もう少し真面目で章(スプリング編)12 覚悟、更に覚悟
ガイアスの世界
空に現れた黒雲
ユモ村の周囲にある平原の空に突如として現れた黒雲。一見雨雲のように見えるが、何か不吉をもたらす前兆のように不気味でもある。結局はソレが何であるのかは分からないが、ただの雨雲では無いことは確かであるようだ。
もう少し真面目で章(スプリング編)12 覚悟、更に覚悟
剣と魔法の力渦巻く世界、ガイアス
「……おお、雨雲か?」
村から少し離れた平原、その上空に漂う黒雲を発見したユモ村の村民は、畑仕事の手を止める。
「ありゃ結構激しいのが降るかもね」
見るからに雨を孕んでいそうな黒雲に畑仕事を続けていた村民の一人がそう呟く。
「おっしゃそんじゃ今日は終わりだ、帰ろう」
黒雲を発見した村民は周囲にいた他の村民たちに畑仕事を切り上げること提案する。
「そうだな、今日は終わるか」
「そうしようそしよう」
黒雲を最初に発見した村民の提案に畑仕事をしていた他の村民たちもその提案を聞きいれそそくさと帰り支度を始めた。
「どうだこれから一杯!」
止む無く終わりになってしまった仕事の時間を埋めるように、村民の一人は笑いながら他の村民を晩酌に誘う。
「いいね~」
その誘いに他の村民たちは笑いながら応じるとそそくさとその場を離れ帰路につくのであった。
彼らユモ村の村民たちには、ソレがただの黒雲や雨雲に見えていた。これが彼らユモ村の村民たちの日常の一つ。例え自分たちの村の近くに現れたのが黒雲でも無ければ雨雲でも無い他の何かであったとしても、彼らにとってソレは黒雲や雨雲でしかない。
それは自分たちにとってそしてこの村を支配する者にとって都合の悪いものは別の何かに置き換わるという自我を持つ伝説の本ビショップの能力の一つ、人心掌握による影響だからであった。
「……なんだあれ? 気味が悪いな……」
ビショップの人心掌握を耐え抜いていたスプリングには村民たちが見ていた黒雲が全く別のものに見えていた。
一見ただの黒雲や雨雲にも見えるソレは、よく見れば不気味に蠢く得体の知れないものにも見える。だが凝視すればするほど何か直接心に来るものがあり、それは不安を煽り根源的な嫌悪感すら抱かせる。
「ポーン、あれが何だか分かるか?」
自分の心がざわついていることに気付いたスプリングは、遠目に見えるソレを指差しながら自分の腰に吊下げた二つある内の一対の打撃用手甲、自我を持つ伝説の武器、ポーンにそれが何であるかを尋ねた。
『……すまない私にも分からない』
人間では抱えきれない程の知識を持つポーンでも、遠目に見える黒雲や雨雲のように見えるソレが何であるか判断がつかないのか分からないとスプリングに答えた。
『……だが、私も主殿と同じようにあれからは嫌な気配を感じる』
分からないと答えたポーンだったが、だがと付け加えスプリングと同様に遠目に見えるソレに対して自分も嫌悪を感じている事を伝えた。
「……うーん」
ソレが何であるかは分からないが自分と同じくソレに対して嫌悪を抱いていると言うポーンの言葉にスプリングは考え込むように低く唸った。
異質な何かがこの村の近くに存在している、気にならないと言えば嘘になる。だがスプリングにはこれから向かわなければならない場所があった。
「……はぁ……」
覚悟すら決めて半壊した平屋から目的地へ向かおうとした矢先、正直スプリングは出鼻をくじかれたような気分だった。
「……俺はアレが危険なものだと思う……もしこのまま放置すればこの村に危険が及ぶかもしれない、奴に支配されているとは言え、この村の人たちが危険に晒されるのは見ていられない……あの黒雲の下にいってみようと思うんだが?」
得体の知れない何かがユモ村に存在している。その状況と向き合ったスプリングは、自分の目的よりもこの村の安全を優先しようとポーンに提案した。
『……元々私は主殿が奴と会うことには反対だった、だから主殿がそうしたいのならば全く問題は無い、いや是非そうして欲し……』
『その必要はありませんよ』
スプリングが屋敷を向かうことに元々反対していたポーンからすれば、その提案を拒否する道理が無い。是非にもとスプリングの提案を受け入れようとした瞬間、その言葉を遮るように目前に迫った屋敷から二人のものではない声が響いた。
「くぅ……」
直接頭に響く声を聞いた瞬間、体中を押さえつけるような重々しい圧がスプリングを襲う。それは物理的なものでは無く、精神的なもの。それ故に抗うのが難しく、スプリングは苦悶の表情を浮かべる。
「ビショップ……かッ」
その声の主の名を苦しそう口にしたスプリング。
『はい、二日ぶりですねスプリング君』
自分の名をスプリングに呼ばれそう返事した声の主はポーンと同じ伝説の名を冠しその中でも最強と呼ばれている存在、自我を持つ伝説の本ビショップであった。
『アレについて、詳しくは屋敷の中で説明します、まずはお上がりください』
詳しくは屋敷の中で説明すると告げたビショップは、屋敷の中に入るようスプリングを促した。それと同時にビショップの言葉に反応するように今まで閉ざされていた屋敷の門がひとりでに開いた。
「……あの口ぶり、奴はアレの正体を知っているのか……」
声が聞こえなくなっても消え去らないビショップの存在感、圧に表情を引きつらせながらスプリングは、ビショプが平原の空に漂う得体の知れない黒雲の正体を知っていることを悟っるとひとりでに開いた屋敷の門を見つめた。
『ああ、奴はこの世界のあらゆる知識を持つ、それ故に知識を冠する本の姿をしている……確実にアレが何であるかを知っているはずだ……』
自分の言葉を遮られ多少不機嫌ではあるものの、ビショップという存在が何であるかをスプリングに語ったポーンは、平原に漂う黒雲の正体が何であるかビショップは知っていると断言した。
「そうか……」
一度はユモ村を守る為に黒雲の下へ向かおうと踵を返そうとしたスプリングの足は、再び屋敷に向けられる。
「……」
視線の先にあるビショップが待つ屋敷からは先程スプリングが感じたビショップのものと思われる重々しい圧が広がっている。だが招こうとしているにも関わらず入ることを拒んでいるようにも感じられるビショップの圧に違和感を抱くスプリング。
「……いくぞ」
だが考えた所で答えは分からないと即座に思考を切り替えたスプリングは、表情を強張らせたまま覚悟を決めるとひとりでに開いた門をもぐり屋敷の扉の前に立った。
「……?」
二日前に来た時は、ここでメイドが扉を開け出迎えてくれたのだが、一向にそのメイドが姿を現さない。
『ああ、ちゃんとしたお出迎えが出来なくてすみません、今彼女は別件でここにはいないもので……すみませんがご自分で扉をかけて中にお入りください』
思い出したように自分に仕えるメイド、リーランが現在不在である事をスプリングに説明するビショップ。
「……」
まるで自分の行動や心を隅々まで見透かされたような気分であるスプリングは、居心地が悪いというように更に表情を強張らせながら屋敷の扉を開いた。
『……それでは私たちは二日前と同じく寝室に居ますので』
屋敷に入って行くスプリングに自分がいる場所を告げるビショップ。告げられたスプリングは一向に強張ったままの表情のまま、二日前にリーランの後を着いていった廊下を進む。やはり以前きた時と同様に屋敷に人の気配は無い。メイドが居ないことで更に人の気配が無い屋敷はまるで廃屋のように静かだ。だが確実にビショップの気配だけは感じる。近づけば近づくほどにその圧倒的な存在感と強者としての圧を肌で感じるスプリングは、その持ち主が待つ寝室の扉の前に立った。
「はぁ……」
息が苦しい。上手く呼吸することが出来ない。それほどにスプリングを圧迫する圧が、寝室の扉の奥から放たれている。寝室の扉に触れることすら今のスプリングには辛く感じられる。
『大丈夫か主殿?』
そんなスプリングの様子を気遣うようにポーンは声をかけた。
「ああ、直ぐにでもここから立ち去りたい……」
思わず弱気な本音が口から漏れるスプリング。例えビショップが持つ人心掌握という精神攻撃に耐えるだけの耐性を得たとしても、強さというものが生み出す純粋な恐怖は抗えない。スプリングは扉の先に待つビショップという存在に恐怖していた。
『笑えない冗談だな、まあだが主殿がそう言うなら直ぐにでもこの場から退き返しても私は一向にかまわないぞ』
「この野郎……行ってやるよ」
自分を煽るポーンの言葉に表情を強張らせながらも無理矢理に口元を吊り上げ、ぎこちない笑みを浮かべたスプリングは寝室の扉に触れた。
『ああ』
正直、ポーンはスプリングを煽るようなことはしたくは無かった。今から会うビショップはポーンからしてみれば憎き相手。出来ることならば即座にでも息の根を止めたい相手ではある。しかしポーンは自分の実力を見誤る程愚かな思考はしていない。自分にそして自分の所有者であるスプリングにビショップを倒す実力が無い今、この場でビショップと出会うことが最適では無いというのがポーンの本心であった。だが理解しているにも関わらず思わずその口から飛び出した言葉にはスプリングの気持ちを鼓舞するようなものになってしまった。
《フフ、私もまだまだ未熟だな》
今は絶対に勝てない相手に対して、無暗に飛び込むのは愚策でしかないのは理解している。だが前に進もうとするスプリングの姿勢に自分は感化されているのだと気付いたポーンは、自分がまだ未熟である事を理解しそんな自分も悪くは無いのかもしれないと僅かに心の中で笑った。
「いくぞ……」
今日何度目とも分からない覚悟を決めたスプリングは、ビショップが待つ寝室の扉を開いた。
扉を開いた瞬間スプリングの視線には二日前と何も変わらない光景が広がる。寝室にしては広いその部屋の中央に置かれたベッド。そのベッドで眠る少年の姿と横に置かれた分厚い本がスプリングの視界に入る。
『お待ちしておりましたスプリング君』
眠る少年の脇に置かれた分厚い本、ビショップが寝室に入ってきたスプリングをもてなす言葉を口にする。
「っ!」
その瞬間、何の前触れも無く今までスプリングを苦しめていた圧が消え、まるで別物になったかのように自分の体が軽くなった事に気付くスプリング。
『いや、スプリング君には本当に申し訳ないことをしました、でもよく私の圧に耐え抜きましたね、合格です』
「ごう……かく?」
何を言われているのか分からないスプリングは茫然とビショップを見つめた。
『はい、私の圧に耐えられるぐらいでなければこれからあなたにやって頂こうと思っている事は中々に厳しいので……その訓練もかねて二日前からずっとあなたに色々な圧をかけていました』
呆然とするスプリングに対してポーンは平然とそう告げた。言葉の音からは謝罪が伺えるがそこに謝罪の気持ちは一切無いポーン。
『ビショップッ!』
ビショップの様子に激昂するポーン。
『何をそんなに怒っているのですかポーン? あなたに感謝されるならまだしも、私はあなたに怒られるような事をした覚えはありませんよ……』
『はぁ?』
どの口がそれを言うと言うようにビショップの言葉に反応したポーンの声は今までに聞いたことが無い程に低音で禍々しいものであった。
『だって事実、本来ならはあなたがやらなければならない事、所有者の成長を促すと言う役目を私が代わりにやってあげたではありませんか……』
『何の事だ?』
確かに自分にはそう言った役目があると認識しているポーン。しかしビショップが言う代わりにやってあげたと言う意味がポーンには理解できない。
『……何の事? ふふ、私が発する圧によってスプリング君は強靭な精神力を手に入れたでしょう?』
『ッ!』
ビショップの言葉に、ポーンは言葉を失う。
「……精神力?」
確かにビショップの人心掌握や圧に耐え抜いたスプリングの精神力は、今までとは比較にならない程に鍛えられたと言っていい。しかしそれが自分を鍛える為だったというビショップの真意が理解できないスプリング。
『……ええ、精神力です、これからスプリング君に待ち受ける戦いには強靭的な精神力が必須になってくる、私はその手助けをしただけですよ』
「これから俺に……」
何か未来を予言しているような口ぶりのビショップ。だが当然スプリングはその言葉を理解できない。
『戯言を言うな!』
『戯言を言っているのはあなたですよポーン、彼は私の所有者である坊ちゃんの次に我々という存在を扱うに相応しい人物だ、そんな彼を飼い殺しているあなたは何と無能なのか……』
そう言ってポーンの激昂を冷静に対処するビショップは、ポーンの今までの行動を無能と言い批判すらしてみせた。
『くぅ……』
言い返したい気持ちとは別に、ビショップの言葉が正しいと何処かで思っている自分がいるポーンは言い返す言葉が見つからず悔しそうに唸ることしかできない。
『我々にとって所有者の成長は義務です……そしてあの黒雲が現れたことでその義務は急務へと変わる……ポーンあなたはあの黒雲……いや『絶対悪の残滓』を知っているはずですよ……』
『な、何……』
ビショップにそう問われた瞬間、ポーンの中にある膨大にある記憶の扉の一つがゆっくりと音を立てて開かれた。
『……アレは『絶対悪』……そうか……』
何かを思い出したポーンの声は絶望に染まる。
「ど、どうしたポーン……『絶対悪』ってなんだ!」
まったく話が見えず訳が分からないスプリングは、絶望の声を上げ沈黙するポーンを問い質す。
『ふむ、ポーンには少し情報の整理、いや心の整理に時間が必要のようですね……ならばポーンに代わって私がスプリング君に、この世界とこの世界に住まう全てのものにとっての宿敵である『絶対悪』について少しだけ説明することにしましょう……』
そう言うとまるで調べものを始めるかのようにビショップは自分の体である分厚い本を開き、ページをパラパラとめくり始めるであった。
ガイアスの世界
『絶対悪の残滓』
ユモ村の周囲にある平原の空に現れた黒雲が『絶対悪』、正確にはその残滓であるというものであることがビショップの口から語られた。
しかしそれが何であるのかは未だに不明であり、ビショップの説明が求められる。