最後で章 戦いに向けたそれぞれの努力
ガイアスの世界
サイデリー製大型船、食堂で起こった事
決して踏み入れてはならない領域がある。それが食堂で何があったかということである。それは語ってはならない物語であるもしかしたら後に語ることになるかも知れないが、今はその時ではない、その時では無いのだ。
サイデリー製大型船、とある料理人談
最後で章 6 戦いへ向けたそれぞれの努力
闇の力渦巻く世界、ガイアス
サイデリーとヒトクイの混合船団は、夜明けとともにムウラガ海域を抜けた。突然の天候悪化や魔物の襲撃も無く、不思議なほど混合船団は海を進んでいた。何かあったとすればサイデリーの王が乗船しているサイデリー製大型船内で起こった揉め事ぐらいであったが一時大事になりかけはしたが一段落を迎え今は落ち着いていた。そんなほぼ安定した混合船団の前には、まるで旅行だと勘違いしそうなほどの気持ちの良い朝日が降り注いでいた。
朝日の光がサイデリー製大型船内にある食堂の窓を通り眠るブリザラの目をくすぐる。
「……ん……うぅぅ……頭痛い……」
ゆっくりと真紅の目を見開くブリザラ。頭に何か鈍器で打たれたような痛みを感じたブリザラは頭を押えいつの間にか寝ていた食堂の長テーブルから体を起こした。
ブリザラの視線の先には何本も転がる酒瓶や食べ残した料理、それに囲まれるようにして寝息を立てるソフィアの寝顔があった。
「……」
正直食堂に入ってからの記憶が無いブリザラは、周囲の状況を見渡しながら頬をピクピクと引きつらせた。
「……キング……」
『……起きたか……王……』
ブリザラの呼びかけにどこか気まずそうに答える伝説の盾キング。ブリザラの呼びかけに答えたキングはなぜかブリザラの位置から少し離れた厨房内に綺麗に並べられた食器と一緒に置かれていた。
「……一体何があったの?」
キングが何処にいるのかすぐに把握したブリザラは、深刻な声を上げながら厨房に入り食器に囲まれたキングを手にとった。
『……う、うむ……とりあえず、聞かないほうがいい……と思うぞ……』
「……そ、そう……キングの忠告だから私はそれ以上何も聞かないは……」
互いにどこかよそよそしい二人。キングの言葉に何かを悟ったのかブリザラはそれ以上何も聞かず再び自分が寝ていた位置までキングを手に持ち戻った。
「あ、あの……すいませんそろそろ朝食の準備をしたいのですが……」
「えッ!」
突然の声に肩をビクつかせ、壊れた玩具のように刻みながら声の方向に振り向くブリザラ。
そこにはコック帽をかぶった男がなぜか怯えた表情でブリザラを見つめていた。寝ていないのかコック帽の男の目の下にはクマが出来ており、疲労が伺える。
「……あ……あ……」
あまりにも自分に対して怯えているように見えるコック帽の男に言葉が詰まるブリザラ。食堂に入ってからの事を何もブリザラは一体何が起こったのか理解できなかった。
ソフィアとユウトの騒動の後、ソフィアは泣いていてそれを自分は見ていることしか出来なかったはずだと霧がかっている記憶を呼び起こそうとするブリザラ。だが本当にそれ以上の事を思いだせず、ブリザラは再び寝ているソフィアを中心に周辺を見渡した。
テーブルに散らかった酒瓶や食べ残った料理、爆睡するソフィア、キングの動揺した声、そして明らかにブリザラに対して怯えそして疲労が目に見えるコック帽をかぶった男。
「……」
この状況からブリザラは自分とソフィアがこの場でどういう状況であったのかを推理しそして顔を真っ青にした。
「……あ、あの……」
「ひぃ!」
食堂の入口で直立不動で経ち続けるコック帽の男に恐る恐る声をかけるブリザラであったが、コック帽の男は小さな悲鳴をあげた。
やはり明らかに自分に対して恐れを抱いていいるその反応に、頭痛が更に酷くなったように感じたブリザラは再び頭を抱えた。
「……コックさん……すいません……私は多大なご迷惑をかけたようですね……」
「……い、いえ……そ、そんな事は……王は……とても……」
声が裏返りながら、引きつった顔でコック帽の男がそう言いかけた瞬間、覆いかぶさるようにして黒い影が現れその影は一瞬のうちにコック帽を飲み込んだ。
「えッ!」
『……すまん犠牲者よ……それ以上は……王の為だ……』
ブリザラの手元から大きな口に変化したキングはまるで口封じとでもいうかのようにコック帽の男を一飲みすると咀嚼を始めた。
「犠牲者……? どういうことキング!」
キングの口にした犠牲者という言葉に過敏に反応するブリザラ。
『だ、大丈夫だ、王は気にしなくていい』
思わず口を滑らしたキングはしどろもどろにブリザラの問に答えた。
「……キング……私は……なんと取返しのつかない事を……」
しかしブリザラは絶望の淵を歩いているような表情をしていた。
『大丈夫だ王よ……私の禁じられた力を使いこの者の記憶を改変する……』
そういうと大きな口に形を変えていたキングは、咀嚼を終えコック帽の男を吐き出した。
「……へっ?」
吐き出されたコック帽の男は訳が分からないといった表情で周囲を見渡す。
「あ! 王、おはようございます、お早いですね、すぐに朝食の準備を始めますので少々お待ちください!」
「……え、ええ……」
その視線にサイデリー王ブリザラを捉えたコック帽の男は、先程の怯えや疲労が嘘のように爽やかにブリザラに挨拶をすると笑顔を浮かべテーブルに散乱した酒瓶やお皿を手際よく片付け始めた。コック帽の男はどうやらキングが禁じられていると口にした力の影響で、真夜中の食堂で起こった何事かを綺麗さっぱり忘れているようであった。
何事が起こったのかは分からないが長時間による拘束と緊張、そして一睡も出来なかった睡眠不足の全てがキングに喰われた事によって回復したコック帽の男は、どうやら普段よりもかなり体の調子がいいらしく常人では考えられない恐ろしい速度で、サイデリー製大型船内にいる者達の朝食を作り始めた。コック帽の男の体に起こった全ての効果はコック帽の男の記憶を奪ったキングのせめてもの償いであった。
「ああ、私は……」
一夜の記憶を忘れ慌ただしく働くコック帽の姿に罪悪感を抱くブリザラ。
『王よ……罪悪感を抱くことは無い、夜の事は……王の恥部……ゴホンゴホン……ただの幻なのだから……』
「ああ……やっぱり私、何かとんでもなく酷い事をしていたのね……」
誤答しないよう気を付けていたはずなのに再びうっかり言葉を滑らせてしまったキング。うまく誤魔化そうとしたが全く誤魔化せきれずブリザラはガクリと肩を落とした。
自分の犯した何事かを頭痛のする頭で考えながらブリザラは力無く歩きだし未だ爆睡するソフィアの下へと向かった。
「……ソフィアさん、起きてください、そろそろ皆さんが朝食をとりにここへやってきます」
力無くそう言いながらソフィアの肩を揺するソフィア。
「う、うぅぅぅ……ん……あと五時間……」
「五時間も寝ていたらお昼になってしまいます、おきてください」
「うぅぅぅううん……じゃ後二時間……」
少し強く肩を揺するブリザラ。しかしそれでもソフィアが起きる気配は無い。
「……はぁ……」
深くため息を吐くブリザラ。
『どうする王、私が運ぶことも出来るが』
「ううん……大丈夫、私が運ぶ」
そう言いながらブリザラは寝ているソフィアをその容姿からは考えられないほどの怪力でソフィアを片手で持ちあげた。元々見た目に反した筋力を持っていたブリザラであったが、今のブリザラの筋力は異常と言っても過言では無かった。
伝説の盾キングの通常の大きさは大盾。サイデリーの盾士達が使う盾よりも一回り大きい。しかしその見た目に反してキングの重さはそれほど重くない。それ故に見た目細い線のブリザラにでも素早い取り回しを行うことができる。
しかし軽い盾には欠点がある。もし対峙した相手の攻撃が想定以上の重さをもっている場合、最悪の場合、軽いブリザラの体重だと重量の軽い盾では吹き飛ばされたり押し潰されたりする可能性がある。故に盾を扱う者は盾の重量には細心の注意を払うことになる。
しかし今までのブリザラには全く問題の無い事であった。なぜならキングは己の形状、重量を自在に操ることが出来るからだ。
今までは相手の攻撃の瞬間それに合わせキングが大きさや重量を瞬時に変化させることでブリザラにかかる負担はほぼ零といってもいい。まさに鉄壁の盾、伝説の盾という名に相応しい能力であった。
それに加えブリザラとキングは互いに絶対防御という未だ一度も完全には貫かれた事の無い結界を使えるのも大きかった。
しかしブリザラは自覚していた。絶対防御やキング自身の絶対的な防御は確かに優秀であったが、いつそれを脅かす者が現れてもおかしくは無い。事実、アキと伝説の防具の中に存在していた黒竜にはギリギリの所まで押し込まれた事もあった。
神精霊であり『闇付き』となったウルディネには黒い霧によってキングを構成している月石は侵食されボロボロにされた。
そのどちらもブリザラに致命傷を負わす事は出来なかったがいつ黒竜や『闇付き』となったウルディネ以上の力を持った存在が現れてもおかしくは無い。いやすでにウルディネ以上の力を持った者は存在するのだ。その者と対峙した時にどうするべきか、ブリザラはフルード沿岸での戦いの後から考え続けていた。
もし絶対防御を突破する攻撃をされたら、その攻撃がキングすらも突破し自分自身に向かってきたら。ブリザラは自分に迫る一番最悪な事体を想定し、今の自分に何が足りないのか考えそして行きついた。その答えは単純明快、己を鍛える事であった。
絶対防御やキング自身の力に頼りがちな所があったブリザラは、もう一度初心に帰り徹底して盾士について学び鍛えることにした。
今は亡きハルデリアと一緒に稽古した時のようにただ憧れたからでは無く、世界を守るため前線に赴く一盾士としてブリザラは、盾士と呼ばれる者達、それも最上級と名の付く者達に頭を下げ指南を仰いだのである。
サイデリーの王という立場上、王の仕事は激務であったが、その合間を縫ってサイデリーの四方を守護する最上級盾士達の技を見て学び己の技へと昇華していった。その努力の甲斐もありブリザラは盾士としての膨大な知識と技、そして毎日欠かさなかった訓練によって細い体に強靭で強力な筋肉を生み出し、ブリザラの力を各段に向上させたのであった。
その筋力は四人の最上級盾士の誰よりもずば抜けており、今のブリザラは大の大人十人であろうと軽々と片手で持ち上げることができるようになっていた。この筋力によって己の形や重量を自在に操る事のできるキングの最大重量の形状変化、重量変化に耐えれるだけの下地を作ったのだった。
女性として二年前よりも更に美しくなったその容姿とは裏腹に、見た目それほど変わらない体のラインに隠された人間離れしたブリザラの筋力は、ソフィアを抱える事など羽毛を持つほどにしか感じられない。それ故に完全に脱力状態であり爆睡中のソフィアを部屋に運ぶ事など造作もない事であった。
「コックさん、私は一度部屋に戻りますね」
船の乗組員約千人以上の朝食を本来ならば数十人で作るはずの作業を物凄い作業で一人こなしていくコック帽の男に一声かけるブリザラ。コック帽の男は分かりましたと爽やかに返すとすぐさま作業へと戻っていった。
ブリザラはすでに残像しか残っていないコック帽の男に軽く頭を下げると片手に抱いたソフィアと共に食堂を後にするのであった。
― ユウラギ海域 ヒトクイ製志願兵大型船 食堂 ―
ブリザラ達の乗る船の食堂とは違い、すでにガイルズやユウトのが乗船している船の食堂は、壮絶な朝食のとりあいとなりそこに秩序と呼ばれるものは見当たらなかった。我得物を獲得しようと目を血走らせる者達。
「それは俺のもんだ!」
「いや、そのエビのスープは全部俺のもんだ!」
「じゃそのイカの炒め物は俺が全部貰ってやる!」
「このパンは俺が頂く!」
「お前米派って言っていただろう!」
その口々からは食への欲望が吐き出され騒がしい声となり食堂を慌ただしくさせる。
なぜここまで志願兵達が朝食にこんな騒ぎになるのか。それはヒトクイとサイデリー両国から提供された食料がどれも良質な物ばかりだからだ。見ただけですぐにうまい分かる食材、見たことは無いがすぐにうまいと分かる食材。なぜかそんな食材ばかりが、混合船団に積み込まれていたのである。
そして駄目押しとでもいうかのように、各船に集められた料理人の腕は一流の者ばかりであり、さらに駄目押しを言えば戦闘もできる戦う料理人という人種であった。そんな超一流の料理人が集まる食堂である、志願兵達は普通では食べられない料理に有りつこうと目を血走らせるのも分からなくない。
志願兵を乗船させたヒトクイ製大型船内にある食堂はさながら朝食をかけた戦いのようになっていた。
「たく……朝食なんだからもっと静かに食えないのかこいつら」
と言いつつガイルズが座るテーブルの上には、山盛りとなったヒトクイとサイデリーの料理が置かれており、その料理に手を出そうとした輩はガイルズの太い腕で鉄拳制裁され吹き飛ばされていた。
「……言葉と行動があっていませんよ……」
苦笑いを浮かべつつガイルズの前に座ったユウトはサイデリーでよく食べられているパンを一つ口に入れた。
「なんだユウト、お前それだけしか食べないのか」
口に食べ物を入れながら目の前のユウトの食事の量に難癖をつけるガイルズ。
「ちょ、ガイルズさん食べながら喋らないでください、もうー汚いな……」
ガイルズの口から飛び散る食べ物から自分が食べているパンを守るユウトは、行儀の悪いガイルズに抗議した。
「……回復したとは言え、腹にまだダメージが残っていて、まだ少し気持ち悪いんですよ」
昨晩ソフィアに殴られ蹴られた腹を摩るユウトは自分の不甲斐なさに気を落とし俯いた。
「軟な体だな、お前」
「なぁ、……ガイルズさんみたいに僕は化物じゃありませんからね」
「喰うぞお前」
ユウトの言葉に笑いながそう言うガイルズ。ユウトもガイルズの冗談に笑みを浮かべる。ユウトのその口ぶりはガイルズが聖狼だという事を知っているようであった。
そうユウトは、いやこの場にいる全ての志願兵達はガイルズが持つ聖狼の力を知っていた。そしてそれが自分達にとって何の問題も無いという事を理解していた。
― 一年ほど前 ヒトクイ ガウルド城内 会議室 ―
それはガイルズが正式に志願兵の統率役になって数日が経った頃であった。ガイルズを含めた、ユウトと部隊長数十名が聖撃隊隊長インベルラによって会議室に集められていた。
「お前達に集まってもらったのは他でも無い、これからお前達にある事を話さねばならない」
そういうとインベルラはガイルズに近寄り耳を貸せという風にガイルズの耳に口元を近づけた。
「これから、ここにいる者達に聖狼の事を話そうと思う」
インベルラの言葉にガイルズの表情が僅かに歪んだ。
「……どういうことだ、インベルラ」
インベルラの肩を弾き距離をとるガイルズは、場を一瞬にして緊張させるほどの殺気をインベルラに向けていた。
「……そう怖い顔をするなガイルズ、心配するなお前だけでは無く、私も一緒だ……」
ガイルズから放たれる殺気をいなし笑顔を作るインベルラ。二人が何を話しているかは分からないが、ガイルズの殺気が場を一瞬にして緊張させたというのに、その殺気に全く動じないインベルラを見てユウト達は、さすが聖撃隊隊長だと息を呑んだ。しかしガイルズだけはインベルラの笑顔の端々が緊張していることに気付いた。それだけインベルラが口にしようとしている聖狼とは、本人にとってデリケートな問題であったからだ。
聖狼―— 『闇』の力を持つ存在、夜歩者に対抗するために数百年前の人々が作り出した『聖』の力を持つ獣。その力を持って『闇』の力を持つ夜歩者との激しい戦いに終止符を打った聖狼。しかし現在では聖狼という言葉すら知らない者達が多く今のガイアスにおいて、その力はただの化物と変わらず、当時幼かったガイルズとインベルラは別々の場所で同じような地獄を味わっていた。
ガイルズやインベルラの家系が聖狼であったというわけでは無く、二人とも元々はただの人間であった。
あるとすれば二人に聖狼になる上での因子が備わっていたということであろう。その二人が聖狼になるための呪物に偶然触れてしまったという事が、ガイルズとインベルラの日々を地獄に変えてしまった。
ガイルズはインベルラを見つめながら聖狼になってからの数年間の地獄の日々を思いだして顔を歪ませた。
自分と同じ地獄のような経験をしてきただろうインベルラが聖狼の力を明かすということはそれなりの覚悟が必要であるはずだと思うガイルズ。
「……ろくでもない事になるぞ」
心の何処かで聖狼の力を明かす事に恐怖を感じているインベルラの不自然な笑顔に向けガイルズはいい結果にはならないと警告する。
しかしインベルラはガイルズの言葉に顔を横に振った。
「ユウラギの地で突然お前があの姿になれば、それこそろくでもない事になると私は思う、ならば今、まだここにいる者達が冷静でいられている時に秘密を明かしたほうがいい……それにきっとお前を慕っているこの者達ならば大丈夫だ」
インベルラはガイルズの横に立つユウトや志願兵の隊長達を見渡しそう言った。インベルラの視線に誘導されるようにガイルズも今自分達が置かれている状況に不安な表情を浮かべるユウトや志願兵の隊長達を見渡した。
確かにガイルズの聖狼の力を理解してくれた者もいる。インベルラに至っては、宿敵であったはずの夜歩者レーニに命を助けられ育てられたという経緯もある。それを知っているガイルズは嫌でもインベルラの言う事を理解しない訳にはいかない。しかしそれはごく僅かなのだという事もガイルズは理解している。大半はガイルズやインベルラが聖狼に姿を変えると、魔物だと騒ぎ出し恐怖から悲鳴を上げ去って行くか、珍しい魔物だと勘違いをして目の色を変え、刃を向けるのが大半である。
自分を慕ってくれているユウト達を信頼していないわけでは無い。しかし正直自分が聖狼に姿を変えた時のユウトの反応が怖いというのがガイルズの正直な気持ちであった。
そんなガイルズの僅かな反応をインベルラは見逃さなかった。
「大丈夫だ……私が着いている」
同胞の言葉。同じ力を持つ者がいるという安心感。ガイルズは不意にもインベルラの言葉によって救われた気持ちになった。
あの日初めて出会った時、同じ力を持つ者がいたという驚きとは違いガイルズの心を温かくさせた。
「……フゥ……あー分かった……お前に任せるよ、さあやって頂戴、インベルラ」
そう言いながら笑みを浮かべガイルズは集められた会議室の椅子にドカリと座った。
「うむ、では、皆座ってほしい」
ガイルズの言葉に頷くインベルラは、立ったままのユウトや志願兵の隊長達に座るように指示をだした。その指示に従いユウト達はそれぞれ自分の近くにあった椅子に腰かけていく。
「……これからガイルズが持つ秘密……いや私達が持つ秘密をここに集まって貰ったお前達に打ち明けようと思う」
(たく……真面目な奴だ)
この場で秘密を明かすのはユウラギに向かうガイルズだけでいいはずなのに、ヒトクイに残るインベルラはわざわざ私達と口にした。それはインベルラの覚悟とプライドの現れなのだろうと察したガイルズは口を挟まず黙ってインベルラの言葉を聞いた。
「私達? ……」
ガイルズとインベルラに何か共通点がある事を見いだせないユウト達は首を傾げた。
「……まずは見て貰ったほうが早いだろう……」
そういうとインベルラは帯剣していた剣を壁に立てかける。
「しっかり見とけろ……これが俺達の秘密だ」
腕を組みしっかりとインベルラを見つめるガイルズはざわつくユウト達の気持ちをその一言で引き締めさせた。
「はぁぁあああああ!」
インベルラの気合の入った声とともに、インベルラの姿がみるみるうちに変化していく。
「えッ!」
ユウト達から漏れる驚きの声。ガイルズは自分の中で渦巻く不安と戦うように奥歯を噛みしめ、インベルラの身に起こる変化を見続ける。
ピンと立つ耳、大きく裂けた口、そこから覗く牙。女性とは思えないほどに大きくなる上半身、その上半身を覆う銀色に輝く毛。およそそこに人と呼べる姿をした者は居なかった。
「……」
静寂に包まれる会議室。ガイルズはユウト達に視線を向けられないままジッと聖狼へと姿を変えたインベルラを見ていることしか出来なかった。
「……これが私達の秘密、聖狼という力」
静寂を破ったのは聖狼へと姿を変えたインベルラであった。見た目とは裏腹に、どこか怯えたようにユウト達に自分の姿を説明するインベルラ。
「……」
しかしインベルラの説明に対して声を上げる者はいない。凍りついたような場の空気に耐えきれなくなり立ち上がろうとするガイルズ。しかしその瞬間であった。
「……なんだそんな事か」
一人の志願兵の一人が声を漏らした。
「……正直驚いたけど」
続く声。
「まあ、二人の力を考えたらこれぐらいの秘密があってもおかしくはないよな」
「そもそも二人とも化物みたいに強い訳だし」
気付けば凍りついたような場が嘘であったかのようにワイワイと話始める志願兵達。
「え……」「ああ?」
思いもよらなかった志願兵達の反応にインベルラとガイルズの口からは変な声が漏れた。
「お二人がどんな事を考えていたのかはわかりませんけど、皆が口にしている感想が答えです」
交互にガイルズとインベルラに視線を向けながら、ユウトはニコリと微笑んだ。
「そもそもお二人は強すぎるんです、皆でお二人は化物みたいだと話していたぐらいです、まあ正直、インベルラさんのその姿には驚きましたけど……」
ユウトの言葉に頷く志願兵達。そんな姿に驚き声も出ないガイルズとインベルラ。
「あれ? どうしましたお二人とも?」
固まる二人を見て首を傾げるユウトは、席を立つとインベルラに近づき手を振る。
「お前は私の事が怖くないのか?」
普段とは違い低くなったその声で目の前で自分に向かい手を振るユウトに質問するインベルラ。
「いいえ、かっこいいですよ、それにその銀色の毛は美しいですね」
ユウトの言葉に崩れるように腰を抜かす聖狼の姿のインベルラ。
「……そ、そうか……あり……ありがとう」
聖狼の姿になって浴びされられた悲鳴や罵声。しかし今そのどれとも違う自分を肯定する言葉にインベルラの目からは涙が伝う。
「インベルラ」
聖狼の姿のまま泣き崩れるインベルラの姿はチグハグのようにも思えるが、その姿にガイルズも安堵感を得ていた。
この場にいる者達は自分達の力を受け入れてくれる。今まで満たされなかった心がいっきに満たされ溢れるような感覚。ガイルズとインベルラは今この瞬間、聖狼の呪縛から解放されたような感覚であった。
「よし、お前ら、これから訓練だ! 訓練場に迎え! 俺の本気を見せてやる全員でかかってこい!」
溢れた心を抑えきれずガイルズはその場にいたユウト達に訓練場へ向かへと指示を飛ばす。
「え、それ本気ですか!」
「いやいや、間違いなく俺達死んじゃいますよ!」
「俺死にたくないよ!」
ガイルズの突然の提案に不平不満を漏らす志願兵達。しかしその中には一人として本気で嫌がっている者はいなかった。
「インベルラ……俺達は考え過ぎていたみたいだな……」
ワイワイ騒がしくしている志願兵を遠目にガイルズは床にペタリと座り込むインベルラの横に立つとポロリと呟いた。
「ああ……私は今凄く幸せな気分だ……」
聖狼の顔をしているインベルラの感情は読み取れないが、その口調から嬉しさが伝わってくるガイルズ。
「よし、その訓練私も参加しよう……当然私も本気だ!」
ガバッと勢いよく立ち上がったインベルラは、長身であるはずのガイルズを見下ろしながらワイワイと騒ぐ志願兵達に自分も訓練に参加する事を宣言した。その瞬間悲鳴にも聞こえる志願兵達の声がその場に響き渡った事は言うまでもない。
ガイルズとインベルラはこれを機に隊長以外の者達にも自分達の力を打ち明ける事を決断する。明かした当初、二人を恐怖する者達もいたが、ユウトを含む隊長連中の言葉もあり大きな混乱も起こる事なく、恐怖していた志願兵達は二人の力に納得し理解を示してくれた。理解してくれた事を知ったインベルラは理安心したのか胸をなで下ろしていた。
そこからは志願兵達の能力を底上げするための訓練にガイルズとインベルラ明け暮れた。例え数が揃おうともユウラギの魔物達に対抗できなければ意味がないからだ。
数々の訓練をこなす中でインベルラとガイルズはとある訓練方法を思いついた。それは志願兵の隊長達と試しでやっていた訓練、聖狼の姿となったガイルズとインベルラを仮想ユウラギの魔物と想定した訓練であった。。試しに志願兵の隊長達とやっていたその訓練を他の志願兵達にも行えば、いい経験になるのではないかと思ったのだ。しかしその訓練は思わない効果をもたらすことになった。
最初は手足も出なかった志願兵達であったが、しだいに強敵を目の前にした時の連携や攻撃などが洗練されていったのだ。
ガイルズとインベルラが考えていた以上の結果を生み出すことになったその訓練は、参加した志願兵全体の力を底上げしただけでは無く、個々の実力もそして気持ちも大きく成長させることができたのだ。
それは志願兵達一人一人の自信にもつながり、ガイルズが率いる志願兵達の実力は、ヒトクイの兵達以上のものへと進化していったのだった。
― 現在 ヒトクイ製志願兵大型船 食堂 ―
あの日以来、ガイルズは憑き物が落ちたように身が軽くなった事を自覚していた。それはヒトクイのガウルドにいるインベルラも同様であり、より一層ヒトクイを守るために自分の仕事に明け暮れている。
日陰に追いやられていた存在であった自分達を認めてくれる者達がこれほどまでにいるということはガイルズにとってもインベルラにとっても良い影響を与えていた。
「統率!」
ザワザワと騒がしい食堂に駆け込む連絡兵の声が響く。しかし当の本人は自分が呼ばれていることに気付かず目の前に山盛りとなった朝食に必至に喰らいついていた。
「ガイルズさん呼ばれていますよ!」
朝食に必至で喰らいつくガイルズを前の席に座っていたユウトは呆れた表情で見つめ、呼ばれている事を伝えた。
「ああ? ああそうか俺かが統率か? 何か聞き慣れないな」
料理を口一杯に詰め込みながらガイルズは自分が統率と呼ばれることに違和感を抱いていた。
「しっかりしてくださいよ、戦場でそんな状態だと困るのは僕達なんですから」
「弱っちいくせにうるせぇな、ソフィアにボコボコにされてるんじゃえねぇよ」
いっきに口の中の食べ物を飲み込んだガイルズは、ユウトの小言に青筋を立てて怒鳴り散らした。ゆっくりと席から立ち上がったガイルズは、朝食を取り合う志願兵達をかぎ分けて自分を呼んだ者の所まで歩いていく。
「俺を呼んだのはお前か?」
「あ、はい……その報告が……」
「報告……?」
ガイルズの事を呼んだ連絡兵は一呼吸を置いて口を開く。
「先頭を行くサイデリー製大型船より連絡がありました、目的地ユウラギ大陸を肉眼で確認、後数分程で、到着する準備されたし……との事です」
「……そうか……ありがとう……」
連絡兵に礼を言うとクルリと踵を返すガイルズ。
「お前ら聞け!」
慌ただしく料理を食べている志願兵達に向け叫ぶガイルズ。しかしガイルズの声が小さないのかそれとも朝飯を取り合うのに必至でそれ所ではないのか、殆どの志願兵達はガイルズの言葉に耳を貸すことは無く目の前の料理に夢中になっていた。
「……」
眉間に皺を寄せるガイルズ。
「お前ら……最近調子に乗る事を覚えやがったな……」
ワナワナと体を震わせながらそう呟くガイルズは大きく息を吸い込んだ。その行動を席に座り見ていたユウトは慌てて耳を塞ぐ。
「お前ら俺の話を聞きやがれ!!!」
床が揺れる、食堂が揺れる、船が揺れる。そう思うほどの馬鹿デカいガイルズの声が食堂に響き渡り、朝食に夢中になっていた者達の手が止まる。
「よう……馬鹿共……念願だった地獄にそろそろ到着だ……もしまだ食い足りないんだったらここで腹いっぱい食っとけ……もう食えなくなるかもしれないからな……」
不気味に笑みを浮かべるガイルズ。その凄みのある言葉と不気味に笑うその顔に常人ならば縮こまりそうなものだが、その場にいた者達の中に縮こまるような者は誰一人としていないどころか、その場にいた者達はガイルズの言葉に笑みを浮かべてみせた。
「良い顔だお前達、それじゃこれから地獄へ楽しいハイキングの始まりだ……準備を始めろ!」
ガイルズを見つめる志願兵達の表情に迷いは一切無い。その表情には確固たる自信に満ち満ちていた。
「「「ウォオオオオオオオオ!」」」
ガイルズの叫びを合図にしてその場に居た者達全ての雄叫びが、食堂を通り越し、船全体を通り越しユウラギ海域に響き渡る。それはユウラギの魔物達に向けての宣戦布告のようにも聞こえるのであった。
ガイアスの世界
キングの禁じられた力
キングが口にした禁じられた力。それは人の記憶を消す事。これをキングは外道の所業だと自ら使う事を禁じている。そして所有者に対してもその力を使えることは一切の秘密にしていた。
しかし今回は緊急事態であった。もしブリザラに食堂での一夜の事が知れれば、ブリザラは自我を崩壊しかねない。それほどまでの事があの食堂ではおこっていたのである。キングはブリザラの自我を守るために止む無く禁じた力をその場にいたコック帽の男に使用したのである。
これによって食堂で何が起こったのかを知る者はキング以外いなくなり永遠に闇に葬られることとなった。
とキングは思っているようだが、食堂で起こった事を目撃したのはコック帽の男だけでは無かった。キングは見落としていた、実はもう一人その場に料理人がいた事を、そしてソフィアの記憶を消し忘れていた事を……




