逃
終わるといつも適度な運動をする。
僕はそれを耐えて今日逃げ出すのだと息巻いていた。
少し時間を開けて、僕は覚悟を決めて口を開く。
「すみません、トイレに行きたいんですけど」
「あら、僕君が途中でトイレなんて珍しいわね。ついておいで」
看護士が僕の少し前を歩き始めたので、それについていく。僕は知っている。トイレには換気の窓があることを、知っている。子供の大きさくらいなら、簡単に通り抜けられそうなことを、知っている。
「じゃあ、外で待ってるから終わったら出てきてね」
「分かりました」
もう会うことはないだろうけどね。
最後の最後まで気を抜かないように、注意をしながらトイレへと入っていく。
ここのトイレは男性なら分かると思うんだけど、高いんだよね。子供の背丈だとさ。背伸びしないと届かないんだ。そこら辺もちゃんと考えて設計してほしいよ全く、造った人に言ってやりたい。
それはさておき、時間を掛けすぎると看護士が心配して中まで入ってくるかもしれないから急ごう。
換気用の窓は高いところにある。子供が触らないようにするためだろう。そこは考えなくても良かったのにね、僕が面倒くさいじゃないか。
個室のトイレの取っ手を足場にして、手を伸ばすと何とか届いた。
今、僕の頭の中にはミッション・イン・ポッシブルのあの曲が流れている。
鍵が掛かっていたので、即座に外して窓を開ける。
ガラガラガラッ!
思いの外大きい音がしてしまった。
きっとトイレの外で待っている看護士にも聞こえてしまったのだろう、声が聞こえた。
「僕君、どうかしたの?」
ツカ、ツカ、ツカ、ツカ。
足音がこちらに近付いてきた。
こういう時こそ、冷静になろう。落ち着け、僕。
窓はもう開いている。僕はその窓にもう手が届いている。あと一歩踏み出せば、外に出られる。
なんだ、簡単なことじゃないか。もう逃げたも同然じゃないか。
「僕君!何してるの!?」
ヒステリックな叫び声と共に看護士が僕を睨むから、僕は睨み返してやった。
「何って…ルパン並みの逃走劇?いや、ここは怪盗キッド?それとも怪盗二十面相?僕的にはルパン派だから、ルパンかな。勘違いしないで欲しいんですけど、三世じゃなくて、アルセーヌ・ルパンの方ですよ?ああ、もちろん三世も大好きですけど」
どうでもいいことを、こうやってペラペラと喋ってしまう癖は今でも抜けていないよね。…なんてどうでもいいかな。
そこで僕はその窓から飛び降りようと外を見たら、あら、不思議。
「危ないから降りてらっしゃい!」
看護士がそう叫ぶのも無理はない。
地面が遠い。
つまり、ここは一階ではなかったのだ。
高さからすると三階くらいなのかな?
ここから飛び降りるなんて、あはは。
本当に怪盗にでもなるつもりなのかな、僕はさ。
僕は怖いのに、それを打ち消そうと言葉を走らす。
「だから言ったじゃないですか。これは逃走劇なんですって。三階だろうと、一階だろうと関係ないんですよ。ルパン四世とでも言っておきましょう。ではまた!なんて二度と会うこともないでしょうけどね」
中指を突き立てて、僕は窓に目掛けて文字通りダイブしてやった。
「僕君!!」
声が遠くなるにつれて、地面は近付いてきた。
走馬灯、あれってさ生き延びる方法を頭の中で模索して、起きる現象らしい。本当のところは誰にも分からないけど。
何が言いたいかっていうと、僕は走馬灯なんてその時には視なかった。つまり、死の危機ではなかったということだと僕は勝手に思っている。
事実、足から着地することが出来た。不時着かな? そのままゴロゴロと二、三回転ほど回ったのだからね。
だけど、アドレナリンでも出ていたのか、痛みは全くと言っていいほどなかった。
素早く、立ち上がってがむしゃらに走った。
どこでもいい、ここじゃない何処かに。ひたすらに、何かにとり憑かれたように、ただただ走る。足がもつれて、転んでも、それで膝から血が出ても、走る。
この病院は精神に異常がある患者たちが入院するところなので、空気の綺麗な田舎にあるのだろうとは思っていた。
しかし、その病院は思ったより山の中にあったようで、整備された道が一本しかなかった。その道を辿って、山を降りてもよかったのだけれど、きっとそれだと医者たちに追い付かれる。僕は走ることしか出来ないけど、大人には車があるのだ。
だからわざと、整備されていない獣道を選んで通る。こんな状況でも冷静にそんなことまで考えられる僕はあの医者の言うとおり、何処か異常なのかもしれない。と、やはりどうでもいいことを考えながら、走る。
入院患者がよく使うあのスリッパを履いていたのだけれど、走りにくいので、裸足になった。怪我はするだろうけど、スリッパよりは走りやすい。
ブロロロロ…
排気ガスを撒き散らす、あの忌々しい車が横の整備された道路を通った瞬間、僕は息を殺した。
看護士か、医者が追ってきたのだろうと直感したからだ。
予想通り、助手席の窓からあのカウンセリングを行う医者が見えた。
一つ、予想が外れたことと言えば、わざわざあの医者が来たことだ。それで分かることは、どうやら僕はそれほど重要(?)な患者だってことくらいだ。
何とかやり過ごした後、整備された道路から少し離れることにした。また同じようなことが起こるかもしれないからさ。離れすぎると僕が道に迷う可能性があるからね。だから離れすぎてはいけない。
それからどれくらいがたっただろう?やっと山を降りることが出来た。
達成感と共に疲労感と、痛みが一気にきた。
三階から飛び降りたダメージが今頃になって、足に響く。
一度、痛みを気にし出したら、もう歩けないほどに痛かった。骨が折れているのではないかと思うくらいには痛い。
「ああ、いったいなぁ…もう。疲れたしさ、取り敢えず家に帰ろう。あれ? でも家って何処だ?てかここ何処?こんなに留守にしてたらお母さんに怒られるよ…」
…あれ?お母さん死んだんだっけ?
これって夏に短編ホラーで書くつもりだったんですよ。
今一番力入れてるよ!!
何はともあれよろしくです。。




