2-1 朽ちぬ人(1)
「セリホくん、いる?」
ある夜、ラルシェニが僕の部屋の前に立っているのを見た。何か悩んでいるようだ。
「ラルシェニくん?君の部屋、確か下の階じゃなかったっけ?」
「そうだね。」
彼は入口で立ち止まったまま。
「鍵を忘れたの?だったら、僕の部屋からツタを使って降りるって手もあるけど。」
「いや、それはないな。」
そう言いながら、彼は手に持っていた紙をぎゅっと握りしめた。何か悩んでるようで、一瞬ためらった後、「迷惑かけちゃうから、下に戻る。」と小さく言った。
もしかして、数学の質問とかかも……?
「勉強のことなら、遠慮せずに聞いてくれていい。」
「いや、勉強じゃないんだ。今はいいや、邪魔しちゃったから。」
それだけ言って、彼は少し考えた後、去ろうとした。
「他の相談でも構わない。」
「それがちょっと……いや、やっぱりいいや。ごめん、失礼する。」
そう言って彼は階段を降りていった。
姿が見えなくなる直前、僕は思わず声をかけた。
「もしかして、あの人たちのこと?」
「?!」
翌朝。
「成績はこのまま維持しなきゃなあ。どうも周りの人たちから少し文句を言われてる気がするんだよね。平民の家の子だから、まあ仕方ないけど。」
「安心しろよ!彼がしっかりガードしてくれるから!」と、リリラアンナが勢いよくグラウシュミの肩に腕を回した。
「でも、クラスにはラルシェニもいるし……それに、あの人がいなくてもリツイベットの視線が気に入らないんだ。しかもリツイベットって、あの人の側近でしょ。きっとあの人も私のこと……」
「何考えてるの!ラルシェニは君に負けた相手でしょ?もしアイツが出しゃばったら、もう一回バシッとやっちゃいなよ!それに、クラウシュミのそばにはまだ余がいるし、余はもっと君を守ってあげるんだから!」
「でも、前にリリラアンナが放課後どこに行ってたのか、全然分からなかったじゃん。あの時とか、この前の時とか、その前も……」
「まあまあ!でも!アシミリアン先生がいるから大丈夫だって!あの古い先生、いつも余に厳しい顔をして、罰として文章を読ませたりするんだ!もう耐えられなくて、地面に突っ伏したくなるくらい!」
「では、セリホ、教科書の第三段を朗読してください。」
アシミリアン先生が言った。
「はい。」
リリラアンナが言った通り、彼女は毎回授業中に眠気を補っていた。
それも仕方ないかと思いながら、私は軽く咳払いをして読み始めた。
「『羅刹』」
「むかしむかし、あるところに、とても賢く、機知に富んだ少年がいました。彼は心優しく、強力な魔法の力を持ち、その魔法を人々を助けるためによく使いました。
そんな彼は、その優しさと温かさゆえに周りの人々から愛され、注目を集めながら成長していきました。
しかし、運命は彼に、複雑で矛盾に満ちた網をかけました。
時が流れるにつれ、彼の内に秘められた特質は少しずつ強まり、強大な魔力と鋭い洞察力に自信を抱くようになった彼は、次第に周囲の存在を軽んじるようになりました。人々の忠告にも耳を貸さず、己の興味あることのみに心を傾けるようになったのです。
その熱心さは、やがて彼を執着の境地へと追い込みました。極端さが彼の内を行き来し、罪は重く心にのしかかり、彼はついには理解し難い存在となっていったのです。
傲慢から生まれた誤った種は、時の流れの中で苦い実を結びました。彼はすべてを失い、残されたのは荒廃のみ。やがて自らも消え去り、ついには人としての資格さえ失ってしまったのです。
心清らかな彼は、ようやく自らがこの世界にそぐわぬ存在であることに気づきました。真実の扉が開かれたとき、彼は決然と去ることを選び、この大陸から姿を消したのです。
それ以後、誰一人として彼の姿を見た者はいませんでした。」
読み終わると、僕は席に戻った。
「――ギリギリの合格。」アシミリアン先生は厳しい表情でクラスを見渡し、「まったく、『春眠暁を覚えず』だな」とため息をついた。
周りを見回すと、十二人中十人が、季節の暖かさに誘われて机に顔をうずめて眠っていた。目を覚ましているのは、目の前のグラウシュミと、読み終えたばかりの僕だけ。
リリラアンナは背中を向けて大きないびきをかき、デルガカナは机に顔を押しつけて半分夢の中だった。
その他の生徒たちも、さまざまに奇妙な体勢で眠っていて、まるで「変わった寝姿の図鑑」みたいだった。これ、絵を描くときのインスピレーションになりそうだ。
そういえば、元の世界でもこんな様子をスケッチしていた人がいたっけ。
「夜中に何をやってるんだか。まあ、あと二年で中学だし、もう放っておくか。」
「アシミリアン先生。」僕は立ち上がりながら口を開いた。
「『中学』っていう概念、この『ワルツィナイズ・ミロスラックフ』大陸には存在しないはずですけど。」
目を覚ましてメモを取っていたグラウシュミは、少し首をかしげながらも、いつも通り僕をサポートするように軽くうなずいた。
「……君は、どこから来たのか?」
しばらく沈黙した後、アシミリアン先生が問いかけた。
「至高なる知恵と永遠の主の御名において――アレンから来ました。」
鬢髪を少し巻き上げながら、わざと共通語に切り替えて、さらにアレン風のアクセントを添えた。
「これ以上授業を続けても意味はない。今日はここまでだ、解散。」
アシミリアン先生はどうやら意味を理解したようで、教科書を閉じてこう宣言した。
ベルが鳴っていなかったので、クラスの誰一人として先生の行動に気づいていないようだった。
「グラウシュミ。……神を信じるか?」と、アシミリアン先生が尋ねた。
「え? 私ですか?」
グラウシュミはしばらく考え込み、
「うーん……そうですね。なんとなく信じているかもしれません。難しい問題にぶつかったとき、ついお願いしてしまうんです。」
と答えた。
「君はどうだ?」と先生が僕に尋ねた。
「ね、先生。『左目がピクピクすればラッキー、右目がピクピクすればサプライズがある』っていう言葉、聞いたことありますか?」
「うん、あるよ。」
「だからさ、左目がピクピクしたら今日は良いことがありそうですし、右目がピクピクしたら、それはただの偶然ということで、迷信は僕からなくしていこうと思います。
それで、先生、さっきはいっぱい質問されていましたけど、今度は僕から聞いてもよろしいですか? 等価交換だと思います。」
と、冗談めかして言ってみた。