聖なる獣と闇を歩く者再び
ガイアスの世界
今回ありません
聖なる獣と闇歩く者再び
剣と魔法の力渦巻く世界、ガイアス
— ガウルド城地下最奥付近 —
人族にとって恐怖の象徴である夜歩者。高い身体能力と『闇』を媒介にする卓越した魔法。更には例え首を切られたとしても直ぐに元通りになってしまう自己回復能力。どれをとっても人族を凌駕する存在である夜歩者は、まさに人族にとって天敵、恐怖の象徴と言って過言では無い。
「はぁはぁはぁひぃはぁはぁはぁ……」
しかし今、特別監獄の暗い通路を逃げるように走るギルにその面影は微塵も無い。夜歩者でありながら、暗がりに溶け込み移動することも、翼を生やし暗い通路を飛ぶこともせず、ただ恐怖と混乱に表情を歪め自らの足で走るギルのその姿に、恐怖の象徴、夜歩者としての威厳や自尊心は皆無であった。
「はひぃ……はぁはぁひぃはぁはぁ……」
無様。まさに今のギルにはその言葉が似合っていた。
辛うじて夜歩者の特徴の1つである自己回復によって切断された首を胴体に結合したギルは、少しでもあの忌々しい者達がいる場所から離れようと、主の居る小部屋に戻ろうと自らの足に力を入れる。
(……くそッ糞ッくそッ糞……何で私が……夜歩者である私が家畜如きにッ!)
自らの心に抱く感情、それが恐怖であると自覚してしまったギルは、自分をその感情に落とした者達が人族であるという事実を未だ受け入れられず僅かに残る夜歩者としての自尊心を振り絞り心の中で叫ぶ。
「はひぃ!」
しかしその瞬間、自分を恐怖へと叩き落とした人族の男と女の顔が過り恐怖を思い出すギルは、息とも悲鳴とも言えない情けない声を上げてしまう。
(あの人族の男から感じた……聖狼の気配……私たち一族を狩りつくす獣……)
心の中でそう呟いたギルの脳裏に浮かぶ光景は、数百年前の人族と魔族の戦で同胞たちが何頭もの聖狼に蹂躙される姿。それも一人や二人では無い。何十何百もの同胞である夜歩者が聖狼に殺されていく姿だった。
ギルの脳裏に浮かんだ光景は、夜歩者たちが残した最期の記憶、血を通して同族が残した聖狼たちに切り刻まれ蹂躙される記憶だった。
人族と魔族の戦以降、生き残った全ての夜歩者たちは、聖狼という存在を天敵として恐怖の象徴として本能に刻まれてしまったのだ。人族の男から感じた恐怖はその聖狼から来る恐怖だった。
(……でも、アレは違う……あの家畜……人族の女から感じた恐怖は次元が違う……)
思い出しただけで自分の存在が消滅しそうな感覚を抱くギル。人族の女から感じた恐怖はギルの本能にも刻まれている聖狼の恐怖を軽々と凌駕してしまうものであった。
人族の女に対してのギルの最初の印象は虫も殺せないようなひ弱な顔をした人族の女であった。しかしその人族の女が発した『聖』は今までギルが感じたどれとも違う。
戦ってはいけない。対峙してはいけない。近づいてはいけない。話してはいけない。視界に入ってはいけない。生きていてすらいけない。
全てを自分の存在すら否定しまう程の恐怖をギルは人族の女が発する『聖』から感じてしまった。
だがそれだけの圧倒的な『聖』を発していながら人族の女はギルを消滅させなかった。そればかりかこの場から去れと首だけとなっていたギルをあの場から逃がしたのだ。
ギルは人族の女から向けられたその慈悲を受け入れるしかなかった。いやそうしなければならなかった。僅かに残っていた夜歩者の自尊心は砕け散り、生物として生存本能が赴くままギルはあの場から逃げることしかできなかった。
(兎に角、今は主の下に)
人族の女が発する恐怖から離れたことで、僅かに冷静を取り戻したギルは、自分の主に救いを求めた。
(……スビアなら、あの獣も……おかしな家畜も……あの恐怖をなんとかしてくれるはずッ!)
距離が離れ冷静をとりもどしても抱いてしまった恐怖は消えない。だが自分の主ならば、スビアならば、自分が抱いてしまったこの恐怖をどうにかしてくれるはずだとギルは、スビアが居る小部屋を目指した。
(……そう、あの扉の奥……)
暗く長い特別監獄の通路を走り続けたギルの目に目的とした景色が広がる。
「がはッ!」
後少しと視界に広がる小部屋の扉に手を伸ばした瞬間、ギルは凄い勢いで飛んできた何かに弾き飛ばされた。
「……ギルッ……」
特別監獄のか壁に体を打ち付けられたギルはその場に倒れこむと、遠のく意識の中、スビアの名を呟きながら意識を失った。
— 特別監獄最奥 小部屋 —
突然響き渡る衝撃音と共に扉をぶち破り小部屋の壁に凄い勢いで激突した何かを見て、青年へと姿を変えたスビアは嬉しそうな笑みを浮かべた。
「……お前は……」
嬉しそうな笑みを浮かべるスビアと同様に、壁に激突した何かにそう言葉を漏らすレーニ。
「いっててて……あの野郎……」
特殊な力を持った者達を隔離する場である特別監獄。その特殊な力で破壊や脱走をされないよう特別監獄の壁や天井、柵にはガイアスで最高の強度を持つと言われている鉱石、金剛がふんだんに使用されている。そんな最高の強度を持つ金剛製の壁に常人が凄い勢いで激突すれば、見るも無残な姿になってしまうのは火を見るよりも明らかである。しかし金剛製の壁に凄い勢いで激突した何か、いや男は平然と立ち上がった。
「……大きな『聖』の気配の1つはお前だったか、ガイルズ」
金剛製の壁に衝突しても平然としている男、ガイルズに向かって驚いた表情を浮かべながらそう話しかけるレーニ。
「……ん? 誰だあんた?」
首を鳴らしながら自分に話しかけてきた女性に対してそう答えたガイルズは、おもむろに鼻を動かしその女性の臭いを嗅ぐ。
「……クセェ臭いと同族に近い臭いがしやがる……あんた何者……」
レーニから漂う2つの臭い、2つの気配に首を傾げその正体を尋ねようとした瞬間、もう1つの臭いと気配を感じ取ったガイルズは目を血走らせた。
「悪い、あんたと話している暇はないようだ」
血走った目でレーニを見つめながらガイルズはそう詫びるとその視線をゆっくり横へずらした。
「……おおう、会いたかったぜ……」
血走った目をその気配のある方に向け口が裂ける程の笑み浮かべるガイルズ。いや、これは比喩では無い。ガイルズの口はその言葉通り裂けていた。
「久しぶりだね……随分と力を付けたようじゃないか……」
『闇』を狩る獣、聖狼へ姿を変えていくガイルズが以前よりも強くなっていることを感じ取ったスビアは嬉しそうに話しかけた。
「お前こそ、下の毛も揃わないガキだったくせに、会わない間に急成長しやがったな」
スビアの急成長に親戚のおじさんのような感想を口にするガイルズ。
一見それは再会を喜び会う叔父と甥のように見える。しかしそこに立つ両者の関係は『闇』を狩る聖狼と『聖』を狩る闇歩者。そこには互いを否定し殺しあうこと以外、何も存在しない。互いが再会を喜び終わった瞬間、それは始まる。
《うらぁぁぁぁぁッ!》
先手を取ったのは完全に聖狼へと姿を変えたガイルズ。目にもとまらぬ速度でスビアに急接近したガイルズは、そのまま右手の鋭い爪をスビアの頭へ振り下ろした。
破裂音と共に飛び散る鮮血。まるで果物のようにスビアの頭部は破裂した。
「さあ、始めよう、あの時の続きをなッ!」
念願であった好敵手との再会にそう叫ぶガイルズ。ガウルド城地下、特別監獄には歓喜に打ち震える狼の雄叫びが響き渡った。
ガイアスの世界
夜歩者の血
夜歩者の中に流れる血には記憶が含まれている。同族同士で血を共有することで、記憶を共有することが出来る。




