最後で章 7 色々な笑み、交わる力
ガイアスの世界
ガイルズとインベルラによる訓練
それは壮絶を極めた。死人が出なかったのが奇跡とも言える状況。数秒に一度怪我人がでるという状況の中、ガイルズとインベルラは、自分達を囲む約一万を超す志願兵達を相手に大規模な訓練をおこなった。
聖狼に姿を変えたガイルズとインベルラを仮想ユウラギの魔物と想定した訓練は、志願兵達の心と体を折っていく。
しかし時間の経過と共に、志願兵達の連携、個々の能力が思った以上に上がり、最後のほうはガイルズとインベルラも追い詰められる状況にまでなった。
結果的に志願兵達の力は各段にあがることになりいい訓練となったようだった。
最後で章 7 色々な笑み、交わる力
闇の力渦巻く世界、ガイアス
ユウラギに漂う黒い影。それはまるでユウラギその姿を隠しているようであった。だがその黒い影はユウラギを隠している訳では無い。
「……なんだ……あの影……蠢いてやがる」
サイデリーとヒトクイの混合船団の誰かがそう呟く。しかし影というにはあまりにも違和感があった。影のようにに見えるそれには、実体があり、質量があった。まるでそれが一つの生物のように。しかしその影の正体はユウラギに迫った人類を今か今かと待っていた魔物の群れであった。その数は数えるのが嫌になるほどの数であり、多種多様の魔物がユウラギ全土から集まっているようであった。
― ヒトクイ製 大型船 甲板 ―
「ま、まさか……あの影全てが魔物なのか!」
ヒトクイ製大型船の前部の甲板でユウラギを見つめる聖撃隊副隊長マシュー。いや今マシューの目には広大なヒトクイの大陸など一ミリも入っておらず黒く蠢く数えるのも嫌になるほどの魔物の群れが写っていた。
「これはこれは、盛大なお出迎えだな……」
驚きを隠せないマシューを尻目に少し困った表情でマシューの横に立つ男。
「ガルワンド将軍! ふざけている場合ではないですよ! ……この状況、想定外です!」
想定外の数の魔物の群れに驚くマシューは、将軍というにはあまりにも気の抜けた言葉を発するガルワンドにふざけている場合では無いとがなりたてた。正直、見た目と今の言葉だけみれば、マシューの方がよほど将軍らしい面構えをしている。
しかしガルワンドはマシューにがなりたてられてもその困ったような表情を崩すことなく、漂々と黒く染まったように見える魔物の群れを見続ける。
「まあまあ、折角のお出迎えだ、我々も派手に行こうではないか」
その言葉にはやはり将軍らしい威厳というものは感じられない。しかし困ったようなその表情の裏に隠された鬼はまだ健在であるようで、ガルワンドはニタリと口元を歪めた。
「……」
表情は困ったままであるガルワンドの口元が歪んでいる事に気付いたマシューは、その瞬間己の背中に冷たいものを感じた。
「……こんなに胸が躍るのはヒトクイ統一以来だな……」
ポツリとそう呟いたガルワンドの言葉を聞き逃さないマシュー。今でこそどこか頼りない表情をしているガルワンドであるが、自分の横にいる者は、自分が生まれる前からヒトクイで戦い、ヒトクイ統一を生き抜いた者、ヒトクイの王やその当時周囲にいた者達には劣るもののそれでも生ける伝説と呼ばれる存在なのだとガルワンドに凄みを感じるマシュー。
「上陸準備」
「あ、はい?」
ガルワンドの凄みに当てられ、一瞬反応が遅れるマシュー。
「上陸準備だと言っているマシュー君……早く皆に伝えなさい」
一瞬それが戦闘開始の言葉と理解できずマシューが戸惑ってしまうほど静かで優しい口調のガルワンド。だがガルワンドの表情は、今にも飛び出していきそうなほど狂気に歪んでいる。その表情をみたマシューは、直ぐに踵を返し、近くにいた伝令兵の下へと走り出した。
「ふむ……相手は魔物ではあるが、久々の戦場……内に宿る鬼が錆びついていなといいいが……」
ガルワンドはそう言うとゆっくりと腰に帯剣していた剣を引き抜く。鞘から引き抜かれた剣の刃に映るガルワンドの横顔は、もはや同一人物とは言えぬほどの表情を浮かべ黒く染まったユウラギを見つめていた。
― 混合船団先頭 サイデリー製大型船 ―
「いッ……たたた……頭痛い……」
自分はなぜ部屋にいるのか、そして寝ていたのか理解できないまま部屋の外からする騒がしい声にソフィアはベッドから体を起こし原因不明の頭の痛みを感じながら部屋の外から聞こえる騒がしい声に耳を向けた。
「くぅ……ああ、頭が……頭が割れる……」
しかし部屋の外からする騒がしい声はソフィアの頭に響く痛みを増幅させてしまい、騒いでいる内容を聞く余裕など無かった。
「くぅ……これ……二日酔いってやつか……」
心を落ち着かせ頭に響く痛みに堪えるソフィアは、霧がかる記憶を辿る。
「確か……ブリザラと食堂で……」
ソフィアは昨晩食堂でブリザラと酒を飲んだ事を思い出した。最初は嫌な事を洗い流すように酒を流し込んでいたが、酔いが回るにつれ、その趣旨が変わっていたような気がするソフィア。しかしそれ以降の事は絶対に開けてはいけないとソフィア自身の本能が硬く記憶に鍵をかける。
「……思いだせない……いや……思いださないほうがいいのかも……」
どれだけ量の酒を飲んだのかは分からなかったが確実に適量の度を超えている事は明らかであり、無茶な飲み方をしてしまったと後悔するソフィアは深いため息を吐いた。
酒との付き合い方をもっと考えなきゃと後悔を心の奥底に押し込みつつ、今度はしっかりと騒いでいる声に耳を傾けるソフィア。
「……ユウラギ……!」
部屋の外の騒ぎから聞き取れる内容の中で、ユウラギという単語が多く聞き取れる。それは自分が乗る船の目的地であり、ソフィアは目的地に着いたのだと気付いた。
いてもたってもいられなくなったソフィアは、自分が寝ていたベッドから飛び起きると部屋から飛び出し一番近くにある窓へと向かった。
「……黒い……あれは……魔物」
ソフィアが見た窓から見える風景は、大陸では無く黒く染まった何かであった。その何かが魔物であるとすぐに気付いたソフィアは窓から顔を離した。
「上陸準備だ!」
慌ただしく廊下を走りぬけていく兵達に言葉に驚くソフィア。
「上陸って……すぐに戦闘が始まるじゃない」
外の状況からみて、上陸する段階で先頭が始まる事を理解したソフィアは一度自分が寝ていた部屋に戻るとすぐさま戦闘で必要になる物をかき集めると、部屋から飛び出し甲板へと向かうのであった。
― 混合船団先頭 サイデリー製大型船 甲板 ―
漂う風は、嵐の前触れのように静かにだが強く吹いていた。風によってなびく髪を手で押さえながら、船の甲板に立つサイデリーの王ブリザラは、視界一杯に広がる黒く蠢く魔物の群れに包まれたユウラギを見つめていた。
『王よ、時はきた』
髪を押えていないほうの手に持たれている大盾、伝説の盾キングが、自分の所有者であるブリザラに話しかけるとブリザラは何も言わず静かに頷いた。
何かを決意したように視線の先に写る魔物の群れによって黒く染まるユウラギを見つめるブリザラ。だがブリザラはユウラギを見つめていた訳でも、ユウラギを黒く染める魔物の群れを見つめている訳でも無い。その奥に確かに感じる存在をその真紅に染まった目で見つめていた。
その存在の計り知れない力の流れは感じただけでブリザラの体中に痛みを走らせる。
「……キング……よろしくね……」
その痛みが本物であるのか、それともただの気のせいなのかは分からないがブリザラは確かに痛みを感じながら、これから一緒に戦うキングによろしくと一言口にした。その言葉はサイデリーの王としてでは無く、ブリザラ=デイルという伝説の盾の所有者としての言葉であった。
『……この命に代えても』
しかしその声に出会った頃や、旅立った頃のような、無邪気さや頼りなさは一切無い。そこにいるのは盾士としての己が使命を胸に刻んだ戦う者のとしての言葉であった。キングはブリザラの言葉に込められた意味を汲み取り己の本来の役目である伝説の盾としてブリザラの言葉に答えた。
ここから始まるはガイアスの命運をかけた戦い。突如として姿を現した魔王を討つ戦い。しかしブリザラが今考えているのは魔王を討つのではなく、その魔王を救う事であった。
(アキさん……絶対に助けてみせます)
可能性としては低いのかも知れない。もしかしたら可能性という言葉すら無いのかも知れない。だがブリザラは何処にあるのかも分からない僅かな可能性という望みを胸に、自分に痛みを走らせる存在に対して届いているのかも分からない想いをぶつけるのであった。
「王!」
甲板に立つブリザラの背後に駆けより跪く一人の男。
「……兵達の準備が整いました……いつでも上陸、及び戦闘を始める事ができます」
サイデリーの紋章が刻まれた大盾を手に持つ男、最上級盾士ランギューニュがサイデリーとヒトクイの混合船団の兵達の準備が整った事を伝えにやってきた。そこにはいつものようにヘラヘラとした面構えのランギューニュの姿は無く、最上級盾士としての職務を務めていた。
「分かりました……直ちに上陸を開始、すぐに戦闘態勢に移ってください」
ブリザラはランギューニュに振り返る事無く、上陸命令及び戦闘命令を出した。
「はい!」
ブリザラの命令に返事を返したランギューニュはすぐさま踵を返し甲板を降りようと走り出す。しかしすぐにその足を止めた。
「ああ……やっぱり真面目なのは性に合わないな……ブリザラ様」
少し離れた所から再びブリザラに今度は何時もの調子で声をかけるランギューニュ。
「……あんまり堅くなっていると、出来る事も出来なくなりますよ、これは先輩盾士としての忠告、そんでこの戦いが終わったら、一回デートでもしましょう! これはサイデリー1の色男からのお誘いです」
ケラケラと笑みを浮かべブリザラの答えを聞く事なくその場を後にするランギューニュ。
「ありがとう、ランギューニュさん、ですがそのお誘いには乗れません」
それがランギューニュなりの気遣いであり、デートが冗談である事は承知のうえであるブリザラは、本人が居なくなった事を確認してお断りの言葉を口にし戦いの前の最後の笑みを浮かべた。
『……王よ、我々も行くとしよう』
ブリザラの小さく浮かべた笑み。しかしその笑みすらもキングからすれば不自然なものであった。いつから自分の所有者はここまで笑顔を作るのが下手になってしまったのか。キングはそう自分が導いてしまったのではないかと後悔しながら、それでも戦場へと導くしかない自分に怒りを覚えていた。
「うん……行こう」
キングの言葉に頷くブリザラ。ユウラギとブリザラの乗る船の距離はすでに上陸寸前の距離にまで迫っていた。それを確認したブリザラは、甲板を降りず、その場から走り出しユウラギの大地へ向けて飛び降りていくのであった。
― ヒトクイ製 志願兵大型船 ―
「お前ら! うまい飯はたらふく食ったか!」
志願兵統率であるガイルズの雷のような声がヒトクイ製大型船の甲板に響き渡る。
「ウォオオオオオオ!」
それに対抗するように志願兵達の鼓膜が破れるのではないかという雄叫びが甲板に響きわたる。
「うるせぇぇぇぇぇぇぇ!」
自分の声を棚に上げ、甲板に立つ志願兵達を怒鳴り散らすガイルズ。そのガイルズの行動に甲板のあちこちからは笑い声が響く。
「うまい飯くったら、その分働くのが筋だ……死んでこいとはいわねぇ! 死ねぇ! 死ぬ気で飯の代金を払ってこい!」
荒くセンスの無い激を志願兵達に浴びせるガイルズ。しかし誰一人としてガイルズの言葉に批難の声を上げる者はいない。それはガイルズの演説がとても口汚く不器用である事を皆理解しているからだった。
「釣銭叩きつけてやるぜ!」
「無銭飲食している奴がいたらただじゃまさねぇぞ!」
「それをお前が言うな!」
皆一同に想い想いの言葉を口にしガッハハハと笑い声を上げながら、ガイルズのセンスの無い激に悪ノリしていく。
「えー、とにかく皆、ここからが踏ん張り所だ! 気を引き締めて団体で行動を心がけて、決してガイルズさんのような真似はしないでください!」
志願兵統率補佐であるユウトはその状況に困った表情を浮かべ、自分の持てる精一杯の大声を張り上げ志願兵達に身を引き締めるよう注意を促した。
「真面目すぎるぞ!」
「力みすぎて糞でるぞ!」
「だからそれはお前だろ!」
「今から遠足に行くのか!」
まともな事を言っているはずのユウトの言葉にすら戦いを前に高ぶる志願兵達にとっては良い悪ノリのネタになってしまう。しかしこれは志願兵達がユウトを下に見ているのではなく、あくまで自分達の士気を高める儀式のような物であった。それを理解していたユウトは志願兵から浴びせられる悪ノリの言葉を全て受け入れていた。
「お前……もっとセンスの効いた事いえねぇのかよ」
「センスって……はぁ……まあいいですけど……」
あの言葉の何処にセンスがあるのかと一瞬考え直ぐに考えるのを止めたユウトは苦笑いを浮かべた。
「へへ……まあでもこれでいい……あいつらの事頼むぞユウト」
「それはこっちの台詞です」
ユウトの言葉に笑みを浮かべるガイルズ、それにつられるようにして今度は満面の笑みを返すユウト。今から戦いに向かう者達とは到底思えない光景が、そこには広がっていた。
「さぁ……じゃ行くぞ野郎共! 魔王の身ぐるみ全部ひっぺ剥がして、豪遊としゃれこむぜぇえええええええ!」
どう聞いても盗賊のそれにしか聞こえない言葉を叫びながら、ガイルズは志願兵達と共に声を張り上げるのであった。
― ユウラギ 深部 ―
「騒がしくなり始めましたね」
その場所からは到底聞こえるはずの無い海での騒ぎをあたかもまじかで聞いているように、髑髏の仮面をつけたこれぞ死神と言った姿の者が、魔物達の骨によって作られた王座に座る者に声をかけた。
「……」
しかし骨で出来た王座に座る者は一切死神のような者に対して口を開くことは無く、ただ壁をじっと見つめ続けていた。
「あらあら、もうずっと魔王様は私に口もきいてくれない、相当機嫌が悪いのですね……」
骨の王座に座る魔王の態度にどこかふざけた様子で独り言を漏らす死神。
「……ご機嫌が治るまで、勝手にやっちゃいましょう」
何か悪戯を始めるかのようにワクワクと体をくねらせながら死神は、歩いているのか浮いているのか分からない動きで魔王がいる部屋から動くと、壁にもたれかかる黒い霧を纏う女性に何も無い虚空のような果たしてそれが視線と呼べるのか疑わしい視線を向けた。
「相手は大人数……ならばあなたの出番ですね……いきなさい水を司る……いや今は黒水と死を司る神精霊、ウルディネ」
死神の言葉に表情なく頷く黒い霧を纏ったウルディネは壁から背を離すと、ゆっくりと出口へと歩き出した。
「ああ、そう言えば、死を司るだと……私と被りますね……まあ私、死神じゃないんですけど」
誰に言っているのか謎である言動を口にする死神はウルディネの背中を見つめながらどこから声が出ているのかも分からない声で笑い声を上げた。
死神がウルディネの後ろ姿を見送っている最中も、魔王はジッと壁を見続けていた。しかし魔王はただ壁を見続けている訳では無い。壁のその先、遥か彼方には海を見つめていた。その海に集結する船団の先頭を行く船を見つめていた。船団の先頭の船の甲板に立つ一人の人間を見つめていた。
人間というにはあまりにも強大な力を持ったその視線を魔王は愛おしそうに見つめ続ける。
(……まだそんな事言っているんだな……)
僅かに表情に変化を見せる魔王。その表情は魔王というにはあまりにも人間らしく、これから世界を破壊しようとしている者には見えない僅かな悲しい笑みであった。
ジッと壁の方へ向けていた視線を自分の手に向ける魔王。
(……揺らぐな俺の心……もう後戻りはできない……もしここで俺が止めてしまえば……あいつの運命は、いや……あいつ達の運命はこの可能性を失った世界に縛られ続ける事になる……)
魔王は己の揺れ動く心を必至で支えるように自分が望んだ役割を心の中で呟くと見ていた手を握りしめた。
「……死神」
「はいは~い、何ですか魔王」
久々に声をかけられた事に喜びを現しながら振り返る死神。
「短期で決着をつける……出し惜しみは無しだ……お前も出ろ」
「……そうですか……短期で決着を付けますか……ではすぐに世界の消滅が見れそうですね……」
髑髏の仮面によって表情が分からない死神、しかしその声から死神が楽しんでいる事は明白であり、その姿を見つめる魔王は表情に出さないが嫌悪感を抱いていた。
「……これより……終末を始める!」
魔王の下に付く者は死神以外その場にはいない。しかし魔王の宣言によって、ユウラギの沿岸でサイデリーとヒトクイの混合船団を待ち構えていた魔物達は、一斉に動きだす。
(もう足掻くのは俺だけでいい……)
先程まで僅かながら人間らしい表情を浮かべていた魔王、だが今はもうその僅かな欠片すら消え失せ、魔王としての顔になっていた。
― 場所不明 ―
「うむ、これで一通り修復は終わったな……」
右も左も分からない暗闇の場所、そこにポツンと灯る赤い光。その光は竈から発せられる火の光であった。その竈の火を背に何かを見つめる老人が一人。
「……まさかこの歳になってこんな代物に触れることが出来るとはな……」
一仕事終えた後なのか、少し気の抜けた表情で老人は、暗いその場所で竈の火によってぼんやりと浮かび上がる全身防具を見つめた。
その全身防具は老人が作り出した物では無い。ある日唐突に、この暗闇にボロボロの状態で落ちていた。それを老人が拾い打ちなおし鍛え直したものであった。
老人曰、ガイアス全土にいる鍛冶師が束になってもこんな代物は作れないという。老人が言うように、その全身防具人の手によって作られたとは思えないほどは美しく、そして猛々しくまるでそれは伝説と呼ばれるような代物であった。
「さて……そろそろあっちも頃合いだろう……」
全身防具から視線を外した老人は、何も見えない黒闇に視線を向ける。そこには何も無いはずであった。しかしよくよく耳を研ぎ澄ますと、そこからは小さな呼吸音が聞こえてくる。何も見えはしないが確かにそこには何かが存在していた。
「……こちらは準備ができたぞ!」
老人は小さな呼吸音のする方角へ声をかける。するとしばらくして、そこから人影がぼんやりと浮かびあがってきた。
「終わったのか?」
「ああ……冥途の土産にいいもんを触らせてもらった」
姿がまだはっきりとしないその者の言葉に、老人は人生の最後にこれほどの代物に出会え、触れ合うことができた事に満足した表情を浮かべながら答えた。
「まあしかし……心残りといえば、わしがこれほどの代物を己の手で作れなかった事だな……」
鍛冶師の本能なのか、はたまた老人自身が本来から内包する負けん気の強さなのか、世紀の逸品であるその全身防具を前に、その言葉には、自分では到底到達できないという口惜しさと畏怖が滲みでていた。
「ヴァンゲル、縁起でもない事を言わないでくれ、まだまだこれからだよ」
困ったように笑いながらその者は竈の火の前に姿を現した。そこにいたのは、ガイアスでは行方不明、もしくは死亡扱いとなっているスプリングであった。
スプリングがガイアスから姿を消して二年。しかしガイアスで二年もの時間が経っているというのにその姿はボロボロになっているものガイアスからその姿を消した時と殆ど変わっていなかった。
「老人にあまり無理を言うでない、これでも色々と限界だ」
ヴァンゲルはそう言いながら豪快に笑い声を上げると、よっこらせと口にしながら立ち上がる。
「それでお前のほうはどうなのだ?」
「ああ、完璧とは言えないけど、やれることはやった」
時間の経過をあまり感じさせないその姿ではあったが、はっきりとそこには以前よりも自信をつけたスプリングの表情があった。
「そうか、ならばわしも言うことは無い、さあ、最終調整だ、試着してみろ」
「本当に……これを……クイーンを俺が纏うのか?」
ヴァンゲルの言葉に困った表情で立てかけられた全身防具に視線を向けるスプリング。
クイーンと呼んだ全身防具、形や色が以前とまるで別物であるが、以前スプリングの双子の弟であるアキがその身に纏っていた代物、伝説の防具クイーンであった。
「当たり前だ……今お前以外にこれを纏える者はいない、それはポーンもクイーンも同意しているだろう」
『そうだ主殿、アキはクイーンの所有権を破棄した……』
スプリングの腰に帯剣された伝説の武器ポーンが突然声をあげる。しかし一旦言葉を切るポーン。
『すまない、言い方に謝りがあった……すでにアキという存在はこの世界に存在しない……存在しない者を所有者として我々は認識する事は出来ないのだ』
ポーンの言葉は、スプリングの目の前に立てかけられたクイーンを気遣っての言葉であった。しかしその言葉に意思を持っているはずのクイーンは答えない。
「今は眠りについておる……クイーンも色々と整理しておるのだろう……」
答えないクイーンの代わりにヴァンゲルが答える。
「……」
居心地が悪そうにするスプリング。正直複雑な感情が胸の中で入り混じるスプリングは素直にクイーンを纏う事を考えられなかった。
『大丈夫だ主殿、これは体の情報がアキと酷似している主殿だから、いや主殿にしか出来ないことだ』
それがスプリングへの説得になっているのかは分からない。しかしポーンは強い口調でスプリングにクイーンを纏う事を進める。
そこにはポーンの全く異なった二つの思いがあった。
一つは単純に戦力増強であった。1に1を足せば2になる。伝説の武器ポーンを所有しているスプリングが、伝説の防具クイーンを所有することによって簡単に考え戦力は上がる。いや、この場合、答えは2では無く二倍もしくはそれではきかないほど跳ね上がる。そうなれば、これからの戦いが各段に楽になるのは言うまでもない。それ故にビショップを除く伝説の武具達は、最初自分の所有者が他の所有者に接触する事を拒んだ。
もし所有者の誰かがそれに気付けば、そこからは泥沼な戦いが始まる事は分かりきっていたことだからだ。そして最後に泥沼に立っていた者は、その行為が無意味であった事に気付くのである。
伝説の武具達には意思があり、己の所有者を選ぶ権利がある。自分の所有者を殺された武具が、その者の物になる訳がないからだ。
だがスプリング達は違った。誰一人として、全ての伝説の武具を揃えようなどと考える者は居なかったからだ。あの世界の消滅を望んだユウトですら、そんなそぶりは一切みせなかった。
それほどまでにスプリング達は、伝説の武具を所有する者として立派な人格を持っている事を示していた。そしてさらにもう一つの要因としてスプリングとアキの関係があった。
アキの双子の兄であるスプリングならば、クイーンもそれほど抵抗無く所有権を移行できるのではと考えたからだ。案の定クイーンはポーンの考えに賛同した。いやクイーンからすれば賛同するしか無かったというのが本当の所であった。クイーンにはどうしてもスプリング達についていかなければならない理由があった。それが2つ目のポーンの思いでもあった。
自分から離れていったアキと再会を果たし、自分の想いをぶつけたい。そんなクイーンの想いをポーンは汲んでいたのだ。
スプリングと行動を共にすれば、最後に行きつくのは魔王、クイーンの所有者であるアキであった。ポーンは望まない形で離れてしまったクイーンとアキをどうしてももう一度めぐり合わせ、クイーンの想いを果たしてあげたかったのだ。たとえその先に待つのが悲しい結果になったとしても。
「わ、分かった……」
スプリングはポーンの勢いに観念したのか、少々戸惑いつつも、クイーンに近づき手を触れる。
『声帯認証を確認、マスター認証……完了……その他全ての項目全て正常……』
スプリングが触れる全身防具クイーンから、抑揚の無い声が響く。すると一瞬にして暗闇の空間を食い破るように白い光に包まれるのであった。
ガイアスの世界
謎の空間での時間の経過。
ガイアスでは二年の歳月が過ぎているが、スプリング達がいる空間では、二カ月ほどしか経っていない。しかしここから先はもっと時間の流れがずれていくようで、スプリング達がこの空間から脱出する限界が迫っているようであった。




