もう少し真面目で章(スプリング編)15 残した言葉、呼ぶ声
ガイアスの世界
精神耐性の変化
過酷な状況に置かれた者が稀に獲得するという精神耐性。これは文字通り精神に対して仕掛けてくる攻撃を無効化、あるいは軽減する能力であるが、常に発動できる訳では無い。精神耐性はこの能力を持つ者の感情の起伏によって大きくその効果を上下させるもので、感情が悪い方向に向いていたりする場合はその効果は低下する。
現在のスプリングの場合、怒りによって冷静さを失ったことで本来ならば無効化、あるいは軽減できるはずの精神攻撃を防ぐことが出来ず『絶対悪』の残滓が持つ特性の影響を受けてしまっているようだ。
もう少し真面目で章(スプリング編)15 残した言葉、呼ぶ声
剣と魔法の力渦巻く世界、ガイアス
スプリングが放った拳を悠遊と躱した黒ずくめの男は、腰に差していた得物を鞘から抜くのと同時に懐へ飛び込むように前へと踏み込みその勢いのまま鞘から抜いた得物を薙いだ。
「くぅ……」
鋭く高速なやや右上がりの一線が僅かにスプリングが纏っていた防具の胸元をかすめる。黒ずくめの男の得物の先端がスプリングの防具の胸元をかすめた瞬間、周囲に金属音が擦り合う嫌な高い音が響いた。
あまりの攻撃速度に驚愕する反面、スプリングは黒ずくめの男のその攻撃方法に疑問を抱く。『剣聖』を目指す過程で様々な種類の剣や剣術の知識を頭に詰め込んでいたスプリングは、黒ずくめの男が放ったその一撃が何であるのかを知っていた。だからこそ、次に黒ずくめの男がどういう行動に出るのかを理解していた。一撃目を躱すと、即座に二撃目がやってくる。そう判断したスプリングは即座に黒ずくめの男の攻撃範囲から後方に回避行動をとるとすかさず黒ずくめの男の次の攻撃に備えた。
「……」
スプリングのその動きに警戒を見せたのか、はたまた二撃目を放つ気が無かったのか、スプリングと対峙する黒ずくめの男は、静かに後方へと引いたスプリングの動きを見送ると、ゆっくりと得物を鞘に納め低い態勢をとりながら次の攻撃に備えていた。
「……抜刀術か……」
二撃目は無かったもののスプリングはそう呟くと黒ずくめの男が使う剣術が抜刀術である事わ確信し、緊張した表情で打撃用手甲纏った拳を構え直した。
― あ…… る……ど…… ―
何か雑音のような音が頭の中に響き、集中力を削がれるスプリングは爆発した怒りでその雑音をねじ伏せた。
スプリングが口にした抜刀術とは居合術とも呼ばれるヒトクイにのみ存在する国専属職、侍が使う技の一つである。基本的に鞘から剣を抜いて戦う剣士やその他、剣を扱う戦闘職の戦い方とは違い、抜刀術は、刀を鞘に納めたまま帯刀し、鞘から抜き放つ動作で攻防を行う侍独自の戦い方である。鞘から放たれる刀の一撃は剣を扱う戦闘職の中で一番速いとされ、抜刀術の構えに入った侍の間合いに不用意に近づけば即座に死が待っているとも言われる。
(……侍だとッ!)
抜刀術の恐ろしさは知って入るが、冷静さを欠いた今のスプリングにはその危険さを頭で判断することは出来ない。今こうして距離をとり仕切り直せているのは、頭では無く数多くの経験からくる脊髄反射、肉体による判断によるものだった。
(だが……あの時……あいつが持っていたのは刀だったか?)
だがその肉体の経験のお蔭で僅かに出来た時間によってスプリングは少しばかりの冷静さを取り戻しその思考は母親が殺された光景を映しだしていた。
― の……じ……あ……る……―
(まただ……)
母親が目の前で殺された光景を思い出したスプリングの頭にまたあの雑音が響く。しかしその雑音がスプリングを冷静にさせていく。冷静さにを取り戻し始めたスプリングは、黒ずくめの男と侍について考えていた。
侍は幅が細く片刃である刀を愛用する戦闘職で剣を使うことは無いとされている。それは侍が扱う剣術が刀を使うことを前提に作りだされたものだからだ。
(もし奴が侍ならばあの時母さんに突き刺した武器は刀のはず……だが俺が目にしたのは剣だったはず……)
燃え盛る我が家、白いカーテンに付いた母親の血。何から何まで隅々まで自分の目の前で起った当時の事を覚えている自身があったスプリングには、黒ずくめの男が母親を剣で突き刺した記憶があった。だが今実際に黒ずくめの男と対峙してスプリングのその自身は揺らぎ始めていた。
(あの頃、俺は武器についての知識をどれ程持っていた? それが剣か刀か違いが分かったか?)
幼い頃の自分が武器についてどれほどの知識を持っていたのか考えるスプリング。
(いや……分かっていなかったはずだ……)
結論として当時の自分はそれが剣であるか刀であるか判断出来ていない事を自覚するスプリング。
― 油断しては駄目よ ―
一秒にも満たない僅かな時の中、自分の記憶が不完全である事を自覚したスプリングの思考に最後に浮かんだのは燃え盛る我が家を背に優しく微笑みながらそう口にした母親の顔であった。
― あるじ……の! ある……どの! ―
鮮明に当時の事を覚えているつもりであったが、当時の自分の知識が追い付かず所々記憶が簡易化されていたことに納得たスプリングの頭に、先程から響いていた雑音がよりはっきりと聞こえるようになってくる。母が残した言葉と同時に聞こえてくる雑音、いやそれはもはや雑音では無く何者かの声であった。
「あんたが抜刀術の構えをとってくれなかったら冷静になることは出来なかったかもしれないな……」
最初は僅かなきっかけだった。だがそのきっかけは次第に大きくなり、そして今それは声となって自分の頭に響いてくることを自覚したスプリングは僅かに笑みを漏らした。
― あるじど……の! ……あるじどの……! ―
自分が黒ずくめの男に怒り抱き冷静さを失っていたことに気付いたスプリングは冷静になることを心がける。するとそれと比例するように頭に響く何者かの声が鮮明にはっきりとしてくる。
― 主殿! 主殿! ―
その声がはっきりと聞こえるようになればなるほど、スプリングに対峙していた黒ずくめの男の姿が幻であったかのように消えていく。
「お前は俺が追っている奴じゃない」
その光景を冷静な眼差しで見つめるスプリングがそう呟くと黒ずくめの男は完全に消滅した。
「……また心配かけてしまったな……」
自分の目の前から黒ずくめの男が消失した事を確認したスプリングは、申し訳ないというようにそう呟くと今度ははっきりと苦笑いを浮かべるのだった。
『動きが止まった! 主殿! 主殿! 冷静になるんだ主殿!』
拳を何度も何も無い所に放っていたスプリングが突然後方に飛んだ。その後、何かを見つめるように動きを止めたスプリング。呼びかけるなら今しかないと思ったポーンは冷静になるようにと必至でスプリングに呼びかけていた。
肉体を待たないが故に『絶対悪』の残滓が持つ特性の影響を受け何者かと戦う幻を見せられているスプリングを物理的に止めることが出来ないポーンはただ呼びかけることしか出来ない。
「クソッ! いつも大事な時に私は主殿を助けられない! なぜ私はただ呼びかけることしか出来ないのだ!」
今までにも似たようなことはあった。その都度、物理的にスプリングを助けることが出来ないことに苛立ち、そして今回もまたただ呼び続けることしか出来ないのかと今までと同じように自分の非力さを痛感するポーン。
『クソッ!クソッ! 私は私は! 主殿! お願いだ冷静になるんだ主殿!』
非力さを痛感して尚、それでも今自分に出来る事をするポーンは、願うようにスプリングを呼び続ける。
「……そう喚くな……聞こえているよ」
ポーンの必至な呼びかけに答えるように、今まで一点を見つめ続けていたスプリングの瞳に光が宿る。
『……主殿』
自分の呼びかけに答えてくれたスプリングの声に息を呑むようにもう一度呼びかけるポーン。
「……はぁ……また心配をかけたな……悪い……」
完全に光を取り戻しったスプリングの目は自分の腰に吊るされているポーンに向けられていた。
『主殿……よかった……幻が解けたのだな……』
自分に向けられる視線が正常であることを確認したポーンは安堵の声を漏らした。
「ポーンやビショップに注意を受けたのに……『絶対悪』の残滓を実際に前にしたらまんまと奴の特性に引っかかって冷静さを失っちまった……本当に悪い」
『絶対悪』の残滓に対峙する直前、スプリングはビショップから冷静さを失わないようにと忠告を受けていた。そして向かう道中ポーンからもくれぐれも油断しないようにと五月蠅く言われていたのだが、『絶対悪』の残滓に対峙した瞬間、目の前に現れた黒ずくめの男に激昂し冷静さを欠いてしまったことを申し訳なさそうに詫びたスプリングは、そう言いながらポーンに向けていた視線を前に向ける。そこには復讐相手である黒ずくめの男では無く、不気味に黒く蠢く球体状の物体、『絶対悪』の残滓の姿があった。
『今はしっかりと『絶対悪』の残滓が見えているな?』
「ああ、はっきり見える……こんな得体の知れない物体が正体だったとはな」
冷静になったスプリングは目の前に存在している自然界ではありえない綺麗な球体状の姿をした『絶対悪』の残滓を見つめながらポーンの問に頷くと両拳を前に構え戦闘態勢に入った。
「……色々と話さなきゃならないことが出来た、さっさとこの得体の知れない物体を倒そう」
今回の件で色々と思うことがあったのか、ポーンにそう告げたスプリングは『絶対悪』の残滓に向かって飛び込んでいく。
この時、自分に向かって飛び込んでくるスプリングに対して『絶対悪』の残滓は様々な角度から精神攻撃を繰り出していた。スプリングの両親、傭兵時代の仲間、一緒に旅をしたガイルズ。そしてソフィア。だがどの精神攻撃もビショップの圧に耐えたことで更に高まった精神耐性と冷静さを取り戻した今のスプリングの前では全て意味を成さなかった。
一切の精神攻撃が通用しない事を理解した『絶対悪』の残滓はその球体から触手を幾つも生やしそれをスプリングへと向け放った。だが放った触手は悉くスプリングの何の変哲もない打撃用手甲に弾かれていく。
「油断はしない、最大の力でもってお前を打ち抜く!」
母親が残した最後の言葉を口にしながらスプリングは今出せる全ての力を両腕に籠める。すると黒ずくめの男と戦った時にスプリングの母親が見せたもののようにスプリングの拳に青白い光が宿る。
「フォーリーファング!」
そう叫びながらスプリングは青白く光った拳を『絶対悪』の残滓に放った。
― 怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨 ―
青白く光ったスプリングの拳を受けた瞬間、今まで一切音を発することが無かった『絶対悪』の残滓は怨嗟のような不気味な声を上げた。それはまるで苦しんでいるようにも聞こえる。
「うああああああ!」
絶叫しながら青白く光る拳を打ち抜くスプリング。その瞬間、爆発するように青白い光は周囲に拡散する。
― 怨怨怨怨怨怨怨お…… ―
苦しみもがく様に怨嗟のような不気味な音を発していた『絶対悪』の残滓はこと切れるように音を発するのを止めた。その瞬間まるで砂にでも変わったかのように細かい粒子となり消えていく『絶対悪』の残滓。
「はぁーはぁはぁはぁ……」
その言葉通り一切の油断をせず、今持てる全力を拳に乗せ渾身の一撃を放ったスプリングは、全てを出し切ったというように肩で息をしながらその場に座り込んだ。
『お見事だ主殿』
「ああ、疲れた」
労いの言葉を口にするポーンに正直な感想を口にするスプリング。
『それにしてもまさか主殿が我々の持つ力を発動するとは……』
「はぁ? 何のことだ?」
ポーンの言葉に首を傾げるスプリング。
『今まで黙っていたが、我々伝説武具には使命がある』
「使命……まあ、何となくそんなものがあるんだろうなとは思っていたが……」
伝説と名の付く武具には往々にして使命や宿命を背負っていると本で読んだことがあったスプリング。伝説の更に上を行きしかも自我を持っているポーンが何か使命や宿命を持っているのは当然だと思っていたスプリングは、ポーンのその言葉に別段驚きを見せることは無く素直に聞きいれた。
『それが……』
『それは私がお話しましょう』
ポーンが何かを語ろうとした瞬間、それを邪魔するようにスプリングの頭の中に直接話しかけてくる声。
『ビショップ……!』
話を邪魔され怒りに打ち震えるポーン。
「悪いが今長話は勘弁してくれ……そんな体力残っていない……とりあえずあんたとの約束は果たした、それもひっくるめてあんたの屋敷に戻ってから全てを聞く」
正直今はすぐにでも体力を回復させたいという思いが強いスプリングは、こんな場所で長話を始められても困ると思い、ビショップと交した約束、黒ずくめの男の正体についての情報と併せて屋敷に戻ってから聞くと告げた。
『あ、それは気遣いが行き届かなくてすみません、はい、わかりました、それではお帰りをお待ちしています』
スプリングの現在の状況を考えず話を始めようとしたことを詫びたビショップは、スプリングの希望を聞きいれ屋敷に戻ってから話す事を約束した。
『あ、それと最後に……』
言い忘れていたことがあるというように再びスプリングの頭の中に直接話しかけるビショップ。
「あ? ……何だ」
この場での話はお開きだと思っていたスプリングは再び頭の中に直接響くビショップの声に怠そうに答えた。
『……もう少しその場でお待ちください、そうすればそこにいるポーンが歩くのも辛いであろう今のあなたの役に立てるようになると思いますから』
「はぁ?」
ビショップが何を言っているのかよく分からないスプリング。
『それでは』
自分が発言した内容に一切の説明を加えず立ち去るようにその気配を消すビショップ。だがその声には何処か含みがあるようで楽しそうにも聞こえる。
「……どういうことか分かるか、ポーン」
一切の説明を受けず何も分からないスプリングは、ビショップの同胞であるポーンに説明を求めた。
『ふん、ビショップが言うことを私は理解出来ない、そもそも理解したいとも思わん』
「はは……さっき散々俺に冷静になれって言っていたのに……」
普段冷静沈着であるポーンがビショップのことになると感情をむき出しにするその様子を見てスプリングは自分と似ていると自嘲気味な苦笑いを浮かべた。
「それで少し待てと言われたが……」
満足に体を動かすこが出来ないスプリングはビショップが言うその時を待つことにした。
『主殿、あんな者の言葉を信じなく……うぅぅぅぅ……』
素直にビショップの指示に従おうとするスプリングに怒りを露わにしたポーン。しかしその直後ポーンは突然唸り始めた。
「ど、どうした?」
ポーンの様子に慌てるスプリング。するとスプリングの腰の辺りが突然光り始めた。そこはポーンが吊るされている場所、光っていたのはポーンであった。
突然の眩い光に目を細めるスプリング。しかしその瞬間スプリングは嫌な予感がした。
「……」
光が落ち着き、ゆっくりと目を開いたスプリングは光を失ったポーンの姿を見て絶句した。
『……その……主殿……』
何故か申し訳なさそうな声をあげるポーン。
「……うん、確かに今の俺には助かる……」
まるで感情の籠っていない声でそう口にしたスプリングは何かを手に持つとゆっくりと立ち上がった。
「わああ……何て立ち上がるのが楽なんだ……」
スプリングが手に持ったのは槍であった。何故そこに槍があるのかスプリングは思考を放棄したように感情の籠っていない声で手に持つ槍の使い勝手の感想を述べた。
『……なぜだ、なぜこのタイミングで!』
悲痛な叫びを上げるポーン。その理由は、スプリングが手に持つ槍にあった。突如としてスプリングの前に姿を現した槍。その正体は打撃用手甲から姿が変わったポーンであった。
「大丈夫、今のお前は十分に俺の役に立っているよ」
もう何度目になるのか、ポーンが持つ能力、職業転職の暴走によって拳士から強制的に槍士になった事を理解したスプリングは何かを諦めたような表情でポーンにそう告げると、槍へと変わってしまった相棒を杖替わりにしてビショップが待つ屋敷へとゆっくりとその場から歩きだすのであった。
ガイアスの世界
現在のスプリングのステータス
※ 今までのステータスの表記の仕方から変更しました。
スプリング=イライヤ
戦闘職 槍士(槍使い) 熟練度0
今までにマスターした戦闘職
下位戦闘職 ファイター 剣士 ソードマン 魔法使い(初級) 拳士
上位戦闘職 上位剣士
装備
武器 なし (伝説の武器ポーン(槍))
頭 フード
胴 軽鎧
足 軽脛当
アクセサリー 守りの指輪
解説
拳士として熟練した戦い方が出来るようになった矢先、ポーンの能力暴走によって今度は強制的に槍士に職業転職してしまったスプリング。転職直後ということもあり防具は拳士のままの軽装である。
当然ながら槍士としての熟練度が0の為、ポーンを扱うこと(装備)は出来ない。(ポーンが持つ能力を任意で使うことは出来ないが、ポーン自身が扱うことは出来る)