おひとり様同好会
お昼をゆったりと食べ終えて、リリアにがっちりと腕を拘束されながら、デパート内にある映画館へと向かった。
この人、すぐに手を繋いだり、腕に抱き着いてきたりしようとしてくる。
約2時間、リリアと一緒に青春ラブコメのアニメ映画を鑑賞した。
どうやら、今年のアニメーション映画ベスト10に入る映画だったらしい。普段、恋愛的なストーリーに親しみがなかった俺も、十分に楽しむことができる内容だった。
表向きは、甘酸っぱい恋愛ストーリー仕立てだったが、いざ、通して鑑賞すると、生き方とか、生きずらさについて深く考えさせられる内容だった。
リリアと隣合って、ジュースとポップコーンを共有しながら見る映画は、10点満点だと、振り返る。
……上映中、リリアがずっと手を握ってきて、揉んできたのは、気になったが。
「面白かったね、ちょっと泣いたかも」
夕日の茜に照らされたリリアの頬には、かすかに、涙が伝った跡が浮かび上がって見えた。
「うん。面白かった」
「……ね。あたりまえの日常を大事にしようって、思った」
「主人公の二人って、この後も末永く幸せに付き合えるのかな?」
「そりゃ、あれだけの苦境を共にしたんだし、お互いを深く理解し合ってるんだから、簡単に糸は切れないと、私は思うな」
二人で感想を共有しながら、駅へ向かっていると、ふと、思い出したことがある。
――彼女は、来年の12月17日に死ぬんだ。
こうやって映画を見たり、何気ない会話をするのは、確かに楽しい。
ただ、彼女と日常を共有できるのは、来年の末まで。
映画の中で、主人公の男の子が言っていた「日常が奪われることが恐い」という言葉が、しこりのようになって、耳の奥でいつまでも残響を奏でている気がした。
「次は、カラオケ?」
「うん。私の家の近くに、イイ感じのカラオケ屋さんあるんだよね。そこ行こう」
ネガティブな考えに至りやすい俺の性格ゆえ、仕方がない部分があるのだが、今は、彼女と一緒に居られる状況を、喜んで享受しようと思った。
――できる限り、彼女を楽しませて、幸せにして送り出したい。
あるいは、訪れる【死】の回避ができれば、万々歳だ。
――カラオケ店内――
「いらっしゃいませー」
「二名でお願いします」
「二名様ですね。ご案内いたします」
受付の従業員に伝えて、リリアに腕を抱えられながら、室内へと入った。
動画配信サイトや音楽サブスクで音楽を聴くことはあるのだが、カラオケに来るのは、初めてだった。
「すげー、近未来感」
「ふふっ、東京に初めて来た田舎ものみたいになこと言ってる」
「田舎ものというか、そもそも外に出かけないからな~全部が全部、目新しく見えるんだよ」
率直な感想を述べた俺は、リリアから、吹き出して笑われた。
「何歌おうかな~ボカロがいいかな、それとも、アニソン?推しのオリ曲もいいなぁ」
選曲のためのタブレット端末を指でスライドさせるリリアは、俺の隣に座って、べったり身を寄せてきた。
彼女の豊かな胸の感触が触れるぐらいの密接だった。むしろ、それを故意に押し付けている?
女の子の胸って、こんなに柔らかいんだなぁ。……おい、そんなことを考えている暇があったら、歌に集中せんかい。
自分が自分にツッコミを入れる妄想をすることで、余計なことを考えないようにしていた。決して、リリアの胸を揉みたいとか、夢っぽいことを考えないように、自己を統制していたのだ。
「リリアさん、流石に近いです」
「え、私が近いのは嫌だ?」
「いいや、嫌じゃないんだけど……さ、あるじゃん、社会的距離という概念が」
「親しい間柄なんだから、いいじゃん。嬉しいでしょ、かわいい女の子と隣り合って座れるのは」
「あー、うん。はい、そうですね」
もう、リリアに色々と言うのは無駄なんだと悟って押し黙った。
そんな、思考を放棄した俺を隣に伴って、リリアは、マイクを握った。最初に彼女が歌ったのは、彼女が推しているアイドルの曲だった。
「よく、そんな早口で歌えるね」
「まあ、高校時代は、月に3,4回通ってたからね。慣れだよ、慣れ」
「誰と行ってたの?」
「……」
歌い終わって、持ち寄ったポテチを摘まんだリリアの手がピタリと止まった。お、図星か?
「一人?」
「べ、別にいいじゃん。今の時代、【ヒトカラ】なんて言葉もあるぐらいなんだから」
「いいよね、一人でできる趣味って」
「で、でしょ?一人が一番気楽な感覚、湊くんも分かるでしょ?」
「痛いぐらい分かる」
交代して、マイクを握った。
俺もリリアも、アニソンやインターネット音楽、ボカロなんかをよく聴いていたから、互いの好きな趣味が共鳴して、楽しかった。
ただ、胸を押し当ててくるのは、相変わらずだった。
「あの……胸を押し当ててくるのは止めてね」
「ん?いいじゃん、減るもんじゃないし、おっぱい、好きでしょ」
「好きなのは否定しないけど、公共の場でするべきことじゃないのは、確かだよ」
「ふうん……私は、今ここで、湊くんのことを襲いたい気分なんだけどな~」
「それは……どういう意味?」
とぼけた顔を作って、こみ上げる羞恥心を取り繕おうとした俺の耳元で、リリアが、甘くとろける声で囁いた。
「いい年ごろの男の子なら分かるよね……性的な意味だよ」
「……ぇ」
背中が冷たくなるのを自覚した。……なんてことを言うんだ、この人は。
しかし、俺【大空湊】は、分別がつく男である。誰かの迷惑になるならば、自らの昂る感情を制する理性を持ち合わせている。
「カラオケ屋さんは、【そういう】目的で運営してないから、ダメだよ」
「ふふ、冗談だって。私は、湊くんを試してただけだから」
「うわ、危な!引っかかるところだった」
「湊くんが、分別のある人なのかなーって、調べてみたの。湊くんが、まともな人で、安心したよ」
知らぬ間に、理性を試されていたらしい。彼女の狡猾さを目の当たりにして、嫌に生ぬるい汗が、背中を濡らした。
この人、油断も隙も無いな。
一片の反省の色も見せないリリアは、ニマニマと笑いながら、自らの高校生時代の、とあるエピソードを明かした。
「私、高校生のとき、カラオケ屋さんでアルバイトしてたんだけどね、一組だけ遭遇したことがあるんだよ……気分が盛り上がって、おっ始める男女とね。ラブホ行ってヤってくださいって思いながら、注意申し上げました」
「す、すごい経験してるな……」
「リア充は死ねばいいのに」
暴言を吐き出したリリアの冷たい物言いに、すべてが詰まっているような気がした。
リリアも、おそらく、これまでの生活に納得していなかったのだろうなと。俺と似たような【リアルが充実してない】境遇だったのかもしれないと、勝手に推察した。
カラオケの時間は、ゆうに三時間を超えて、喉がガラガラに枯れた。
一方、声の枯れた俺の腕を抱いてカラオケ屋を出たリリアは飄々《ひょうひょう》と「家来てよ」と、誘ってきた。
外は、街灯の白い明かりが美しく映える夜を迎えていた。
「しょうがないなぁ……」
「わーい、やったー!」
ここまできたら、断りずらいにもほどがある。
電車に揺られて、リリア宅を目指した。この後、俺は何をされるんだろうとか、両親には、帰りが遅くなることをどのように説明しようとか、いろいろと思い悩みながら。