沈黙の弔い
──悲鳴が聞こえた。
一瞬で全身の血が凍った。
私と彼女はバットと木片を握りしめ、部室を飛び出した。息を呑みながら倉庫へ駆け戻る。足音ひとつ立てないようにと心掛ける余裕などなかった。ただ走った。叫び声が、命の灯火が消える音に変わる前に。
倉庫の扉を開けると、そこは地獄だった。
三体の化け神が、崩れた木箱や棚を踏み潰しながら暴れ回っていた。異形の巨体が軋む音。引き裂かれる布。誰かの叫び。血の臭いが漂っていた。
その中で、蒼太が──リーダーの青年が、ひとりの少女をかばって倒れていた。
「みずき!」
私は声にならない声で叫び、バットを構えた。
化け神の一体が、こちらを向いた。目は見えていない。だが、足音と振動に反応したのか、まっすぐこちらへ歩いてくる。
「行くよ!」
彼女の叫びとともに、私たちは突撃した。
バットが唸りを上げ、化け神の膝を打ち砕く。彼女の持つ金属片の棒が、背中を切り裂いた。二人で連携をとり、音を撒き散らす覚悟で殴り続けた。
化け神が一体、地に伏した。
次の一体がこちらに襲いかかる。その瞬間、私は倒れていた棚の鉄棒を蹴り上げた。耳障りな音が響き、化け神がそちらに気を取られる。
彼女がその隙に、横腹を一閃。私は背中から叩きつける。
二体目、沈黙。
最後の一体が暴れまわっていた。周囲に転がる死体の山を踏み潰しながら、頭を左右に振っている。何かを探している。
──これで最後だ。
私は思い切って走り込む。
ガン!
手応えがあった。だが、それでも倒れない。彼女も続く。化け神の頭を的確に殴打する。骨が砕ける音がした。
三体目、崩れ落ちた。
静寂が訪れる。
蒼太と、みずき以外の子どもたちは……もう、いなかった。
床に座り込んだ蒼太のシャツは、胸のあたりから血が滲んでいた。呼吸が浅い。彼の目は虚ろだが、まだ意識はあった。
「……遅くなって、ごめん……!」
私が駆け寄ると、蒼太はうっすら笑った。
「……違う。……君たちのせいじゃない……」
みずきは震える手で蒼太の袖を握っていた。涙が止まらなかった。
「ねえ、どうして……どうして助けてくれたの……!? なんで逃げなかったの……!?」
「……みずきが……泣いてたから」
蒼太はゆっくりと、みずきの頬に手を伸ばす。
「……大丈夫だよ。俺が全部、やるから。みんなの墓……ちゃんと作って、ここを守るから……」
「だめだよ、蒼太……行こうよ……一緒に……!」
みずきの言葉に、彼は小さく首を振った。
「……俺は……行けないよ……」
そのとき、彼女がそっと私の腕を引いた。
「水を汲みに行こう。……少し、離れよう」
唐突な誘いに戸惑いつつも、私は彼女の意図を感じ取り、頷いた。
倉庫から少し離れた場所で、彼女は静かに口を開いた。
「……蒼太、もうダメだと思う。肺を潰されてる。呼吸が浅すぎるし……血の匂いが強い」
「……!」
「たぶん、自分でも分かってる。だから残るって言ったんだよ。時間も、そう長くない。せいぜい……2時間」
私は言葉を失った。
「だから……みずきだけでも、連れて行こう」
彼女の目には、迷いはなかった。
私たちは倉庫へ戻り、みずきに告げた。
「みずき……一緒に行こう」
「……でも、蒼太が……!」
「だめだ…!みずき。お前は……足手まといだ」
蒼太が突然、怒鳴った。
「食糧だって…俺が持っていく分しかない…」
「お前がいたら……俺は、何もできない! 墓も、守れない! ……行けよ!」
みずきは、驚きで目を見開き、泣くのをやめた。
「……ごめん」
私は彼の言葉の裏に込められた優しさを感じていた。
蒼太は、残りの命を使って妹を遠ざけようとしているのだ。
「行こう、みずき。早く」
私が言うと、みずきは小さく頷いた。
そして私たちが倉庫を後にしようとしたとき、蒼太が私に声をかけた。
「……これ。……持っていって」
彼は、隅に置かれていたバッグを指さした。
中には食料、水、簡易な道具が詰まっていた。
「……これが、持っていこうと思って……まとめてた分だ。……みずきを……頼む。妹なんだ…」
その声は、風にかき消されそうなほど小さかったが、確かに届いた。
「ありがとう、蒼太……」
私はそれ以上何も言えず、ただバッグを受け取り、彼の想いと共に背負った。
背中で扉が静かに閉まる音がした。
それが、蒼太との別れの音だった。