない。何も感じない訳ではなく、むしろ憤っているのだけれど、心臓はそれに反応しない。
大したことだと思っていないのだろう、僕のこの心臓は。九十九を殺すことなど当たり前だと判断したのだろう。
ふと、九十九達の寝顔が目に入った。
安らかな寝息を立て、穏やかに眠っている。
だから思わず出てしまったのだ。
「おやすみ」
誰に言うでもなく、自分に言い聞かせるでもなく。おやすみ、と囁いた。
そのまま男の九十九に近付いて、ハンカチを九十九の口に当て包丁を胸へと一直線に降り下ろした。
思いの外、包丁は抵抗されることなく胸に沈んだ。途中、何か硬いものに当たった気がしたが、力を込めるとそれが砕けたような音がなり、より包丁は深々と突き刺さった。
「うう……う……?」
ハンカチを口に当てていたのが幸を奏した。うめき声が女の九十九に気付かれることなく、男の九十九の断末魔となった。
捕捉しておくと、男の九十九を先に狙った理由としては、もし犯行の途中で起きてしまった場合、抵抗されることは目に見えている。大人の力には流石にかなわない。
だから比較的力の強い男を先に殺ってしまいたかったのだ。
まぁ女に抵抗されても多分僕じゃあかなわないのだから、無意味なことではあったのだが。
けれどそんな考えをするまでもなく、どちらの九十九も起きることはなかった。
なんだ、思ってたより簡単だったな。
拍子抜けした。
包丁を胸から荒々しく引き抜いて、口に当てていたハンカチを今度は女の九十九の口に被せる。
そしてまた一突き。
これはまた予想外。
女の方が包丁の入りが悪い。
胸の脂肪がどうやら邪魔をするようだ。
だから僕は一度包丁を引き抜いて、また降り下ろした。
これで死んだかな?
念のためにもう一回刺す?
もう一回、もう一回、もう一回、もう一回、もう一回、もう一回、もう一回、もう一回、もう一回、もう一回、もう一回、もう一回。
あと何回刺そう?
あと何回も刺そう。
九十九は生きてちゃいけない。
弟を殺すから。
殺したから。
もう一回。
目覚めたのは狂気でした。




