黒い復讐者
ガイアスの世界
今回ありません
黒い復讐者
― ×××1回目 『日々平穏』本店 ―
『日々平穏』本店に悲痛な叫びが響き渡ってから数日。
所在地不明と言われている幻の防具屋だからなのか。それとも店の外観は愚か周囲の環境音までも覆い隠すような濃霧が晴れる事無く常に漂っているからなのか。連日続いた『日々平穏』本店から響く男の悲痛な叫びに対して周囲から文句を言う者は誰一人現れなかった。
「……」
感情のまま吐血するまで叫び続け喉を潰した男は黙ったまま虚空を見つめていた。一見全てを吐き出し落ち着いたように見える男だがそれは違った。吐血するまで感情のまま全てを吐き出し男に残ったのは死だけだった。左腕と右足を失い道半ばであった夢を失った男は全てに絶望し、死に囚われ死ぬ以外のことを考えることが出来なくなっていた。
「……完成したニャ!」
全てに絶望し、死に囚われた男の前に意気揚々と現れたのは自他共に認める鍛冶師の猫獣人ロンキだった。
「これさえあれば今まで以上に戦える! また『剣聖』への道を歩むことができるニャ!」
自信作が完成したことによる嬉しさからなのか。それとも痛々しい男を少しでも励まそうという思いからなのか。ロンキは普段以上の陽気さで男に話しかけると金属製の左腕の義手と右足の義足を取りだした。
「……」
しかし死に囚われ死の事しか考えることが出来なくなった男にロンキの言葉や思いは届かない。ただ虚空を見つめる男の目はロンキが取り出した義手や義足に向くことは無くただ死を追っていた。
「だ、大丈夫ニャ大丈夫ニャ! これさえ付ければ今まで通り……いいや今まで以上に動けるようになるニャ!」
虚空を見つめ全く反応をしめさない男の姿にロンキの心は一瞬折れそうになる。だがそれでもめげる事無くまるで自分に言い聞かせるようにロンキは男が失った左腕と右足に義手と義足を取り付けて行く。
「なんとこの義手と義足はあの月石製ニャ! 思いを力に変えることで動かすことが出来るニャ! 多少訓練は必要だけど絶対にあなたなら使いこなすことができるはずニャ!」
取り付け終え、自分が作った月石製の義手と義足の説明をするロンキ。
「……」
しかし男の心は動かない。死に囚われ死を望む男にロンキが見せる希望の光は届かない。
こうして何もおこらぬまま死を待つ男の日々は過ぎて行く。
数週間後。世界は『闇』に呑み込まれた。男は義手の指1つ動かすことなく、何も成さぬまま世界と共に『闇』へ呑まれていった。
― ×××9回目 『日々平穏』本店 ―
「ハッ! ……」
死に囚われ、死を望んでいた男はまるで息を吹き返すように目を覚ました。目を覚ました視線の先には知らないはずの天井があった。
「……?」
何処か見覚えのある天井に違和感を抱きながら男は、寝かされていたベッドから上体を起そうとする。
「……ッ!」
突如抱く違和感。見上げていた天井と同じくこれも何処かで感じたことのある違和感だった。
― ……腕……足…… ―
「……うん?」
男の頭の中に響く何者かの声。この先起ることをその声が男に囁いてくる。
「はぁはぁはぁ……」
幻聴だと思いつつも、その声に導かれるように恐る恐る体に掛けられていた毛布を右腕で剥ぐ男。
「……ッ!」
目の前の光景に息が詰まる男。ベッドに寝ていた男の体には左腕と右足が無かった。頭の中で響いた声が囁いていたことは本当だった。
「はぁはぁはぁ……」
目の前の光景と頭の中で響く声に動揺し再び男の息が荒くなる。
「はぁ……はぁ……」
だが何故か動揺する心と荒かった男の息は直ぐに整っていく。
「……これは……」
左腕と右足を失ったという事実は男にとって確かに衝撃的ではあった。しかしその感情とは別に男の中にはそんな状況に対して慣れてしまったという何処か冷めた感情もあった。まるで自分がそういう状態だったことを知っているというように男の表情から生気が消えて行く。
「……」
男は自分に何が起っているのか理解したと同時に、何故こんな状態になっているのかを思い出した。
「あの日……『闇』は……『絶対悪』は全てを巻き込んだ……あの場にいた者たちを……弟を……ソフィアを……」
約一カ月前。ヒトクイの主都ガウルドのガウルド城地下にある特別監獄へ仲間と共に潜入した男は、全ての元凶と言える存在と対峙した。辛くもその存在を倒す事に成功した男。だが安堵したのも束の間、突然溢れだした大量の『闇』に男は呑まれてしまった。
『闇』が呑み込んだのは男だけでは無い。『闇』は全てを呑み込んだ。男と一緒に潜入した仲間や久方ぶりに再会した想い人。男に瓜二つの顔をした弟、想い人にそっくりな顔をした少女。あの場にいた者たち全員を『闇』は呑み込んだのだ。
「それなのに俺は生き残った……生き残ってしまった……なのに……こんな体じゃ仇を取ることも出来ない……」
呑み込まれて尚、男は生き残った。生き残ってしまった。忘れていた記憶を思い出した男は左腕と右足を失った時の絶望とは異なる大切な者たちを失ったという絶望にその心を沈めて行く。
「……」
だが絶望に沈んでいたはずの男の表情が突如無表情に変わる。情緒を無視した男の感情は均されたように平坦になっていく。
「……これで何度目だ?」
思い出す記憶と同時に男の中に生まれる『慣れ』という感覚。男は生き残り絶望する自分を繰り返すことでこの状況に感覚が慣れてしまっていた。
「これは……」
今自分に起きている現象を以前の経験と照らし合わせて行く男。
「……『絶対悪』と戦った時に何度も繰り返したあの現象がまた起きたってことか……」
世界の理ないし理と言われている『絶対悪』。およそ人族一人の力で倒せる存在では無い。だが男はそんな神や女神に等しい存在『絶対悪』を倒したのである。その方法は常人に真似することは出来ないが至って単純だった。男は試行錯誤(トライ&エラー)を繰り返したのだ。
数えきれない程の自分を犠牲にして数えきれないほどの可能性から自分が望む最適解の未来を掴み取る力。男にはそんな力が備わっていた。いつどこでその力を手にしたのか男にも分からない。任意で発動することが出来るのか、はたまた何か条件があるのかそれすらわからない。だが発動したが最後、幾百幾千幾万という可能性の中から最適解を掴み取るため犠牲になった幾人もの己の声が、まるで呪いのように、そっちじゃない、そうじゃないと男へ語り続けることになる。
「同じか……」
『絶対悪』と戦った時に起った現象と今自分に起っているものは同じものだと男は結論を出した。
「……」
そう結論を出した男の表情には生気が戻ったように赤みが蘇っていく。
「……やるしかない……死ねないのなら……最適解を見つけるまでやるしかない……最適解を掴み続けて奴を殺す……」
死に囚われ死を望んでいた男は死ぬことを諦め再び立ち上がることを決意する。だが男の中に生まれた感情はこれまで幾度となく経験した挫折や絶望から這い上がってきた前向きなものでは無い。今までとは対極にある深く暗い殺意。復讐を孕んだものだった。
― ××521回目 ―
「……」
目覚めた男は自分がどういう状態なのかをすぐさま理解すると見知った天井を深淵のように暗い瞳で見つめた。
「ロンキッ!」
自分が何処にいて誰に助けられたのか既に理解した男は、最適解を進むように自分がいる建物の主、猫獣人の名を叫ぶ。
「お、おおおお起きたのかニャ!」
慌てて男がいる部屋に入ってくるロンキ。
「俺の義手と義足を持ってきてくれ……」
左腕と右足を失った状態で器用にベッドから上体を起した男は最適解を進むため部屋に飛び込んで来たロンキへ説明を省いてそう指示を出した。
「……な、なんでそのことを?」
何故男の為に用意していた義手と義足のことを知っているのか首を傾げるロンキ。
「時間が無い……早くしてくれ」
失敗した可能性に全て捨ててきたというように感情が消失している男は無表情のままロンキに義手と義足を催促する。
「わ、わかったニャ、直ぐに用意するニャ」
男の態度に戸惑いながらも指示に従い部屋を飛び出し鍛冶場へ向かうロンキ。
「……前回で奴の行動は全て把握した……お前の力……悪いが頂くぞ時と空間を司る神」
ここには死に囚われ死を望む男の姿はもう存在しない。ここに存在するのは自分が望む可能性、最適解の為ならば、神殺しすら厭わない男の姿だった。
― ××666回目 現在 インギル大聖堂 執務室 ―
『闇』に支配され剣や魔法が意味を成さなくなってしまった世界ガイアス
「……アキ……さん?」
黒い全身防具を纏った剣士を見知った人物と勘違いした少女の声がインギル大聖堂の執務室に響く。
「……」
剣に付いた血を払うかのように突き殺したインギル家現当主をその場に捨て去った黒い剣士は、兜で覆われ傍からでは所在が掴めないその視線を少女へ向ける。
「……ううん……違う……あなたはアキさんではない」
一度は黒い全身防具を纏った剣士を自分が知る人物と勘違いした少女。だが直ぐに自分の知る人物では無いと少女は言い直した。
「……アキさんが纏っていた黒は……世界に対しての怒り……そんな黒……でもあなたが纏う黒は特定の存在へ向けられた怒りが生み出す黒」
続けてアキと呼ばれる人物が纏う黒と黒い剣士が纏う黒の違いを口にする少女。
「あなたの黒は復讐者の色……」
少女は真っ直ぐな視線で黒い剣士を前にあなたは復讐者だと断言した。
「……」
少女の見立ては当たっていた。黒い剣士は自他共に認める世界一の鍛冶師に自分が纏う全身防具を作らせた。その素材に使われたのが思いを力に変えるという特性を持つ月石。黒い剣士が持つ復讐心に反映し月石製の全身防具は復讐の黒に染まっていたのである。
「あなたは……誰ですか?」
そう率直に黒い剣士へ問いかける少女。
「……」
黒い剣士はその問に答えない。だが顔を覆い隠す兜内のその表情は混乱に満ちていた。
(……生きていた……何故?)
目の前の少女は死んでいたと思っていた。だがその少女は生きていた。という事実に感情を捨てたはずの黒い剣士の心が動揺する。
(……この子が生きているのなら……もしかしたら……ソフィアも……)
目の前に立つ少女ブリザラ=デイルが生きていたという事実は、深い絶望の中にいた黒い剣士へ僅かな希望を見せる。だが同時に、復讐者となった黒い剣士、スプリング=イライヤのこれまでの行動と目的の根幹を揺るがす事態となってしまったのだった。
ガイアスの世界
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