真面目で章 2 (スプリング編) 伝説の武器を奪う
ガイアスの世界 3
小さな島国ヒトクイ
ヒトクイは他の大陸に比べると強い魔物は少ない。だからと言って他の大陸に比べ劣っている訳ではなく、ヒトクイには謎が多い部分が数多くある。前時代の遺跡、ダンジョンも数多く残っており、学者などにとって興味のつきない土地であり、観光者にも人気があったりする。
真面目で章 2 (スプリング編) 伝説の武器を奪う
剣と魔法の力渦巻く世界ガイアス
― 小さな島国ヒトクイ ゴルルド ―
角犬の群れによる追跡をどうにか振り切ったスプリング達は再び『ゴルルド』の町へと舞い戻る事になった。
魔法使いに強制的に転職してしまった所為で基礎体力が目に分かる程低下したスプリングは町に着き自分の安全が確保された途端倒れ込んだ。
それから約一日、魔法使いになった影響で基礎体力が著しく低下したスプリングは、角犬に追いかけ回された事によって全身筋肉痛になり全く動くことが出来ず宿屋で静養を余儀なくされた。そんなスプリングの様子を見にやってきたガイルズはベッドで動けずにいるスプリングの姿に腹がはちきれんばかりに笑い転げていた。
スプリングは笑い転げるガイルズに対して協力すると言ったではないかと抗議したが、ガイルズは笑い転げるばかりで真剣にスプリングの話を聞いてはくれなかった。
自然治癒でしか癒えない筋肉痛を完全に癒す為、結局二日間を宿屋で過ごしたスプリングは、完全に筋肉痛が癒えるとその足で『ゴルルド』にある武器屋へと向かった。
しかし伝説の武器、喋るロッド、ポーンを手に入れたはずのスプリングが武器屋へ向かう必要があったのか、それは魔法使いという戦闘職にとって死活問題といっていい事が起こってしまったからであった。
3日前、角犬の群れに対してスプリングは魔法を発動しようとした。しかしその結果は散々なものであった。魔法は発動しない、角犬に追いかけ回さる、全身筋肉痛、後の二つは別にしても魔法が発動しないというのは魔法使いにとっては死活問題であった。魔法を発動できない魔法使いなど戦いの場では何の役にもたたないからだ。
だがスプリングが魔法を発動するのに失敗した理由が初心者であったからというのは違う。ポーンの説明通りスプリングは魔法を放つ為の行程を実行していた。では何が問題だったのか、それはスプリングが魔法を放つ為に触媒として使ったロッド、ポーンに問題があった。
戦闘職には熟練度というものがある。その熟練度の数値が高ければ高い程、その戦闘職が体に馴染み力を発揮できる値のようなものであるが、それは戦闘職が扱う武器にも反映される。簡単に言えば威力や効果が高い武器を使う為にはそれ相応な熟練度が必要になるということだ。熟練度の低い者は威力や効果の高い武器を扱うことが出来ないということであり、魔法使いとしての現在の熟練度が低いスプリングでは伝説の武器、喋るロッド、ポーンを扱うことが出来ない。スプリングが武器屋へと向かった理由はそこにあった。
それから更に四日、武器屋で購入した初心のロッドを持ったスプリングは、魔法の習得を目指して鍛錬を始めた。
魔法使いに強制的に転職されてから一週間、魔法の鍛錬を始めたのは四日前だというのにスプリングの成長は驚く程速く四大属性の初級魔法を習得していた。当然スプリングのやる気や努力の影響が大きいのは確かであるが、それにしても習得の速度が異常だと鍛錬をしている本人ですら驚いていた。
初級魔法の中で一属性を習得するならば初日で習得する者もいるだろう、しかし初級魔法の四大属性全てを一日で習得するというのはガイアス中の魔法使いでもそうはいないだろう。
『ああ、それは私の能力の一つ、≪成長促進≫だ』
自分でも驚く程の成長に驚くスプリング。するとその様子を見ていたスプリングはその成長の速度は自分の能力の一つだと言いだした。
『私は自分の所有者、即ち主殿の成長をサポートする能力を持っている、それは私という存在をうまく扱えるようになる為であるからだ』
「ま……まじか……」
思わず驚きの声が漏れるスプリング。ポーンの言った事は、それほどまでに驚く言葉であった。
成長というのは短期間で実感する事は早々ない。長い時間をかけてようやく僅かな成長を理解できるというのが普通である。しかしその僅かな成長を短時間で、それも目に見える程の成果を自分に突きつけるポーンという存在はやはりガイアスという世界にといて異常だと思うスプリング。
『だが正直私も主殿の成長速度には驚いている、私のサポートがあってもここまでの速度で成長するとは思っていなかった……』
それが決して自分の能力だけでは無い事をスプリングに伝えるポーン。
『主殿の努力の賜物ではあるが、もしかすると魔法使いの素質があるかもしれないな』
スプリングの努力を褒めるポーンは魔法使いの才能があるのではないかと続ける。
「それはないな……」
ポーンの言葉を柔らかく否定するスプリング。
『いや、それは主殿がそう思っているだけだ……両親のどちらかが魔法使いであったとか?』
スプリングに魔法使いとしての才能があると確信したポーンは、両親のどちらかが魔法使いであったのではと聞いた。
「……血縁か……それは無いな……母さんも父さんも戦闘職だったって話は聞いたことが無いし……」
ポーンの質問に少し表情に影を落としたスプリングは両親の面影を思い出しながらポーンの質問に答える。
『んーならば、親族……親戚関係にそう言った人物は?』
自分の考えが外れている訳が無いと更に食い込んだ質問をするポーン。
「ああ……悪い、俺、親戚とかにあった事がないんだ」
『ヒトクイ』の北端、一年の三分の一が雪に包まれる地域の小さな町に住んでいたスプリングと両親。しかしスプリングの記憶の限りでスプリングや両親を訪ねてやってきた親戚は一人としていない。当時は何の不思議も抱かなかったが、今思えば両親は親戚について一切語った事は無いとスプリングは今更ながら不思議に思った。しかし不思議には思ったもののスプリングは特に知りたいとも思わずポーンの言う通り親戚の誰かが魔法使いだったのだろう程度でその事について考えるのを止めた。
「まあ兎に角だ、お前にそんな能力があるんだったら利用させてもらう、俺は魔法じゃなく剣の道を極めたいんだからな」
これ以上家族の事について語りたくなかったスプリングは、腰に差したポーンにそう言うと、中級魔法の修練を開始した。それは自分の夢を叶え両親の仇を討つという復讐に燃えている為であったが、そもそも潜在的に修練が嫌いでは無いスプリング。魔法使いとなった現在もぶつくさ文句を言いながらも、初めてしまえばのめり込むように魔法の修練に没頭するスプリングの姿がそこにはあった。
現在スプリングが行っている中級魔法の修練とは、二属性以上による≪連携魔法≫であった。≪連携魔法≫とは、違う属性二つを掛け合わせ発動させる魔法の事で、例えば風と火の属性を使い火の嵐を起こしたり、水と土の属性で地面をぬかるませ相手の動きを封じたりするような連携された魔法のことを言う。
すでにこの時点でスプリングは初級魔法使いとしての資格を手に入れたも同然であり転職場に行き手続きをすれば直ぐに他の戦闘職に転職する事が可能になっていた。しかしそのあまりの成長の速さにスプリングはその事に気付いていない。そしてポーンもその事を指摘する雰囲気は一切無い。すでに転職が可能な状態だと指摘しないポーンにどんな思惑があるのかは分からないが、スプリングはポーンの思惑に乗せられ魔法使いの修練にのめり込んでいくのであった。
『ゴルルド』の外で黙々と魔法の修練を続ける男の姿をこの一週間見続けている者がいた。しかしその眼差しは仲間の修練を見守る者でも怪しい存在を見ているものでもなく獲物を狩るようなそんな眼差しであった。
「……くそ、あいつ修練している時も飯を食べている時も寝る時も……ふ、風呂に入っている時でさえあの伝説の武器を手放さないなんて」
見晴らしのいい『ゴルルド』の外にある草原に、ポツリポツリと生える人一人が隠れられる程の太さを持った木。その陰から魔法の修練をしている男、いやその男の腰に差されたロッドを見つめ続けていた褐色の少女は、なぜか自分が口にした言葉に赤面し自分の頭の中で浮かんだ目の前の男の裸体の姿を両手で掻き消す。
「ふぅ……」
一つ息を吐くと褐色の少女は思いだしてしまった異性の裸を頭の中から追い出し落ち着きを取り戻すと再び鋭い視線を男では無く男の腰に差されたロッドに向ける。
「あのロッドを手に入れる事ができれば私は……」
その後の言葉を口にしない褐色の少女。しかしその口調や瞳からは強い決意と意思が伺える。
「ん~……どう見ても隙だらけなんだけどな……」
見事に木と一体化し木の影に隠れる褐色の少女は、息を殺し男が持つロッドを奪うチャンスを待っていた。身軽な軽装を身に纏い、腰には愛用のナイフを差している褐色の少女。見た目戦闘職なりたての初心者のように見えるがそれは違う。彼女の戦闘職は、盗賊。転職場では非公式とされている外道職と呼ばれる戦闘職の一つであった。
盗賊は主に人から色々な物を奪いとるのを生業とした戦闘職である。しかし非公式ながらも戦闘職と呼ばれる盗賊は、ただ人々から物を盗むだけでは無く、戦闘もしっかりこなす事ができる。その俊敏な動きは相手を攪乱させる事も相手から逃げる事にも長けている。手癖も悪く相手の武器を奪い取って返り討ちなどよく聞く話で、それなりに戦闘技術を持った戦闘職であった。
そんな外道職、盗賊である褐色の少女は、一週間前『ゴルルド』の小さな酒場で起こった騒ぎの中にいた。そしてその騒ぎは盗賊としての勘を刺激し彼女を動かす。
酒場の中でロッドが起こった小さな奇跡。その小さな奇跡の様子を見ていた褐色の少女は、そのロッドには未知な能力がまだ隠されているに違い無いと確信するとそのロッドを次の得物に定めたのであった。しかしそれから一週間、褐色の少女は魔法の修練を続ける男が持つロッドを奪うことは出来ていなかった。
この一週間の間に褐色の少女がスプリングからロッドを奪うチャンスは何度かあった。しかしチャンスだと思い褐色の少女が行動に移そうとすると、チャンスはチャンスで無くなる。目の前には無防備な男とロッドがあるにも関わらず、盗賊としての勘が直ぐに危険だと彼女に警告を鳴らすのである。そんなこんなで一回も行動に移す事が出来ず自分の勘が示している危険の正体が一体何なのか分からないまま、一週間が過ぎていたというのが今の彼女の状況であった。
「……ぜぇぜぇ……いい加減そろそろ行動に移さないと」
頬を真っ赤に染め息荒く肩を揺らす褐色の少女。気付けばターゲットであったロッドから意識は逸れてその持ち主である男に視線を向けてしまうようになっていた。それがどういう意味を示しているのか盗賊という戦闘職一筋であった褐色の少女には理解できずその心を困惑させていた。
そんな得体の知れない状況を終わらせる為にも褐色の少女はいち早く行動に移す必要があった。
「よし! 今だ!」
少女は小さく決意を決めると低くしていた体勢から立ち上がる。
「そうだな、いちいちあいつの全裸を思い出して悶絶していたら身がもたないよな」
「!」
木の影に隠れていた褐色の少女に突然声がかけられる。その声に褐色の少女は耳まで真っ赤にさせながら肩を跳ね上げる。
「んんん……」
顔を真っ赤にさせながらなぜその事を知っているのという表情で恐る恐るゆっくりと振り返り自分に声をかけてきた者の顔を確かめる褐色の少女。そこには全くやる気を感じさせない表情で肉をパンで包んだ食べ物を頬張る男の姿があった。
褐色の少女の背からすると男の身長は首を痛めるのではないかというほど高くそして体格も良い。一見それなりの腕を持った冒険者か戦闘職の者かと思うのだが、そのやる気の無さそうな表情が邪魔をして全く脅威を感じさせない。しかし真っ赤であった褐色の少女の顔は真っ青に変貌する。魔法の修練をしている男はおろか周囲にも気を配り自分の気配を殺していたはずだというのに目の前に立つ大男は自分の存在に気付いた。それだけならまだしも周囲の全ての気配に警戒していた自分に全く気配を感じ取らせず近づいてきたという事実が褐色の少女を驚愕させた。
(……どういうこと? ……全く私の≪気配感知≫で感じ取れないなんて……)
≪気配感知≫とは、狩猟師や盗賊などの戦闘職が習得できる能力で、広範囲にわたり周囲の気配を感じ取れるという能力である。≪気配探知≫を扱う者の技量にもよるが技量の高い者ならば隣の町の気配まで探れるという。
褐色の少女、ソフィアも≪気配探知≫には自信があったのだが、その自信を打ち砕く程に目の前の男は完全に自分の気配を殺しソフィアの背後に立っていた。
「……ん? どうした嬢ちゃん、あいつの所に行かないのか?」
ソフィアを警戒する事無くまるで知り合いと立ち話をしているかのような雰囲気で男は手で口を押えたまま硬直するソフィアに声をかける。
気さくに無警戒に声をかけてくる男に対してソフィアは焦りと警戒を強めそして再び驚愕する。ソフィアの前に立っているその男は人が持つには大きすぎる程の特大剣を背負っていたからだ。その特大剣を目にしたソフィアは直ぐにある人物の名が頭に浮かんだ。仲間としても敵としても戦場では出会いたくない男、その名はガイルズ。
戦場での噂を聞く限り、ガイルズという男はただ暴れたいだけの脳味噌まで筋肉、脳筋野郎だと思っていたソフィア。しかしその印象は改めなければとソフィアは自分の警戒力、観察力の甘さを恨む。気配を殺す程の繊細な動きが出来る者がただの脳筋であるはずがない。目の前の男はただ力馬鹿では無く強者と呼ばれる存在なのだとソフィアはガイルズの認識を改めほか無かった。
「なあ、嬢ちゃんはあいつの腰に差さっているロッドを狙っているんだよな?」
木の影に隠れていたソフィアの状況を理解しているといった口ぶりでガイルズは突然確信を突いてくる。ガイルズの言葉に再び肩を跳ね上げるソフィア。
「ああ、何でその事を……て顔しているな……いや…あんだけ張り付いていれば分かるよ、実は嬢ちゃんが一週間前からあいつの後を付けている俺知っていたんだわ」
やる気の無かった表情が瞬時に悪い笑みに変わるガイルズ。その瞬間ソフィアはこの一週間何度も味わった感覚を思いだしていた。行動に移そうとする度に自分に危険だと告げる盗賊としての勘。その正体は全て目の前の男、ガイルズに見られていたからであった。ソフィアが行動を起こそうとする度にガイルズはソフィアに威圧をぶつけ行動させないようにしていたのだった。
魔法の修練をしている男に張り付いていたはずの自分が逆に切りつかれていた事を知り理解したソフィアははめられたと思いつつもこれからどうすればいいかと瞬時に次に自分がとるべき行動を考える為に思考を切り替える。思考の切り替えは盗賊にとって最も大事な能力の一つ。危険な状況に陥った時、その事に動揺して思考を止めてしまうのは盗賊にとってはあってはならない事で直ぐに次の状況、次に自分が何をしなければならないかを思考できなければ一人前の盗賊とは言えない。その点ではソフィアは一人前の盗賊であるのだろう。しかし例えソフィアが一人前の盗賊だったとしても例え直ぐに次の行動に移す為思考をめぐらせたとしても覆らない事はある。
「……」
口に手を当てたまま茫然とするソフィア。どう考えを巡らせても目の前のガイルズから逃げる手段がソフィアには思いつかなかった。それほどまでにガイルズには隙と呼べる隙が無い。
「まあ、そんなに警戒するなよ嬢ちゃん」
ソフィアが自分に対して警戒している事すら瞬時に見抜いているガイルズはそれでも尚、ソフィアに馴れ馴れしく声をかける。ガイルズはソフィアに全く敵対心を持っていないようであった。いやそもそもソフィアの事を一ミリも脅威と感じていないというのが真実であろう。自分は全く脅威として認知していないと理解したソフィアは自分とガイルズに圧倒的な力の差を感じる。
「大丈夫だ、あいつからあのロッドを奪いたければ好きにすればいい、俺は別に何もしない」
そう言いながら大きく欠伸をするガイルズ。
「ああ、飯くったら眠くなったな……」
二度、三度と欠伸を続けたガイルズは背負っていた特大剣を背から下ろし前で抱えながら昼寝するには丁度いい木に背を預ける。
「まあそういう訳で俺は今から昼寝するから、ご自由にしてくれ」
そういうとガイルズは一瞬のうちに寝息をたてはじめた。
「……寝ちゃった……? ……ちょ……ちょっと待って!」
速攻で寝息をたて始めたガイルズの肩を揺らし起こそうとするソフィア。
「……なんだよ……」
両目を半分だけ開けたガイルズは気だるそうにソフィアを見る。
「あのロッドを奪っていいって言っていたけど、じゃ何でこの一週間私の邪魔をしたの?」
ソフィアからしてみればガイルズの行動や言動は一貫性が無い。ロッドを奪っていいといっておきながら一週間自分の邪魔をし続けた理由を聞くソフィア。
「ああ……別にたいした意味は無い……そうだなぁ……あるとすればただ面白かったから? ……お前があいつの行動一つ一つにあたふたしている姿が面白かったってだ……け……ZZZ……」
理由を口にしたガイルズは、すぐさま再び寝息をたて始める。そんなガイルズを唖然と見つめる事しか出来ないソフィア。
「……こ……こんな奴の……しょうも無い理由で、私は一週間もお風呂にも入れず野宿していたというの……」
思わず揺さぶったガイルズの肩を強く握るソフィア。しかしガイルズの体は鋼のように堅く強く握ったソフィアの手の方が痛んだ。
「ああ、分かったわよ、もう! やってやる、私の一週間を無駄にはしない!」
一度揺らいだ決心を再び立て直し一心不乱に修練を続ける男を見据えるソフィア。
「それにしてもガイルズが行動を共にしている仲間って確か若手で『剣聖』に一番近いって言われているスプリングって男じゃなかったっけ……」
最後の情報収集というようにソフィアは愚直に魔法の修練を続ける男に視線を向ける。しかしどうみてもその男が『剣聖』に近いスプリングとは思えないソフィア。しかし次の瞬間ソフィアの表情は硬直する。
「……うん、なんで魔法使いになっているのかは分からないけど……あの顔よく見ればスプリングだ……」
なぜこの一週間気付かなかったんだと頭を抱えるソフィア。何処の町で見かけたのかは定かでは無いがその町にあった手配書の中にスプリングの似顔絵が張ってあった事を思いだすソフィア。
「……でも……なんで魔法使いなんかに……」
ソフィアが見てきたこの一週間、スプリングは魔法の修練しかしていなかった。若手で一番『剣聖』に近いと言われているスプリングがなぜ『剣聖』には全く関係の無い魔法の修練をしているのか疑問しか浮かばない。
「あいつ……魔法使いになったばかりだから盗むなら今がチャンスだと思うぞ」
ソフィアに背を向けて寝ていたガイルズはスプリングが魔法使いになりたてという情報を寝言のように呟く。
「……それは本当?」
ガイルズの言葉を聞いたソフィアの表情は一変する。背を向け寝息をたてるガイルズに話しかけるソフィア。
「……ああ……本当だよ」
絶対に起きていると言っていいほどはっきりとした寝言を口にするガイルズ。
「そう……」
ソフィアに背を向けていたガイルズは、ソフィアの頷く声を聞くと何かを企んでいるようなニンマリとした表情を浮かべた。
(……本当に、信じていいのか、一緒に旅をしてきた仲間だろう……どう考えても罠としか思えない)
ソフィアも盗賊を生業として今まで生きてきた者だ、迂闊な罠にはまらないように細心の注意をはらっている。当然ガイルズが寝てなどいない事も理解していた。どう考えても罠としか考えられない。しかしもしガイルズが言っている事が正しければとソフィアの頭は混乱していた。
ソフィアに背を向けていたガイルズは考えに没頭するソフィアにため息を吐くとクルリと体を反転させソフィアに顔を向ける。
「なぁ!」
突然自分の方に顔を向けたガイルズに驚くソフィア。
「聞いてくれ……実は……あいつに負けて以来……今の今まで俺はあいつに下僕のように従わされていたんだ……焼きそばパンとイチゴ牛乳買ってこいとパシリにされ……お前ちょっと飛んでみろよと小銭を奪われ……夕飯の時は飯の半分を奪われ……兎に角あいつに負けて以来、俺はあいつに奪われ続けているんだ」
とても聞てられない程に下手な芝居をするガイルズはソフィアに嘘を並べる。普通の者ならばそんな下手な芝居に引っかかったりしない。
「な、なんですって!」
だがソフィアは違った。
転職場では外道職と呼ばれる盗賊という戦闘職であるソフィア。しかし彼女は普通の盗賊では無い。盗賊としては珍しい義賊であった。強者から奪い弱気者に与える。そんな正義の盗賊であった。
何となく目の前の少女が盗賊である事を察していたガイルズ。そしてその少女がたんに人から物を奪うだけのただの盗賊では無いという事を感じ取っていたガイルズは、ソフィアの中にある正義感という感情に付け込んだ。その思惑通りガイルズの下手な芝居はまんまとソフィアの義賊としての正義感を刺激し燃え上がらせる。
「わかった、その恨み……私が晴らすよ」
ソフィアは外道職、盗賊でありながらその瞳には正義の炎をたぎらせると魔法の修練を休み無く続けるスプリングを見据える。
(噂ではすごく正義感のある男と聞いていたが、結局噂は噂でしかない)
ガイルズの言葉を信じこんだソフィアは体勢を低くするとスプリングを狩る体勢に入る。
(かかった!)
それを横目で見ながらガイルズはニヤリと笑みを浮かべるのであった。
その見た目の幼さからは分からないがソフィアは実力のある盗賊である。盗みの技術は素早く、気づかれることも少ない。相手に気づかれる事もほとんど無い故に無闇な血が流れることもない。ソフィアは人を殺す事は出来るだけしないと心に決めており、今まで人を殺したことは一度も無い。
だがそんなソフィアに欠点が二つあった。1つは絶対的な実力を持っている反面、若さゆえに経験が少ないこと。実力があっても熟練の盗賊に比べると経験が不足している為に自分の実力に頼る所がありピンチに陥った時の対処法が甘い。
もう1つは自分が思っている以上に正義感が強いことだ。それ故に自分の正義感に火が付くとそのまま突き動いてしまう為、盗賊にとって大切な『疑う』という行為が抜けてしまう時がある。もしもソフィアが正義感という心を正しく制御出来ていれば、ガイルズの下手な芝居に引っかかる事は無かったであろう。正直な所、ソフィアは盗賊という戦闘職には向いていない性格の持ち主であった。
「私は行く! 奪われ続けている貴方と、私の夢のために!」
ガイルズが強者である事などもう頭の中には無いソフィアは小さくではあるが声高らかにガイルズに宣言する。今ソフィアに見えているガイルズは強者に虐げられている弱者なのだ。拳を強く握りその拳をスプリングに向けるソフィア。
「クククッ……子供はちょろいね」
ソフィアの背を見ながら小さい声で呟いくガイルズの表情は満面の悪い笑みを浮かべていた。
ポーンが狙われているなど想像もしていないスプリングは修練が一段落ついたのか、額にかいた汗を手で拭った。
「ふぅ……こんな所か、少し休憩だ」
その場に座り込んだスプリングは一度大きく深呼吸した。
「魔法には苦手意識があったが……中々に魔法も奥が深いな」
流されるようにして始めた魔法使いの修練であったが、やってみると中々に魔法使いという戦闘職の良さを理解し始めたスプリングは、魔法に対して手応えのような物を感じ始めていた。
『それは何よりだ主殿、この調子でどんどん他の……ゴホゴホ……魔法使いを極めていってくれ』
突然気管も無いのに咳込むポーンは魔法使いとしてノリ始めたスプリングを応援る。
優しく吹く風がスプリングの髪をなびかせ心地よさを運び、熱を帯びた身体をゆっくりと冷やしていった。
『そういえば主殿一段落したので聞くが、少し離れた所、木々が生い茂る場所からずっと主殿を見つめている少女は知り合いか?』
「はぁ? 少女?」
急に何だと言うようにスプリングは、広い草原を見渡し木々が生い茂る場所を確認する。
「……!」
何かに気付いたようにスプリングは木々が生い茂るその場所からすぐに視線を外し背を向けるようにして立ち上がる。
「殺気……くそ、やっぱり気配を感じる感覚まで鈍っているな、いつから見られていた?」
木々の影に潜む少女に表情を読まれないように背を向けたスプリングは魔法の修練を再開する素振りをみせつつポーンにいつから見られていたのか聞いた。
『一週間ほど前からだ、ずっと見つめていたぞ、訓練の時も、寝ている時も、食事をしてい時も、風呂に入っている時も』
「なッ! おい! そう言う事は直ぐに言えよ」
ポーンのその言葉にスプリングの表情はゲッソリした。これが普通の視線ならば相手は少女だ、スプリングも悪い気はしない。だが少女から発せられていたのはただの視線では無く殺気だ。そうなれば話は違ってくる。相手は自分に殺意を向けているのだから警戒しないわけにはいかない。よくこの一週間自分が無事でいられたと事を不思議に思うスプリング。
有名である者には良くも悪くも有名税というものが付きまとう。特に悪い有名税については酷い者で全く身に覚えの無い噂などが広がる事もある。そしてこの有名税は特に裏の世界では争いの火種になりやすい。裏の世界にいる者は有名な者に対して賞金を懸けてその存在を抹消しようとしてくる事が良くあるのだ。
自分にも賞金が懸かっていることは知っていたスプリング。自分が魔法使いになって日が浅いこの状況下でその賞金を狙う者が現れてしまったことはタイミングが悪いとしかいいようがない。なぜこのタイミングで首をとりに来たと殺気を放っている少女に文句を言いたい気分であったが、相手からしてみれば絶好のチャンスなのだから仕方がないとも思うスプリング。
『主殿が頑張っていたので声をかけると悪いかなと』
がくりと肩を落とすスプリング。伝説の武器だというのに何処か抜けているなとスプリングは思った。しかし伝説の武器ポーンは人ではない、そこに人の価値観を押し付けるのはおかしいのかもしれないとも思うスプリング。
「あれは殺し屋か何かの類いだ、俺の命を狙っているみたいだな」
スプリングは気付いていない。自分の首が狙われている訳では無く自分に殺気を向けている者は自分が腰に差している伝説の武器を盗みに来ているということに。
初心のロッドを持つ手に力が入るスプリング。訓練はしてきたし魔物との戦闘は何度かしたが、まだ人を相手に魔法を発動した事は無い。元上位剣士としての勘が告げている。時として人間というのはどんなに強い魔物よりも危険なのだと。
「多分……戦いになる、呼吸を整えいつでも魔法を放てるようにしておかなければならないな」
同じ頃ソフィアも似たようなことを考えていた。ゆっくりと自分の射程範囲まで近寄り、最初の一手を考える。
「最初の一手をしくじれば魔法でやられる、いくら相手が初心者魔法使いだとしても魔法を発動されればこちらが持っていかれる」
ソフィアの呟く言葉に少し驚いた表情をするガイルズ。
(ただの正義感だけの嬢ちゃんかと思っていたが、こりゃ苦戦するかもなスプリング)
一週間前、ソフィアの存在に気付いてからこの状況を計画していたガイルズ。スプリングの魔法使いとしての力量がある程度整うまでソフィアに一切の手出しが出来ないように仕組んでいたガイルズは、これから始まる戦いが楽しみでしかたないのか先程よりも悪い満面の笑みを浮かべるのであった。
人物紹介 4
ソフィア (偽名)
年齢15歳
レベル 32
職業 盗賊 レベル 82
今までにマスターした職業
なし
武器 毒刃のナイフ
頭 遠見のスカーフ
胴 風姫の革鎧
腕 先手の腕輪
足 疾風の靴
アクセサリー 手癖悪き指輪
褐色の肌のまだ幼さの残る少女。若いため経験不足な所はあるが、盗賊としての腕は一流である。
盗賊であるが故に本名は隠している。彼女の本当の名を知っている者はもうこの世にいないとかいるとか。
幼い頃にとある盗賊団に拾われ、そこで盗賊のスキルを学ぶ。だが盗賊団の団長に「お前は正義感が強いから早くこの職業から足を洗え」とよく言われていたようだ。