親であるはずの
弟が九十九だとしても、僕は学校を休むわけにはいきません。いえ、むしろ九十九だからこそ休むわけにはいかないのかもしれないのですが、それはどうだっていいことなのでしょう。
だからと言うわけではないのですけれど、やはり僕は寄り道もせずに家へと向かいます。
急ぐわけでも、ゆっくりするわけでもなく、とりわけ普通に。
家に帰るのです。
弟が、お父さんが、お母さんが待っている家へとただただ、歩きます。
ですが、少しだけ不安要素があるとするならば、僕と弟が眠っているはずの時間のことです。
不安というよりは、胸につっかえている違和感って感じですが。恐怖に近い感情のようなもの。そんな一抹の不安をずっと抱えたまま、誰にも言わなかった僕は正しかったのか間違っていたのか……なんてね。
その日僕はトイレにいきたくなってしまい、目が覚めたのです。普段は起きていないはずの時間帯に。
とりあえず、僕は時間を確認しようと、暗闇に目が慣れるのを待っていました。電気を点ければ良かったのですが、僕はそれをすっかり失念していました。
しばらくして、目が慣れたので時計を見て時間を確かめたのです。
2時を過ぎたあたりをチクタクとせわしなく動いていました。まるで何かのカウントダウンをしているのかのように思ったのを、鮮明に覚えています。
時計を確認した僕は、隣の部屋にいるはずの弟を起こさないように慎重にドアのノブを回します。
キィィと、ドアも空気を読んだように、息を潜めたような小さな音色を奏でました。
これはただの余談なのですが、僕と弟の部屋は二階にあるのですけれど、トイレは一階にしかないのです。なので、夜にトイレに行きたくなってしまうと、相当面倒臭い思いをしなければなりません。
ちなみに、お父さんとお母さんは部屋が共同で、一階にあります。丁度、トイレの横の部屋です。
アンティークテイストの綺麗に整頓されているのが、お父さんとお母さんらしいです。
と、目的のトイレに入るその時。
隣の部屋、つまりお父さんとお母さんの部屋から何かが聞こえてきたのです。
「………………」
「……………………」
話し声……のように思いますが、よく聞こえません。ただ、何かを話しているという事実だけは分かりました。
そしてあの時の僕は何を思ったのか、お父さんとお母さんの部屋に入ったのです。
ガチャ、ドアノブを回す音と共に。
「っ!なんだ僕君ね……まだ起きてたの?早く寝なさい」
反射的に音の正体の方を向いたお母さんが、僕だと分かって安心したように、荒い息遣いと一緒に吐き出しました。ですが、その行為はまるで、聞かれてはいけない何かを話していることを隠すための行いに見えてしまい、僕は訝しげな目線を両親に向けたのです。
「安心しなさい。家族はお父さんとお母さんが守ってやる」
だからと言うべきなのか何なのか……お父さんの言葉が、僕の訝しげな目線の答えだと気付くのに時間はかかりませんでした。
けれど、答えだと気付いても、言葉に込められた意味が全くもって理解できませんでした。それなのに、お父さんは続けます。
「そうだ……家族は守らないと……」
続けた言葉は自分に言い聞かせているのだと、そんな風に感じとることが出来なかったのは、きっと僕がまだ子供だったからだという理由もあるでしょうが、家族の言うことなら何でも鵜呑みにしてしまう僕の狂気的な程の信頼ということの方が大きいのでしょう。
狂気的……なんて自分ではこれっぽっちも思わないのですが。
「うん、おやすみ」
もっと何か気の利いたセリフがあるだろう、と言った本人の僕でさえ思います。
ですがこんな言葉しか咄嗟に出なかったのですから、考えても仕方がありません。
僕は部屋を出て扉を閉めました。
扉が完全に閉まるまでお父さんとお母さんは、僕を見つめ続けていて、僕はこの先の不幸を予知するように悪寒を感じながら、元の目的であるトイレへと急ぎました。
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酷く、憂鬱な夢を見た気がします。
内容はそれほど覚えていないのですけれど、憂鬱だったことだけが脳裏に焼き付いていました。
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目が覚めて思ったことと言えば、何かがおかしいということに他なりませんでした。
別段、いつもと明確に何かが違うわけでもありませんし、むしろカーテンから覗ける外は天気が良くて、いい日に感じられるほどなのです。
なのに、僕の部屋、というより僕の家にまとわりついている空気……でしょうか?とにかく、何かが寒くておかしいのです。
とりあえず、一階へ行きましょう。
何かがおかしくても、今日だって普通に僕は学校があり、休むわけにもいかないのですから。
学校へ行くためにはまず、顔を洗わなければなりません。朝ごはんを食べなくてはなりません。歯を磨かなければなりません。制服に着替えなければなりません。
そのためには一階へ行くしかないのです。
階段を一段降りる。
そういえば、弟はもう起きているのでしょうか?
二段目を降りる。
起きていたなら、僕と同じように違和感を抱いたのでしょうか?
三段目。
そもそも僕は何故違和感を抱いたのでしょう?
四段目。
昨日のお父さんとお母さんを見たから?
五段。
お父さんとお母さんは何をしていたのでしょう?何を話していたのでしょう?
六段。
荒い息遣い。
七段。
子供に聞かれたくない話。
八段。
子供に聞かれたくない行為?
九段。
「なんだ僕君ね……」僕以外に可能性があったのは?弟?
十段。
「なんだ」……それは安心?僕で安心?
十一段。
弟だったら安心出来なかった?
十二段。
何で弟だったら安心出来ない?
降りきった階段の先。
廊下を少し歩いて、右手方向に見える扉。
開けると、朝ごはんのいい匂いがするはずで。いつもはいい匂いがしたはずで。
今日はいい匂いを漂わせていない。
漂わせているのは、死臭。
お父さんが弟に馬乗りになっている。お母さんがそれをただ見ているだけ。
「なに……してるの……?」
僕のいるところからは微かにしか見えない角度だけど、お父さんの手は確かに弟の首筋を掴んで離していなかった。
「何って……お父さんが家族を守っているんだ」
「守るって、そんなことしたら弟死んじゃうよ……」
「僕君、あなたに弟はいないの」
お母さんが諭すように断言した。
いないって何が?
弟が?
そこにいるのに?
そこでお父さんに首を絞められているのに?
「僕、お前何言ってるんだ?これは九十九だぞ?」
「そうよ僕君。お父さんが九十九を退治してくれたら、また家族三人で暮らしましょう?」
また?
家族三人で?
お父さんが弟を殺した?ころした?コロシタ?殺シタ?コろした?こロした?
あれ?弟は家族じゃない?
じゃあ家族って何?
狂気は狂気を生む。




