1-4 僕、精霊を仲間にする(1)
スティヴァリの森、12時、日中。
太陽の光が木の葉の間からちらちらと差し込み、草むらや背の高い木に柔らかい斑模様を描いていた。森の中はほのかに花と木の香りが漂い、そよ風が枝を揺らして「カサ……カサ……」と優しく葉擦れの音を奏でている。
「ぴゅる?」
「お腹が空いたのか?ああ、そういえば、君の食べ物の好み、まだ聞いてなかったな。」
「ぴゅるぴゅる……」
「ただの水でいいのか?それなら、向こうの川で飲めばいいんじゃない?」
けれど、スライムはぷるぷると小さく震えながら、わずかに体を引っ込めた。
「……あれ?川の水、嫌いなのか?」
仕方がない。
僕は魔法で氷を作り出してみた。
するとスライムがそれに飛び乗って、パクパクと食べ始め、「ぴゅるぴゅる!」と嬉しそうな声を上げた。
「……溶かして飲ませるつもりだったんだけど。」
さて、精霊に名前をつけるのは、けっこう大事なことだ。
名前はその精霊の「第一印象」を決定づけるものだから、「刺身」とか「スイカ」とか「ワンワン」なんて、適当には呼べない。
だから僕は、スライム自身に名前を選ばせることにした。
「契約も結んだし、君はどんな名前がいい?」
スライムは「ぴゅるぴゅる!」と元気よく鳴いた。
「……僕に任せるの?変な名前をつけられるかもしれないんだぞ?」
「ぴゅるぴゅるぴゅる!ぴゅるぴゅるぴゅるぴゅるぴゅるぴゅるぴゅる!」
スライムは、意外にも真剣な様子で応えた。
それから、少し頭を下げて、「ぴゅるぴゅるぴゅるぴゅる……ぴゅるぴゅる、ぴゅるぴゅる……」と、どこか寂しそうに鳴いた。
その声は、はっきりと僕の心に届いた。
「どんな名前でもいいから……お願い、見捨てないで……」
「なるほど……過去に何があったんだ?」
「気づいたときには、見知らぬ場所にいて。湿っぽくて、暗くて……もう、うんざりするほどでした。そこに誰かが来ては、私をケージに閉じ込めては去っていって……毎日、やましい気持ちばかりで……」
僕は黙って耳を傾け続けた。
「捨てられて……ひとりにされて……一度だけ、優しい人が私を救ってくれたんです。それなのに、またすぐに捨てられてしまって……私が弱すぎたから!全て私のせいです!!こんな私がこの世界に生き残って……意味が、ない……」
「……そうか。つらかったな……じゃあ、君の名前は――『ヴィーナ』だ。」
「『ヴィーナ』……はい、覚えました、主人。」
精霊と主人の契約は絶対であり、一度契約を結べば、明確な主従関係が成立する。
ただし、主人が死亡すると契約は無効となり、その後は精霊が従うことはない。
この契約関係は、精霊と人間の間に限らず、人と人の間でも成立する。
この世界では、そうした契約は比較的一般的なものだ。
前世の歴史で言えば、ちょうどコロンブスが新大陸を発見する以前の時代で、契約という概念が重視されているのも、この世界の構造からすれば当然のことだ。
この魔法の世界において、精霊との契約方法は大きく二つに分けられる。
ひとつは、戦いの中で相手を限界まで追い詰め、力で服従させる方法。
もうひとつは、精霊が自ら心を開き、進んで従おうとする方法である。
もっとも、後者――精霊が自ら心を開いて従う方法――は、現実にはほとんど実現しない。
どの世界でも「強者こそが支配する」という法則が深く根付いているからだ。
精霊が心から服従するには、主人がそれにふさわしいだけの実力とリーダーシップを持っていなければならない。
つまり、ただ力があるだけでは足りない。知恵と器量、そして信頼に足る人格が必要とされる。
そうした自然な関係が築かれるまでの道のりは、決して短くはない。
むしろ、多くの精霊にとっては、適切な主人に出会えること自体が奇跡に等しい。
知恵ある精霊なら、価値のない主に縛られるくらいなら、迷わず逃げ出すだろう。
……だが、ヴィーナは少し特別だ。
「システム。」
「お待ちしておりました。ご質問は、『収復した精霊の扱い』についてでよろしいですね?精霊の管理方法、あるいは用途に関してでしょうか? もう少し詳しくお知らせいただければ、より的確な回答が可能です。」
「……なかなか賢いじゃないか。じゃあ、教えてくれ。」
「はい。収復した精霊は、持ち主の判断で『保管状態』にしておくことも可能です。必要なときに名前を呼ぶことで、精霊は自動的に召喚されます。また、常時身の回りに展開し、共に行動させることも可能です。」
「なるほど。日常生活では、呼んだときだけ出てきてもらうか?スライムを連れ歩いていたら、目立ちすぎて困るから。」
「あの……スライム一匹だけで戻るおつもりですか?」
「……今ちょっと煽ったろ?」
「いえ、決してそのような意図では。ただ――この新たに収復された『特殊個体』が、戦闘や支援でどれほど役立つか、一度試しておく価値はあるかと。」
「ふーん……理屈は分かる。でもな、もしヴィーナが死んだり、逆に相手を殺しちまったら?リスクのほうがデカいだろ?」
「ご心配なく、主人。この俺は強いですから。ちょっとだけ、腕前をご覧にいれましょうか。」
ヴィーナはそう言うと、ぴょんと青い毛玉のほうへ跳ねていった。
「待て!」
っていうか、「この俺」ってどういう意味?
青毛玉は、システム図鑑に新しく登録された小型モンスターで、その学名もそのまま「青毛玉」。
羊毛のようなふわふわした青い繊維に包まれた体をもち、つぶらな大きな瞳と、無邪気な表情が特徴だ。まるで毛玉がぴょこぴょこと跳ねているような見た目で、思わず触りたくなる可愛さを持っている。
戦闘力はあまり高くないが、特筆すべきはその防御能力。
攻撃を受けた瞬間、青毛玉はふっと丸まり、硬い青い球に早変わり、どんな攻撃も、ぷるんと弾き返してしまう。その様子は、まさに「天然の盾」。
個体としては弱くても、集団になると話は別。複数が一斉に丸まり転がり始めたら、地形を変えるほどの勢いを持つこともある。
そのため、「可愛いけど油断ならない」という認識がこの種には付きまとっている。
僕が止める暇もなく、ヴィーナは突如攻撃を開始した。
その身体はみるみる膨張し、ドロリとした酸性の粘液に包まれたかと思うと、凄まじい勢いで青毛玉に体当たりをかまった。
「早すぎるって!」
青毛玉は反射的に防御姿勢を取ろうとしたが――遅かった。
ヴィーナの攻撃は見た目以上に重く、粘液の一撃が青毛玉を貫通した。ひび割れが広がり、目に見えてHPが減っていく。
「予想した通りヤバイ……」
青毛玉はあわてて足元の草をむさぼり回復しようとしたが、ヴィーナはそれを許さなかった。間髪入れず次の衝突を仕掛け、さらには高濃度の酸性液体を体から噴き出し、じわじわと青毛玉の体表を侵食し始めた。
ふわふわとした青い毛がばさりと剥がれ落ちた。肌には焼け焦げた痕が赤黒く浮かび、逃げようと足掻く毛玉の体は、ヴィーナの粘ついた体にがっちりと絡み取られていた。
逃げ場など、最初からなかった。
「必要があれば、精霊が危険にさらされた時点で収納することも可能ですし、決着がつく直前に呼び戻して攻撃を止めることもできます。」
システムが不意に現れ、無機質な声で説明した。
「無理だろ!まだ契約してないから!ヴィーナ、やめろ!」
「……わかりました。主人がそう仰るなら。」
ヴィーナは後退し、静かに僕の前に戻った。そして、こう言った。
「ご覧になりましたか、主人?これが俺様の圧倒的な力――つまり、勝利の証です!」
なんだこいつ、過去の人から一体何学んできたの……?
「でも君、まだ正式な契約はしてないんだから。」
僕は花系魔法で作ったペンと契約書を手に構えた。
「え、ええっ!?」
そう――実は、ヴィーナとはまだ正式な契約を交わしていなかった。
物理的に精霊を従わせることは、あくまで前提条件に過ぎない。本当の契約には、いくつかの決まりきったプロセスと儀式が必要だ。
その中でも、最も重要なのは――「契約書に自らの意志で署名すること」。
これは単なる形式ではない。心理的な準備を整えるための儀式であり、意識下に「自分はこの契約を受け入れた」という暗示を強く刻む行為でもある。
かつての世界でも、書面にサインをすることが信頼と誠意の証だった。
この世界でもそれは同じ。文字を刻む動作、紙の感触、視覚に映る契約の文面――
そのすべてが、契約という行為に真実味と重みを与えるのだ。
この正式な印が心に刻まれることで、契約は単なる取り決めではなく、魂と魂の絆として成立する。
それによって、互いに対する信頼はより強固になり、裏切りや誤解の余地も限りなく少なくなる。
契約書には、当然ながら古くから伝わる定型フォーマットがある。
その名も――
「魂の契約」