1-16 僕、無理やり女装させられる(2)
「だが、まぁ……獣人の血には野性があるからね。こんな騒ぎが起きても、仕方ないかも……」
その言葉を聞いて、周りにいた数人が頷き、同調するような素振りを見せた。
どうやらこの「ワルツィナイズ・ミロスラックフ」大陸には、彼らなりの「獣人に対する見方」が根強く染みついているらしい。
「え? なになに? 結局、何が起きたの? 誰か教えてくれない?」
周囲の人々に声をかけながら、少し混乱した気持ちを抱えたまま、僕は老人に近づいて彼を助け起こした。
その老人は驚いた様子で僕を見上げ、苦笑しながらつぶやいた。
「どこかで会ったような気がするのう……お若いの、本当に知らなかったのかい……」
「はい。何があったの?」
と僕は、彼の言葉に耳を傾けた。
「そっか?なるほど……」
どうやら、この混乱の原因は、突如現れた一匹の蛇のようだ。
蛇が馬車の前を横切った瞬間、馬が驚いて前足を高く上げ、いななきと共に御者が制御を失ったという。
「つまり、あの蛇が原因ってことか……」
僕はつぶやき、視線を遠くの馬車の方へ向けた。その間も、男は獣人の子供に鞭を振り下ろし、不快な言葉を吐き続けていた。
見ていられなくなった僕は、思わず一歩踏み出し、男の高く掲げられた手首をしっかりと掴んだ。
「すみませんが、落ち着いてください。この子供を一時の衝動で傷つけるのは、少し行き過ぎではないでしょうか?」
そう言うと、男は驚いたように目を見開き、次の瞬間、怒りの色が顔に広がった。そして、あからさまに不満そうな目でこちらを睨みつけ、冷たく言い放つ。
「冷静になれだと?てめぇ、誰に向かって口きいてんのか分かってんのか?」
彼は怒鳴り声を上げた。
まるで、自分の地位や立場で僕をねじ伏せようとしているかのように、怖いくらいに重い空気をまとって、どんどん圧をかけてくる。
「あそこにいらっしゃるのは、北の名家・ブレランクス家の超重要人物だぞ!しかも、グレミカイヴァキス家ともガッツリ繋がってんだ。今この瞬間、そのお方があの馬車に乗ってんだよ!!」
その言葉に、彼が得意げな顔をしているのがわかった。きっと自分の「立場」を自慢しようとしているのだ。
「へえ。じゃあ、どうやってそれを知ったの?」
「あァ? 教えてやるよ!」
男は相手が脅しに屈しないことに気づき、鞭を力強く引き戻しながら、挑発的な口調でそう答えた。
「数日前にあの馬車を護衛してたのはこのオレ様だよ! あの御方たちの旅にミスのひとつでもあったら、オレの首なんざとっくにすっ飛んでたんだよ!」
男の声には、焦りと自慢が入り混じった独特のトーンがあった。自分の立場を必死にアピールしようとしているのは明らかだったが、その目には、どこか不安げな様子がやはり見え隠れしていた。
その言葉を冷静に聞きながら、しばらく黙っていた。そして、静かに目を細め、彼に言葉をさらに続けさせた。
「なるほど、ブレランクス家とグレミカイヴァキス家か。実はちょうどその二家に知り合いがいるんだ。特にグレミカイヴァキス家の方には。」
――つまり、リリラアンナ。名前の最初と最後さえ覚えておけばいいと思っていたけれど、クラス全員のフルネームは、もうすっかり頭に入っている。
そしてもう一人は、北の国から来た交換留学生だ。成績は学校全体で「A」といったところだが、なぜこのクラスに入り、取り巻きを従えるようになったのか、少し不思議に思っていた。
その二人のことを考えていると、男の声が耳に入ってきた。
「グレミカイヴァキス家を知っていたところで、だからなんだっていうんだ? あいつらの恐ろしさを知らないのか……いや、いや、お前みたいな小僧に説明している暇なんてない!」
男の声には、苛立ちと焦りが入り混じっていて、周囲の空気もピリピリと張り詰めてきた。目は怒りにギラつき、自分こそが上だと証明したいという強い欲望が、全身からにじみ出ていた。
「なるほど。」
僕は静かに、そしてどこか冷徹に問いかけた。
「じゃあ、僕と君に関する話をしよう。君たちは獣人をどう定義している? 一人の人間として? それとも、ただの『商品』として?」
その言葉が、空気を一瞬で凍りつかせた。周囲の人々が無意識に呼吸を止め、誰もがその答えを待っているかのような沈黙が流れる。
鞭を振るっていた男は、まさかそんな質問が飛んでくるとは思ってもいなかったようで、一瞬驚いた表情を見せた。しかし、その驚きもすぐに強気な態度に戻り、鞭を再び振り上げて、派手な音を立てた。
男は気勢を上げるつもりだったのだろうが、僕はさりげなく後ろで魔法を使って、その効果を巧妙に抑え込んだ。
その前、男の動きが一瞬鈍ったのを見逃さなかった。少しバツが悪そうな顔をしながらも、彼はプライドを保とうと必死に睨みつけ、ゆっくりと一字一句を噛みしめるように言った。
「オレたちにとって、獣人ってのはただの損失物であり、安物なんだ。ガキには分かんねぇだろ?」
その言葉を聞いても、僕はまったく動じなかった。ただ、静かに男の目を見据え、冷たく問い返した。
「それで、彼らの自由と命を奪うのか?」
彼は言い返す言葉が見つからないのか、苛立ちを隠せずに鼻を鳴らしながら、強がって言った。
「ガキ、聖人ぶってんじゃねぇよ、お前に何が分かる?この世界はな、同情だけじゃ生き残れねぇんだよ……」
「では、もしある日、僕たち自身が他者の目には『獲物』として映り、いわゆる『獣人』のような存在として見なされ、さらには他人の生存を支える『食料』として扱われる立場になったら、どう思う?
自由や尊厳、そして命までもが、生き残りをかけた厳しい争いの中で、何のためらいもなく取引の材料みたいに扱われるとしたら――
僕たちは、そんな行為の奥にある価値観を、ちゃんと見直して考え直すべきなんじゃないのか?
果たして、かけがえのないこれらのものを、市場で取引可能な「資源」のように軽々しく扱ってもいいのか?」
一瞬、男は言葉に詰まった。
だがすぐに、彼は目を伏せ、わずかに皮肉げな笑みを浮かべて口元を歪めた。
そして、目に皮肉と笑いをにじませながら、こう答えた。
「へぇ~、意外と喧嘩売るの上手いじゃん~?質問は鋭かったよ。でもさ~、ここは現実だよ?君の妄想みたいな『もし』の話なんて、存在しねぇの。夢見るのも大概にしな?
この世界はさ、綺麗事だけじゃ回らないの。生き残りたきゃ、弱肉強食、それが唯一のルール。余たちが獣人どもを取引のネタにしてんのも、群れの中の狼が羊を狙うのと一緒よ~腹満たして、得を取るためさ~分かる?この合理性。
自由~?尊厳~?命の価値~?あははっ、そんなの語ってる暇があるヤツは、恵まれてる側の特権ってやつよ~冷たくて無慈悲なこの世界で、皆が平等に語り合えると思ってんの~?バカか君~。」