2-14 月行花堕(2)
リツイベットは感心した様子でぱちぱちと拍手をした。
ラルシェニは何か言いたそうだったが、結局は何も言わなかった。
「何言ってんの?全然意味不明!」
グラウシュミはオレリアとの因縁もあって、その場では怒らなかったが、帰り道でとうとう爆発したように文句をぶつぶつ言い始めた。
「これ、絶対おかしい!……まあ、とにかくリリラアンナ、送ってくれて本当にありがとう!助かった!」
「いいっていいって、全然気にしないで。ちょっとの距離だしさ。どうせ休みが始まったばかりだし、ここは二学期制だから、三学期制みたいに毎年期末テストが一回多いとかじゃないだけマシでしょ!――あ、着いたね。本当にここでいい?家まで送らなくても平気?」
「平気平気。ここまで送ってくれただけでも十分ありがたいよ。あとは自分で帰れる。」
「そっか。じゃあここでバイバイだね。本当はもうちょっと話したかったけど……まあ別に話すこともないし。とにかく、楽しい休みを!」
馬車が走り去り、しばらく沈黙が続いた後、グラウシュミがボソッとつぶやいた。
「てかさ、なんでこんな夜中に休みに入るわけ?」
「それより、なんで明かりをつけないのかのほうが謎だろ。」僕もつい口を出した。
「坊っちゃん!お帰りなさい!」
一人のメイドが大慌てで門まで走ってきて、鍵を開けた――が、いきなりバランスを崩し、そのまま膝から崩れ落ちた。
「奥様が……奥様が……!出てけ!」
「どうした?奥様がどうしたんだ?」僕は慌てて彼女を支えた。
「奥様が……さっき……私たち、急に意識が飛んで……その前に、奥様の悲鳴が……」
「みんな意識を失ったのか? 奥様が倒れる前、どこにいたんだ?」
「ホールです!」
メイドは泣きじゃくりながら叫び、そのまま崩れ落ちて泣き続けた。
メイドが泣き出すのを待たず、風系魔法を足元に纏わせて一瞬で廊下を駆け抜ける。そして、障害物で塞がれていた扉を勢いよく蹴り開けると、重い音を立てて開いた。
ホールの中は闇に包まれ、広々とした空間を異様な静けさが支配していた。炎を灯して辺りを見回したが、何も見えない。
「?!」
数歩、前へと進んだ。
だが、一歩踏み出すごとに、足元に妙な感触が広がる。
それはまるで水たまりを踏んでいるような感覚で、しかも進むにつれて、その水たまりはどんどん粘つきを増していくように思えた。
その不気味な粘り気に――
反射的にポケットから手回し懐中電灯を取り出し、辺りを照らす。
「奥様……?」
足元に飛び散った水滴が、わずかに音を立てる。
だが、返事はない。
聞こえるのは、地面に滴る音だけだった。
「……うっ、くさっ!」
前に進んだ瞬間、鼻をつく異臭が喉を焼き、思わず鼻を手で押さえる。
懐中電灯の光がふと足元を照らした。
――箱。
それに、暗赤色の液体。
じわりと滲み出していた液体。
粘性のあるその液体は、まるで意志を持つかのように床の凹凸をゆっくりと伝いながら広がっていく。
思わず手が震えた。
この体は本能的に後ずさった。だが、意識は反射的に周囲へいくつかの炎を灯し、懐中電灯の光量を最大にした。
そして――。
闇に慣れた目と、強烈な光が照らし出したものは――
「うっ!」
箱。十二個。
整然と並べられていた。
まるで人体を再現するかのような形に組み上げられた、完璧なギフトボックス。
そして、視界の端に映った――一番大きな箱が置かれているはずの場所。
でも、そこにあったのは……
「……血だらけの、紙?」
そこには、頭ほどの大きさの真っ赤に染まった紙が置かれているだけだった。
「……!!!」
血のように赤い文字で、かすれた字がこう書かれていた。
「セリホ~サニアス~ブルジョシュ~トレミ~アルサレグリア~への贈り物~。楽しい聖除節を~♪」
「……」
「……奥様……」
その意味を理解した瞬間、慌てて残された十二個の――いや、本来は十三個であるはずの――丁寧に包装された「贈り物」を片付けようとした。
そのとき。
ひとつの箱がうまく包まれていなかったせいで、ゴロリと赤い液体の中へ転がり込み、中から白く細い手が伸び出した。
「セリホが大きくなった頃には、ママ、きっと年を取っちゃうんだろうな。」
優しい声。
その手が頭を撫でながら、笑顔でこう言った。
「ねえ、その頃にはセリホはもう家に戻ってこないかな? こんな醜いおばあちゃんが家にいたら、セリホも嫌がっちゃうよね。間違って別の家に帰っちゃったりして……」
「……ママのこと、忘れないでね。」
「――母さん?!!!!」
その声に包まれていた記憶は、遠くから聞こえてきたもう一つの叫び声に引き裂かれた。
グラウシュミの母?!
父……
……
やっぱり!!やばい!!!
「母さん!母さん、やめて!」
一瞬、目を閉じて覚悟を決めた。……この状況から抜け出せたわけではないけれど、生きている者を優先すべきだ。
それに、あれは確かにグラウシュミの母の声だ。
声のする方へ駆け寄ると、彼女の言葉が次第にはっきりと耳に入ってきた。
「誰……?誰なの……?私が何したって……?彼を殺したのは……彼が彼女を殺したから……?違う、違う、違う……!」
「母さんーー!!」
グラウシュミの叫びが響く中、僕は勢いよくドアを蹴り開けた。
目の前にはグラウシュミの母が立っていた。けれど、その姿は僕が知っている彼女とはまるで違っていた。
グラウシュミの母の目は大きく見開かれ、白目をむいていた。顔中の穴という穴から血が流れ出し、顔は恐ろしく歪み、見るのもつらいほどだった。
慌てて手を上げ、治療魔法を試みた。けれど、何度繰り返しても魔法は届かない。
どうして!?
「……あぁ……君だ……!君が……君が……!」
「私、私は……夫が……先に……」
グラウシュミの母は、まるで娘の声が耳に入っていないかのように、同じ言葉を繰り返している。
「待って!」
声を出そうとしたが、その声は結局、喉の奥で掻き消えてしまった。
「?!」
その時だった。
体が急に動かなくなった。
まるで見えない鎖で縛られたかのように、足ひとつ動かせない。
「いやーーーー!!!!!」
ただ目の前で、グラウシュミの母が鈍った包丁を自分の首に向けるのを見ていることしかできなかった——。
「やぁ~、せっかく並べたのに、壊されると困るなぁ。ほら、ピースが一つでも欠けたら、もう元には戻らないんだからさ~」
部屋のどこかから、軽い調子の声が響いた。刃物を弄ぶ音も混じっている。
その瞬間――彼女が包丁を振り下ろそうとした。
動ける!
動きが、急に解放された。
とっさに火の玉を放ち、さらに氷を重ねて彼女を止めようとする。氷の反射に、部屋の奥でわずかに光る刃が見えた。
雪、風、そしてツタを一斉に放って彼女を拘束しようとする。
だが――
「おーー母ーーさんーー!!!!!!!!!!!」
ツタは届かず、氷柱も風も、何ひとつ当たらない。
丸いものが、首からポトリと落ちてきた。
……何一つ、止めることも――
でき、なかった。