時を遡るで章(スプリング編)12 母の味と隠し事
ガイアスの世界
魔森人
元は森人であった者が、魔族の力に溺れ堕ちた存在を魔森人という。魔に堕ちた森人の肌は、魔に堕ちた事を示すように浅黒く変色する。その見た目から黒森人とも言われる。
現在目撃情報は無いが、森人が滅びた当時、数名が魔に堕ちたと言われている。その一人がスプリングやその家族を狙った黒ずくめの男の正体であった。
時を遡るで章(スプリング編)12 母の味と隠し事
青年がまだ少年だった頃、自我を持つ伝説の武器と出会う前……
「……あの……いつまで自分はここにいれば?」
屋敷の主である森人に席を外すように言われたスプリングは、素直にその言葉に従い、メイド姿の女性に連れられ広間から少し離れた部屋に移動していた。既にこの部屋に連れてこられて二十分は経過しておりスプリングは扉の横に立つメイド姿の女性にそう尋ねた。
「……」
しかし一切問に答えずスプリングを見つめるメイド姿の女性。
「あ、……すみません」
睨まれていると言う訳では無いが、その無感情な表情と凝視してくる視線に気圧され思わず謝ってしまったスプリングは逃げるように視線を逸らす。逃げ惑うスプリングの視線は、そのまま窓際に立つメイド姿の女性に向かった。
「……あ、あはははは……」
窓際に立つメイド姿の女性もやはりスプリングの事を凝視している。その視線にスプリングは思わず苦笑いを浮かべまた視線を逸らした。
(……何で声をかけても話してくれないんだ? というか何でずっとこっち見てるの?)
逸らした視線を目の前のテーブルに落ち着かせたスプリングは、二人の視線を嫌という程に感じながらすぐにでもこの場から立ち去りたいという気持ちでいっぱいだった。
(な、何であんなに見つめてくるんだ……)
二方向から感じる視線に疑問を抱くスプリング。
(……あの二人……全く同じ顔だな……双子かな……あ、いやさっき自分をこの部屋まで連れてきてくれた人も合わせると三つ子かな……)
ずっと凝視されている為はっきりとは見ていないが、窓際に立つメイド姿の女性と扉の横に立つメイド姿の女性、そして先程スプリングをこの部屋まで案内してくれたメイド姿の女性の顔は全く同じ造形をしていた。
(傀儡って……ジジイは言っていたけど……)
屋敷の広間に向かう時、ボソリとインセントがそう呟くのを耳にしていたスプリング。
(……確かに体温みたいなものは感じないけど……それ以外は人間にしか見えないな……)
確かに血が通っていそうにない色白の肌と無表情であることを除けばスプリングの感想通りメイド姿の女性たちは人間にしか見えない。
(でも……やっぱり人間じゃないんだよな……)
だがあの化物じみたインセントの腕力を物ともしない彼女たちの様子を見ているスプリングは彼女たちが人間ではない何かであることはしっかりと認識していた。
(……うーん、どう考えてもあの人達を掻い潜ってこの部屋から抜け出すのは無理だよな……)
インセントでもびくともしなかった相手、どう足掻こうとも自分がメイド姿の女性をどうにかする想像が出来ないスプリング。だがスプリングにはどうしてもこの部屋から抜け出したい理由があった。勿論、ずっと見つめ続けられているという状態が耐えられないというのもあるが、それはまだ些細な事で本当の所、今この部屋から少し離れた場所、広間にいるインセントと森人の込み入った話の内容を知りたいからであった。
(……というか、そもそも俺を退席させる理由があったのか?)
なぜ自分があの場から退席させられたのかスプリングは疑問に思った。
(あの森人との話が終わった後、どんな話をしたのか俺がそれを尋ねるのはジジイも分かり切っているはず、面倒を嫌うジジイだ、普段ならそれを見越してあの場に俺を残す事を選択するはずだ……でもジジイはそれをしなかった……)
既に二年近くインセントと共に旅を続けているスプリングは、インセントの性格を熟知していた。面倒を嫌うインセントがあの場で自分が退席することに関して全く口を挟まなかったことが違和感でしかないスプリング。
(……駄目だ……全く理由が分からない)
だが結局の所、考えても答えは見つからない。なぜ自分はその込み入った話に参加出来なかったのか、答えの糸口すら分からないスプリングはお手上げと言うようにこの部屋で時間が過ぎるのを待つしか無かった。
「失礼します」
考えることを放棄しただテーブルを見つめ暇を持て余していると女性の声と共に部屋の扉が開き、傀儡の最後の一人、メイド姿の女性が何かを載せたトレイを持って部屋に入ってきた。
「お飲み物とお菓子をお持ちしました」
そう言うとメイド姿の女性、は飲み物と菓子が乗った皿をスプリングが見つめていたテーブルの上に置いた。
「あ、ありがとうござ……いま……」
これで少しは暇を潰せると目の前に置かれた飲み物と菓子に視線を向けるスプリングの言葉が止まる。
「……」
礼の言葉を途中で止めてしまう程に目の前に置かれた菓子に驚くスプリング。
(……これは)
皿に綺麗に盛り付けられた菓子。目を引くような派手さは無く素朴感のあるその焼き菓子はスプリングにとってはとても見知った菓子だった。
思わずその焼き菓子を手に取るスプリング。行儀がいいとは言えないその行動を咎める者はこの場にはおらずスプリングは手に取った焼き菓子をそのまま口の中に放り込んだ。
(やっぱり……)
サクサクと小気味いい歯ごたえと程よい甘さ。思い描いた通りの味が口の中に広がるその焼き菓子はやはりスプリングが見知った、幼い頃からよく食べていた物であった。
(……)
懐かしの味との再会に一瞬表情が和らぐスプリング。しかしすぐにスプリングの思考は疑問に染まる。
(どうして……)
どうしてという言葉が頭の中を巡る。なぜならスプリングが口にした焼き菓子はもう食べられないはずのものだったからだ。
(……まさか……)
思わぬ懐かしい味との再会に疑問を抱くスプリングの中にある予感が渦巻いた。その予感に導かれるようにスプリングの視線は焼き菓子の横に置かれた細長い硝子製のコップに注がれた飲み物へと向かう。
薄くも綺麗な黄色が目を引く液体が入った硝子製のコップを手に取ったスプリングはその飲み物を恐る恐る口に運ぶ。
(……ッ!)
口の中に広がる酸味とすっきりとした甘み。その味はやはりスプリングが想像していたものと同じ味をしていた。スプリングが口にした飲み物は今よりも幼い時、先程の焼き菓子と一緒によく出されていたものであったのだ。
(何で……)
焼き菓子と黄色い飲み物、似た物はあっても両方とも今では絶対に味わうことが出来ないはずの味。それがなぜここにと思った瞬間、スプリングの頬に涙が伝う。
(……母さんの味がするんだ……)
そう、スプリングが口にした焼き菓子と飲み物、それはスプリングの母がよく作ってくれた物と全く同じ味をしていたのだ。
冬の時期、旬を迎える酸味が強い果実を収穫した際、よく母がその果実を使って飲み物と焼き菓子を作ってくれていたことを思い出すスプリングは、頬を伝う涙をぬぐいながら、一番近くにいたメイド姿の女性に視線を向けた。
「あ、あの……この飲み物とお菓子は……一体誰が?」
スプリングに話しかけられたメイド姿の女性は、何も答えずにじっとスプリングの顔を凝視する。無表情だからなのか、それともメイド姿の女性の顔が森人に劣らず美しいからなのか、じっと顔を見つめられたスプリングは困惑する。
「……お気に召しませんでしたか?」
スプリングを凝視していたメイド姿の女性は突然口を開くとそう言いながら首を傾げた。
「い、いえいえ……とてもおいしいです……」
どうせ喋らないのだろうと思っていたスプリングは突然喋ったメイド姿の女性に慌てながらそう答えた。
「そうですか、それはよかった……この飲み物とお菓子は我々の主様自らがお作りになったものです」
抑揚無く、淡々と情報だけをスプリングに伝えるメイド姿の女性。
「あの人が……」
そう言われ、スプリングの頭に浮かんだのは何故という言葉だった。何故、なんのゆかりも無いはずの森人が自分の母親と同じ味の焼き菓子と飲み物を作ることが出来るのか。全く理由が思いつかないスプリング。
「……あっ……」
しばらく考えた後、スプリングは何かに気付いたように短く声をあげた。
(……あの人から感じた安心感や懐かしさ……あれは母さんに似ていたからだ……)
自分の母親と森人の顔を思い浮かべたスプリングは、両者の顔が似ていることに気付いた。種族が違うはずの二人に見られる共通点にスプリングの思考は混乱に呑み込まれていく。
「……ッ!」
するとまるで思考に呑み込まれ溺れるスプリングを救い上げるように扉をノックする音が響く。そのノックの音によって思考の渦に呑まれていたスプリングは我に返った。
扉の横に立っていたメイド姿の女性は、ゆっくりとだが無駄のない動きでノックの音が響いた扉を開いた。
「……お待たせ、スプリング」
メイド姿の女性の手によって開かれた部屋の扉。そこには森人が立っていた。
「……かあ……」
部屋の前に立つ森人に視線を向けたスプリングは思わず母さんと呼びそうになり手で口を塞ぐ。そう口走りそうになる程、そこに立つ森人の顔はスプリングの母親にそっくりであった。
「……そうか……あの子もその焼き菓子と飲み物を作っていたか……」
口を塞ぎ慌てふためくスプリングの様子を見ながら何かを見透かし笑みを浮かべる森人イングニスはそう呟いた。
「あ、あの……」
「うん、分かっている……その菓子と飲み物を口にして、スプリング……お前は疑問に思ったのだろう……なぜ自分の母親の味がするのかと……」
まさにスプリングが抱いた疑問を的確に言い当てるイングニス。
「……はい……」
自分の心内を言い当てられ一瞬驚いたスプリングだったが、直ぐに真剣な表情で頷いた。
「……お前の母にその菓子と飲み物の作り方を教えたのは私だからだよ……」
「え?」
イングニスの言葉にスプリングの思考が止まる。
「スプリング、お前の母は私の娘なんだよ……」
「はぁ? ……ということは?」
突然の情報に頭が追い付かないスプリング。
「ふむ、そう私はお前にとってお婆ちゃんということになる」
老いが遅く、未だ二十代前半の姿を保つ齢千を超えた森人は、その見た目にそぐわない単語を口にしすると未だ理解が追い付ていないスプリングに微笑んだ。
「……おばあ……ちゃん……」
イングニスが口にしたその言葉を聞き何故かスプリングは幼い頃の記憶を思い出していた。
スプリングが物心が付き始めた頃、母親と共に家の近くにあった村に食料の買い出しにいった時のことだった。、スプリングは村の中で同年代の子供が老婆や老爺と遊んでいる光景を目にして疑問に思ったのだ。なぜ自分にはお爺ちゃんやお婆ちゃんがいないのかと。幼い思考は純粋で単純であり、スプリングの好奇心を刺激したのだ。
「……あの子……いやお前の母バラライカは私の事を語らなかっただろう?」
また胸の内を見透かすようにイングニスはスプリングにそう尋ねた。
「……はい」
短く頷くスプリング。
その純粋で単純な好奇心を幼いスプリングは母親にぶつけた。しかし答えは返ってこなかった。スプリングが覚えているのは少し寂しく切なそうに微笑む母親の顔。何も答えなかった母親のその表情に幼いながらにスプリングは罪悪感を抱いた。それ以降、スプリングは祖母や祖父の事について母親に尋ねることは一度も無かった。
「……スプリングよ……お前の母バラライカが私について話さなかった事を悪く思わないでくれ……あの子が私のことを話さなかったのはあの子の事情とお前の事を思ってのことだからだ……」
「俺の事を……思って……」
祖母だと言う目の前の森人の存在をなぜ隠さなければならないのか理解できないスプリング。
「この世には異人類種同士の交わりによって生まれてくる混血と言われる存在がいる……そしてお前の母バラライカは森人と人間の混血、混血森人だ……」
目の前の森人が自分の祖母と語る以上、自分の母親が混血森人である事を理屈では理解するスプリング。だが、理屈では理解しても感情が追い付かない。
「で、でも母さんはあなたのように耳は長くないです……」
森人の最大の特徴である尖った長い耳が自分の母には無かったことを告げるスプリング。
「……でもお前の母は美人だっただろう?」
「そ、それは……分かりません……」
森人のもう一つの特徴として、他の人類種すら魅了する美貌というものがある。森人が持つ美貌は人間であろうが、亜人であろうが共通しているということである。ただバラライカがどれだけ美しい容姿をしていたとしても、思春期を迎えたスプリングが自分の母親を美しいと素直に言うはずも無く居心地悪そうにそう答えた。
「ふふふ、恥ずかしがることは無い……あの子は私に似て森人の中でも中々の美人だった……」
「は、はぁ……」
目の前の森人が自分の美貌に対して絶対的な自信を持っている事、そして自分の母親が美人である事を身内であるイングニスから聞かせられ、どう答えていいのか分からず困惑した表情を引浮かべるスプリング。
「あ、ああ……悪い、孫に会えたうれしさのあまり少し調子に乗ってしまった、本題に戻ろう」
困惑するスプリングの様子に気付き、コホンとわざと臭い咳をして話を大筋へと軌道修正するイングニス。
「……殆どの混血は両親の特徴をまんべんなく受け継いで生まれてくる……だがあの子は、その殆どに当てはまらない稀な存在だった……スプリング、お前が言うようにあの子の耳は私のように尖ってもいなければ長く無く人間の耳だった……森人と人間の外見の違いは耳しかない……耳が長くも無く尖ってもいなかったあの子の見た目は、人間にしか見えなかったんだ……」
「……母さんが……」
自分の母親が混血であるという事実、そしてその中でも稀な存在であることを知り戸惑うスプリング。
「稀であるということは異質であるということでもある……中にはその異質を嫌い、混血という存在自体を半端者と呼び忌み嫌う者もいる……どうもあの子はその事を気にしていたようだ……この村の者達の殆どはあの子と同じ混血、皆何処かしら少し違う、外見が多少違っても気にはしない……だがあの子はそれを気にした……自分だけ見た目が人間だと……その事に耐えられなかったあの子はこの村を出て、人間として生きていくことを選んだんだ……」
混血であった娘が人間社会へと混じって行った経緯をスプリングへと話すインセント。その表情は、幼い頃にスプリングか祖母や祖父の事を尋ねた時に見せたバラライカのものとそっくりであった。
「……そしてスプリング……お前は、あの子が人間との間に生まれた子供……小半森人だ……あの子と同じようにお前の耳もまた人間のものだ……きっとあの子は小半森人であるお前に自分と同じ辛さを感じ欲しくなかったのだろう、だからあの子は自分の正体を伏せ、私という存在を口にせずスプリング、お前を人間として育てたんだ」
バラライカの想いを代弁するようにそう語ったイングニスは、最後に本当の所、あの子がどう考えていたのかは湧かせないがと付け加えスプリングが知りたかったこと以上の事を伝えた。だがイングニスはもっとも重要な事をスプリングに話しはしなかった。
「……そう、だった……ですか……」
そう頷きながら突然睡魔に追われるスプリング。
「スプリング……私の勝手に巻き込んでしまうことを本当に申し訳ないと思っている……だが今は何も気にせず、この場で話したこと全てを忘れて眠れ……」
いつの間にかイングニスの周囲には淡い青色の光が漂いその光はイングニスの体を伝ってスプリングを優しく包んでいた。
「記憶消去……」
囁くようにイングニスがそう唱えた瞬間、スプリングを包んでいた青白い光は霧散していく。淡い青色の光が霧散したと同時にスプリングはテーブルに体を預け意識を失った。
「……おおおお、怖い……最初の魔法使いはそんな恐ろしい魔法も使えるのか」
スプリングが意識を失ったことを見計らったように嫌味の籠った声が部屋の外から響く。
「いや、本当に酷い事をするなあんたは」
そう言いながら部屋に入ってきたのはインセントであった。
「ああ……これはスプリングに対しての謝罪という名の自己満足だ……弁明の余地は無い……なじってくれて構わない……」
そう言いながらイングニスは苦悶の表情を浮かべる。
「あいつが小僧の為に隠していた秘密をばらしておいて、その舌が乾かぬうちにその記憶を消す……外道と言われても文句は言えないな」
部屋へ入ってきた時のような軽口は叩かず、真剣にイングニスの行動を批難するインセント。
「……」
インセントの言葉に返す言葉が無いイングニスは苦悶の表情を浮かべたまま、その批難を聞きいれた。
「……これは俺の勘だが、小僧はあんたの思い通りにはならないと思うぞ……いずれ小僧は……自分の中に隠された力に気付くだろうよ……そして俺は小僧がその力をどう使おうと否定はしない……」
「ああ……もしスプリングが自力で自らの力、原初魔法の存在に気付いたなら……もう私に止める術は無い……だが……どうか頼む、己の身を守れるようになるまで……力を失った私や……いや、あの子の代わりに……スプリングの事を守ってあげてくれ……」
原初魔法を失いこれから孫にふりかかるであろう脅威に対して全く無力であるイングニスは、都合がいい事だということは重々承知の上で自分やバラライカの代わりにスプリングの事を守ってくれとインセントに頼んだ。
「……はぁ……」
深くため息はついたものの、それは嫌々という訳では無くインセント自身が何処かに対して踏ん切りを付けたものであった。
「分かった……その依頼受けてやるよ」
スプリングを守ってくれというイングニスの願いを聞きいれたインセントは口角を吊り上げながらゆっくりと頷くのであった。
ガイアスの世界
記憶消去
名前の通り記憶を消す魔法で、任意で消したい記憶を消すことが出来る。
魔法の存在自体は人間の間でも知られているが人の記憶を消すという魔法の為、現在この魔法は習得すること並びに情報を閲覧することが禁ずる禁止魔法に指定されている。
だがそもそも高度過ぎるが故に、この魔法は人間では習得できないとも言われている。
 




