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スタンプラリーで婚約者の初恋探しを手伝います…あれ?何かおかしい

作者: 水無月傾
掲載日:2026/06/30

「わかっているとは思うが、私が君を愛することはない」


 先週、私の婚約者になったばかりのオルドリック・フォーゲル侯爵は、まるでそれが正しいかのように応接間に入ってきて早々に私にそう告げた。


 今は冬だが、部屋は暖かくされているはずなのにこのひと言によって、部屋の気温は一気に下がったような気がする。

 そばにいる彼の執事も微動だにしない。でも、今更驚くことはないわ、なぜなら――。


「フォーゲル海運商会の命運をかけている新規航路の開拓で婚約者が必要になった。ここにいる間は手伝ってもらう」

 侯爵様の契約内容は続く。自分に酔っているのかしら。話が長いわ。




「一年契約の婚約で、私が望めば一年ごとの更新をする。ああ、君をしいたげないことは保証しよう」


 ……話が終わったわ。契約更新に私の同意は必要なし、働く代わりに嫌がらせなしで置いてやるってことね。


「……承知いたしました。ただ私の家の援助をする見返りの契約ですから『愛さない』というのはわかっています。なぜそれをおっしゃったのですか?」


「――初恋の人を探している。私の愛はその初恋の女性に向かっているから、君が私に秋波を向けられては困る。君のように容姿がいいと変に自信を持つからな」

 侯爵様は片眉を上げて嫌味に言った。


 確かに侯爵様は彫刻のような整った顔立ちと裕福な22歳の独身ということで、未婚既婚問わず人気がある男性だ。


 だからといってすべての女性が自分に夢中になるとでも?

 侯爵様の初恋についての演説は、こちらが聞いていないのにまだ続く――。


「昔、王宮で伯爵家以上の家格の子供だけの茶会でのぼせてしまい、木陰で休んでいたんだ」

 なるほど、と私はうなずく。

 まさか濡れたハンカチを持ってきた少女が初恋とかいうのかしら。


「濡れたハンカチを持ってきてくれたやさしい年下の少女がいた。だが顔を覚えていない」

 まさかの……予想通りだったわ。


「……探す手がかりはその時の少しつたない刺繍入りハンカチだが……あれから12年探しているのに見つからない」


 その少女――いえ、成長した女性を探しているのね。

 それにしても『初恋』……ですか。『年下で声は覚えている』ね。


 ふふ、私よりも年上なのにこのように初恋について目を輝かせて語ってらして可愛らしいわね。

 一年間という短い期間だけど、この可愛らしい恋を応援したくなってきたわ。


「刺繍は得意ですのでそちらの刺繍を拝見すれば――」

「このハンカチは私と彼女だけの思い出だ。誰にも見せたくない。自分の足で探すつもりだ」

 

 ……さようでございますか。

 執事も残念なものを見るような目をしているわ。とても苦労されているのね。


 しかし誰にも見せずどうやって探していたのかしら? 

 応援すると決めた私は必死に頭を回転させ、ひらめきを得た。


「そうだわ! 『スタンプラリー』で探すのはいかがでしょうか?」


「店を巡って各店で買い物をするとスタンプが押され、台紙がいっぱいになると景品が授与されるあれか? 今王都で流行している……」

 何言ってんだみたいな顔をされているわ。失礼だわと思いながら、私は侯爵様に畳み掛ける。


「そうです。『スタンプラリー』は景品だけでなく、コレクションする過程も楽しいですよ。つまり様々な女性たちから刺繍入りハンカチを集めつつ、刺繍の同じ癖があるものを探すということです。きっと楽しいですよ」


「……なるほど。過程を楽しむ、か。うん、いいなそれ。すごく楽しそうだ。社交のついでに集められるし、相手が既婚か未婚かもわかっていないから無差別なのは都合がいい」


「ふふ、お気に召していただけたようで何よりですわ。私もお手伝いいたしますわ。コレクションの管理やラベリングはおまかせくださいませ!


 積極的に探すのは前向きでいいことね。そうでなければ見つからないわと、心の中で頷く。

 そして侯爵様は少し茶目っ気を出しながらニヤリとして言った。


「――ちなみに君からの景品はあるのかい?」

「まあ! 私から差し上げる景品は今は思い浮かばないので、あとで考えておきますわね」


「ありがとう、期待しないでおくよ。――しかし君はなぜそんなに協力的なんだ?」

「12年間も探しているのでしょう? 侯爵様の純粋な初恋探しを応援したいだけですわ」

 扇で口元を隠して目尻を下げて私は言った。


「そう……か、ではお願いしたい。我々は戦友だな。私のことはオルドリックと呼んでほしい。君の名前は……なんだったか」


「レジーナ・パネッタですわ。レジーナと名前でお呼びください、オルドリック様」

「わかった。よろしく頼むよ、レジーナ嬢」


 こうして私たちの共同作業が始まった。



♢ ♢ ♢



 レジーナ嬢という最高のパートナーができて七ヶ月が過ぎた。

 彼女は屋敷での差配も私の家が営んでいる『フォーゲル海運商会』の経営パートナーとしても優秀だった。

 まさか手形を使って海賊被害を減らす案を出してくるとは――。


 そして私たちの共同作業である、刺繍入りハンカチの『スタンプラリー』は、私が社交などのついでに女性たちに声をかければすぐに集まってきた。

 

 図案として一番多いのは、渡してくれた女性の家の家紋だ。

 ほかにも隣国の王妹だった大公夫人からの『蝶の図案』、教養が高いと言われている侯爵令嬢の『オリーブの図案』など多岐にわたる。

 一人で何枚もくださる女性も多い。


 そういった戦利品を彼女は私から1枚1枚丁寧に日時、人、場所やシチュエーションなど聞き取って記載しラベリングして、ハンカチとともに一つの箱に管理してくれている。


 とても彼女の気質があらわれた細やかな気遣いでわかりやすく丁寧な仕事だった。


 そして彼女は、とても聞き上手だ。

 そのため、私もつい興が乗って身振りや手振りを加えて、いらないことまで話してしまうことも多い。


 今日も綺麗な微笑みを浮かべる彼女に、私の執務室で紅茶を飲みながら、話を聞いてもらっている。


「レジーナ嬢、今日は王宮でバイオリンの名手と言われる伯爵令嬢からこちらの刺繍入りハンカチをいただいたよ」

「まぁ! パイプオルガンと天使ですね。芸術に秀でた彼女らしい素晴らしいものですね」


 彼女は、ハンカチを裏に返したり、手で刺繍をなぞったりしながら、私から聞き取った内容だけでなく、所見も書き入れていく。


「オルドリック様、まるで音楽のように柔らかさや激しさを感じるステッチになっています。どういうご縁だったんですか?」

 首を傾げながら鈴が鳴るような声で目を輝かせながら聞いてくる。


 レジーナ嬢がかわいい。仕事では理知的な彼女が、ほんの少し子供っぽいしぐさで楽しそうにしているのが本当に愛らしい。

 緩んでしまいそうな顔を引き締めて、彼女に少しでも自分に興味を持ってもらいたいと懸命に話す。


「以前オリーブの図案の刺繍入りハンカチをくださった侯爵令嬢がいただろう。あの方のつながりだったんだ」

「まあ、そうだったのですね。……あの方の――」


 少し彼女が考え込む。

 もしかして嫉妬をしてくれているのか?

 嬉しさで顔がまた緩みそうになる。


 そう言えば彼女は今まで恋人はいたことがあるのかな。とても気になってきた。

 優しくて、気遣いができて、賢くて、容姿もいい……いないほうがおかしい。

 願わくば、いないでほしいところだが。


「その……君は、恋人とかはいたりしたのか?」

「……恋人、ですか? どうでしょうね。内緒ですわ」

 そう言うと彼女は人差し指を口元に当てた。

 かわいいけど、気になるじゃないか!


 チラリと彼女に渡した戦利品の刺繍入りハンカチを見る。

 彼女は図案だけでなく、糸の通し方、結び方などで色々個性が出ると言っていた。

 だが、男の私の目から見ると素晴らしい出来栄えだというのはわかるのだが、違いがわからない。


 だから、初恋の人の刺繍入りハンカチの癖はどうだと聞かれても全くわからないからその相手は見つかっていない。


『スタンプラリー』として、刺繍入りハンカチを集めるのは楽しかった。戦利品として彼女が記録してくれて、それぞれが自分の記憶としても残る。


 だが、今は戦利品を彼女に見てもらっているこの時間が『スタンプラリー』の一番の醍醐味になって、彼女のことを考える時間が増えていた。

 あんなに初恋の人をことを、毎日擦りきれるように考えていたのに。


 初恋の人を見つけたいという気持ちはあるが、七カ月前と理由は大きく変わっていた。

 あのときは初恋の人と結ばれたかったが、今は違う。


 早く終止符を打って彼女との関係を進めたい。

 


♢ ♢ ♢



 私はこの屋敷に住み始めてから契約通り、彼の事業の助言をしたり、邸内を整えたりしながら、『スタンプラリー』の成果物である刺繍入りハンカチのラベリング管理を続けていた。


 オルドリック様は、刺繍入りハンカチを集めることにおいてとても優秀で、こちらがラベリングするのが大変なくらい集めてきたのよね。


 友好の証として頂いた刺繍入りハンカチ、感謝の意味のハンカチ、お守りの意味のハンカチ、厚意のハンカチ……などなど。


 渡したご本人が刺繍されていないかもしれないものもあるけれどその数は驚くほど少ないわ。

 オルドリック様の持つ資質である美しさや家格、経済力だけでなく、真摯に頼む姿やほんの少しのぞく可愛らしさで本物を渡してくれるのかしらね。


 ご本人が刺繍を施したハンカチは一枚の紙が埋まるくらいの情報を書いてハンカチにラベリングをして、豪奢な箱に管理をする。

 そして、ご本人がされていないものは、日時と人物、簡単な初見を書いて別の簡素な箱に分けて分類をする。

 これが私のラベリング作業よ。


 そうやってオルドリック様の初恋を応援する日々は過ぎていった。



 この家に来てから七ヶ月が過ぎた。


 最初は刺繍入りハンカチと簡単なメモを執事経由で渡してくるだけだったのだけど、廊下で報告を受けるようになり、最近ではサロンや彼の執務室で軽い軽食を食べながらに変わった。


 オルドリック様は、身振りや手振りをつけて目を輝かせながら熱っぽく語っていて、ほんの少し赤くなったり、早口になって夢中で話す姿は可愛かった。


 彼は私のことが好きなのかしら? 


 ……まさか、そんなことがあるはずがないわ。

 私は期間限定婚約者。

 それに『私が君を愛することはない』と言われているし、その言葉を謝罪どころか取り消しされたこともない。

 

 それに熱心に目を見つめられるだけで、手を握られることすらないわ。

 ――そういえば、一度ハンカチを受け取る時に触れてしまったことがあったわ。


「す、す、すまない! 触れるつもりはなかったんだ。」

 真っ赤な顔をしてすごい勢いで手を引っ込められたため、ハンカチを落としてしまった。


 それを拾って手で軽くホコリを払って顔を上げると彼は顔を真っ赤にして硬直していた。

「いいえ、大丈夫です。なにか引っかかってしまいましたか?」

 その後『いや、問題ない』と声を裏返して慌てたように執務室を出ていってしまった。


 そばにいた執事はため息をついて『レジーナ様には問題ありませんでした』と言っていたから、一安心したのだけど……なんだったのかしらね、あれ。

 



「それにしても見つからないですね。どこにいらっしゃるんでしょうね、初恋の方は。」

「――そろそろ、諦めようかと思っている」


 えっ!? 初恋をあきらめる? きっと見つからなすぎて弱気になってるのね。

「大丈夫ですよ。絶対に見つかります! 私も応援してますから、もう少し『スタンプラリー』を頑張りましょう!」

「……そうだね」


 オルドリック様は胸を押さえるようにして苦しげに答えた。

 いつもそばにいる執事はジトッとした目で私と彼を見てくるけれど、意味がわからなかった。



♢ ♢ ♢



 この家に来てから九カ月がたった。


 季節は秋めいてきた。私は、外の葉が落ちる様を時折見ながら、オルドリック様の執務室にあるソファでハンカチの整理をしていた。

 隣ではオルドリック様が紅茶を飲んでいる。


 とある夫人の蕾と蔦が絡まる月下美人の刺繍入りハンカチを見て、はたっと動きを止めた。

 こわごわと刺繍部分に触れる。


 一カ所だけ今まで触ったことがない、他の部分とは手触りが違っていた。

 そしてよく見ると、そのハンカチには少しうねりのある金の糸が使用されている。


 私を見つめる彼に尋ねた。

「オルドリック様。こちらの刺繍は王弟だった公爵様のご夫人のものですよね」


「そうだよ。気になる?」

 オルドリック様は少し首をかしげながら聞いてきた。

 美形はこんな顔をしても美形なんだな。少しずるいわ。


「いえ、一部に珍しい糸を使ってらっしゃるので……。夫人はパトロンもされているし、その関係筋から手に入れたのかしら。確か公爵邸の東屋で頂いたんでしたわよね」

「……そうだけど。あっ! もしかして嫉妬かい?」


 ――そういう嫉妬はないですね!

「ふふ、何おっしゃられてるんですか。私はただの応援者ですよ。――でも公爵夫人のウェーブのかかった美しい金髪には嫉妬してしまいます」


「確かに綺麗な金髪だね。でも私は君のブルネットの髪のほうが好きだけどな」

「……はぁ。先ほどから何をおっしゃっていらっしゃるんですか……。――好きで思い出しました。公爵様はご夫人のことをとてもご寵愛されていましたよね。」


「ああ、社交界でも有名だ。夜会のときは片時も夫人から離れず、ずっと見つめている。……羨ましいのか?」


 そういえば、そうだったわね。

 オルドリック様と参加した海運事業関係の夜会でお会いした際のことは覚えている。

 オルドリック様を見つめる夫人、そしてそれを獰猛な目を隠して冷静に振る舞ってるように見える公爵様――。

 あの独占欲を男性から向けられたら困ってしまうけれど……。


「はい。私も愛してくれる方が欲しかったです」

「はは、なぜ過去形なんだ。君はこれからそういう人と結ばれる。素晴らしい女性だからな」


 そう言ってオルドリック様は顔を赤らめた。

 ……私はそんな人を見つけられるかしらね。



 そんなやりとりをしていたら、執事が声をかけてきた。

「侯爵様、そろそろ港湾の商会の方がこちらに来る時間です」

「――もう、そんな時間か」


 オルドリック様はソファから立ち上がる。

「すまない、レジーナ嬢。少し対応しなければいけないから行ってくる。ここで待っていてほしい」

「承知いたしました。整理をしながらお待ちしておりますわ」

「約束、だからね」


 オルドリック様は執事をつれて部屋を出ていった。


 彼らが出て紅茶を飲んで心を落ち着けてから、おもむろに私は立ち上がり、部屋の片隅のテーブルのうえにあるラベリング済みの刺繍入りハンカチが入った豪奢な箱を開ける。



 やはり、そうだ。



♢ ♢ ♢



 公爵夫人の今までの刺繍入りハンカチを調べる。

 夫人の家の家紋の図案、一輪のバラの図案、青い小鳥の図案……随分たくさんある。

 夫人は今までご本人以外が作られたものをお渡しになったことはなく、いつもご自分で作られているにちがいないものだった。


 今回のものも素材は一級品、糸の始末、ステッチの刻み方どれを見ても上級者のもので、今までと同じ癖がある。

 だけど――。




 今回の夫人の図案をみる。

 蔦に絡まった一輪の満開の月下美人の花と蕾。

 過去のものと比べて随分様相が違う。


 直接、刺繍入りハンカチに触れる。

 やはりここだけ手触り、糸の種類が違う。

 ――月下美人の雄しべの一本だけが。


 この雄しべは金髪の公爵夫人の髪の毛だろう。

 なぜそんなものを縫い込んだのかしら。


 モチーフについて考えてみる。

 ――月下美人。夜の闇のある間だけ妖艶に存在して一晩で崩れる花。

 ――蔦。月下美人に怪しげに絡まっている。


 もしかして、夜の間に妖艶な公爵夫人を絡め取って、ということ……?


 ――では蕾は何かしら。

 次に咲く月下美人、ということよね。……まさか、ね。――さすがに、考えすぎね。


 図案だけだったら『夜に私を絡め取ってください』なんて私も思ったりはしない。

 でも雄しべの一つだけが公爵夫人と思われる金の髪の毛――。


 完全な妄想とは言い切れない。

 髪の毛が入ったことで裏付けが強くなった。

 そして夜会でオルドリック様を見つめ、クリエイターの若い男性にかこまれるパトロンもされている夫人の熱い視線――。


 オルドリック様は誘いに乗った?

 ……いえ、あれだけ初恋を追いかけていた方がそんな不純なことをするわけがないわね。


 むしろ、この意味すらわかってないんじゃないかしら。

 私に楽しそうに聞かせてくれてた姿が偽りとは思えない。

 


♢ ♢ ♢



 公爵夫人が作られた蔦が絡む月下美人の刺繍入りハンカチ――『夜の誘い』という意味だというのは可能性でしかない。


 でも疑いは晴らすことができないなら、クロの物証となりえる。


 クロが生まれると今までシロく見えていた他の刺繍入りハンカチが歪んだ認知で、途端にクロく見えてくる。




 例えば、とラベリングされた豪奢な箱を漁り、芸術に秀でた伯爵令嬢の刺繍入りハンカチを取り出す。


 何もやましいものはない、美しい刺繍だ。


『パイプオルガンと天使』という伯爵令嬢の美しい図案……この天使の陰影をつけるために、ペールグレーを使用しているが、それが公爵夫人の『クロのハンカチ』と一緒にされることで途端に怪しさが出てしまう。


 この愛らしい天使が『堕天使』としてとらえられるかもしれない。


『堕天使』となってしまえば、パイプオルガンの聖なる音が響く空間で舞っている『堕天使』という、背徳感を感じる図案に変わってしまう。


 他の大公夫人の『蝶の図案』、侯爵令嬢の『オリーブの図案』だってそう。


 腐った果物があるとその箱にあった他の果物もみるみる腐っていくのと同じだ。

 公爵夫人の『クロのハンカチ』でこの箱にある大多数の『シロのハンカチ』はクロく染まった。


 そう、こじつけよ。でもそういう歪んだ捉え方ができるように変わった。それは大きいわ。



 そろそろこの『スタンプラリー』のラベリングも『クロのハンカチ』で『台紙』代わりの箱がいっぱいになるわ。


 ――さあ、そろそろこの契約の婚約の幕引きを始めましょう。



♢ ♢ ♢



 冬になり、あと一ヶ月でレジーナとの契約の婚約が終わろうとしていた。

 

 まだ、彼女に想いを告げていない。契約は打ち切り、本物の婚約に切り替えてすぐにでも結婚をしたい。

 今度、彼女を食事に誘って正式にプロポーズをしよう。

 ――だが、その前に『スタンプラリー』をやめることを告げるべきだな。もう、私には『初恋』は必要ない。

 もうレジーナ嬢と呼ぶ必要もないだろう。妻にするのだから。


 

 外での打ち合わせが終わり、屋敷に帰ってきた。随分と使用人は慌ただしく、出迎えすらない。


『何があったんだ?』と内心首を傾げてエントランスで待っていると、執事が慌てて出てきて私に焦りを滲ませ早口で言った。


「侯爵様! レジーナ様がこの屋敷のどこにもいらっしゃいません!」


 時が止まったかのようだった。朝、いつも通りの笑顔で『いってらっしゃいませ』と言ってくれた彼女が……いないだと?


「――な、なにを、なにを言っている? レジーナがいない?」

「はい。昼に侍女が部屋に食事を運んだ際にいらっしゃらず探したそうです。そしてレジーナ様が使用していた客室をよく見てみたら私物がなくなっていたそうです」


 言葉はわかるのだが、理解ができない。執事が何かを言っているが頭に残らない。

 レジーナが……消えた?

 



 指示を出すため、少し足をもつれながら自分の執務室に行くと、執務机に彼女の文字『景品』と書かれた簡素な白い封筒があった。


『景品』? 『スタンプラリー』のか? 彼女は考えておくと言っていたが……これがそうなのか?

 だが今は手がかりが欲しい。

 行き先が書いてあることを期待してすぐさま封を切った。


 その中に入っていたのは一枚の刺繍入りハンカチだけだった。


 ……こ、これは、この図案は。


 引き出しの奥から初恋の人のハンカチを出す。

 スミレの花と妖精の図案。

『景品』と書かれた封筒に入っていたものとモチーフだけでなく、構図も色も寸分違わず同じだ。違うのは熟練度と彼女の名前が入っているということだけだった。


 はは、彼女が『初恋』だったのか――。


 嘘だろう? 私の隣で楽しそうに作業していただろう? なぜ言ってくれなかったんだ。


 ……いや、もしかして彼女は私に言うつもりはなかった……のか?


 そういえば、彼女は『再会の運命が叶う』ところをみたいと言ってたが、『初恋が叶う』とはひと言も言っていない。

 ――『応援する』とそれだけだった。


 彼女がラベリングをしてくれた『スタンプラリー』の箱の方を振りむいた。

 その場所にあったはずの綺麗にラベリングされた豪奢な箱が消えていた。


 ああ、彼女は『景品』と刺繍入りのハンカチが収められた『台紙』を引き換えたのか――。


 彼女とのあの優しい日々がすべてなくなったような気がして、力が抜けてその場に崩れ落ちた。 自然と涙がこぼれ、私は理解した。


 おそらく彼女は自分から帰ってこない。


 だから私が探す。『初恋』も『二度目の恋』もレジーナだ。

 連れ戻して、私の愛を理解させつつ、責任を取ってもらい結婚をする。

 そう決意を固めて、屋敷の人間に指示をだした。


 絶対に逃さない――。



♢ ♢ ♢



 そろそろ、オルドリック様は『景品』に気づいた頃かしらね。

 考えておくと言っていた『景品』は『初恋』の情報にしたわ。

 あんなに求めていた『初恋』だもの。気に入ってくれたことでしょう。



 私はフェリー乗り場で思いを馳せた。

 あと15分で出港し、この国を離れる。


 あの公爵夫人の『クロのハンカチ』を手にしてから二カ月間準備をしてきた。

 実家の離籍届に時間がかかったけれど、今や私は平民だ。

 私が成人してることもあって、実家の伯爵家が関与することはないから簡単にできた。


 オルドリック様が『初恋』が私だとわかって追いかけたいと思っても、実家は何も知らされてないし、平民になっているので探すことはできないわね。


 それにしても、オルドリック様と私が婚約した理由だった新規航路で『初恋』が逃げていくなんて、皮肉なものね。



 公爵夫人の『クロのハンカチ』によって一気にクロ化したハンカチたちを収めたラベリング済みの豪奢な箱は今朝、彼女の夫である元王弟の公爵様に送りつけたわ。


 オルドリック様は公爵様は夫人を『溺愛』していると表現していたけれど、私は違う意見を持っている。


 海運事業関係の夜会のようなビジネスチャンスがある場であの抜け目のない公爵様が溺愛なんてもので夫人からずっと離れないなんてことはありえない。

 公爵様が夜会で夫人を『見張り』、それに近づく男性に『警戒』で獰猛な目を向けていたのは夫人を愛しつつも憎んでいたから……かしらね。

 パトロンもされてる華やかな夫人に対して嫉妬をして愛が変容してもおかしくはないわ。


 公爵様はあの『クロのハンカチ』が収められた箱をどう使うのかしら。

 夫人を囲む? 既婚者含め様々な女性から『クロのハンカチ』を大量に頂いたオルドリック様を追い詰める? それとも……。

 私にはわからない。でもあの方なら私が思いつく以上のことをすると思うわ。


 ねえ、オルドリック様。

『クロいハンカチ』は箱いっぱいになったわ。


『台紙』と引き換えに『初恋』の情報を渡したけれどそれじゃあなたの努力に対して少し足りないかなと思ったの。

 

 だから公爵様へあの『台紙』を渡した。あなたへの妨害が『副賞』。恋には障害がつきものでしょう? まぁ公爵様が動くかは……どうでしょうね。


 そろそろ出港の時間ね。

 タラップを渡って上を見ると海鳥がいた。

 私もあの鳥のように自由になりたい。



 フェリーの出発の汽笛が鳴り響いた――。

 一人の女がこの国から消えた。



♢ ♢ ♢






 私が祖国を発ってから四年が経過した。

 今、私は祖国の王都の町外れの共同墓地にいる。

 ここに、元侯爵だったオルドリック様が眠っていると聞いたから。


 墓の前で心のなかで語りかける。


 オルドリック様、聞こえますか?


 私には家族にも秘密の恋人がいたわ。


 私はお金に困窮する伯爵家の三女。

 父母も私に対して、なにも関心を示さなかったし、『結婚は好きにしろ』と言われて育った。

 勉強も家庭教師をつけてもらえなかったから独学で図書館に通って勉強した。


 お相手はその図書館で出会った平民の優秀な船舶の設計技師で、熱烈な恋ではなかったけれどとても幸せだったわ。


 彼の開発した発表前の新技術。

 画期的なものでこれが開発されたら爵位がもらえると噂されるものだった。

 

 叙爵されたら結婚しようと二人で話していた。

 そんな彼を支えるため船舶技術や、経営について私も学んでいたわ。

 あなたと婚約してそれが役に立つとは思わなかったけど。



 でも、彼は殺された。



 彼の部屋が荒らされてて、新技術に関する設計図や論文だけがなくなっていた。

 その半年後その技術が取り入れられた新船舶がとある商会から発表された。

 その商会が『フォーゲル海運商会』、あなたの商会だった。


 それから、私は魂が抜けたような生活を半年ほど送っていた。

 そんなとき、父が『この家に援助してもらうため、フォーゲル侯爵の一年契約の婚約者をやれ』と政略的な命令をしてきたのよ。


 殺された恋人の新技術はフォーゲル海運商会に盗まれた可能性があると思いつつ、あなたとの婚約の契約を受け入れたわ。

 なぜだかわかる? 私の『初恋』もあなただったからよ。


 私の『初恋』は、あなたの『初恋』の少し前。

私は困窮している伯爵家の娘。

 王宮で伯爵家以上の子供が集められたあのお茶会の最底辺だったから、ほかの男の子や女の子に標的にされた。

 そんな私をあなたはヒーローのように助けてくれた。


 それが私の『初恋』――。


 だから私はあなたを目で追ってた。木陰で休んでいるあなたを助けたいと濡れたハンカチを渡した。

 初めて刺繍したスミレと妖精の図案のハンカチは大切だったけど、あなたの役に立ちたかったから置いていった。


 まさか、それがあなたの『初恋』になってると思わなかったけれど。

 はじめてあなたの『初恋』を聞いたときには、『あのときのこと?』と驚いたわ。



 だから『初恋』の相手であるあなたの契約の婚約者になるって決めてからも、恋人のことがあったからどうしても疑念があった。


 でも、再会して最初の『私が君を愛することはない』という言葉を聞いて心が凍った。

 私の名前すら知らず、深く知ろうともせず、私の意思は無視して、容姿のいい女性はこうだときめつけられた。


 そしてとどめは『初恋』。


『初恋』の相手を前にしても全く気づかないで、無神経にえぐってくる。『もう憎んでもいいか』と思ってしまったの。


 だからあなたの叶わない『初恋』の応援を

『スタンプラリー』という形で始めた。

 それがあなたを自滅させる可能性があることもわかっていたから。


 直接手を下すつもりはなかったからあなたの選択を見届けるだけのつもりだった。

 あなたは無神経だけど『初恋』の人だから。


 でも、途中で気が変わって公爵様に『台紙』を送った。

 あの方が私に似ていたからというのが理由ね。


 夫人を愛憎の目で見ているように見えた公爵様。

 あなたを『初恋』として見つつ、恋人の件で憎しみを持っていた私。

 私は見届ける選択をしたけどあの方はどうするのかを見たくなったの。


 その結果が今ね。

 想定外なこともあったけれど、あの日公爵様に箱を送ったことで誰かの運命が変わることはわかっていた。


 でもね、もしあなたが『私が君を愛することはない』という言葉を否定や謝罪していたら私は途中でやめようと決めていたのよ。

 きっと、普通の『スタンプラリー』になっていたわ。


 そのときは、殺された恋人のことを乗り越えてもう一度あなたを好きになっている未来もあったかもしれない。


 長くつき合わせてしまったわね、ごめんなさいオルドリック様。



 私は彼が眠る共同墓地に刺繍のハンカチを供えた。

 図案は白いゼラニウムだけ。


 ゼラニウムの花言葉は『信頼、尊敬』、白いものになると――『私はあなたの愛を信じない』。


 初めて出会った時、あなたを『尊敬』からの『初恋』をした。

 でも、あなたと再会してあなたの『初恋』が私だったと聞いて『あなたの愛を信じられない』に変わってしまった。


 わたしの気持ちにぴったりの花の刺繍入りのハンカチをあなたに贈るわ。


『愛してくれる人がほしい』といったときオルドリック様は『君はこれからそういう人と結ばれる。素晴らしい女性だからな』と言ってくれた。

 その言葉が嬉しかったから、お礼よ。



 供えて手を離した時に、びゅうっと大きな風が吹いて、白いゼラニウムの刺繍のハンカチは飛ばされた。

 それがこの国をたつときにみた海鳥を彷彿とさせられた。


 まだ殺された恋人や『初恋』にとらわれている気がするけど……。

 あの時よりもほんの少しだけ自由になれた気がした。


 そして再び女は姿を消した――。

 どこに行ったのかは誰もわからない。



最後までお読みいただきありがとうございました!


裏設定では執事はレジーナに呆れつつ、オルドリックに「まず初対面の件を謝られては?」と思っていました。


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