時を遡るで章(スプリング編)5 初めての戦闘
ガイアスの世界
ガイアスでのインセントの強さ
スプリングと出会った当時、既に『剣聖』としてその名をガイアス中に轟かせていたインセントは、人間相手ではほぼ敵なしと言われていた。それ所か竜を一人で倒したという逸話も残っており、正直な所、人間でインセントの相手を出来る存在は限られてくる。
インセントと同等、あるいはそれ以上の力を持つと言われる存在は数名いる。その中で一番に名前が挙がるのは、ヒトクイの王ヒラキである。
ヒトクイの統一戦争当時は仲間として一緒に戦っていたヒラキ王の方が実力は上でありそれはインセント自身が認めていた。
しかし統一後、王と言う立場になり戦いから離れたヒラキ王と、他の大陸に渡り戦場に身を投じ戦いに明け暮れていたインセントの間には大きな力の差が生まれたのではないかと周囲では噂されているが、結局の所どちらが強いのかは明らかにはなっていない
時を遡るで章(スプリング編)5 初めての戦闘
青年が子供だった頃、自我を持つ伝説の武器と出会う前……
大地に恵みをもたらし時には牙を剥くこともある太陽。しかしそんな太陽の熱も雪と氷に覆われた大地には届かないのか、朝を迎えたばかりのフルード大陸には厳しい冷気が広がっていた。
「……さむッ!」
太陽が沈んだ夜に比べればまだ陽の光がある分、幾分かは温かく感じるもののそれでも殺人的な寒さに変わりは無く、宿屋の外に出ていたスプリングは体を震わせた。
「……これは……」
ブルダンの宿屋で一泊したスプリングは二年前からの日課になっている素振りをする為に外に出たが、その寒さに日課を放棄しようかと悩んでいた。
「おーいつもの日課をやめる気か?」
素振りをするのを諦めようか悩むスプリングを挑発するように暖かい宿屋の中から寝癖をつけたまま話しかけるインセント。
「くぅ……やるよ!」
二年前から始めた素振りは、インセントに言われた訳では無くスプリングが自発的に始めたもので特に必ずやらなきゃいけないという決まりはない。だがスプリングはインセントのその言葉が辞めれば強くなれないぞと言っているように思ったのか、バツが悪い表情を浮かべながら鞘に収まったままの長剣を振り始めた。
寒さに身を震わせながらも素振りを始めたスプリングを見ながらインセントはふふふと口元を緩ませる。だがその笑みはバツが悪そうに素振りを始めたスプリングを嘲笑した訳では無い。
インセントは鍛錬というものを苦手とし嫌っている。それはインセントが生まれながらにして類まれな戦闘才能を持っていたからに他ならない。それは自分の強さに対して驕りがある訳では無く、事実インセントは日々の積み重ねや努力をするよりも一度戦場に足を踏み入れた時の方が大きな経験を得て強くなれたからだ。
一度の戦闘は積み重ねによる日々の鍛錬よりも大きな経験を産むのは確かだ。しかしそれはあくまで日々の鍛錬を積んだ上での話であり、鍛錬をすっ飛ばし戦いの中で強くなろうとするインセントの考え方は異質と言える。
自分の考えが他者からみれば異質なことは理解しているインセントは、本人の前では絶対にそんな様子は見せないが、自分が苦手とする方法で例え歩みは遅くとも日々の鍛錬を繰り返し確実に強くなっているスプリングの姿に感心していた。
「風邪を引いたら面倒だ、ほどほどにしておけよ」
白い息を吐きながら一心不乱に素振りを続けるスプリングにそう声をかけたインセントは、暖かい宿屋の中に戻ろうと足を進める。
「……」
しかし宿屋の中へ戻ろうとしたインセントの足が突然止まる。
「……おーい小僧」
素振りを続けるスプリングに背を向けたままそう声をかけるインセント。
「んーなんだ?」
素振りを継続したまま、耳だけをインセントに向けるスプリング。
「ちょっと、村の入口まで行ってこい」
「はぁ?」
唐突も無くインセントに村の入口に行けと言われ思わずスプリングは素振りの手を止めてしまった。
「そろそろ頃合いだ、お前の為になるから行ってこい」
「頃合い? 俺の為になる……はぁ……?」
インセントが何を言いたいのか全く理解出来ないスプリングは、不満な表情を浮かべる。
「いいから行ってこい」
「……う、うん」
しかし念を押すように行けとインセントに言われ、頷いたスプリングは鞘に収まった長剣を背中に担ぐと渋々村の入口へと歩き出した。
「……小僧、油断するなよ……」
そう口元を二ヤつかせながら呟くインセントは村の入口へと向かうスプリングの背中を見つめた。
「頃合いって……俺の為になるって、一体何の事だよ……」
何が何やら訳がわからないままインセントに言われるがまま宿屋を後にしたスプリングは別れ際にインセントが言っていた言葉を思い出していた。だがインセントが口にした言葉に全く見当がつかないスプリングは首を傾げる。それでもスプリングがインセントの言葉に素直に従ったのは、その言葉に妙な説得力があったからだ。
両親を失い今やスプリングが成長する上で指針にできる身近な大人と言えばインセントしかいない。しかしこの二年間の旅の中でスプリングが見てきたのは、打つ飲む買うは当たり前の駄目な大人の三大代名詞だった。もはや日常生活に置いてインセントという存在を反面教師の対象としてしか捉えていないスプリング。そんな大人の言葉を信じる理由は絶対に無い。だが唯一戦闘においてのインセントの言動にだけは素直に従うことにしていた。その理由はインセントが戦いに置いて強者だからだ。
どんな状況の戦いであっても常にインセントは強者だった。例え何十人の盗賊を相手にしても、自分よりも遥かに巨大な魔物を前にしてもインセントは戦いの場では強者を纏っていた。そして常にどんな状況の戦いであってもインセントは強者として戦いに勝利してきた。時には戦うことすらせずに相手を圧倒し戦いを終わらすその姿は、スプリングの目を通し、その心に尊敬と憧れを抱かせるほどだった。
そんなインセントが自分に向け発した言葉には絶対強者としての雰囲気があったと感じたスプリングは、説明不足ではあるが何か自分の為になることなのだろうと割り切り村の入口へと急いだ。
「ん?」
村の入口近くに辿りついたスプリングは、昨晩の人気の無い雰囲気が嘘のようにブルダンの村の入口に集まる村人たちを見つけた。だが集まっている村人たちの様子がおかしく何かに怯えているような雰囲気を感じるスプリング。
「おら! いいから早く食い物と金目の物を持ってこい!」
入口に集まる村人たちの知友真で叫ぶ男の声。どう聞いても穏やかな話では無いと思ったスプリングは、村人たちの中に姿を隠し様子を伺うことにした。
「ついでに女も連れてこい、ブスはいらないぞ、可愛い娘か、綺麗な女だ!」
「……はぁ……」
十中八九、村人たちの前でそう叫んだ男達の正体が盗賊であると確信したスプリングはため息を吐いた。
「そろそろ頃合いって……このことか……」
別れ際にインセントが言っていた言葉が何を意味していたのか理解したスプリングは背負う長剣の持ち手に手を持っていく。
「でも……ジジイの言う通りだ、もういい加減、人相手にジジイの背中に隠れているのは御免だからな」
インセントとの旅の中、魔物や盗賊からの襲撃は毎日のように経験していたスプリング。しかし経験していたと言ってもそれは魔物との戦闘だけで、盗賊のような人との戦闘に関してインセントはスプリングが戦うことを一切許さなかった。それ所か長剣を鞘から抜き構えることさえインセントは許可しなかったのだ。
「少しは、認められたってことか……」
宿屋の前でインセントに言われた言葉が、人を相手にした戦闘を許可するという意味だったことに気付いたスプリングは、背負う長剣の持ち手を強く握った。
しかしスプリングの表情は戦闘が今日初めてという初心者のように余裕が無く強張っていた。人を相手に戦うと覚悟を決め長剣の持ち手を握ったはずの手も震えている。一方ではインセントに認められたという喜び、だがもう一方では人を相手に戦うという不安が、スプリングの感情を複雑に揺らがせる。
「おら、ボケっとしてないで食い物に金目の物、後女をさっさと持って来い!」
威勢よく、そう言い放ち、近くにいた村人を殴り飛ばす盗賊の一人。それをきっかけにして蜘蛛の子が散って行くようにその場から逃げていく村人たち。
「ん……?」
取り残されるようにしてその場に佇むスプリングを見つけた坊主頭の盗賊が口元をいやらしく吊り上げた。
「よう、ガキ、似合わない物背負って俺達に何かようか?」
そう言いながらスプリングに近づく坊主頭盗賊。
「ふふ、こいつ震えてやがるぞ」
坊主頭の盗賊は、スプリングが震えていることに気付くと距離を縮めた。
「長剣はガキには過ぎた代物だな、俺が有意義に使ってやる、よこせよ」
そう言いながらスプリングが背負う長剣に手を伸ばす坊主頭の盗賊。しかし坊主頭の盗賊が手4を伸ばした瞬間、スプリングはその手を避けるようにして正面を向いていた体を横にした。
「ん? ふざけた態度をとりやがるガキだな、ちょっと躾るかオラ!」
長剣に触ることが出来なかった坊主頭の盗賊は、僅かに顔を引きつらせ怒りを露わにするとスプリングに対して前蹴り、所謂ケンカキックを放った。しかしその蹴りも綺麗に躱すスプリング。
「バーカ、ガキに蹴りを避けられているんじゃねぇよ、ほら、ガキはママの所に帰って乳でも吸ってろ……あ、いやその乳は俺の物か、ギャッハハハハ!」
スプリングに蹴りを避けられた坊主頭の盗賊を馬鹿にした長髪の盗賊がそう言いながら下品に笑う。
「うっせぇな! このガキ、もうしらねぇぞ、いいからその長剣をとっとと俺によこせ!」
馬鹿にされた坊主頭の盗賊は自分を馬鹿にした盗賊にそう文句を言うと今度は怒りに任せ右腕をスプリングに振り下ろした。だが坊主頭の盗賊が振り下ろした右腕の攻撃はスプリングに当たることは無かった。
「ガッフ!」
それ所か次の瞬間、坊主頭の男は口から息を吐きだしながら苦悶の表情を浮かべスプリングの前に倒れた。
坊主頭の盗賊がスプリングに攻撃した瞬間、その攻撃を屈んで躱したスプリングは、長剣鞘から抜き柄の部分で坊主頭の盗賊のみぞおちを突いていたのだ。
「……はぁ……」
息を大きく吐いたスプリングは、そのままゆっくりと長剣を鞘から抜いた。
「なーんだ、ビビッて損したよ、あんたら弱いじゃん」
そう言いながらスプリングは、インセントに似た笑みを浮かべ自分に視線を向ける盗賊達に対して長剣を構えるのであった。
ガイアスの世界
フルード大陸の盗賊
恒久的な平和を目指し、侵略しないさせない事を理念として掲げているフルード大陸にある大国、サイデリー王国。フルード大陸の約七割を領土とし強大な国力を持つサイデリー王国だが流石に泡のように現れる盗賊の出現までは防ぐことは出来ていない。とは言え、フルード大陸にはサイデリーという国の存在と極寒な気候の影響もあり、他の大陸に比べれば盗賊の数は少ない。
サイデリー王国の領土外にある地域に盗賊達はアジトを構えているようで、盾士達の動きが僅かに鈍る冬の時期を狙って周辺にある村や町を細々と襲っているようだ。




