鍛冶師の物思いで章 月石に愛された男
ガイアスの世界
今回はありません。
鍛冶師の物思いで章 月石に愛された男
鍛冶師ならば誰もが一度は夢に見る己の全てを注ぎ込んだ最高傑作。
しかし実際に生涯の内で最高傑作と呼べるものを作ることが出来る鍛冶師は少なく1つでも作ることが出来ればそれは奇跡と言える。殆ど鍛冶師はそこへ到達する前に人生を終えてしまうのが普通と言える。
鍛冶師が己の全てを注ぎ最高傑作の品を作る為には、何処までも追い求め続ける探求心と、決して尽きることの無い好奇心。枯れることの無い想像力と挫け折れることの無い精神力が必要になってくる。
だが人生の全てを鍛冶師に捧げることが出来る者など滅多に存在しない。だが、男はその全てを鍛冶師に捧げることが出来る稀有な存在であった。
巷の鍛冶師たちが仕事終わりに夜な夜な酒場で飲んだくれる中、男は工房に籠り数えきれない程の金属や鉱石と対峙し己の一方的な想いを乗せ鎚を振ってきた。そして何時しか男は金属や鉱石と向かい合い対話できるようになった。
膨大な失敗を繰り返し、長い時間を犠牲にした男。その姿に他の鍛冶師たちは狂気すら感じていたという。だが男は何を言われようとも我関せずで鍛冶師としての己の理想を貫いた。
そんな鍛冶師としての徹底した姿勢が実を結ぶように、男の才能と努力、そして想いに鍛冶の神は答えた。男が対峙する金属や鉱石は、飛び散る火花や打ち付けた時に広がる音、そして完成した姿で男の想いに答えるようになったのだ。
鍛冶の神に愛され、世界一の鍛冶師となった男。だがそれでも男は満足しなかった。金属や鉱石が己の思い通りに形を変えてもそれだけでは満足できなくなっていったのだ。いや今まで対峙してきた金属や鉱石が男の想いに答えられなくなったというのが正しいのかもしれない。それほどまでに男は鍛冶師として貪欲に、そして己が欲する最高傑作を追い求めていたのだ。
そして男は知った、ある金属の存在を。ガイアス全域に存在する八割の迷宮の壁や天井、通路などに使われているその金属の存在を。
迷宮の壁や天井、通路から切りだすことは愚か、傷1つ付かず、熱しても、冷やしても何の変化も無い金属、月石の存在を。そして男は願った。いつかその金属を使い、最高の品を作りたいと。
― 光の迷宮 隠し通路 ―
「よし……」
愛くるしい姿をした猫獣人ロンキは、先程スプリングが倒した鎧猪の躯の横に陣取ると何処からともなく鍛冶に必要な道具を出現させ自分の周囲に配置した。
何もない所から鍛冶道具を生み出すロンキのこの能力は、ロンキの中に存在する修復者という魂の力によるものである。本人はその魂の存在に気付いてはいないが、修復者が持つ能力の片鱗を意識せず使いこなしているのである。
「これで準備万端……後は……」
自分がどれほど凄い能力を使っているのかも知らず、並べた鍛冶道具をひとしきり確認したロンキは、自分の背後に横たわる鎧猪が纏う月石で出来た鎧へ視線を向けた。
ロンキを含め今まで多くの鍛冶師が正体不明、現在の技術では加工不可能と言われる月石に挑んだ。しかし結果は知っての通り誰一人成功した者はいない。
「……今なら月石を加工できそうなきがするにゃ」
だが今のロンキには月石を扱うことが出来るという自信があった。
その自信が何処からくるのか、それはロンキが加工不可能と言われている月石を使った武器や防具を目にし実際に触れたことによるものだった。
ロンキが実際に目にし触れたその代物は、遥か昔、現在では失われた技術によって作られたものであり、更には人の意思に似た自我を持ち会話することも可能であった。
「……私の想いが届けばあるいは……」
実際に月石が使われたその代物を目にし観察して触れたことで、ロンキの頭にはある考えが浮かんでいた。その考えは、これまでの月石の定説を否定するもので、失われた技術など本当に存在するのかというものであった。
確かに実際ロンキが目にし触れたそれは、遥か昔に作られた代物である。だがその形や用途は現在とさほど変わらない。ならば遥か昔に作られたそれらを製作する工程は、今と殆ど変わらないのではないかとロンキは考えた。
ならば、月石を加工するうえで何が足りないのか。そこでロンキが着目したのは、人の意思や想いといったものだった。
これはロンキが実際に見て触れたからこそ分かったことであるが、月石は人の意思や想いに強く反応する。事実、月石を使った品を所有している者は、月石を使った品と心を通わせることで、想像を越える力を発揮していた。
ならば月石に自分の想いを届けることが出来ればあるいは、とロンキはそう考えたのである。
それは他の鍛冶師からすれば、馬鹿げた話に聞こえ、非現実だと嘲笑する者もいるだろう。
だがロンキからすれば、それこそがおかしいと否定したくなる。鎚を振り、金属や鉱石を対峙している時にお前たちは一体何を考えていたのだと。より良い物を最高の品を作ろうと考え、その想いを鎚に籠めて振っていたのでないかと。この考えの違いがロンキと他の鍛冶師の技術の差になったことは言うまでも無い。
息を吐くように、ごく自然に今まで自分の考えや想いを鎚に籠め、対峙する金属や鉱石を叩いて来たロンキは、その想いが足りないのならば更に上乗せするだけだと、横たわり屍となった鎧猪に近寄った。
(……見せろ……見せろ……私にお前の輝きを見せてくれニャ!)
今までよりも今まで以上に想いを籠め、ロンキは鎧猪が纏う月石で出来た鎧に触れた。
「ッ!」
すると驚くことにロンキが触れたそばから、鎧猪が纏う月石で出来た鎧の一部が飴細工のように溶け始めた。今まで欠片や破片を削りだすことすら不可能で、熱によっても溶けることすら無かった月石が、ロンキが触れただけでその形を崩したのだ。
「成功だ!」
そう叫びながら崩れ溶け始めた月石を両手ですくい上げたロンキは、すぐさま液状になった月石をバケツの中に入れた。
並々とバケツの中に入った月石は、時間が経過しても固まることは無く液体のままその性質を維持していた。
「……なるほど……なるほどニャ! ……人の意思や想いが介在しない限り、性質が変化することは無い……理解すれば、どんな金属や鉱石よりも加工することは簡単ニャ!」
バケツの中で水のように透き通る月石の性質を理解したたロンキは興奮気味にそう叫んだ。
「膳は急げ、この感覚が鈍らないうに直ぐに作業に移るニャ!」
体の奥底から感じる炉のような熱。その熱が冷める前にとロンキは、鍛冶師としての仕事に取り掛かる。
「……スプリングちゃんがこの先困らない、最高の防具を……」
体中に広がる熱を自分の想いと練り混ぜ、そして使用する者の事を考えながらロンキはバケツの中に手を入れる。すると今まで液状だった月石は、ロンキの想いに答えるようにその形を変えた。
「よしニャ!」
ロンキは板状になった月石を持つと、火が通っていない炉へと急いで移動した。
「……我の思いを聞き入れ、灼熱の炎をここに召喚されたし……」
火が通っていない炉の前に座ったロンキは詠唱を始める。
「……炎者の名は火蜥蜴!」
ロンキがそう叫んだと同時に、背後にはその名を冠した火を纏った蜥蜴が姿を現し、火が通っていない炉に向かって炎を吹いた。
「よしよしよし! いくニャ!」
一気に火が入った炉は普通の者であれば近づくことも困難な程の熱を発している。だがとてつもない熱波を放つ炉の前に平然と居すわるロンキは、目を乱々と輝かせながら手に持つ板状の月石を突っ込んだ。その瞬間、更に激しくなった熱波と共に火花がロンキを襲う。
(軽く軽く、硬く硬く……何人にも屈しない!)
弾け飛び散る火花が自慢の髭や体毛を焦がす。だがそんな事お構いなしに熱され赤く輝く月石を炉から取り出したロンキは、更に自分の想いを重ねながら愛用する鎚で月石を叩いた。
叩いた瞬間、ロンキが経験したことの無い突き抜けるような金属音が隠し通路に響き渡る。その音に呼応するように月石で出来た壁や天井が同じような音を響かせた。
叩く叩く叩く。ロンキの強い意思、重いを乗せた鎚が叩きつける度に、熱され赤く輝いている月石はその意思や想いに答え形をどんどん変えていく。
まるで火の化身と化したようにロンキは体に火を纏いながら月石を叩き続けた。そしてその時は唐突にやってきた。
「……出来た……にゃ……」
全身の所々が炉の火によって焦げたロンキは、文字通り己を燃やしながら作り上げた鎧を疲弊した表情で見つめていた。肉体は疲労困憊ではあるが心は今までに無い充実感で満たされたロンキは、己の悲願を達成したことに感動を抱き、その目からは涙が溢れだす。
「……うぅぅぅ……はぁ! 駄目にゃ……これで終わりじゃない……これは始まりニャ!」
悲願を達成したことで心が緩みそうになるロンキ。だがすぐにこれは始まりに過ぎないとロンキは溢れだす涙を腕で拭い完成した鎧を抱えて壁に体を預け休んでいるスプリングの下に移動した。
「まだまだ、これで満足した訳じゃないにゃ……もっともっと最高な物を作るニャ!」
まるで宣言するように眠るスプリングへそう告げたロンキは抱えていた鎧をその場に置くと、踵を返し新たな最高傑作を作りだす為、再び屍となった鎧猪の下へ向かうのだった。
この日、不可能と言われていた月石の加工に成功した鍛冶師が誕生した。しかしこれ以降、彼のように月石の加工が出来る鍛冶師は誕生しなかった。
他の鍛冶師には真似が出来ない偉業を成し遂げた彼は、後に人々から敬意を籠めて、月石に愛されし者と呼ばれるようになった。
ガイアスの世界
月石の性質
伝説武具の素材としてや迷宮の壁や天井、通路などにも使われている月石
どんな金属や鉱石よりも堅い特性を持ち、現在の技術では加工することが不可能と言われている。
だが月石はただ堅いだけでは無い。
月石には人の強い意思や想いを力に変えたり形にしたりする性質を持っている。その為、ただ触れただけでは何も反応しない。
その性質を熟知した者は月石の形を自在に変化できるようになるようだ。




