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残念な事に、彼女は珍しく字を認識出来無い者だった。
《ですが、数字には非常に強い方、お屋敷では帳簿を一部任されていたようです》
『そうか』
《それと刺繍ですが、確かにかなりの腕でらっしゃいますし、お裁縫もお上手です》
『成程』
《それだけでは有りません、やはり掃除や洗濯、料理もさせらていました》
『そうか』
《まだ有ります》
『まだ有るのか』
《何と、家の修繕も出来るのです》
『家の、修繕』
「はい、私が確認致しましたが、確かに何も知らないご令嬢では御座いませんでした」
《壁塗りは本当に綺麗でした、並みの職人より上手でしかも早い》
「はい、職人が褒めておりました。ご令嬢で無ければ、是非にも弟子に迎え入れたい、と」
『それで、出入り業者の男と、か』
「はい、そう捏造したのかと」
《ですが関わりは問題は有りませんでした、適切な距離を取り、礼儀作法も問題有りませんでしたよ》
『はぁ』
帝国の傘下に入る折り。
貴族の大掃除をと、その1つに、使用人からの申し出の有った家を任されたんだが。
こうも、絶妙な令嬢に当たるものだろうか。
《悩まれるのも分かりますが、私は取り込むべきかと》
「ですが、旦那様の好みも御座いますし。こうして才も有るご令嬢なのですから、他にも」
『待て待て、侍女の方はどうなった』
「はい、実は……」
今はウチの侍女達の良い遊び道具となっているらしく。
近々、私を巻き込むものの、良い成果を上げられるらしい。
『私を巻き込むのは決定事項か』
「はい、いずれ粉を掛けに来るか、ご令嬢を嵌めるだろう。だそうで」
《あら、それは楽しみですね、もしかすれば間者にも使えますし》
『アレが使い物に』
《道具に文句を言ってはいけません、出来るかどうかでは無く、するのです》
「ですな、はい」
この家庭教師こそ、いずれ融合する事になる帝国出身の。
私の乳母であり、ココの侍女長。
『分かった、だが力を貸してはくれないだろうか。なんせ、まだまだ若輩者なんだ』
《仕方が無いですね、少しだけ、ですよ》
旦那様はお父様と同じく、お仕事がお忙しい方らしく。
約5日ぶりに、お会いする事に。
初めて、お夕飯をご一緒に取らせて頂いております。
「お久し振りで御座います、お加減は如何ですか?」
『あぁ、問題無い』
「それは良かった、あ、コレ美味しいですね」
『そうか』
あ、貴族の方はお食事中にお話はなさらないのでしょうか。
でしたら以降は、黙ってお食事をすべきですよね。
それにしても、本当に美味しい。
初めて食べました、丸のままのお肉の入ったパイ。
甘いパイしか知らなかったので、パイとお肉がこんなに合うなんて。
どうやって作るのでしょう。
解して良く調べたいんですけど、それは下品だし。
あ、厨房へ。
でも私は、まだ婚約者なだけですし。
なら、後で侍女の方に、お伺い出来るか尋ねてみるしか無いのですが。
婚約が正式に決まるまで、あまりココの家の方と接するべきでは無い。
そうウチの侍女に言われていますし。
どうしましょう。
文字が読めない、調べる事が出来無いって、こんなに不便だったなんて。
やっぱり、私は実家で甘やかされていたのですね。
私が出来る事をさせて頂いていた。
あぁ、元気かしら。
「あの」
『何だろうか』
「あ、いえ、失礼致しました」
お食事中なのに私。
『話してくれて構わない、その為に一緒に夕食を取っているのだから』
「では、このお料理のお名前と、それと作り方をお教え頂けませんか?」
「お嬢様」
『そこまで気に入ってくれたのか』
「はい、それと家族に手紙を出したいのですが、どの様にすれば」
「ご許可を頂けたなら、私が代筆致しますよ」
「あ、そうなのね、ありがとう」
『では料理名と作り方、それと手紙の手配を』
「はい、畏まりました」
コレで1つ、私の出来る事が増えるのね。
『いっそ泣いてしまいたいんだが』
《坊ちゃま、この程度で泣かれますか》
「このお手紙の事もそうですが、不憫で堪らないのですよ」
『あぁ、不憫過ぎて抱ける気がしない』
案の定、例の侍女は代筆のフリをし、成果を報告しておりました。
悪評を流し、かなり落胆させられた、周囲とも排除の算段が有る。
ついては幾ばくかの褒賞を、と。
《では、侍女の事に戻りますが、褒賞をどう受け取るのか。ですね》
『大方、ココへ送らせるのだろう』
「でしょうな」
ウチの侍女達からの情報ですが。
何もしない時間が酷く苦手だそうで、しきりに刺繍をなさるか、ココの家事炊事についてお聞きになるか。
まるで捨てられぬ様に必死に働く子供の様で、例の侍女諸共、厳しい処分を求めている。
その事も、旦那様の感想に繋がってらっしゃるのでしょう。
《意気消沈なさるなら、先ずは出来る事をお探し下さい、彼女の為にも》
『あぁ、そうだな』
「そろそろ仕上がるそうですので、接触を増やされて頂く事になるかと」
『はぁ、排除の為には、致し方無いか』
「はい」
旦那様にお時間が出来たらしく。
やたらと能天気女と関わる様になった。
アレだけ言ったのに。
いや、寧ろ、だからこそなのかも。
侍女に粉を掛けているし、この能天気なら浮気なんて気にしないか、そもそも気付かない。
そう、やっぱり男って大した違いって無いのね。
適当な正妻と愛人。
なら、私も少しは粉を掛けたって大丈夫よね。
「お嬢様、そろそろ刺繍入りのハンカチをお渡ししては」
「あ、でも」
『受け取らせて貰えるだろうか』
「その、気に入って頂ける色柄が有るか」
「きっと、お嬢様がお選びになった品なら、気に入って下さるかと」
『あぁ』
「あ、はい。では、少々お待ち下さい」
さぁ、コレで2人きり。
どうしようかしら。
「あの、お話が、有るのですが」
『どの事だろうか』
「先日、とある侍女に櫛を見せて頂いたのですが」
『ほう』
「私も、何でもいたしますので、頂く事は出来ませんでしょうか」
櫛。
何の事か。
あぁ、コレが撒き餌か。
『何でも、か』
「はい、それに私も清い身ですし。もし、万が一にもお嬢様にご不満が有れば、私で発散して頂ければと」
性根が悪過ぎる者を抱く趣味は無いんだが。
凄いなこの女は。
全く悪事がバレているとも気付かず、主人の婚約者に誘いを掛けるとは。
コレでは元仕えていた場所が、如何に劣悪な場所だったのかを示すも同然だと言うのに。
さぁ、コレをどうする。
私の寝室で裸で待たせるか。
いや、それよりもっと。
そうか、それで櫛か。
『君の事は、前向きに考えておこう』
「ありがとうございます、出過ぎた真似を致しました、どうかご容赦を」
あぁ、早く帰って来てくれ。
「お待たせして申し訳御座いません」
『いや、それだけ選びぬいてくれたんだろう』
「はい、ですが自信が無いので、幾つか持って来てしまいました」
腕前をお知りになりたがっていたので、女性用ですが最近の力作と、ご令嬢に人気だったシンプルな男性用。
それと私の趣味を前面に散りばめた刺繍に、最近流行りだと聞いた縁取りの有る。
『コレは、どの位掛ったんだろうか』
「あ、コレはココへ来てから、昨日仕上がったばかりです、はい」
旦那様が手に取られたのは、私の趣味にまみれた趣味。
全面にパターン模様を刺繍し、隙間には私の好きな花を入れ、縁取りも施した力作。
好きなだけ刺繍糸が使えるので出来た事、なんですよね。
『そうか』
あぁ、あまりの稚拙さに戸惑ってらっしゃるのでしょうか。
それともやはり、時間が掛かり過ぎているのでしょうか。