真面目に合同で章(アキ&ブリザラ編)30 時と痛みを超えて
ガイアスの世界
精霊が持つ記憶
精霊は時が経つと故郷へと帰る。それは人間で言えば死の事と同義。
故郷に帰った精霊はその魂を一度故郷の大地に戻し再び生まれ変わる。その時前世の記憶は故郷の大地に蓄積されることになる。
下位精霊の状態では自我を持たない為、故郷の大地に蓄積された精霊達の記憶を見ることは出来ないが、自我が芽生えた上位精霊ならば精霊達の記憶をみることが出来る。だがそれもごく一部の上位精霊だけで誰もが見れる訳では無いという。
故郷に刻まれた精霊達の記憶を見ることが出来る僅かな上位精霊にはとある資格があるというが、今の段階ではその資格が何を示しているのかは分からない。
真面目に合同で章(アキ&ブリザラ編)30 時と痛みを超えて
剣と魔法の力渦巻く世界、ガイアス
幾つもの光がまるで夜空の星のように流れ飛び交っている。その光はどれも温かくそして懐かしさを感じる。
(そうか……故郷が近いのか……)
暖かい光が流れていく不可思議な空間に心当たりがあるのか、その場に漂いながらその光景を眺め数百年前に旅立った故郷に想いふけるウルディネ。
精霊の殆どはガイアスでは無く精神世界という別の世界で誕生する。そこから今ウルディネがいる場所、ガイアスと精神世界を結びつける門、精霊門を通って精霊達はガイアスへ旅立つことになる。
しかしこの精霊門は、ガイアスに旅立つだけのものでは無い。ガイアスから精神世界へと戻ってくる時にも使われるのだ。ウルディネとは逆の方向へ流れる暖かな光。これは精神世界で誕生した精霊達がガイアスへと向かう光。その輝きには何処か未知の世界へと向かう希望のようなものを感じる。
そしてその逆、ウルディネと同じ方向へ流れていく光は、ガイアスから精霊達が精霊世界へと戻るものである。精神世界へ戻る精霊達が放つ光の輝きは弱く何処か疲労を感じさせるものであった。
ガイアスでの役目を終えたというのが正しいのかは分からない。だが全てを出し切った精霊達の魂は故郷である精神世界へと戻って行くのである。それは人間でいえば死ぬということ。故郷へと戻る精霊達と同じ方向を見ているウルディネも他の精霊達とは経緯が異なるがその命を全うし故郷への道を進もうとしていた。
「ウルディネ……」
すると故郷へと向かうウルディネの名を呼ぶ声がする。その声に誘われるように振り返るウルディネ。
(……テイチ……?)
そこにはウルディネが憑依していた人間の少女、テイチの姿があった。
「フフフ」
本来ならば精霊しか入ることが出来ない精霊門になぜ人間が、しかもテイチがいるのか理解できないウルディネは驚いた表情で笑みを浮かべる少女を見つめる。
「……お前、本当にテイチか?」
精霊門にテイチが存在しているという状況がウルディネに不信感を抱かせる。
「うん、私はテイチだよ……ああでも、今までウルディネと一緒にいたテイチとは少しだけ違うのかな……?」
見た目よりも年齢が高いその口調は、やはり自分が知っているテイチとは違うという印象を受けるウルディネ。しかし自分が知っているテイチとは違うはずなのにも関わらず、違和感は無い。まるでテイチが成長したらこんな感じになりそうだと一瞬考えてしまったウルディネは、自分の考えが突拍子も無いことだとすぐに悟り現状を把握しようと思考を切り替える。
「はっきりしないな、もっと詳しく説明しろ」
自分はテイチだと名乗る少女に対してもっと具体的な説明を求めるウルディネ。
「……詳しくは言えない。でもウルディネが知っているテイチの延長線上に私はいる、それだけは信じて欲しい」
「……なるほど……察しろということか……」
詳しく説明できない事情がテイチと名乗った少女にはある。そして自分が知るテイチの延長線上の存在であるという言葉にウルディネは、目の前の少女のおおよその存在が何であるかを察した。
「やっぱり頼りになるねウルディネは」
見た目よりも年齢が高い口調ではあるが、その中身はやはり自分が知るテイチと重なると思うウルディネ。
テイチと名乗る少女は、自分が詳しく言えないことを察してくれたウルディネに満面の笑みを浮かべる。そんなテイチと名乗る少女の笑みにウルディネの心は揺れる。
「……お前と出会ってから顔を合わせて話すのは初めてだな」
テイチと初めて出会った時と同じような感覚が自分の心にある事を理解したウルディネは、テイチと初めて出会った時の事を思いだしながらそう呟いた。
二人の出会いはムウラガ大陸にある大きな湖。周囲の殺伐した光景とは違い、そこには豊かな水と緑が生い茂り外から危険から守られたような感覚すらあるまるで楽園のような場所であった。
既にその湖に身を置くようになって長い年月が経過していたウルディネは何事も無く流れていく日々に僅かな退屈を感じていた。
そんなある日のこと、外でうろつくムウラガ固有の魔物達を湖に侵入させないよう結界を展開していたウルディネは、その結界の中に入ってきた人間の少女に警戒を強めた。
しかし警戒したものの人間の少女が上位精霊である自分に何かできる訳も無いと思ったウルディネは警戒を解き少女を観察することにした。ウルディネ的には暇つぶしのような物だった。
観察を始めたウルディネが目にした少女は自分の体よりも大きい瓶を持ちテクテクと危なげに歩きながら湖に近づくと、湖の水を瓶に入れ始めた。
瓶に水を入れる少女の一生懸命な姿に最初は大変そうだと思っていたウルディネであったが次第にその少女の仕草や雰囲気に愛おしさを覚えた。少女は上位精霊であるウルディネの母性を刺激したのだ。
少女はその日を境に毎日ウルディネが住む湖へ水を汲みにやってきた。そして少女が水を汲む姿を見ることが日課となったウルディネの退屈であった日々は少しだけ潤っていった。
時には危険な目に遭い少女が泣きながら湖にやってきたこともあった。何か嬉しいことがあって満面の笑みを浮かべながら少女が湖にやってきたこともあった。そんな一日一日でコロコロと表情が変わる少女の姿にウルディネの心は満たされていたのだ。
その少女こそがテイチであり、二人の出会いでもあった。と言いたいところだがそれはウルディネだけの一方的なものであり、ウルディネという精霊の存在が湖に居ることを知らないテイチにとっての出会いは少し先の話であった。
テイチがウルディネという上位精霊の存在を知ったのは、テイチが初めて湖に現れてから二年後、奇しくも魔物に襲われ自分の命が消えかかった時、消え入る意識の中、暖かく包み込まれる感覚の中、ウルディネの声を聞いた時であった。それ以降、二人は心の中で意識を共有することはあっても互いの顔を見合いながら話すことは無かった。
「……うーん、ウルディネはそうかもしれないけど、私は違うかな」
互いを顔を合わせて話せているという状況に少し嬉しさが滲み出ていたウルディネの肩を透かせるようににテイチと名乗る少女は自分は違うと答えた。
「……は、ははは……」
肩透かしを食らったウルディネは更に少女の言葉には重大な内容が隠れもせず露わになっていることに気付いた。それが天然なのか、それとも意図的なのかそれは分からないが、テイチと名乗る少女が口にした言葉は、ギリギリの所で確信に触れてしまっていたからだ。
「……ご、ゴホンッ……それで……死に間際の私に何の用だ……」
自分が故郷に戻る途中、死の間際であることを理解しているウルディネは、テイチと名乗る少女の言葉は聞かなかったことにして、なぜ自分の前姿を現したのかと尋ねた。
「あ! そうそう、本当は何度も干渉しちゃいけないって言われているんだけど、どうしても伝えたいことがあって」
「あー」
テイチと名乗る少女の言葉に頭を抱えるウルディネ。それはもう言っちゃいけないことだよねと喉まで出かかった言葉をどうにか押し込めるウルディネは、目の前の少女が発した言葉は意図的な物では無く明らかに天然なものであると悟る。
「……そ、それで伝えたい事とは?」
先程と同じようにテイチと名乗る少女が口に下言葉の前半部分は聞かなかったことにして伝えたいことという言葉だけを抽出したウルディネは再び尋ねる。
「うん……帰って来て……私達の下へ……ううん……彼女の下へ帰ってあげて」
今までフワフワとした気配を放っていたテイチと名乗る少女の雰囲気が突然凛としたものに変わる。そして更にはその凛とした雰囲気は風となってウルディネに向かって吹き抜けていく。少女が口にした言葉、それは平たく言えば故郷に戻らないで、即ち死なないでガイアスへと戻ってというものであった。
「……」
一瞬、成長したテイチの姿が見えたウルディネは、僅かに目を見開く。
「わた……彼女にはまだまだあなたが必要なの……」
彼女がそう願っているとウルディネに訴えるテイチと名乗る少女。しかしその必至が空回りしその願いが自分のものでもあることを隠しきれていないことに気付かないテイチと名乗る少女は、更に言葉を続ける。
「……そして、お兄ちゃんにも」
それが誰を指すのか、当然ウルディネにはお兄ちゃんが誰のことを指しているのか理解出来る。互いに同じ罪を背負い共有した人物。行動を共にしていくうちにテイチとは違った意味で愛おしいと感じた人物。
テイチと名乗る少女の言葉にウルディネはまだ自分という存在が必要とされていることを噛みしめる。テイチと名乗る少女の言葉は、自分でも驚くほどに心に染みわたり広がって行くことを感じるウルディネ。
「そうか……」
もうそれだけで十分だった。テイチと名乗る少女の言葉だけで再びガイアスで生きることへの力が湧いてくるウルディネ。自分の目の前にいる少女の正体が何者であるか、今はそんなことはどうでもいい。まだ自分は死ぬわけにはいかない、まだガイアスという世界で生きていたいと素直に願うウルディネはテイチと名乗る少女に頷く。
「……さあ、聞いて……彼女の……まだ何も知らない頃の私の声を……」
決意を新たにしたウルディネの表情に人懐こい柔らかな笑顔で答えるテイチと名乗る少女。その言葉に導かれるようにウルディネは耳を傾ける。
(ウルディネ!)
するとウルディネが良く知る少女の声が耳に響いてくる。
「……彼女の願いによってウルディネが進む道は再び繋がった、ほら、早く行ってあげて」
帰還を願う少女の声がウルディネに届いた事を確認したテイチと名乗る少女は、再びニッコリと笑みを浮かべる。
「ああ……ありがとう、お前がこの場にいなければ、私はこのまま故郷へと戻り新たな精霊として生まれ変わっていただろう……」
一度旅立った精霊が故郷である精神世界へ戻ること、それは死を迎え新たな精霊へと生まれ変わることを意味する。そうなればもう二度とテイチやアキに出会うことは無い。そうなる前に自分を止めてくれたテイチと名乗る少女に感謝するウルディネ。
「……近い内にまた会おう……それとお前にお節介をやいた奴らにも礼を言っておいてくれ」
既にテイチと名乗る少女が何者なのかそしてテイチと名乗る少女を精霊門に送り込んだ者が誰であるかも見当がついているウルディネは、そう言い残し、自分が向かっていた方向とは別の方向へ精霊達が旅立つ方角へと踵を返す。
「……う、うん、言っておくよ……またね、ウルディネ……」
何もかもウルディネにはお見通しだったことに気付いたテイチと名乗る少女は、少し顔を引きつらせた後、再び満面の笑みを浮かべガイアスへと戻ろうとするウルディネの背中に手を振るのであった。
「……さあ、テイチ俺達も帰るぞ」
彼方へと消えるウルディネの背中を見つめるテイチと名乗る少女に話しかける声。
「うん……」
何処からともなく聞こえるその声に頷いたテイチと名乗る少女はガイアスでも無く精神世界でも無い方角へ足を向ける。するととまるで泡のようにテイチと名乗る少女は精霊門から姿を消すのであった。
― ムハード城 正面廊下 ―
「ウルディネ! ウルディネ!」
大男の背中で少女は叫んでいた。自分の命を救ってくれた精霊を初めてはっきりと捉えた目には涙が浮かぶ。少女の目に映る精霊ウルディネは漆黒の全身防具の男の腕の中、既に冷たくなっていたからだ。ウルディネに触れようと少女テイチは両腕を伸ばす。
「じ、嬢ちゃん暴れるな」
ウルディネに触れようと自分の背から降りようと暴れ落下しそうになるテイチを大男リンパは必至で押さえた。
「お、おい、兄ちゃん……これはどういうことだ?」
暗闇の中、松明を片手にテイチやリンパと一緒この場までやってきた男トンドルは、鋭い眼光で漆黒の全身防具を身に纏った男、アキに向けた。しかしトンドルの鋭い眼光も敵意が混じった声も今のアキには伝わらない。アキは自分の腕の中で冷たくなっていくウルディネを茫然と見つめていることしか出来なかったからだ。
「お兄ちゃん! ウルディネは! ウルディネは!」
テイチの叫びが元凶を失い本来の暗闇へと戻ったムハード城の廊下に響き渡る。
「……」
テイチの叫びに僅か反応を示したアキの視線は、リンパに抱きかかえられ暴れるテイチに向けられる。
「ウルディネ……?」
見開いた目はアキの目はテイチを見つめている。しかしアキの目に映るのはテイチを通して見えるウルディネの面影。
「……くぅ……」
抜け殻になったようなアキの姿に舌打ちを打つトンドル。
「あああ! お前! 男なら少しぐらい男気を見せてみろ!」
手に持っていた松明を放り投げ茫然とするアキに向かっていくトンドルは、その勢いのまま振り上げた右腕をアキの顔面に振り下ろした。
「……」
トンドルの右腕は確かにアキの顔を捉えていたし、確かに頬に直撃した。しかしアキは痛みを感じる所か仰け反ることもなく先程と同じ姿勢のまま茫然としている。
「痛ぇな! この野郎!」
それ所か殴りつけたはずのトンドルの方が痛みを感じ仰け反る始末であった。
「……痛い……そうか……俺はウルディネを失って痛みを感じているのか……」
黒竜との出会いによって一度その命を落としたアキ。だが自分が纏う自我を持つ伝説の防具クイーンがアキを自分の所有者であると認めたことによって、その命は半死という状態でこの世に留まった。言わばアキは自我を失わず腐らない活動死体であった。
クイーンが持つ能力の影響もあるが、アキはそんな体になって以来、痛みに鈍感になっていた。それは肉体だけに留まらず精神にも影響を与えていたのだろう、ウルディネを失ったという事実を前に胸に抱いた感覚が痛み、いや悲しみだということを認識するのが鈍くなっていた。
「……そうか……俺は……悲しいのか……ウルディネを失って……」
冷たくなったウルディネを抱き抱えたまま俯くアキ。漆黒に染まった全身防具がカチカチと揺れだすのにそう時間はかからなかった。
「……」
俯き体を小刻みに揺らすアキの姿に殴りつけたトンドルは言葉を失っていた。いやトンドルだけでは無くそこにいたテイチもリンパも常に威圧的な態度をとっていたアキが肩を揺らし悲しんでいる姿に言葉を失っていた。
「……俺は……どう足掻いても奪われるのか……俺は、俺は……」
いつの間にかウルディネが自分の中で大きくなっていた事を自覚したアキは、また自分から大切なものが奪われていくことに怒りとも悲しみが入り混じった感情が込み上げてくる。もうこんな苦しみを味わいたくないその一心で力を求めたというのに無常にも力はこの状況で何の意味も成さないことをアキに痛感させた。
「……!」
突然自分の腕にあった重みが軽くなるのを感じるアキ。
「お兄ちゃん!」
それは周囲にいる者達にも理解出来たようでテイチはアキを呼んだ。
「……消える……ウルディネの体が……」
生物の肉体は死後土へと帰る。これは精霊にも当てはまるもので、魂を失ったガイアスでのウルディネの肉体は、まるで霧のようにムハード城の暗闇へと霧散し始めていた。
「ウルディネ! 嫌だウルディネ帰って来てよ!」
リンパの腕を振り払い躓きながらも霧に変わって行くウルディネに近づいてくテイチは手を伸ばす。
「お願いウルディネ行かないで!」
溢れ出る涙で視界がぼやけながら霧になり暗闇を舞って空に向かおうとするウルディネをその小さな手で引き留めようとするテイチ。しかし舞い上がる霧はテイチの手をすり抜け空へと昇り始めた。
「「「「トンドル!」」」」
その時暗闇からトンドルの名を叫ぶ男達の声が響く。それはムハード城に捕らえられていた女性達を助け出す為に別れた港の男達の声であった。
「トンドルやったぞ! 女達を助け出したぞ!」
歓喜の声をあげる男達。その声に続くのは女性達の声であった。男達の後ろから姿を現したのはムハード城に捕らえられていた女性達の姿であった。女性達は自分の夫や父親と抱き合い再会を喜びあっている。
「あんた!」
「パパ!」
そんな歓喜で湧く夫婦や家族の間を縫って姿を現した女性と娘は一目散でトンドルに向かい走り出す。そして感情を爆発させるようにトンドルに抱き付いた。
「お前達……」
驚いた表情を浮かべるトンドルに抱き付いたのは妻と娘であった。しかし妻と娘と久々に再会したというのにトンドルの顔は苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべていた。
トンドルも他の男達と同様に歓喜の叫びを上げたい気持ちはあった。しかし今のトンドルにはそれが出来ない。
「パパ?」
久々の再会だというのに反応が薄いトンドルに疑問を抱く娘。
「……あんた……」
再会を素直に喜べないトンドルの気持ちを理解しているのか、直ぐに喜びを表情から消すとトンドルの妻。
「……バレヤ……ミーヤ……お前達が俺の下に帰って来てくれたことは嬉しい……だが……」
そう言いながらトンドルはアキの腕の中から今にも消えてしまいそうなウルディネに視線を向けた。
「……大体の話は……あそこにいるお嬢ちゃんから聞いたよ……」
そう言いながらトンドルの肩を軽く叩くトンドルの妻バレヤは今自分達が走ってきた場所に視線を向けた。
「アキさん!」
茫然とするアキの名を叫ぶ声。バレヤが視線を向けた先にはブリザラとピーランの姿があった。
「ウルディネさん!」
滑り込むようにアキの下へ駆け寄ったブリザラはアキの腕の中で消えかかるウルディネの名を叫ぶ。
「……」
ウルディネを失った喪失感が消えないアキは目の前に無事な姿で現れたブリザラに反応することが出来ない。
「……あのお嬢ちゃんの話によれば私達女連中は既に死んでいたようなんだ」
「死んでいた?」
今目の前で快活に話す自分の妻の言葉を信じられないと思うトンドル。
「私だって信じられないさ……だけどね……皆同じ夢を見ていたんだ……あそこで消えかかっている別嬪さんに温かい何かで包まれる夢をね……」
そう言うとバレヤは手を叩く。
「久々の再会でイチャイチャしたいところ悪いけどね、あんた達、イチャイチャする前にまずは通さなきゃならないもんがあるんじゃないのかい?」
周囲で再会を喜び合う者達にそう声をあげるバレヤ。すると男達と再会を喜びあっていた女性達は、今までイチャついていた男達から離れるとバレヤの下へと集まった。
「そこで男に抱かれ消えかかっている別嬪さんが私達をあの世から呼び戻した張本人だ!」
女性達に見せるようにバレヤはそう叫ぶ。女性達の視線はアキとその腕の中にいる消えかかったウルディネに集中する。
「さて皆! ガガール港で働く男の女房の心構えを今から聞くよ!」
流石と言うべきか、荒波に守れてきた港の男達の女房と言うべきか、バレヤの威勢は下手をすれば港の男達よりも迫力がある。
ガガール港で働く男の女房に必要な強さは何だい?」
「「「「我慢強さ!」」」」
バレヤの下に集まった女性達はバレヤの掛け声に答えるように叫ぶ。
「そうだ我慢強さだ! 我慢強くなきゃ港の男の女房なんてやってられないからね!」
その光景は港の男達よりも迫力がある目の前で何が起こっているのか訳が分からないブリザラやピーランは呆気にとられていた。
「それじゃ次に聞くよ! ガガール港で働く男達の女房が持っていなきゃならない情は何だい?」
「「「「愛情!」」」」
再び問いかけたバレヤに女性達はそう答えを返す。
「そうだ、私達の愛情がなきゃ馬鹿な男達は直ぐに海で死んじまうからね!」
「……何を……しているんだ?」
ウルディネを失ったことで深い喪失感の中にいるはずのアキは自分を見つめる数十人の女性達の威勢に目を丸くする。
「これで最後だ皆! ガガール港で働く男の女房が絶対に返さなきゃならないもんは何だいひ!」
「「「「「調味料と恩!」」」」」
「そうだ! お隣から借りた調味料を返さない奴はガガール港で働く男の女房として失格だ! そして受けた恩は絶対に返す! 皆取り掛かりな!」
バレヤの掛け声で一切に行動を開始する女性達。まず女性達が向かったのは自分の旦那の前、父親の前であった。
「あんた刃物を貸しな」
「ぱ、バレヤ、ミーナ……お前達一体何をするつもりだ?」
バレヤの凄みのある言葉にトンドルは顔を引きつらせながら腰に差していたナイフを渡す。
「……言っただろう? 恩を返すのさ」
そう言いながらバレヤは再びアキとウルディネの下へ向かう。他の女性達も自分の旦那や父親から刃物を受け取るとバレヤを追うようにアキとウルディネの前に立った。
「……」
威圧感のような物すら感じる刃物を持った女性達数十人を前にアキは顔を引きつらせる。
「さあ、行くよ皆!」
するとバレヤを初めとする女性達は刃物で自分の腕を切る。
「なっ!」
一斉に腕を切った女性達の行動にアキやブリザラ達は驚きの表情を浮かべる。
「何をしている!」
バレヤ達の意味の分からない行動にトンドルは思わず叫ぶ。
「だから言っただろう、恩は必ず返す、借りた物は必ず返す、この別嬪さんが私達に血を分け与えたのなら、私達も同じ物を返すのさ」
そう言いながらアキが抱きかかえるウルディネに自分達の血を垂らし始めるバレヤ達。
バレヤ達を生き返らせた水精霊の涙は、ウルディネの肉体から流れでたものであり確かに考え方によっては、ウルディネが流した水の血によってバレヤ達が生き返ったとも言える。しかしただの人間の血が精霊にそのような効果をもたらすはずはない。トンドルを含めた港の男達は、女性達のその行為に対して気持ちは汲んだが期待はしていなかった。
「わ、私も!」
女性達の勢いに何かを感じたのかブリザラも袖をまくると晒した白い腕をピーランに向ける。
『や、止めろ王、根拠が無い!』
そうキングが言うようにその行為に根拠は無い。ただの人間の血で精霊が生き返るなど聞いたことがない。
「いいんだな」
腕に傷が残るかもしれない、そう言いたげなピーラン。
「うん」
だがピーランの言葉に躊躇なく即答するブリザラ。
『や、止めろ王! ピーラン殿!』
キングの制止など耳に入らないといった感じでピーランは体中に隠し持っているナイフの一本を手にとるとこりまた躊躇なく一閃。ブリザラの白い肌に一筋の傷を作った。
『やめろぉぉぉぉぉぉ!』
絶叫するキング。
キングには矜持があった。それは盾という物が持つ本来の役目。所有者の身を自身の身を挺して守ること。キングはブリザラの肉体にかすり傷一つ負わせないことを心に誓っていた。しかしこの瞬間、今までキングが誓い守り続けてきた矜持は音を立てて砕け散ったのだった。
傷口から赤く滲みだす血を見つめるブリザラ。それは未だ深紅に染まった自分の目と同じ色をしていた。
(もし私に、計り知れない力があるというのなら、ウルディネさんを生き返らせることぐらいやってみろッ!)
自分自身の中に眠っている力を挑発するようにブリザラはそう心の中で呟くと既に女性達の血で真っ赤に染まるウルディネに向け血が流れる腕を向ける。
ポタリポタリとブリザラの血は目を閉じ冷たくなったウルディネに垂れていく。しかし何も起こらない。遅れてピーランも自分の腕をナイフで軽く切り流れ出る血をウルディネに垂らしたがやはりウルディネは目を開けない。
「……」
重い沈黙が続く。そしてその沈黙は一向に破られることは無い。
「やっぱり……駄目なの……」
ブリザラは目を開けないウルディネを前に弱々しくそう呟いた。
「私もやる!」
重い沈黙の中、テイチは手を挙げていた。
「ば、馬鹿、嬢ちゃんはやらなくていい!」
突然何を言いだすのかとトンドルは慌ててテイチが挙げていた手を掴む。
「嫌、私もやる! だって私だってウルディネに命を助けてもらったんだもん!」
トンドルに掴まれた手を強引に振りほどいたテイチはアキを見つめそして手を差し出した。
「お兄ちゃん……自分でやるのは怖いからお兄ちゃんがやって……」
自分の腕を刃物で切る。普通なら大人でも躊躇する行為。当然まだ子供であるテイチが怖くないはずがない。だがそれでもウルディネを助けたいという想いがテイチの心を奮い立たせ行動に移させる。自分では怖くて出来ずアキに任せはしたがその想いは本物であった。
「……いいのか?」
先程よりはまだまともな表情になったアキは真剣に自分を見つめるテイチに確認する。
「うん、お兄ちゃんなら傷つけられてもいい」
年端もいかない少女が成人した男にその言葉を言えば普通なら問題になりそうなものだが、今は誰もテイチの言葉に茶々を入れる者はいない。それはテイチの真剣な想いが周囲の大人達にも強く伝わっていたからだ。
「じゃ……いくぞ」
そう言うとアキは自分の腕を覆う手甲をナイフ程の大きさの刃に変える。そして一思いに斬りつけた。
「イタッ」
テイチは腕に痛みを感じ思わず目を瞑る。しかし決心したようにすぐその目を見開いた。自分の腕に出来た傷を見つめるテイチ。その傷口からは真っ赤な血が滲みだす。痛みから涙目になりなるテイチだったが口を結びその痛みを我慢してウルディネに傷ついた腕を向ける。
ポタリポタリと垂れる血がウルディネに落ちていく。
「……」
その場の誰もがテイチから流れる血に願いを込める。ポタリポタリと落ちる血の滴一滴に想いを乗せる。
しかし消えかかっているウルディネに変化は見られない。
「止めだ……」
その場に居る者達の気持ちを折るようにそう呟いたのはウルディネの重みを一番に感じ取っているアキであった。腕に感じる重みが全く変わらずむしろ先程よりも軽くなっていることが分かるアキは、そう言うとテイチよりも軽くなっているウルディネを抱き抱えたまま立ち上がった。
「……」
降り続いた雨はようやく止み静寂が広がるムハード城は夜明けを迎える。昇る太陽の光は光を拒んできたムハード城の内部には届かない。届かないはずであった。
「……ッ!」
その光は松明でも無ければ太陽のものでは無い青く輝く光であった。アキの腕の中で幽霊のように透き通っていたウルディネの体が青く輝き始めたのだ。
「これは……」
その青い光が何を意味するのかは分からない。だがその場にいた者達が一度諦めた希望を取り戻すには十分な光であった。
― ありがとう ―
その場にいた誰しもが耳にした声は礼を告げている。それが誰のものなのか言わなくても分かる程にその場に居た者達の表情は安堵と嬉しさに包まれる。
「ウル、ウルディネ……」
腕に傷を負いその痛みにも涙せず耐えたテイチは、涙で声を詰まらせながら青い光を放ちその場にいる者達に礼の言葉を口にした者の名を呼ぶのであった。
ガイアスの世界
精霊門
精霊門とは、精霊達がガイアスへと向かう道であり、故郷である精神世界へと帰還する為に繋がった道のことである。
そこでは幾多もの光が飛び交っており、その光一つ一つが精霊なのだという。行く光もあれば帰って来る光もあり、さながらそこは夜空のように煌びやかな光景をしている。




