限りなく零に近い可能性の向こう側
ガイアスの世界
今回ありません
限りなく零に近い可能性の向こう側
「……ねぇもしも私が道を踏み外したら……あなたが責任を持って叱ってね」
何処かもわからないそんな場所。少女は友人に接するような様子で隣に立つ青年へ話しかけた。
「ああ、わかった……もしフユカが道を踏み外すようなことがあれば、俺が責任を持って君を叱ろう」
少し悲しみを帯びた少女の笑顔。自分へ向けられたその笑顔が友情を示すものでしかないことを青年は知っている。自分の心に芽生えた想いが決して届かないことを知っている。それでも青年は答えるように頷く。青年は胸に誓う。少女の笑顔を守ると。
最初の幾百は、未熟だったが故にただ失敗を繰り返した。
次の幾千は、未熟を脱する為に試行錯誤を繰り返した。
続く幾万は、可能性を信じるが故に一喜一憂を繰り返した。
そして幾億を過ぎた頃、彼女は笑わなくなった。自分の願いが叶わないことを知ったからだ。
優しい世界など存在しない。そう思わせるほどに世界とは愚かであり一辺の価値も無いことを悟った彼女の心に残ったのは虚無と失望。願いは叶わないという結論と事実。
願いを失い虚無と失望が広がる彼女の心をアレは見逃さなかった。最初はたかが小さな意思でしかなかったアレは、世界が世界として成熟していけばいくほどに醜く肥大化し、やがて彼女の心を悲しみで満たした。透き通った水に一滴の墨を落とすように、疲弊した彼女の心は一瞬にして悪意と呼ばれる『闇』に染まっていった。
『闇』に支配され剣や魔法が意味を成さなくなってしまった世界ガイアス
― インギル大聖堂 ―
「……」
時が止まった世界の中、サンタクロースのその決意に、自分の時すら止まってしまったように硬直し言葉を失うブリザラ。
「……無責任だと思うだろう?」
言葉は無くとも、その表情でブリザラが何を言いたいのか理解するサンタクロースはそう言いながら自傷気味な笑みを浮かべた。
「ああ、そうだ……俺だって本当は他の奴にこんなこと頼みたくはないッ!」
情緒をかなぐり捨て、1人の人間のように感情を発露するサンタクロース。
「……常に彼女の傍らにいることを誓った俺が、彼女の笑顔を守ると誓ったはずのこの俺がケジメをつけるのが筋なはずだと……俺もそう思う……だが……」
様々な感情が入り交じりながら自分の本心を吐露するサンタクロースは、おもむろに赤と白が特徴的な自分の服をたくし上げた。
「……無理なんだ……所詮人間でしかない俺の心では……この世界の人間のような精神構造をしていない俺の心では、どれだけ時を遡っても……もう今の俺では彼女を止めることも……叱ることも出来ない」
たくし上げられたサンタクロースのその部分には『闇』が広がっていた。
「ッ!」「そんなッ!」
女神に続き、時を司る神までもが負の感情、『闇』に侵食されているという事実はブリザラと精霊王に衝撃を与えた。
「今までどうにかこうにかして心が負の感情に傾かないよう誤魔化してはきたが、既に体の半分以上が侵食されている……」
体の半分以上、服で覆われている場所の殆どが『闇』に侵食されていることをブリザラと精霊王に打ち明けるサンタクロース。
「『闇』に侵食されている俺ではもう直接彼女を止めることは出来ない……だから……『闇』に対して高い耐性を持つ嬢ちゃんに頼むほかないんだ……」
本来自分がすべき役目をブリザラへ託さなければならないという情けなさや悔しさの感情がサンタクロースの言葉や表情から滲み出る。
「……『闇』に対する強力な耐性」
創造を司る女神ばかりか時と時空を司る神までが『闇』に侵食されているという事実に驚きが続く中、ブリザラはサンタクロースのその言葉に今まで『闇』と対峙してきた時の事を思い出していた。
「……簡単に人間の心に入り込み負の感情を広げて行く『闇』と対峙して尚、自分の心が負の感情の影響を受けなかったこと……おかしいと疑問に思ったことは無かったか?」
「ッ!」
『闇』と対峙した時の記憶を補うようにサンタクロースの言葉がブリザラの思考に刺さる。
自我を持つ生物が発する負の感情を養分として肥大化していく『闇』は、特に感情豊かな人間から発せられる負の感情を好み、より質の良い負の感情を引き出そうと心に様々な影響を与える。
「……確かにそう言われてみれば……特に『闇』から何か影響を受けたような感覚は……」
これまで幾度か『闇』と対峙したことがあるブリザラは、その中で『闇』から何かしらの影響を受けた感覚は無いと言いかけた。
「……あ、でも、一度私は女神に意識を乗っ取られたことが……」
しかし思い出したというようにヒトクイで女神に意識を奪われた時の事を口にした。
「……意識を取り戻した後、何か変わったことはあったか?」
「……いいえ……少し悲しくはありましたが特には……」
サンタクロースの問に顔を左右に振りながら答えるブリザラ。
「なら、ただ意識を乗っ取られただけだ……もしこれが耐性の無い奴なら正常ではいられないはずだ、もうこの世には存在していないだろう」
『闇』によって増幅された負の感情は最終的に人間を破滅の道へと追い込んで行く。即ち『闇』の果てに待つのは死であることを説明するサンタクロース。
「だが嬢ちゃんは今も正常なままここに存在している……これが『闇』に対して嬢ちゃんが高い耐性を持っている証拠だ」
幾度も『闇』と対峙して尚、更には『闇』に堕ちた女神をその身に抱えてすら、正常でいられることが『闇』に対して高い耐性を持っている証拠だと言うサンタクロース。
「はッ! だとすれば……サンタクロースさんも」
『闇』に侵食された者の末路を知ったブリザラは、目の前にいるサンタクロースも危うい状態にあるのではということに気付いた。
「ああそうだ……いずれ近い内に俺も正常ではいられなくなる……もし俺が完全に『闇』に呑まれれば、この世界の時間は『闇』の都合のいいように利用されるだろう……そうなる前に、全てに決着を付けなければならない……その1つが……神殺し……女神フリーデの抹殺だ」
「……」
サンタクロースが抱き続けてきた想いを知った上で、それをはっきりと口にすることがどれだけ辛く勇気のいるものであるかブリザラにも理解できた。
「……この世界は、理由はわからないが何故か他の世界に比べて負の感情に対する耐性が高い……」
まだ正常であった頃の女神と共に、多くの世界を巡っていたサンタクロースは、負の感情によって滅んでいく世界を数えられないほど見てきた。その経験則を踏まえながら滅んでいった他の世界に比べてブリザラたちのいる世界は負の感情に対する耐性が高いことを前置きしつつサンタクロースは話を続ける。
「これは彼女が望み目指していた優しい世界へと繋がる僅かな可能性とも言える……だがそんな彼女は『闇』に呑まれ、その可能性に気付くことはもう出来ない……だから……」
そこで一旦言葉を止めたサンタクロースは1つ息を吐く。
「何度でも言う……既に自分の願いすら思い出すことが出来なくなった彼女を……『フユカ』を楽にしてやってくれ」
「……」
念を押すようにもう一度ブリザラへ女神を楽にしてやってくれと頼むサンタクロースが口にしたその名。それは女神でも、フリーデという名でも無い。サンタクロースが出会った1人の少女。まだ何者でもなかった頃の少女の名であることを理解したブリザラは先程とは違う表情をサンタクロースへ向ける。
「……わかりました……でも私は可能性を捨てません……例え可能性が限りなく零に近いとしても最後の最後まで足掻いて……サンタクロースさんと……フユカさんを救ってみせます!」
生きることを諦めたサンタクロースへ力強くそう宣言するブリザラ。
「……なッ! ……はッ!」
ブリザラの宣言に思わず動揺して声をあげるサンタクロース。しかしサンタクロースが動揺したのはブリザラの宣言が理由では無い。自分が意図せず女神の本当の名を口にしていたことが動揺の理由だった。
「……ゴホン……期待せずに……期待している」
やらかしたと焦った表情を咳払いすることで誤魔化したサンタクロース。だが期待せずに期待するというどう考えても動揺を隠せていない支離滅裂な言葉をブリザラへ送ってしまうサンタクロース。
「……さて俺の伝えたかったことはとりあえずこれで終わりだ……」
若干動揺を残しつつも自分が伝えたかったことを言い終え、更にはブリザラの希望に満ちた意思を感じとり、どこか少し肩の荷が下りたようにスッキリとした表情になったサンタクロース。
「それじゃ時間を動かして精霊王(仮)と魔王の戦いの続きでも眺めるとしよう」
「あ、はいお願いします」
時間を動かすというサンタクロースの言葉に精霊たちが映し出すテイチたちの姿が映し出された光景に慌てて視線を向けるブリザラ。
「……あ、そういや1つ言い忘れていた」
ここにきて伝えそびれていた事を思い出したサンタクロースは精霊たちへが見せる光景に視線を向けたブリザラの背に向かい口を開いた。
「……嬢ちゃんがご執心な魔王だがな……あれは嬢ちゃんと同類だ……『闇』に対して高い耐性を持っている……けれど嬢ちゃんと違う使い方をしている……その高い耐性で『闇』を弾くのではなく、自分の中に取り込んで利用しているんだ……」
「えッ! ちょ、ちょっと待って! なんでこの状況でそんな重要な話を詰め込んでくるんですかッ!……その話詳しく聞かせてくだ……」
魔王に関する重要な話を突然告げたサンタクロースに対して先程とは違う意味で慌てだすブリザラ。
(俺を動揺させた罰だ、慌てろ慌てろ)
大人げないならぬ神げない事を心の中で呟きながらサンタクロースは慌てるブリザラの姿を傍らに容赦なく指を鳴らす。すると止まっていた世界の時間が動き出すのだった。
ガイアスの世界
今回ありません




