2-3 暗流の夜(1)
デルガカナは影に身を潜め、敵を一人、また一人と静かに仕留めていった。
以前教わった風系の浮遊魔法を駆使し、誰にも気づかれることなく――まるで幽霊のように敵の間をすり抜けていく。
黒いフードの敵が反応する間もなく、デルガカナの槍が一瞬で相手の胸を貫いた。
助けを呼ぼうとしたその瞬間には、声を上げることすらできず、すでに全てが終わっていた。
デルガカナはそのまま素早く動き、敵の増援をことごとく排除していったのだ。
「デルガカナ何してる!!」
思わず僕が声を張り上げると、彼女はびくっと肩を震わせ、慌てた様子で答えた。
「せ、セリホが……危ないって……デルガカナ、すごく……怖くて……」
彼女の声は震え、涙が目元ににじんでいた。
僕はデルガカナを見つめ、静かに言った。
「いや、デルガカナ。誤解してた。僕は怒ってるわけじゃない」
「ご、ごめんなさい……。デルガカナ、頑張って……セリホを守ろうって、思って……」
泣きそうな顔で言葉を続ける彼女を見て、僕はそっと肩に手を置き、優しく告げる。
「分かってるよ。でも、敵を倒すだけが戦いじゃない。もっと先のことも考えなきゃいけないんだ」
正直に言うと――僕が本当に気にしていたのは、自我を持つ生命が傷つくのを見たくない、という気持ちだった。
たとえ敵であっても、そこまで追い込むのは忍びない。
しかも今の状況はあまりにも複雑だ。
もしここで軽率に誰かの命を奪ってしまえば、それは一つの命の消滅にとどまらず、想像もつかない連鎖を引き起こすかもしれない。
その影響は、何の関わりもなかった人々や集団にまで広がっていくだろう。
まったく……リリラアンナは、なんでこんなことまで教え込んだんだか。
僕はそう心の中で苦笑しながら、彼女の頬をつたう涙を、そっと指先でぬぐった。
「泣かないで。僕を守るためにこんな決断をしてくれたんだろ?本当にありがとう。大事なときに守ってくれて……感謝してる。ごめんね」
「う……デルガカナ……理解しようと、してる……んだけど……」
「……え?」
そのとき気づいた。
花系魔法は、デルガカナが貫いた“あの人”に選ばれていたのだ。
「……とりあえず、この人を寮に連れて帰ろう。デルガカナに怒ってるわけじゃないから」
デルガカナも少し落ち着いたようで、僕が敵を寮まで運ぶのを静かに見守っていた。
「ちょっと待ってて。急に用事ができたから少し外に出るよ。リリラアンナに頼んでおくか……あれ、あいつどこ行った?」
「セ!リ!ホ!!足元!ちゃんと見ろ!」
リリラアンナが下で叫び始めた。
「視線がボケてても、足元くらい気づけよ! この余が下からお前を支えてやってること、分からなかったのか? 平気な顔してんじゃねえよ! 何考えてんだよ、お前!」
「何よ、身長だけ高いって? 数ミリ高いくらいで、そんなに鼻を高くするわけ? まだ成長するんだから。
逆に君こそ、背だけ伸びて何の役にも立ってないじゃない。怖がって頭を引っ込めるなんて、笑わせてくれてありがとう。
それに、夜中で真っ暗、灯りもないんだから、踏まれても仕方ないでしょ?」
「怖いのはお前だ! グロウシュミの回復を助けてやってるんだからな!」
真っ暗で顔は見えなかったが、リリラアンナの返事には、明らかに頑固さと不満が滲んでいた。
「じゃあ、なんでトップレールの下に縮こまってるの? このトップレール、吹きさらしで頼りないし、君のその円盤顔じゃ、全然隠せてないじゃない。」
「はあ? 円盤顔? 少しは礼儀を覚えてくれない? 安易に人を決めつけるのはやめなよ。それとも、自分の立場を正当化するために相手を攻撃してるのか? でもそれは、問題を解決するんじゃなくて、ただの逃避行為だ……」
「待って待って! セリホ、リリラアンナ! とりあえず二人とも、そこから降りて! 危ないんだから……え、セリホ、ちょっと、それ誰を背負ってんだの?」
「さっきのネズミの一人……まあ、黒幕ってとこかもしれない。アマチュアな黒幕だけどな。」
僕はそいつを地面に転がした。
「ネズミって……敵なの?」グラウシュミが言いながら、こっそり魔法で僕を回復させてくれた。
「さっき、誰かが『ネズミじゃなかった』って言ってなかった……?!」
「さあな。――あ、そうだ。」
回復を受けているあいだに、僕は少しずつ花系魔法をかけて『手回し懐中電灯』を作り出した。これは魔法で動かす必要がなく、ただ手で押しているだけで光を発する道具だ。
ボタンを押すと、冷たい光がピカッと弾けて、リリラアンナの顔を鮮やかに照らした。
白い四芒星の瞳が本能的に細まり、彼女はすぐに手をかざして、そのまぶしさを遮った。
そして、何も言わずに相手の顔を見つめると、そのまま黙り込んでしまった。
これは珍しい。リリラアンナが黙るなんて滅多にない。普段なら僕に向かって延々としゃべっているのに、こうして急に静かになるなんて、どう考えてもおかしい。
「ちょっと外に出てくる。グラウシュミ、デルガカナ、こいつらを見ててくれ。またトラブルを起こさないようにな。」
外に出るって言ったのは、別に理由がなかったわけじゃない。
戦闘中、システムで鑑定を試みたんだけど、いつもは客観的な数値を示してくれるそのシステムが、今回は意味不明のデータしか返さなかった。
このネズミの出身や所属している組織は、全部「?」になっていたんだ。
「はい。」
「デルガカナ、わかった。」
「こいつの命は、とりあえず繋いでおいて。あとでリリラアンナにも伝えてくれ。あいつ、今ちょっと混乱してるみたいだから。」
「セリホ、何が起きたの?」
「別に。ただ、ちょっと気になることがあってさ。一人で確かめてくる。」
「了解。気をつけてね。」
グラウシュミがそう言うと、僕はいつものようにトップレールを越えて、ひらりと飛び降りた。
デルガカナはちらりと視線をそらし、手に握っていた槍をこっそりしまい込んだ。長くて扱いづらい代物だが、デルガカナのような腕前を持つ者が使えば、まさに無敵の武器となる。
しかも、この槍は魔法の力によって、普段は腰の鞘に収まる一本の刀へと変形できる。状況に応じて瞬時に武器の形態を変えられるその特性は、彼女の戦闘スタイルに不可欠な秘密兵器だった。
彼女は今、倒れたネズミを見下ろしながら、どこか困惑しているようだった。