2-17 潮行汐暮(2)
ただ、ひとつだけ確信できるのは、何かを見逃していたということだった。
その疑問を深く考えようとした瞬間、脳が引き裂かれるような感覚が広がる。
「痛い……!」
無意識に足元を押さえながら、前に進む。歯を食いしばり、かろうじて身体を動かす。
魔法はもう使えない。この体のままでは、何もできない。
一歩ごとに思考が遠のいていく。歩けど歩けど、暗闇の中で何も見えない――いや、見たくないものを見てしまったのだ。
ようやく見慣れた砂浜に辿り着いたが、そこには誰もいなかった。静まり返った砂浜は、時間が止まったかのように無言で広がっている。
潮はすっかり引き、砂の中から何かが現れた。最初はただの物のように見えたが、それは――
首と骨だけが、無造作に砂に露出しているのだった。そこにあったのは、まるで人間の一部を無惨に切り取ったかのようなもの。
心臓が激しく跳ね、胸の奥で何かが壊れたような感覚が走った。
手を伸ばし、恐る恐るその骨を掘り起こす。砂の中を指でかき分けるたびに、誰かに見られているような気がして、背筋が凍る。
そして、ようやく姿を現したのは――
ロリータ水着を着た、どこかで見覚えのある少女の死体だった。
夕陽がその身体を照らし、青白く光っている。
その光景はまるで夢の中の出来事のようで、現実だと信じたくない。だが、確かに目の前に広がるのは現実だった。
「……」
「……」
「デル……ガカナ……?」
頭が欠け、体だけが残されたデルガカナを目にした瞬間、視界が突然歪み、過去の光景が頭の中に流れ込む。
いや、これは本当にこの霊魂の記憶なのか? それとも、誰か別の記憶が混ざり込んでいるのか?
血の匂い。
気づけば、自分の手が目の前に浮かんでいた。指先には赤黒い液体が滴り落ちている。
「セリホ……お前……!!」
「リリラアンナ?!一体……」
駆け寄ろうとした足が止まった。
彼女の両手が頭を抱えるように押さえつけ、苦痛に満ちたうめき声を上げている。そして――
耳、鼻、口、目。感覚器官から鮮やかな赤が滴り落ちた。
それは、血だった。
赤い筋は砂浜に細い線を描きながら流れ、蒼白な肌に異様なコントラストを作り出していた。
「リリ!」
駆け寄り、彼女の肩に手をかけたが、体は冷たく、まるで生命そのものが失われつつあるようだった。
「これは……!」
グラウシュミの母の死とそっくりだった。
クソッ……! 魔法が使えない——うっ?!
脳裏に映る映像が、さらに鮮明になっていく。
泣き叫ぶ声、崩れ落ちる人影。そして、手が伸び、誰かの胸を掴み――心臓を引き抜いている。
「違う!そんなことしていない!」
叫びたいのに声が出ない。耳鳴りが激しくなり、頭が割れるような痛みに襲われる。
気づけば、血まみれの手が自分の目の前にある。
僕は誰の血を浴びているのか? 死んでいたデルガカナ? 死にかけのリリラアンナ? それとも別の誰か?行方不明の一姉?
もしかして、僕……いや、私は……これは……
白い髪。
幻覚……!
くそっ。
身体がひどく損傷すると、統合失調症の症状が戻ってくるかもしれない。この馴染み深くもどこか異質な幻覚……やはり、システムに過去の記憶を封じてもらったのは正解だったのだ。
今の体の完全性によって、どうにか精神の不調を補っている状態だ。
劉柳留としての人生はすでに終わり、その記憶は今や遠い過去の断片に過ぎない。ときおり、馴染みのない感情や記憶の欠片が浮かぶことがあるが、それもあくまで朽ち果てた過去の影に過ぎない。
今のはセリホ――異なる体を持ち、異なる人生を歩む存在だ。セリホはまったく新しい命であり、その存在は劉柳留とは無関係だ。
けれども、劉柳留として生きた痕跡は、心の奥深くに刻まれている。それは強さを与え、時に重荷ともなる大切な記憶だ。
システムはどうなった?なんで前世の記憶をちゃんと封印してくれなかった……そして幻覚も出る……
「セリホ!!無事でよかった!!」
グラウシュミは叫びながら駆け寄った。
「グラウシュミ、リリラアンナに残された時間は多くない。」
「え?!」
止めどなく血が流れ出ていた。その血液は、まるで普通のものではなく、ただの負傷では説明できない異様な雰囲気をまとっていた。
「これ……魔法だ!」
グラウシュミは息を呑み、額に滲む汗を拭う暇もなく、震える声でそう呟いた。
「しかも、深刻な月系魔法! まさかリリラアンナは今、そんな影響を受けている……! だけど、いったいどこから……? スイカ……?」
僕はその場で立ち尽くし、どうすることもできなかった。魔法がないくせに……クソ……! もし肉体だけのダメージなら、まだ治せるのに!
「これは、ただの高血圧性脳出血じゃない。魔法の干渉もある。」
「まずい! 解除するには……!」
「僕の魔法は封印された。この話はまた後で説明するけど……とにかく、今は全く魔法が使えない。」
魔法を失った今、僕には手の打ちようがなかった。
だが、このままリリラアンナを死なせるわけにはいかない。
一人でも多くの人を救う。
まだ、見える。指導することも、できる。
「この干渉を解除するには、彼女の脳中に侵食した他の魔法因子を断ち切るしかない。花系魔法でお願いします、そしてそれは呪文。」
僕はそう告げると、手早く呪文を考え始めた。頭の中で魔法理論を必死に組み立てる。
脳内の干渉因子をどう取り除くか、グラウシュミとリリラアンナの体への負担をどう最小限に抑えるか――すべてを一瞬で計算し、理論を構築する必要があった。
「これでいけるはずだ。」
砂の上に呪文の構成を一気に書き出す。魔法が封印されている今、自分で試すことはできないが、理論上、この魔法は使用者に呪文の間違いによる反動を与えないはずだ。
基本理論はまだ残っているから。
「グラウシュミ、これを使って。この呪文なら干渉を断ち切ることができるはずだ。」
グラウシュミは頷き、全力で魔力を解き放ち始めた。
「これで……終わらせる!」
「成功した……」
「でも、私……魔力がもうすぐ尽きる」
「……」
「行こう」
「どこに?」
「行こう」
「……」
「もうあなたを、私の視線から離させない」
「……」
「遅かったか。」
突然、意識のある者すべてが予想していなかった声が響き渡った。
「アシミリアン先生?!」