ep1 シンデレラ的日々からの逃走計画
わたしことシンシア・ド・ブランシェは、義姉であるイザベラ・バルドから階段から突き落とされた14歳の頃、唐突に前世の記憶を思い出した。
前世のわたしは『白山ひろみ』と言う人間だった。
私立中学校の教師をしていたけど指導の仕方で、同僚教師と揉め、わたしの不手際で面倒な立場に追い遣られてしまった。
今から思えば、原因はわたしの独りよがりだった言動で、消し去りたい黒歴史的な事柄だった。
冷静になれなかったわたしは職場での解決策を見出せず、何もかもが嫌になり、取り敢えず交際していた男性と結婚をして教職を辞した。
いわゆる逃げ婚て言うモノだ。
そして、少々薹が立った27歳の新妻生活を送っていたが、自転車で買い物に行く途中、猛スピードで走って来たバイクが転倒し、その車体がぶつかって来て、強烈な衝撃と共に、わたしの意識は途切れた。
後悔ばかりの白山ひろみ・・・享年27歳。
イザベラに2階へ向かう途中の階段から突き落とされた瞬間、脳内に恐ろしい勢いで白山ひとみの記憶が溢れ出し、カーペットが敷かれたホールの床へ身体を叩きつけられた衝撃とも相まって、わたしは気を失ってしまった。
わたしは、継父のロバートに似たレッドブラウンの瞳を意地悪く光らせて微笑むイザベラを残念な美少女だなと、意識が途切れる瞬間に思った。
物置と化している亡くなった母の寝室のベットの上で、使用人たちの会話をこっそり耳で拾っていると、わたしは一週間ほど意識を失っていたみたいだ。
意識を取り戻したわたしは、前世の記憶を整理して居ると此の世界が『フェーカーの祈り』と言う色気多めの復讐モノの小説だということに気がついてしまったいた。
(官能小説とは呼びたくないので、復讐モノと思い込もうとしているわたしは悪くない。)
ストレス過多だった前世で、超好みだった主人公ナルサス・ド・ダシルヴァ伯爵の物語は、わたしを夢中にさせ、一時の癒しを得ていた。
物語の舞台である此処カナーン王国は、ヨルレシア大陸の最西に或り、400年近くグリムニール王家が治め、中央部には広い平地が広がり、西部と南東部には海、北東部にはヨルレシア山脈が在り、作物や天然資源が豊かな国だった。
他国との戦乱もあったが、それなりに均衡を保ち約400年続いたカナーン王国だったが、物語が始まる頃にはキナ臭いモノになっていた。
前王妃(=クレマン公爵家公女)の息子で或る王太子を推す国王派、そして現王妃(=新教徒国ラドリア王国王女)の息子で或る第二王子を推す王妃派で、国内は激しい火花を水面下で散らしていたのだ。
その火花のあおりを受けて、王妃派たちや新教国の者たちに陥れられ、没落した中立派のダシルヴァ伯爵家一族の仇をとり、主人公で或るナルサス・ド・ダシルヴァは、あらゆる手段を駆使して敵を倒し、ダシルヴァ伯爵の爵位とダシルヴァ伯爵領地を取り戻していく物語だ。
『フェーカーの祈り』って小説の何が面白いかと言うと、美形の主人公ナルサスが次々と女性を口説いて18禁仕様な関係に成って行くのが、鼻血が噴き出しそうになるくらい官能的だったのだ。
そして幼馴染の従者との熱い友情もわたしの乙女心を刺激した。
わたしは主人公ナルサスの美麗な表紙カバーに惹かれ、ジャンルやあらすじを確かめず、衝動買いしたほど好みの絵柄だったのだ。
内容はダークだったけど、挿絵と良くマッチして、わたしは物語の世界にドップリと浸れていた。
そしてわたしことシンシア・ド・ブランシェは、16歳でブランシェ伯爵家を継ぐと、イケメン主人公であるナルサス・ド・ダシルヴァの仮初の妻と成るのだった。
表紙カヴァーのイラストに一目惚れした主人公ナルサスとわたしが結婚!!
だけどシンシアとの結婚は、ナルサスの復讐計画の1つで、ブランシェ伯爵領北部にある隣国の国境付近の町を必要とした為、物語の見せ場である甘い濡れ場など一切なしの義務的なモノと記されていた。
旧教徒国であったカナーン王国では、白い結婚が3年間続くと離婚の正当な理由に成る為、ナルサスはブランシェ伯爵領を得る為に、シンシアを抱いて懐妊させ子供だけ王都で育て、わたしは領地で監視され放置される。
強いて、小説では初夜や懐妊迄の関係は何の表現もされず、わたしが産んだ嫡男は王都で育てられたと書かれるにとどまっていた。
わたしとお色気主人公ナルサスとのラブロマンスは一切ない。
ホントわたしって不憫だわ。
で、現在と同じように病弱を理由にしてシンシアは、屋敷へ閉じ込められたの生活を送り、20歳の頃ナルサスを邪魔に思った敵対貴族から屋敷を襲撃され、わたしはジ・エンドになり『フェーカーの祈り』から強制退場させられてしまうのだ。
幼い頃から閉じ込められた日々、そしてヒロイン登場の都合により、20歳で死亡するシンシア。
幾ら何でもわたしが不幸過ぎる。
シンシアの生い立ちは、3歳で父親アシュリー・ド・ブランシェ伯爵を亡くし、母であるフリーネ・ブランシェは、男爵家の3男である継父ロバート・バルドに恋をして、周囲の反対を押し切り北西のギルア国境付近にあるシャーローア地方の教会で、私が6歳の頃に強引な再婚をしたのだ。
8歳まで居た執事たちから聞かされた話。
小説の中でモブで或るシンシアのコトは、ナルシスと結婚したブランシェ伯爵家の女伯爵とした時期から申し訳程度にしか書かれてなかったけど、わたしがシンシア時代を思い出すと自分のことながら可哀想に思えて来る。
わたしを不幸にした最大要因の継父ロバート・バルドは、母フリーネと再婚すると母からブランシュ伯爵後継で或るわたしの後見人役を引き継ぐ手続きをし、8歳の時に母フリーネを亡くしたわたしの正式な後見人となった。
カナーン王国では、基本的に直系男子が爵位を継ぐが、ブランシェ伯爵家は創設時に直系女子も継げる特別継承権を国王から賜って居る為、わたしは16歳になるとシンシア・ド・ブランシェ女伯爵に成れる。
婚姻して息子が生れ、成人してパルス高等法院で継承手続きをすれば、わたしが死なずとも嫡子へと爵位が移る。
男は死ぬまで当主であるが、女当主は飽くまで次代への繋ぎと言う位置付けである。
そして、伯爵以上の当主は姓の前に「ド」が付き、男爵以上は「ラ」、王族系公爵だけは「フォン」と呼ばれる称号が付く。
国王陛下には「ヴァン」が、ラストネームの前に付く。
現国王はルイス10世、ルイス=アンリ・ヴァン・グリムニールで或る。
爵位を継ぐまで、王家と公爵家以外の子供には、貴族としての称号は付かない。そしてカナーン王国では婚姻しても別姓で或る。但し、婚姻相手の姓を通称で使用するコトが出来るので、継父ロバート・バルドは、母と婚姻したことによりロバート・ブランシェを名乗っている。
でも、カナーン王国法院に提出している姓は変わらないので、新たに爵位が叙され姓が創設されるまで、継父の姓名はロバート・バルドの侭で在る。
国王から本人が叙される以外では、かなりの金額を出して上流貴族からの口利きで宮廷の官職を購入すれば、準男爵や士族などの爵位は購入出来たりする。
法服貴族で在り新興貴族とも呼ばれ、一定の税金を国王に払えば次代へも貴族としての特権が引き継がれる。
主人公であるナルサスは偽名で騎士爵を買い、王立陸軍に所属するシーユ・ジョセフ・デュランと名乗り、シンシア・ド・ブランシェと結婚した。
女性の貴族当主と騎士爵より下の士族では婚姻しても、子供が貴族位を継ぐことが出来ないので、小説の中ではナルサスも苦労して騎士爵を買い取っていた。
だから継父ロバート・バルドと再婚した継母カリーナは、カリーナ・バルトを名乗り、カリーナの連れ子で或るイザベラとエリスは再婚時に継父ロバートの養女と成り、イザベラ・バルド、エリス・バルドであり、彼女たちは通称でもブランシェを名乗れない。
父や母方の親族たちがロバート・バルドとの再婚を反対したのは、継父と母の間に生まれる来る子は例え息子が生れても、法的に庶子よりややマシな扱いしかされないから、ブランシェ家で起きるかもしれない遺産相続争いを懸念したのだ。
わたしの疫病神である継父ロバートは、母が亡くなってから自由に動産を使う為、執事長を殺し、金で言う事を聞くイエスマンをブランシェ伯爵家領地外から雇い入れた。
自由に成る資金を手にした継父ロバートは、派手なギャンブルや豪遊をしていた所をナルサスに目を付けられ、わたしの母や執事を殺した証拠を突き付けられ脅されて以降は、ナルサスの手駒になり指示通りに動いた。
そしてナルサスは、ロバートを不倫関係にあったカリーナ・ベント男爵未亡人と再婚させて、わたしの管理を新たな女主人に成った継母カリーナへと任せた。
継母カリーナは、ベント男爵の娘として産んだイザベラとエリスに対し、実子でないと疑惑の目を向け不貞を理由に教会裁判にかけようとした夫ベント男爵を煩わしく思い、浮気相手のロバートから貰った薬でアッサリと毒殺していた。
俗世の裁判と違い、教会裁判は昔の宗教裁判と同種のモノで、有罪に成るとカナーン王国で生きていけなく成る。
そして夫を毒殺したカリーナは、ベント男爵家を継いだ弟夫婦とも険悪だった為、ロバート・バルドからのプロポーズを渡りに船で受け入れた。
かくして欲望の為、安易に人を殺せる継父ロバート・バルドと継母カリーナは、わたしが10歳の頃にナルサスの提案で再婚した。
結婚した2人にナルサスが厳命したのは、1)わたしを外へ出さず、2)命じたことに従うよう教育し、3)ブランシェ伯爵家を継ぐ16歳まで絶対に死なすな、と言う3点だった。
此れは、わたしがナルサスと婚姻し、ロバートとカリーナを口封じで始末した後に明かされる話だ。
「欲望の為、人を殺す悪人は殺されても仕方ない。」
などと、もっと極悪人のナルサスが、2人の始末を終えた従者からの報告で呟くのを、ダークヒーロー的でカッコイイとか思っていた自分に今更ながら嫌気が差す。
ブランシェ伯爵家的に一番悪いのは、チョロイ母をその気にさせ再婚した継父ロバートだと思うけど、14歳で自分の意識を取り戻すまでのシンシアは、継母カリーナや義姉イザベラとエリスたちに怯えて萎縮してしまっていた。
その原因を作ったのはナルサスな訳で。
うん、幾らわたし好みのイケメン・ダークヒーローのナルサスでも、幼いシンシア的に許せないよね。
一応、ナルサスの手下が2人程わたしを監視する為、使用人として此の屋敷で勤めていて、シンシアの生存チェックをしていた。
きっとイザベラから突き落とされた後、意識を取り戻さないわたしに焦って、監視の2人が継母カリーナへ注意したのだろう。
わたしの部屋として使用していた亡き母の寝室は、それまでイザベラとエリスたちに荒らされていた。
だけど、階段から突き落とされ意識を失ってからは、イザベラたちや彼女たちの使用人が入室することが殆ど無くなり、ベットや敷布、掛布などを裂かれたり汚されなくなった。
わたしは記憶を取り戻して約1年経った今でも、わざわざ使用人たちに命じて室内を荒らすイザベラやエリスの気持ちをなどサッパリ理解出来ないけどね。
バルド一家が、5月から始まる王都パルスでの3ケ月の社交シーズンで、此のブランシェ伯爵領の領主館を留守にしている時以外でも、わたしはベットで安眠出来るように成ったので、良かったのかな。
でも、わたしはシンシアが階段から落ちた時に、亡くなったのじゃないかとも推測している。
わたしが目覚めたのでは無くて、シンシアが亡くなる前に白山ひとみの魂が、運悪く入ってしまってのかも。
そうなるとシンシアの魂は?と考え始め、暫くしてわたしは答えの出ない問題を「エイっ!」と放り投げ諦めた。
屋敷で掃除などのハウスメイドの役目をしなくてよくなったけど、相変わらず刺繍やドレスのお直しの仕事はバルド姉妹たちの侍女から命じられるけどね。
侍女たちが次期当主で或るわたしに命令するって、これも下剋上って呼ぶのかしら?
一層のコト屋敷を抜け出して、平民に成って領地外で働くことを考えたけど、監視人が居るし領主館の広い敷地から徒歩で逃げだすのは無理だろうなと考え直して、ベットに腰を掛け小説のストーリーを思い出しつつ、脱出プランを考えて居た。
メモをするための紙とペンが欲しい。
今頃ナルサスは、王党派の仲間たちと謎や事件を解きながら、忙しく王都パルスや王宮内を動き回って居るのだろう。
そろそろストーリー的に18歳になったワンコ的な王太子との出会いも在るだろうし。
取り敢えず来年わたしは、ブランシェ伯爵家を継承するため王都パルスへ辿り着いたら、タウンハウスへ入る前に抜け出す方法を考えて於こう。
美麗なイラストでしか見たことがないので、リアルなナルサスには大いに興味があるけど、自分の残りの人生と引き換えに満たしたい程の好奇心ではない。
どの道、復讐を果たすための通り過ぎるだけのシンシアが亡くなり、ヒロインと親密な関係に成って行くナルサスを想っても虚しいもの。
いや、わたしは20歳で殺される気など全くないけども。
問題は『フェーカーの祈り』4巻を購入する前に前世で死んでしまったから、4巻から始まる第二章をわたしは読んで無いってこと。
それより先ずは、王都パルスへ向かうまでに資金作りを模索しないとね。
わたしは、ブランシェ家特有の白い老婆のような髪の毛を手櫛で整えて、やせ細った小さな身体の背筋を伸ばし、気力をゆっくりと蓄えていった。
この魔法使いも王子様も居ないハッピーエンドの道筋が見当たらないシンデレラ的な日々から、わたしは自力で脱出する決意を静かに固めた。