『いつか』
ガイアスの世界
今回ありません
『いつか』
『闇』に支配され剣や魔法が意味を成さなくなってしまった世界ガイアス
― 現在 魔王城 ―
それは僅か数秒の出来事。突然出現したかと思えば、渾身の拳による一撃で黒竜を地面へ叩き落としたテイチは、普段の可愛らしい表情からは想像することも出来ない鋭い眼光を地面へ叩きつけられ瓦礫の下敷きとなった黒竜へ向けていた。
「……調子にノリやがってこのガキが……」
潰れた蜥蜴のように地面に這いつくばっていた体を起こした黒竜は、体に付いた土や埃を払いながら頭上にいるテイチを見上げながらそう静かに吐き捨てた。
「……私はテイチ……ガキじゃない……」
炎と風を上手く操り浮遊するテイチは、ゆっくりと地面に着地すると黒竜が吐き捨てた言葉を訂正した。
「……その理屈が通るのならばお前も間違っているぞ小娘……我は蜥蜴野郎ではない……我こそは世界を混沌へ誘う黒い古竜……黒竜であるぞッ!」
既に自分の正体を隠す気が無い黒竜は叫んだと同時に口を開いた。竜のように裂けた口の端からは血が噴出したが、それに構わず黒竜は竜の代名詞である火息を一切の予備動作や溜めも無く放った。
「堅く硬く山のようにそびえ立て、大地精霊壁ッ!」
黒竜から放たれた火息に対応するようにテイチがそう唱えた瞬間、足元から突然樹木のように土の壁がそびえ立った。
土精霊の力を借りた壁は即ち大地の力、ガイアスから力を借りたに等しいその土壁は、召喚士の力量が高ければ高いほどその強度は高まる。今ガイアスに生息する疑竜や飛竜などの火息を軽々と防ぐことも出来るだろう。
テイチの召喚士としての力量ならば、太古に存在した竜の火息相手でも防げるかもしれない。しかしテイチが今相手にしているのは疑竜や飛竜でもなければ、太古に存在した竜でも無い。その竜たちの祖と言われる原種の一体。最低最悪と悪名轟く黒竜が吐く火息なのである。
これまで対峙してきた幾多の冒険者や戦闘職の今際の断末魔に宿る負の感情を吸収してきた黒竜が放つ火息には、その冒険者や戦闘職の負の感情が蓄積されている。それはただの火では無く呪いと言っても過言では無い。負の感情を纏った黒炎、黒炎息は直撃すれば容赦なく対象を燃やし消し炭も残さない。消し炭になった後の魂すら燃やし尽くすと言われている。
そんな黒炎息がテイチの発動した土壁に直撃する。大地が作り出した土壁はみるみるうちに黒い炎へ呑まれ腐り崩れて行く。はずだった。
「……なッ!」
黒炎息を吐きながら目の前で起った光景に動揺する黒竜。裂けていた。そう黒竜が吐いた黒炎息はまるで刃で両断されたように裂けていたのだ。
黒竜は過信していた。相手はただの子供であると。少し精霊の扱いに長けた小娘であると。上位精霊との契約に成功しただけの人であると。
だが黒竜は知らない。彼女が四属性全ての上位精霊と契約していることを。彼女が全ての精霊に愛されていることを。彼女が精霊王に『いつか』なる存在だということを。
― 数分前 場所不明 ―
「……あなたが私だってこと……何となくわかっていたような気がする」
自らを未来の成れの果てと言う精霊王となった自分の横顔に一瞬驚きの表情を見せたテイチ。だが次の瞬間テイチは何処か納得した表情を浮かべていた。
「……何故?」
目の前にいる少女は幼き日の自分。しかし思っていた以上に、冷静に言葉を紡ぐテイチの姿に驚き動揺する精霊王は尋ねた。
「香り……あなたから何処かお母さんの香りがしたから……」
それはテイチと精霊王が同じ存在であることを証明する記憶。2人にとって大切な母の記憶。
「……私からお母さんの香りが?」
「……うん」
精霊王の問に短く頷くテイチ。
「そう……」
母の香りがしたから。何故かテイチのその言葉に表現しきれない感情が込み上げてくる精霊王は、その感情の赴くままテイチを抱きしめていた。
「もしかしたら……もしかしたらお母さんが助けにきてくれたのかもって……でも、違うね……お母さんの香りに似ているけど……違う……」
僅かな希望にすがりつこうとしていたテイチ。しかし香りが似ていたとしてもそれが母のものではないことを実感したテイチは大粒の涙を零しながら精霊王から離れた。
「……あの日……ウルディネやアキさんに助けられて私が意識の底で深い眠りについた日……お母さんやお父さん……村の皆は死んでしまった」
大粒の涙を手で拭いながら、精霊たちの記憶が見せたあの日のことを口にするテイチ。
「……そう……もう母や父はこの世にはいない」
あの日、テイチの両親は村を襲った野党たちによって殺された。村は燃やされそこに住んでいた人々は全て灰になった。その事実を知って間もないテイチが両親の死に向き合うことなどできない。過去の自分が抱いた感覚を思い出しながら精霊王はテイチの言葉に頷いた。
「うん、そう……もうお母さんもお父さんもこの世にはいない……」
涙を拭い真っ直ぐな瞳で精霊王を見つめながらテイチは言う。
「……?」
過去の自分が両親の死を受け入れられず、実感すらしていなかったからこそ、真っ直ぐ自分を見つめるテイチの変化に精霊王は気付いた。テイチは両親の死を事実として受け入れている。目の前に立つテイチは既に自分の知っている自分では無いということを精霊王は理解した。
「……精霊王さん……私、精霊王になるの……やめてもいいかな?」
「……ああ……」
それは自分が本当に聞きたかった言葉。自分が言いたかった言葉。精霊王となった自分を否定する言葉。この言葉を聞く為に、私は幾度も時を越えてきたのだ。精霊王は、申し訳なさそうな表情を浮かべながら自分の様子を伺うテイチを見つめながら小さく頷いた。
「……精霊王さん……姿が……」
交渉は決裂した。精霊王になることを否定したテイチの言葉が引金となり精霊王の姿が薄くなっていく。消え始めた精霊王の姿に一体何が起きたのか理解できないテイチの表情が強張った。
「……あなたが精霊王になることを否定したから……あなたの未来であった私は消滅するの……」
やっと長かった役目が終わる。安らかな気分で精霊王は自分が消滅することをテイチに告げた。
「……そんな……」
なぜ精霊王になることを否定すると未来の自分が消滅するのか知識や理屈を理解できないテイチは再び目に涙をためる。
「おかしな話ではあるけれど、自分の所為だなんて思わないで……これは私が本当に心から望んでいたことなのだから……」
既に自分とは違う道へ進み始めたテイチにそう言いながら柔らかい笑みを浮かべる精霊王。
(……私は母親にはなれなかったけれど、これが母性なのかもしれない)
消え行く自分のために泣くテイチの姿を見ながら精霊王は自分の中に湧き上がる感情を噛みしめた。
「悲しまないで……私……」
過ぎ去りし遠い過去で見た母の笑み。せめて悲しい別れにはしたくないと精霊王は思い出の中にある母の笑みをまねて微笑んだ。
「大丈夫……大丈夫だよ私」
消滅する最後の最期まで、テイチの記憶に残る母であろうとする精霊王。
【駄目ッ!】
だがそんな雰囲気をぶち壊すように今まで沈黙していたブリザラの声が2人のいる空間に再び響き渡った。
【消滅することは許さない……2人で……2人で一緒に私の下へ戻って来てッ!】
まるで2人の状況を理解しているとでも言うようにブリザラの声は精霊王が消滅することを否定し2人で自分の下へ帰って来ることを望んだ。
「……無茶を……」
無理難題なブリザラの言葉を懐かしく思いながら苦笑いを浮かべる精霊王。
「……精霊王さん……」
出来る出来ないは別として、いかなる時も希望を捨てないブリザラのそう言った所に私は大きな影響を受けていたことを思い出した精霊王は自分を呼ぶテイチの顔を見た。
「……何をする気?」
何かひらめいたという満面の笑みを浮かべているテイチに顔を引きつらせる精霊王。
「……私……『いつか』精霊王になるよ!」
『いつか』とい三文字の言葉を付け加えただけ。たったそれだけのことで、消滅するはずだった精霊王の運命が変わった。変わってしまった。
「……そんな……有り得ない」
消えかけていた体がしっかりと形を取り戻した事に驚愕する精霊王。
「……はッ! そうだ」
心は混乱していても頭は冷静に思考していた精霊王は何か思いついたという表情を浮かべた。
「……サンタぁぁぁぁぁぁ!」
そして精霊王は叫ぶ。この有り得ない状況について何か知っているだろう存在、時を司る神の名を叫ぶのだった。
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