コミュ障不死人、メガネ。愛
「いじわるメガネ!」
人を指すものとしては極めて不適切な言葉を投げつけられる。
「ばかメガネあほメガネおにメガネ!」
もはややりたい放題だ。ここまでされるといっそ清々しい。
「ばかばかばか死んじゃえ!」
フーフーと肩で息をしながら、握った拳が白くなるほどフルパワーで俺に対する文句というよりただの罵詈雑言と化した言葉を投げる彼女。
仕方ない。生き方が不器用なやつだから。
「わかった、じゃあ今から死ぬ。そこで見ていろ」
小ぶりだがよく切れるスイス製の折りたたみナイフを懐から取り出す。
刃を起こすときに出るパチン、という小気味いい音が俺は好きだ。何を切るにもまずはこの音を聞かなければならないというルーティンは、この音を聞けば何を切っても同じという錯覚を覚えさせてくれる。
まあ何にせよ飽きるほど切ってきたものだ、自分だろうが他人だろうが少し向きや距離が変わるくらいであんまり変わりはないだろう。
ぶしゃ。
「え……。あ……」
自分の投げかけた言葉の重さに気付いたのか、彼女の顔色がみるみる蒼ざめていく。
俺はというと対象的に、上に向かって蛇口をぶっ壊した水道口みたいな感じに赤い血飛沫を上げてる真っ最中。
「ひっ……!」
「まて、悲鳴は上げるな色々面倒だ黙れ」
少し切る位置を間違えた。喉から空気がスカスカ抜けて喋りにくい事この上ない。
ついでにクラクラする。気を抜いたらしばらく動けなくなりそうだ、死体でもあるまいし縁起でもない。
「俺は死なない。お前がいくら望もうとも俺は死なない」
メガネに血が付いて全く視界が効かない。
今更ながら、あーメガネは外しとくべきだったいやしかしこれはメガネメガネ言われたことに対する抗議でありメガネを外してしまってはただのばかあほおにになってしまうのではないかと益体もない考えが頭をよぎり、
「気は済んだか?」
「そんなことより手当てしないと手当てっ」
なんとか悲鳴を上げずに声を飲み込んで駆け寄ってきた彼女は改めて間近で目にする凄惨さに息を呑み――間近だからこそというのもあるだろうが――固まってしまう。他人のそれと違って自分の傷というものは部位によっては自分では見えないということに本当に今更ではあるが思い至った。
「問題ない」
「大問題だよっ!」
どうやら見えないことをいいことに少々やり過ぎてしまったらしい。
頭のひとつでも撫でて落ち着かせてやろうかと思ったが、人間の頭はひとつしかない以前に俺の手は血塗れだ。慰めどころか嫌がらせ以外の何物でもない。
「ほっとけば治る」
「そういう問題じゃ……っ!」
とりあえず血をどうにかしようと思ったのだろう、彼女は懐からいかにも少女ちっくなハンカチを取り出したが真っ赤に染まるだけでどうにもならない。花柄だろうがくまさんだろうが判別できなくなっては無地と同じだ、世界に存在するかわいいものの観点で言えばただただ勿体ない。
自分の腕で乱暴に首筋を拭う。
ぬるりとした感触は慣れたとはいえ慣れないものだ。あんまり味わいたいものじゃない。
「そういう問題なんだよ」
自分では見えないが、傷口は綺麗に消えたはずだ。
むしろ面倒なのは血だ。完全に乾いて固まってからでは落とすのに手間がかかる。
「だから俺は勝手に死んだりしない。いなくなったりしない」
「あ……うん」
差し当たっては、至急メガネの手入れをするべきであるが――
「お前は俺の、俺はお前の所有物だ。忘れるな、あと勝手に捨てるな迷惑がかかる」
それよりもまずは、教育的指導をしておくべきだと判断した次第。
「なまぐさい」
「まあ、血だしな」
血がおいしそうな匂いを発しては、世界の至る所で人殺しが絶えなくなるだろう。あるいはそういう理由で人殺しが絶えていないほうが世界にとって、人間にとって救いがあるのかもしれないが。
「ところで、今のをギャグとして評価して欲しいんだが」
「……」
笑えない状況はブラックユーモアにしてしまうのがいい。
「死なない男が今から死ぬと言い、まるでどうでもよさそうな手つきでざっくりいった挙句見た目は死んでいるというのは笑えないだろうか」
だが実際には死んでいない。そこがこのネタのポイントだ。
「ばか……」
だが彼女はみるみる目に涙を貯めこみ、
「そんなのっ、笑えるわけないじゃんっ!」
盛大に泣かれた。
どうしてだ。
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ん。
ところでどうしてあんな一方的にまくしたてられてたのかって?
そりゃまあ、ここで語ってもいいが妬んだアンタに刺されそうだから遠慮する。
メガネと命は大切にしとくのが賢明だ。
(約1860字)