操り人形
ガイアスの世界
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操り人形
偉大な先駆者が作り上げた地位や思想をその子孫が堕落し穢すというのは往々にしてよくあることである。それは初代当主がその地位を確立してから何世代にも渡って僧侶を率いその先頭を走ってきたインギル一族にも当てはまることだった。
世代が変わるごとに、初代当主の教えは湾曲され本人が望まない形へと変わり果て、子孫たちはその地位を利用し己の欲望ばかりを追い求めるようになった。
しかしインギル一族は先代が作り上げた地位や思い描いた思想を穢し堕落して尚、同じような理由で没落していった名のある他の一族のようにその地位や権威を失墜することは無かった。
それは何故か。インギル一族には何世代にも渡り一族を支えてきた優秀な助言者がいたからだ。
長命種族であること以外、種族やその素性を知る者はいない助言者は、その長命で数世代に渡りインギル一族と当主を一人で影から支えてきた。例え一族や当主がどんなやらかしを起したとしても彼女の助言さえ聞き守れば問題は直ぐに解消されなかったことになる。そんな彼女の影響力は代が変わる程に強くなっていき、実質インギル一族は当主を含め全ての者たちが彼女に操られていると言っても過言では無い状態になっていた。もう彼女無しでは生きられない程にインギル一族は本来信じなければならない女神を捨て、助言者である彼女を崇拝し狂信していたのである。
それ故に何処までも堕落し自分で思考することすら奪われたインギル一族は、自分たちが彼女に支配され操られていることに全く気付いていなかった。
現インギル一族当主も例外に漏れること無く、助言者である彼女を崇拝し狂信する操り人形となっていた。
生まれてからこのかた次期当主という理由だけで周囲から歯が解ける程に甘やかされ育った現インギル一族当主は絵に描いたような堕落の日々をおくっていた。そんな状態であってもインギル一族が変わらずその地位と権威を保ち続けることができるのは、助言者である彼女の手腕のお蔭であった。
インギル一族の当主として周囲から期待されることは様々あるが、インギルという名を世に知ら締めることとなった僧侶としての実力は絶対だった。しかし初代以上の実力者は生まれず、世代が変わるごとにその実力は低下していった。当然、堕落に塗れた日々を過す現当主が僧侶の修練などする訳も無く、その実力はお世辞という言葉すら機能しない程に散々たるものだった。だが例え僧侶としての実力が目も当てられないものであったとしても、彼には先代たちが残した地位と権威がある。それを振りかざせばいかようにも事を運ぶことが出来る。人々の前でその実力を晒さないで済む理由をでっちあげるのは造作も無い事だった。そして現当主には長年インギル一族とその当主を支えてきた助言者がいる。
もしも地位や権威で解決出来ない面倒事が起ったとしても助言者である彼女がいればどんなことであっても丸く収まる。彼女の言葉さえ信じていれば自分や一族は安泰なのだと現インギル一族当主はそう思っていた。
「……ッ!」
しかし突如として砂糖菓子のように甘いその考えは、執務室に舞う己の血煙と共に霧散していく。突如目の前に現れた黒い襲撃者の一撃によって腹部を貫かれる衝撃。その衝撃と共にやってくる意識の消失。今際の刹那、現当主が思い浮かべたのは、どんなことでも全て対処してくれる優秀な助言者の姿。彼女が何とかしてくれるという思考の放棄だった。
「……」
だが助言者の声はしない。助言は一向に聞こえてこない。
「……」
崇拝し狂信する助言者、『絶対悪』に利用され捨てられたことすら自覚せず現インギル一族当主は、己の名をこの場で語られることすら無くただの舞台装置の1つとしてその生涯を終えるのだった。
『闇』に支配され剣や魔法が意味を成さなくなってしまった世界ガイアス
「……この人……何処かで」
インギル大聖堂の所有者兼管理者である現インギル一族当主を突き殺した黒い剣士に対して何者かと問いかけるブリザラの横で、中級盾士であるハルデリアはそう呟きながら首を傾げた。
「確か……」
ブリザラたちの目に映る禍々しい気配を放つ黒い剣士。しかしハルデリアにはその黒い剣士が別のものに見えていた。
「確か……」
ハルデリアが持つ真眼は本質を見せる。例え全てを覆い隠す全身防具を纏おうとも、その奥にある本質を見せる。しかしその顔に覚えはあるものの、黒い剣士が誰なのか、そして何処で彼を知ったのか。思い出すことが出来ないハルデリアは、それを思い出そうと己の記憶を漁る。
「……ハッ! そうだあの人は」
漁った甲斐があったのか、自分の目に映る人物と記憶の中にある人物の姿が重なったハルデリアは思わず声を上げた。
「ゴルルドの酒場で出会った人だ」
小さな島国ヒトクイのゴルルドと言う町にある酒場。そこで黒い剣士に出会っていたことを思い出したハルデリア。
「……彼らの仲間だと間違われて酒代を払わされたんだ……」
酒代15万という当時の苦い経験まで蘇りハルデリアの表情は苦悶に歪む。
「……何の話だ馬鹿ッ! 今はそんな状況じゃないだろう盾を構えろッ!」
緊迫した状況の中、良く分からない事を口走り勝手に苦悶の表情を浮かべるハルデリアを叱りつけたピーランは、戦闘態勢を取るよう指示を出した。
「で、でも……僕はこの人に以前会っているんです……でも彼はあの時僕と同じ魔法使いだった……剣士なんかじゃ……」
ゴルルドの酒場で会った時、目の前の黒い剣士は魔法使いの姿をしていた。隣で一緒に飲んでいた仲間らしき大柄な男に魔法使いのことについて笑われていたと記憶しているハルデリアは剣を扱う黒い剣士の姿に疑問を抱き再び首を傾げた。
「そんなことどうだっていいッ! 兎に角今はブリザラを守ることだけ考えろ、それがお前の役目だろ!」
なにやら考え込み自分の役目を疎かにしているハルデリアを一切の余裕無く再度しかりつけるピーラン。
「……チィ……」
ピーランは焦っていた。ブリザラに誰ですかと問われて以降、全く動きを見せず一見無防備にすら見える黒い剣士から、余裕を失わせる程の重い圧を感じていたからだ。その圧は精霊王や何処かに消えたサンタクロースと酷似しており、黒い剣士は神や精霊王に匹敵する強さを持っている存在であることを意味していた。
「……でも、彼が僕らに攻撃を仕掛けるようには……」
珍しくピーランの言葉に反論しようとするハルデリア。
「ふざけるな! お前は感じないのか奴から発せられる圧を!」
ハルデリアの反論を押し潰すようにピーランは激しく叫ぶ。方や酒場で出会った魔法使い。方や神や精霊王に匹敵する強さを持った存在。二人の見解が相容れないのは当然であった。
「落ち着いて二人共……」
見解が全くかみ合わない二人を言葉で制するブリザラ。
「……ハルデリアさん……彼の顔……あなたの目でよくみてもらえますか?」
「……顔……ですか?」
ブリザラの指示に少し戸惑いながらもハルデリアは全く動かない黒い剣士の顔を真眼で凝視した。
「あッ!」
何かを理解したのか驚きの声を上げるハルデリア。
「……何で今まで気付かなかったんだ……彼の顔……ま、魔王にそっくりですよッ!」
黒い剣士の顔を真眼で凝視した結果、その顔が『闇』に堕ち魔王となった人物にそっくりだということに気付きハルデリアはようやく目の前の存在に恐怖を感じ震えあがった。
「ま、魔王だと! だとすれば……なあブリザラ……奴は……」
そこまで接点がないハルデリアと違い、魔王となった人物とは一緒に旅へ出た仲であるピーランは、混乱した表情でブリザラにその答えを求める。
「……違います……」
しかしブリザラはピーランの考えをあっさりと否定した。
「彼は……彼は……ア……魔王ではありません……」
その名を呼ぼうとして思いとどまったブリザラは黒い剣士が魔王では無いともう一度否定した。
「ありがとうございます、ハルデリアさん……あなたのお蔭で彼の正体に確信が持てました」
自分の目、そしてハルデリアが持つ真眼によってその正体に見当がついたブリザラは礼を言うとその視線を黒い剣士へ向けた。
「違うっていうなら……奴は誰なんだ?」
自分の考えを否定され、ピーランはブリザラの答えを催促する。
「……彼の正体はスプリング=イライヤ……戦場では閃光という二つ名を持つ、若手で一番『剣聖』に近いと言われていた人物です……」
「なッ!」「えええっ!」
ブリザラが口にした黒い剣士の正体に驚愕するピーランとハルデリア。
「……閃光だと……」「あわわわ!」
ピーランとハルデリアが驚愕するのも無理は無い。閃光という二つ名を持つ傭兵の偉業、その噂は、当時まだ里で忍びとして暗殺や密偵の任務をこなしていたハルデリアの耳にも、下級魔法使いとして日銭を稼ぐことにも苦労していたハルデリアの耳にも届いていたからだ。
「……」
そしてそれはサイデリー王国という守られた世界で過ごしていたブリザラの下にも、その偉業や噂は届いていた。
「……ガウルド城の地下、特別監獄であなたは私やアキさん……そしてソフィアさんを助けてくれましたね……」
一カ月前に起った出来事を思い出しながら黒い剣士へそう語りかけるブリザラ。
「……ッ!」
ブリザラが口にした言葉、特にソフィアという名に黒い剣士の纏う全身防具が動揺したように揺れる。
「……やはり……その姿……その様子……ソフィアさんはもう……」
黒い剣士から漂う負の感情。復讐心。それを黒い剣士から感じ取っていたブリザラは、既にソフィアがこの世にいない事を理解しその表情を曇らせた。
「……だから……復讐するのですね『闇』に……魔王に……」
ソフィアを殺した元凶、魔王へ復讐する。行動理由を理解したブリザラはそう言いながら黒い剣士を悲しく見つめる。
「……」
黒い剣士はブリザラの問に答えない。
「……しに……たく……なあああああああああああああああああああああああああああッ!
「「「ッ!」」」
黒い剣士とブリザラの間に流れる張りつめた空気。その空気を壊すように突如、亡霊のような叫びが執務室に響き渡る。
「しにたく……ぬああああああああああああああああああああッ!」
そこには黒い剣士が突き殺し振り捨てた現インギル一族当主の死体があった。まるで全身を糸で操られているように立ち上がった当主の死体は生を渇望する叫びをあげる。
「これはッ!」
現当主の体から沸き立つ黒い影。今まで一切の気配が無かったそれは『絶対悪』の残滓。
「この場から離れるんだッ!」
執務室の扉前に立っていた精霊王は突如気配を露わにした現当主の死体に纏わりつく『絶対悪』の残滓の膨張に危険視し叫ぶ。その叫びと同時に『絶対悪』の残滓が現当主の体に入って行き風船のように膨れ上がって行く。
「ブリザラッ!……!」「ブリザラ様!」
明らかに爆発を想起させる現当主の状態にピーランとハルデリアはブリザラを守ろうと駆け出す。しかし間に合わない。執務室の半分程に膨れ上がった現当主の死体は、黒い光を放ちながら破裂する。
「……跳躍」
周囲が負の感情に染まり上がった瞬間、誰かの声を聞いたような気がしたブリザラはその意識を手放すのだった。
この日、サイデリー王国の領土であるフルド山の山頂がインギル大堂もろとも原因不明の爆発によって消し飛んだという報告がサイデリー王国へ届き、最上級盾士たちの耳に入るのは山頂爆発から数分後の事だった。
ガイアスの世界
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