てがえし店長とぼんくらな僕 Viewing:三崎秀①
「ぼ……僕をっ! バイトに雇ってください!」
「帰れ」
……不退転で切羽詰った僕の懇願は、たったの3秒でここに潰えた。
「え……えっと。情状酌量の余地とかは……」
「はっ」
Δの字みたいな口をしていた店長が、鼻で笑って斬って捨てる。
……いやいや、待ってほしいよ店長。
バイト募集の張り紙出してるの、あなたですよね?
続かんとした僕のそんな質問を全く顧みることなく、目の前で扉が強く強く締められる。
取りつく島なんてあったもんじゃあない。
「へぇくしょいっ!」
……3月も終わりに近づいてはいるけれど、まだまだ風は寒い。
学生街に吹き荒ぶ風は、やっぱり僕には厳しいようだ。
ただ……。
悪辣でふてぶてしい、この前と何ら、一切合切変わりない店長の態度。
それを見ただけで、どうしてか僕は……再度上京してから初めての安堵を覚えていた。
コンクリートだらけのこの町は、正直な話、あんまりにもけったいだ。
どうにもこうにも落ち着かなくて……なぜだか辛辣な店長の態度が、泣きそうなほどに温かかった。
とはいえ、それは僕の身勝手な感想でしかなく。
……さて、どうしようか。
このまま立ち尽くしていても、何も変わることはないけれど……。
かといって店長に取り縋っても、唾でもぶっ掛けられて顔面に思いっきり一撃をぶち込まれそうな気がする。
店長が暴力をそれなりに信奉しているというのは、まあ、前回の教訓で十二分に理解している以上、密着して泣き落し……というのは期待できないし。
かといって、こっちは着のみ着のまま鞄一つでこの街にやってきたばかりの身。
そうそう、食い扶ちなんて見つけられるご身分なんかであるはずもない。
いやあ、参った。
……ほんと、参ったよ。
「はは……どうしよう」
いやはや、笑うしかない。
店長に雇ってもらえるのが当然と思いこんでて、当座の予定なんてまるっきり立ててなんていなかった。
これだから故郷では、座学はともかく実際では……なんて言われてたのかもしれない。
4月を目前とした学生街は、けれど春らしさは極めて薄く。
この通りにも幾分かの、新入生歓迎イベントののぼりはあれど――浪人の僕には関係あるはずもなし。
かろうじて、名前も知らない街路樹が僅かに緑を覗かせているだけ。
曇り空はすこうしばかり寒気を感じさせるだけで、実に過ごしやすく……花粉症の僕にはありがたい天気だった。
今年一年を焦りと劣等感に包まれ過ごすことを強いられる僕の心では、希望も絶望も天秤の皿には不十分。
なかなかに形容しがたい揺れる心は、自虐と憐憫、嫌悪の三重苦を存分に楽しみ始めている。
であるからこそ、誰一人だって僕の事を顧みない学生街特有の他人感、疎外感は、僕の何よりの癒しだった。
……なんて、そんな浸る気分はさて置いて。
寒風吹き荒ぶ中に20才にも満たないガキンチョ一人。
……うん、詰んだかな。
おめおめと故郷に帰る事なんて、それこそできやしない。
家族に申し訳が立たないとか、他の連中との付き合いが怖いとか、この前思ってたそんな理由だけじゃなくて……、そう、この町でひとつやってみたいことができたんだ。
……店長のおかげで、僕はそれに気づくことができた。
だけど僕は今、住まう家さえなく立ち尽くしてる。
どうしようね?
そればっかりで内心が埋め尽くされてくけど、誰かが答えてくれるはずもなし。
孤独は自由の最大の友ではあるけれど……はは、僕に便宜を図ってくれる訳ではないみたいだ。
「……ったく、なにボケっとしやがってんですか」
「え……?」
「わざわざンなとこまでえっちらおっちらその親不孝な図体引きずって来たんです。
少しくらいはウチの売上、貢献しやがれっつってんですよ」
アンティーク風味なドアの向こう側から、相変わらず半目で、視界に映るすべてに疲れたような店長が、僕を嘲笑う。
そのどこかしらに、隠しきれない情けを湛えたままで。
「……客としてならまあ、考えてやらんこともないです。
とっとと入りやがりなさい、風邪でも引かれたら寝覚め悪ィですし」
「……は、はいっ!」
慌てて僕は、まろび寄る。
ちいさくてどうしようもなく不器用で、必死に虚勢を張り続けるひとの下へ。
この時の僕はまだまだ子供で――この人の事なんて、全然知らなかったけど。
狂おしいほどに恋い焦がれる感情なんて、ちぃとも浮かぶ余裕を持ててなかったけど。
巡り合わせと言うのは、今となっては本当に存在するのだと、泣きたくなるほどに思うのだ。
「……あぃよ、いらっしゃいです。んで、オーダーは?
私のちっぽけな自尊心を満たす程度には、貧乏学生ごときにゃ施しをくれてやりますよ」
腕を組んで嫌味な笑いを浮かべる店長に、こっちも苦笑を返しながら――ああ、この前と違って、ほんの少しでも笑えてる――僕と彼女は、扉を潜る。
“レコヲド茶房 Retro Future”。
……学生街の片隅の、薄暗くて人気のない時代錯誤な喫茶店、その中へ。
扉を閉める間際に見れば、僕の壊した看板は、とっくにきれいな姿に戻っていた。
……このまま僕が、ここに訪れることがなかったなら。
この人は――店長は、全部自腹を切って看板を治していたんじゃないだろうか。
そんな事を、僕は思った。
だって、僕の連絡先なんて、この人は知らないはずなんだから。
聞いてもきっと答えないであろう疑問を胸の内に押し込めつつ、僕は煉瓦の房へと足を踏み入れる。
……ひと月ぶりな、二重の意味で懐かしの空間。
そこは、その感傷に相応しく――あの時と何一つとて変わり映えなどあるはずもなかった。
どうしてか僕はとてつもなく切なくて、何かを叫びだしそうだった。
都合のいい記憶に改竄されてるかもしれないけれど、僕の中の思い出はそういう色合いを刻んでいた。